バートランド・ラッセルの言葉366

再配信 ラッセル『宗教と科学』第9章 科学と倫理学 n.2

カテゴリー: 2019年02月12日
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「(ほぼ日刊)バートランド・ラッセルの言葉366」 
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 「ラッセルの英語」では,英語の学習に参考になりそうな例文をラッセルの著作からご紹介していますが,「ラッセルの言葉366」では,日本語にした時の'内容'に注目して,ラッセルの発言をご紹介していきます。
 読者と一緒に育てていきたいと思っていますので,誤訳や不適切な訳等がありましたら,お知らせいただければ幸いです。

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 再配信 ラッセル『宗教と科学』第9章 科学と倫理学 n.2
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 ◆お気づきと思いますが、1箇所、タイプミスがありました。念の為
  再配信しておきます。
  × 当時進行中の戦争(第一大))→ ◯ 当時進行中の戦争(第一大戦)
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 外部の行動規範(行為の規則)の必要性に訴えることが回避されてきた方法
の一つは「良心」(の存在)に対する確信であった(訳注:荒地出版社刊の津
田訳では「external rules of conduct」は「行為の外的法則」と訳されてい
る。この近辺では「rule」は全て「法則」と訳されてしまっている)。それは
,とくにプロテスタントの倫理において重要であった。神が各人の心に何が正
しく何が誤りであるかを啓示すると,また,それゆえ,罪を避けるには,我々
は自分の内なる声だけを聴けばよいと,考えられてきた。けれども,この説に
は二つの困難(問題)がある。第一に,良心は異なった人に異なったことを言
う(人が違えば良心は異なる)。第ニに,(精神分析による)潜在意識の研究
は,良心的な感情の世俗的な原因(良心的な感情の背後には世俗的な原因があ
ること)についての理解を我々にもたらしてきた。

 良心の異なった判断/評決(different deliverances 異なった判断/評決をす
ること)について(次のような例がある)。(例えば,)ジョージ三世の良心
は,カトリック教徒の解放を認めたら自分の戴冠式の誓いで偽証(perjury)を
行ったことになるので,そうしてはならないと告げた(訳注:カトリック教徒
解放というのは、18世紀後半から19世紀初頭にかけて英国において起こったロ
ーマ・カトリック教徒にかけられた多くの制約を減らし、取り除こうとする運
動)。しかし,その後の君主たちはそのような良心の呵責(scruples)は持たなか
った。良心は,共産主義者によって主張されているように,貧しい者による富
める者からの略奪についてある者には非難させ,また,資本家によって言われ
ているように,富める者による貧しい者からの搾取について他の者には非難さ
せる。良心はある者には,自国が侵略された際には国家を守るべきだと告げ,
また,別の者には戦争に参加する者は全て邪悪であると告げる。第一次世界大
戦中,政府当局者たちは -その中には倫理学を研究した者はほとんどいなか
ったが- (人間の)良心はとても人をまごつかせるものだと気づき -人は自
分自身と闘うことには良心の呵責を感ずるが(自分以外の)他人を徴兵するこ
とを可能にするために野外で働くことには(working on the fields 戦場で働
く?)良心の呵責は感じない- といったいくらか奇妙な(いくつかの)決定
(descisions)に導かれた。彼ら(政府当局者たち)は,また,良心はあらゆ
る戦争を非とするかもしれないが,極端な状況でなければ(?)(注:failing 
that そうでなければ),良心はその当時進行中の戦争(第一大))に非を唱え
ることはできなかった,と考えた。どんな理由であれ(for whatever reason)
,戦うことは正しくないと考える者は,自分の立場を,このようにいくらか原
始的かつ非科学的な「良心」という概念で説明せざるをえなかった。

