バートランド・ラッセルの言葉366

ラッセル『宗教と科学』第5章 魂と肉体 n.14

カテゴリー: 2018年11月01日
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 読者と一緒に育てていきたいと思っていますので,誤訳や不適切な訳等がありましたら,お知らせいただければ幸いです。

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 ラッセル『宗教と科学』第5章 魂と肉体 n.14
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 第5章 魂と肉体 n.14

 心理学及び物理学は,より科学的になるにつれ,両者の伝統的概念はますます精度
の高い新しい概念に道を譲るようになる(とって代わられることになる)。物理学は
ごく最近まで,物質と運動で満足していた。そして,物質は -(今日まで)哲学的
契機(本質的構成要素)において(in philosophical moments)そのように考えられ
てきたけれども- 専門的には(technically),中世的な意味での実体であった。物
質と運動は,今日では,専門的にも適切でないことがわかっており,理論物理学者の
やり方(procedure)が科学哲学の要求と大いに一致するようになってきている(注:
come into line with と一列に並ぶ;考え方などが~と一致する)。同様に,心理学
も「知覚」や「意識」といった概念を放棄する必要性を認めつつある。なぜなら,
これらの概念は正確さに欠けることが見出されたからである。このことを明らかにす
るため,それぞれの概念について少しく述べておく必要があろう。

「知覚」は,一見,まったく直截(straightforward 単刀直入で明快)(な言葉/表
現)に思われる(注:津田訳では「完全な表現」←なにが完全なのか?)。我々は太
陽や月を(目で=視覚で)「知覚」し,語られる言葉を(耳で=聴覚で)「知覚」し,
我々が触れる物の硬さや柔らかさを(手で=触覚で)「知覚」し,腐った卵の臭いや
辛子の味を(舌で=臭覚で)「知覚」する。我々がこのように記述する出来事(事象)
についてはまったく疑問の余地はない。疑わしいのはその記述(の方)のみである。
我々が太陽を「知覚」する時,(その知覚が生じるまでに)長い因果の過程が存在す
る。まず,太陽と(知覚する)人間との間にある9300マイルの空間のなかに因果関係
があり,次に(刺激を受ける)眼の中に,視神経の中に,そうして,脳のなかに因果
関係が存在している。我々が太陽を見ているという最後の心的出来事(精神現象)は
,太陽それ自体と多くの類似性があるとは思えない(注:bear much resemblance to
 多くの類似性を有する)。太陽は,カントの物自体と同様に,我々の(直接的な)
経験の外側にあり続けており,たとえ(なんらかのことが)知られうるにしろ(if 
at all),それは我々が「太陽を見ている」と呼んでいる経験からの困難な類推によ
ってである。我々は太陽が我々の経験外に存在していると想定する。なぜなら,多く
の人々が同時に太陽を見るからであり(注:自分の経験の中にしかなければ同時に他
の人が太陽を見ることはない)であり,また,あらゆる種類のものごとが,月の光の
ように(注:月の満ち欠け,月蝕,その他)、観察者(人間など)のいないいろいろ
なところで太陽が影響を与えていると想定することにより,最も容易に説明される
(説明できる)からである。しかし,我々が感覚作用の精密な物理的な因果関係を理
解する以前に理解していると思っていたほど,我々は,直接的かつ単純な意味で,太
陽を「知覚」してはいないのは確かなことである。

Chapter 5: Soul and body, n.14

As psychology and physics become more scientific, the traditional concepts
 of both give way increasingly to new concepts capable of greater accuracy. 
Physics, until very recently, was content with matter and motion ; and 
matter, however it may have been thought of in philosophical moments, was,
 technically, substance in the mediaeval sense. Matter and motion have now
 been found inadequate even technically, and the procedure of theoretical 
physicists has come much more into line with the demands of scientific 
philosophy. Psychology, in like manner, is finding it necessary to give up
 such concepts as "perception" and "consciousness," because it is found that
 they are incapable of precision. To make this plain, a few words about each
 will be necessary. 

"Perception" seems, at first sight, perfectly straightforward. We "perceive"
 the sun and moon, the words we hear spoken, the hardness or softness of the
 things we touch, the smell of a rotten egg, or the taste of mustard. There
 is no doubt about the occurrences of which we give this description ; it is
 only the description that is questionable. When we "perceive" the sun, 
there has been a long causal process, first in the ninety-three million 
miles of intervening space, then in the eye, the optic nerve, and the brain.
 The final "mental" event which we call seeing the sun cannot be supposed to
 bear much resemblance to the sun itself. The sun, like Kant's 
thing-in-itself, remains outside our experience, and only to be known if at
 all, by a difficult inference from the experience which we call "seeing the
sun." We suppose that the sun has an existence outside our experience 
because many people see it at once, and because all sorts of things, such as
 the light of the moon, are most simply explained by assuming that the sun 
has effects in places where there are no observers. But we certainly do not
 "perceive" the sun in the direct and simple sense in which we seem to do so
 before we have realized the elaborate physical causation of sensations.
 出典:Religon and Science, 1935, chapt. 5: 
 情報源:https://russell-j.com/beginner/RS1935_05-140.HTM

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発行周期: ほぼ 日刊 最新号:  2019/01/18 部数:  71部

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