瞬間(とき)のオルゴール

vol.6 『 経世済民 』 作詞:祇遠偲世

カテゴリー: 2014年06月26日


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 瞬間(とき)のオルゴール   2014/06/26

  vol.6 『 経世済民 』   作詞:祇遠偲世

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        【 もくじ 】


1.影絵と喪失

2.奪われた人間性

3.回帰への道

4.ひとりごと



■ 影絵と喪失
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おはようございます、祇遠【ぎおん】です。

ここ数日どこぞの議員の発言が、物議を醸し
出しているようではありますが…

“その国の政治を見れば、その国の民度が窺える”

とはよく言ったもので、これら一連の騒動に
向けられる賛否両論の発言は、めぐり巡って
すべて己自身に、言葉の矢となり跳ね返り

自らの心象を流露す事となる。

つまるところ、ブラウン管越しに映る何がしは、
見知らぬ他人ではなく、己自身である。
と、言うことだ。

(なぜなら、彼らを選んだのは他でもない、
私たち自身なのだから…)

そして彼らに向けられる罵詈雑言は、
すべて自分自身に向けられており、

物を発する人間は、その言葉により自らを卑下して
いることに気が付かなくてはならない。

その上で、私が出来ることと言えば…

ただただ黙するのみである。



さてさて、約3年ぶりのメルマガとなりましたが、
いかがお過ごしでしょうか。

そうですね、本年度から消費税が8%へと
引き上げられたものの、増税前に懸念
されていたほどに、

消費が冷え込むこともなく、
少しずつではありますが景気が
上向いているように見うけられます…

が、その裏でこの波に呑まれ、
企業の倒産が起きている実状にも
私たちは目を向けなくてはならない。

そもそも我が国において増税とは、
本来、過度な物価上昇(インフレ)を
抑制するために導入されたものであり、

景気をデフレ方向へと走らせ、
可も負荷もない均衡点へと
導く役目を担っている。

今回の増税は、

未だ景気の行き先も分からぬまま、
困窮していると言っても過言ではない
現段階において、はなはだ時期尚早の感がある。

その上で、来年には10%へと増税されることが、
ほぼ決定しており、これは事実上、デフレに
デフレを重ねる形となる。

これが何を意味するかは、言うまでもありませんが、

ではなぜ、今、この政策を急進的に
推し通す必要がるのかを考えて見ましょう。



 “この経済形態(私企業間の競争)は、

  絶望的なほど適応不能なものに結びついた
  人々の、完全な破滅という最後の非常手段
  を否定しては、成り立ちえないのである。”


※ シュムペーター『経済発展の理論』岩波文庫より



これは、4年ほど前の創刊号でも話したことですが、
シュンペーターによれば、不況時においては、
淘汰の作用が引き起こされ、

力のない偽者がふるいにかけられ、
本当に実力があるものだけが
生き残る。と述べている。

そして今の日本は、シュンペーターが思い描く
経済状態と非常に似通っている。

例えば最近、雇用における解雇規制緩和の是非が
問われましたが、これなどはまさに、
実力のない者をふるいにかけることであり、

この政策に反対している者は、
たいてい就職がゴールとなって、
それ以降の努力を怠った人々ばかりである。

また、一生安泰といわれた公務員においても、
評価制度が導入されて、至らぬ場合、
分限免職の可能性も出てきた。

……つまり

今後は、偽者は生き残れない

「超」が付くほどの実力化社会となるであろう。
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……とは、言うものの。

このメルマガを最初から読んで下さる方々は、
こんな未来は容易に想像できたでしょうし、
そのための対策も講じてきた事でしょう。

自然として、この事実にもお気付きでしょう。

「超」実力化社会も遅かれ早かれ瓦解する。
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 “資本主義的な活動が本質的に「合理的」で
  あるために、合理的な性向を普及させる傾向
  を持ち、それは生産工場の制度化された指導の
  有効な作用のためには、いずれも欠くべからざる

  上下の命令・服従関係の忠実性とこの習慣とを、
  破壊する傾向を持っている。

  というのは、いかなる社会体制も(短絡的な)
  功利的な目的のみによって導かれていると考え
  られるような場合には、うまく作用しえない”


※シュンペーター『資本主義・社会主義・民主主義』
 東洋経済社 より



「超」実力化社会とは、「超」個人主義社会とも
「超」非人情的社会とも言い換えることが出来る。

早い話が、誰も彼もが、
私利私欲のために活動し、
ある種、無政府状態が築かれ

社会と制度はおろか、伝統や文化と
言ったものまでぶち壊され、もはや主義
どころではなく、人間として生きることさえ

ままならなくなりますよね。と言う事だ。

そしてこの状態を、絶妙なる名文で
言い表したのが、我らが夏目漱石である。



 “人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。
  矢張り向こう三軒両隣りにちらちらする
  唯の人である。