 良心の判断/評決の多様性は,その超源が理解される時には予想されること
(予想できること)である。若い頃(青年期の初期)においては,ある種
(classes 種類)の行為は是認され,他の種(種類)は否認される。そして,
通常の(記憶の)連合の過程によって,快,不快(の感情)は徐々にそれらの
行為に付着し,行為によって生み出される是認あるいは否認のそれぞれに対し
てだけ付着するのではなくなる(訳注:是認には快,否認には不快という感情
が付着するだけでなく、個々の行為にもそういった感情が付着する、つまり、
個々の行為に対して先入観が形成されていくということ)。時が進むにつれ,
我々は若いときの道徳上の鍛錬(moral training 道徳指導,修身)について
は全て忘れてしまうかも知れないが,いまだ,ある種の行為を居心地悪さを感
じる一方,他のものは徳(有徳であること)の紅潮(感)(a glow of virtue)
を我々に与えるだろう。内省(という行為)にとって,これらの感情は神秘的
なものに思われる。なぜなら,我々は,最初にそれらの感情を生じさせた状況
をもはや思い出さないからである。また,従って,それらを,心の内における
神の声に帰するのは自然なことである。しかし,教育者たちは気付いていかも
知れないが,大部分の人においては,良心は教育の産物であり,肯定あるいは
否定のどちらへも訓練可能である。従って,倫理(学)を外的な(形式的な)
道徳律から解放することは正しいが,「良心」という観念によっては,ほとん
どなしとげることはできない。

One of the ways in which the need of appealing to external rules of 
conduct has been avoided has been the belief in "conscience," which 
has been especially important in Protestant ethics. It has been 
supposed that God reveals to each human heart what is right and what
 is wrong, so that, in order to avoid sin, we have only to listen to
 the inner voice. There are, however, two difficulties in this theory
 : first, that conscience says different things to different people ;
 secondly, that the study of the unconscious has given us an 
understanding of the mundane causes of conscientious feelings. 

As to the different deliverances of conscience : George III's 
conscience told him that he must not grant Catholic Emancipation, as,
 if he did, he would have committed perjury in taking the Coronation 
Oath, but later monarchs have had no such scruples. Conscience leads 
some to condemn the spoliation of the rich by the poor, as advocated 
by communists ; and others to condemn exploitation of the poor by the
 rich, as practised by capitalists. It tells one man that he ought to
 defend his country in case of invasion, while it tells another that
 all participation in warfare is wicked. During the War, the 
authorities, few of whom had studied ethics, found conscience very 
puzzling, and were led to some curious decisions, such as that a man
 might have conscientious scruples against fighting himself, but not
 against working on the fields so as to make possible the conscription
of another man. They held also that, while conscience might disapprove
of all war, it could not, failing that extreme position, disapprove of
 the war then in progress . Those who, for whatever reason, thought it
 wrong to fight, were compelled to state their position in terms of 
this somewhat primitive and unscientific conception of "conscience."

The diversity in the deliverances of conscience is what is to be 
expected when its origin is understood. In early youth, certain 
classes of acts meet with approval, and others with disapproval ; and
 by the normal process of association, pleasure and discomfort g
radually attach themselves to the acts, and not merely to the approval
 and disapproval respectively produced by them. As time goes on, we 
may forget all about our early moral training, but we shall still feel
 uncomfortable about certain kinds of actions, while others will give
us a glow of virtue. To introspection, these feelings are mysterious,
since we no longer remember the circumstances which originally caused
 them ; and therefore it is natural to attribute them to the voice of 
God in the heart. But in fact conscience is a product of education, 
and can be trained to approve or disapprove, in the great majority of
 mankind, as educators may see fit. While, therefore, it is right to
 wish to liberate ethics from external moral rules, this can hardly be
 satisfactorily achieved by means of the notion of "conscience."
 出典: Power, 1935, chapt. 9: Science and Ethics, n.2
 情報源:https://russell-j.com/beginner/RS1935_09-020.HTM

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発行周期:  ほぼ 日刊 最新号:  2019/03/20 部数:  70部

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