バートランド・ラッセル(1872-1970)の英語

ラッセル『宗教と科学』第9章 科学と倫理学 n.8

カテゴリー: 2019年02月20日
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 「ラッセルの英語」では,英語の学習に参考になりそうな例文をラッセルの著作からご紹介していますが,「ラッセルの言葉366」では,日本語にした時の'内容'に注目して,ラッセルの発言をご紹介していきます。
 読者と一緒に育てていきたいと思っていますので,誤訳や不適切な訳等がありましたら,お知らせいただければ幸いです。

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 ラッセル『宗教と科学』第9章 科学と倫理学 n.8
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 ある人が「これはそれ自体で善である(善い)」という時,彼(その人)に
は「これは正方形(square 四角)である」とか「これは甘い」とかいうのとま
ったく同じ程度の陳述(発言)をしているように思われる(かもしれない)。私
はそれは誤りだと信じている。実際に意味されているのは,「私は全ての人が
これを欲求することを望む,あるいは,むしろ「願わくば,全ての人がこれを
欲求せんことを!(欲求せればよいのに!)」(仮定法で用いられる文語表現)
ということである,と私は考える。もし,彼が言っていることを言明(陳述)
として解釈されるなら,それは単なる彼自身の個人的願望の断言にすぎないし
,もし,一方,それが(個人的発言ではなく)一般的に(一般的な一文)とし
て解釈されるなら,それは何ものも述べておらず(主張しておらず),単に何事
かを欲求しているにすぎない(願望表現をしているだけ)。願望は -ひとつ
の出来事として- 個人的なものであるが,それ(願望)が欲求するところの
ものは普遍的である訳注:たとえば,「全人類の幸福」「戦争廃止」)。倫理
学に非常に多くの混乱を(これまで)引き起こしてきたのは,このような, 
個別的なものと普遍的なものとの奇妙な連結(interlocking 連動)である。

 この問題は,多分,倫理的な文(注:何かが善いとか悪いとか主張している
文と言明(陳述)をする文(statement)とを対比することによって,より明らか
になるだろう。もし,私が「全ての中国人は仏教徒である」と言うならそれは
中国人のキリスト教徒やマホメット教徒の提示によって(by the production
 of)反駁されるだろう。もし,「私は全ての中国人が仏教徒だと信ずる」と
言うなら,中国人にあるいかなる証拠によっても私は反駁されず,ただ,私が
言っていることを私は信じていない証拠(の提示)によってのみ反駁される。
なぜなら,私が主張しているのは,(述べていることの真偽ではなく)ただ,
私の心の状態(注:信じているという状態)だけについてだからである(訳注
:信じている内容が間違っていようが、その間違っていることを信じているこ
とがわかればこの一文は正しいということになる)。もし,今,ある哲学者が
「美は善である」と言うなら,彼が意味していることは,「全ての人が美しい
ものを愛したらよいのに」(これは「全ての中国人は仏教徒である」に対応す
る)ということか,あるいは,「私は全ての中国人が美しいものを愛すること
を望む」(これは「私は全ての中国人が仏教徒であると信ずる」に対応する)
ということであると,私は解釈してよいだろう。これら2つの内,前者は何ら
かの(個人的な)断言(assertion 主張)をしているのではなく,願望を表明
している,即ち,それ(その文/表現)は何ものも断言していないので,それ
(その文)を肯定したり否定したりする証拠が存在することは,あるいは,そ
れが真理か誤謬かの証拠をもつことは,論理的に不可能である。2番めの(後
者の)文は,単に願望を表しているだけではなく(instead of being merely
optative),言明(陳述)をしている。だが,それは哲学者の心の状態に関し
ての言明(陳述)であり,彼が彼が持っていると言っている願望を(実際は)
彼は持っていないという(ことを示す)証拠によってのみ反駁されうるもので
ある。この2番めの(後者の)文は倫理学には属さず,心理学あるいは伝記に
属している。倫理学に属している一番目(前者の)文は,あるものに対する願
望を現わしているが,何ものも主張していない。

 倫理学は -もし上述の分析が正しいなら- 真であれ偽であれ,言明(陳述)
はまったく含んでおらず,ある一定の一般的な種類の,即ち,人類一般の欲求
 - また,もし存在するとしたら,神々,天使,悪魔の欲求(など),と関わ
りを持つようなものから成り立っている。科学は欲求の原因やそれを実現する
手段について論じることができるが,純粋な倫理上の文を含むことはできない
。なぜなら,科学は真あるいは偽なるものに関りを持つものだからである。

Chapter 9: Science and Ethics, n.8

When a man says "this is good in itself," he seems to be making a 
statement, just as much as if he said "this is square" or "this is 
sweet." I believe this to be a mistake. I think that what the man 
really means is ; "I wish everybody to desire this," or rather "Would
 that everybody desired this." If what he says is interpreted as a 
statement, it is merely an affirmation of his own personal wish ; if,
 on the other hand, it is interpreted in a general way, it states 
nothing, but merely desires something. The wish, as an occurrence, is
 personal, but what it desires is universal. It is, I think, this 
curious interlocking of the particular and the universal which has 
caused so much confusion in ethics. 

The matter may perhaps become clearer by contrasting an ethical 
sentence with one which makes a statement. If I say "all Chinese are
 Buddhists," I can be refuted by the production of a Chinese Christian
 or Mohammedan. If I say "I believe that all Chinese are Buddhists," 
I cannot be refuted by any evidence from China, but only by evidence 
that I do not believe what I say ; for what I am asserting is only 
something about my own state of mind. If, now, a philosopher says 
"Beauty is good," I may interpret him as meaning either "Would that 
everybody loved the beautiful" (which corresponds to "all Chinese are
 Buddhists") or "I wish that everybody loved the beautiful" (which 
corresponds to "I believe that all Chinese are Buddhists"). The first
 of these makes no assertion, but expresses a wish ; since it affirms
 nothing, it is logically impossible that there should be evidence for
 or against it, or for it to possess either truth or falsehood. 
The second sentence, instead of being merely optative, does make a 
statement, but it is one about the philosopher's state of mind, and it
 could only be refuted by evidence that he does not have the wish that
 he says he has. This second sentence does not belong to ethics, but
 to psychology or biography. The first sentence, which does belong to
 ethics, expresses a desire for something, but asserts nothing. 

Ethics, if the above analysis is correct, contains no statements, 
whether true or false, but consists of desires of a certain general 
kind, namely such as are concerned with the desires of mankind in 
general - and of gods, angels, and devils, if they exist. Science can
 discuss the causes of desires, and the means for realizing them, but
 it cannot contain any genuinely ethical sentences, because it is 
concerned with what is true or false.
 出典: Power, 1935, chapt. 9: Science and Ethics, n.8
 情報源:https://russell-j.com/beginner/RS1935_09-080.HTM

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バートランド・ラッセル(1872-1970)の英語

発行周期: ほぼ 日刊 最新号:  2019/02/20 部数:  104部

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