  唯の人が作った世が住みにくいからとて、
  越す国はあるまい。あれば人でなしの
  国へ行く許りだ。

  人でなしの国は人の世よりも猶住みにくからう”


※夏目漱石『草枕』より



「超」実力化社会とは、まさに人間社会から、
人でなしの国への逃亡を意味する。

そこには、己以外の何者も存在せぬ世界が広がり、
どこまでも自己を主張し、自らの影を
押し広げることが許される。

どこまでも自由に。


…だが、そこには誰も居ない。

当初、誰かのためにと、そこへ渡ったはずだが、

やはりそこには、誰も居ない。

自己の成長も・言葉も・思想も・肌のぬくもりも

何もかもが、他の世界に反映することなく

自らの影に、絵となり表現される


いつしかお前は、その世界の王様となり

そしてまた奴隷となって

自ら命令をくだし、命令を聴き受ける。


交錯する思念は錯綜し

流動体となっては明滅す…

(もう「誰か」を思い起こすことすら、ままならぬ)



と、つらつらと詩を書き綴ってしまいました。

これは、

本来、誰かのためを思って自己の世界を貫き
発展を遂げようと望んだものの、
己しか見えなくなり、

最終的には、他者を失い、
同時に自分の影さえも見失う。
という趣旨を含んだ詩ではありますが、

書いている内に、ふうっとアメリカのことが
思い浮かんだので、少しだけお話させて頂きます。

そうですね、少し前までのアメリカは、
男性、女性に関わらず、経歴や資産や地位
といったものに重点を置いて、ひたすらに
自己成長と発展とを目指しておりましたが、

ここにきて少しだけ、流れが変わってきました。

特に女性において、これまでは恋も結婚もせず、
キャリアを積み、男性と対等に渡りあえることが、
いわゆる「勝ち組」と呼ばれていたが、

現在はそうではなく、恋と結婚をし、
子供を産み育てることが、女の幸せである。
といった声が出始めてきた。



「それが、どうしたってんだ?」


と思われたかもしれませんが、

資本主義社会においては、「人・物・金」
これらを土台として成り立ち、
循環しておりますが、

これまでのアメリカは主に、「物」と「金」に
焦点を当てていたのですが、ここへきて、
「人」にも重きを置き始めた。

と見ることが出来る。

そして、アメリカで起きることは、将来
日本でも起きると言われるとおり、
この流れは我が国にも注がれるであろう。

また今後、日本では自己成長という言葉が、
今まで以上に踊りだすであろうが、
この人形と踊りあかしてはならない。

ともに流れる音楽と酔いしれた暁には、
起きたとき、周りには誰も存在せず、
吐き気と眩暈に襲われ、

己自身を見失ってしまうのだから…




■ 奪われた人間性
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さて、ここでもう一度、経済の話に戻しましょう。

とは言うものの、「経済」とはそもそも何なのか?

このような素朴な疑問を抱かれる方もいらっしゃる
でしょうから、まずは原点に戻って考察しましょう。

そのためにもまず、福沢諭吉の代まで遡らなくては
ならない。なぜなら、この経済という概念は
西洋からの輸入物ー「Economy」ーであり、

この言葉を「経世済民」と日本語に訳したのが、
他でもない、福沢諭吉だからである。
(そうではないと言う説もあるが)

そしてこの言葉の意味を知るためには、
17・8世紀をまたいで活躍した経済学者、
太宰春台という人物を思い起こさなくてはならない。

彼曰く、「凡(およ)そ、天下国家を治むるを
経済と云、世を経め民を済ふ義なり」

ここで今一度、福沢諭吉に焦点を戻しますが、
彼はこの「経世済民」を以下のように
定義付けている。



 “経済の学はただ富を致すものと思い、
  或いは富を致して之を守る所以の趣意
  なりと思うは、大なる誤解なり。

  そもそも経済の大趣意は、人の作業を束縛
  するには非らずして、かえって其天賦に従い、
  自由に其力を伸べしむるものなり”



一般的に、「経済」という言葉を聴くと、

株式取引だの金融市場だの、売上高などと言った、
お金の絡む情景を思い浮かべがちですが、
元々、そのような意味合いはなく、

経済の本分とは、

各々の才能を損ねることなく、
いかに彼らの天賦を発揮させ、彼ら自身、
ひいては国家(他者)のために何が出来るかを

問う営みであったはずである。

それが今や、個々人の利益のために、
いかに自らの手を煩うことなく、楽をして、
いかように他者を利用するかが問われるようになり、

民を済うという主題を置き去りに、
民を使う方法論を考える学問へと
転じてしまった。と言うことだ。

そしてこの転換は、

人が「モノ」へと成り代わることを意味する。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



 “ローマ統制のある時代に行われたように、
  奴隷を貸し出したり、奴隷と交換にものを
  買い入れたりするときには、

 「人間が貨幣になった」と、言うことができます”


※シュタイナー『経済学講座』筑摩書房より



さてさてここで一度、経済から離れ国際情勢に
目を向けてみましょう。なかでも西洋の
移民問題にてついて考えて見ましょう。

そうですね、例えばこの政策を取り入れた、
イギリス、フランス、ドイツ等を見ると、
受け入れた方々が暴動を起こすなど、
内政の状況が宜しくないですが…。

これはなぜであろうか。

この答えとして、宗教や国民性、ないしは
現代の意味における経済状況の相違が、
よく取り上げられる。

前者に関しては、あまりにも繊細な問題のため、
口をつぐませていただき、後者に関しても、
多くの経済学者が語りつくしているため…

ここではまったく別の角度から、語らせて頂きます。

この問題というのは、先程あげた
人がモノに成り代わると言う現実を、
ありありと表顕しているように思われる。

この移民政策は、表向きは奇麗事で飾られ、
万人の幸福を謳ってはいるものの、
その実態は、奴隷政策そのものであり、

人を人として受け入れることなく、

モノとして扱っているのである。



 “わたしたちは、明晰な意識を持ちながら、
  ものであることをうけいれることはできない。

  ものに還元されていると感じる限り、私達は、
  自分を還元しているものを破壊するよう
  かかり合い(アンガージュ)されているのだ”


※バタイユ『戦争・政治・実存』二見書房



各国で起きている反乱とはまさに、

「俺たちを人間としてみてくれ!」

という悲痛なる叫びであり、

このまま何の対策も採らぬまま、

相手をモノとして扱うならば、

この世は、

赤星の光と、染めぬられるであろう。



■ 回帰への道
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倒錯した世界。

つまりは、「金」と「モノ」に侵食された世界は、
じょじょにではあるが、傾き始めるであろう。

と言うよりも、ここまで人間性というものが
剥奪された現在においては、「人」へと
比重を傾けざるを得ない状態である。

その動きを指し示す一例として、
音楽業界が挙げられる。

音楽産業において、CDの売り上げは軒並み
下がりつつあるのだが、反面ライブの
公演数と動員数は増加傾向にある。

ここから見て取るに、

今、人は無機質なモノではなく、
生きた人のぬくもりを求めていることが分かる。

これは、某アイドルの握手権つきのCDが
なぜあれほど売れるのかにも直結する。

人は今、「人」を求めているのである。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



 “近頃では一般の福祉になるものに、色々さま
  ざまな事業家がからみついて、手を触れるもの
  なんでもかんでも、利得のためにゆがめ傷つけ
  たので、何もかもぶち壊しになってしまった。

  ところで、いま偉大なる時が訪れたので、
  一人一人がその正体を暴露してしまった”


※『ドストエフスキイ全集』2巻 河出書房 米川正夫



冒頭でも述べたとおり、今後は偽物が
ふるいにかけられ、蹴落とされ、
世に埋もれていた嘘が、

暴露される時代となる。

その一例として、つい最近
日本自虐史観の根本である、
「河野談話」が見直され、

これが氏とコリアとの共同による
捏造であったことが発覚したが、
今後このような動きは活発化し、

嘘と偽者が表面化してゆくであろう。

こうした中で、嘘で身を塗りつぶし、
「金」と「モノ」に執着し、
触るものすべてを

ぶち壊すようなの人間は、

以下のハイデッガーが述べるような、
袋小路へと追い詰められ、他者にも
そして自分自身にさえ見捨てられる

悪夢へと連れ去られるであろう…



 “「省視のない」無遠慮な共同存在は
  他の人びとを「勘定に入れる」けれども、
  実は彼らを「物の数とも思わず」彼らと
  まじめに関わり合おうともしていない。

  (中略)

  だれもが他人であり、だれひとりとして
  自己自身ではない。日常的存在であるのは
  誰なのかと言う問いに答えるのは、
  世間であり、無人である。”


※ハイデッガー『存在と時間』理想社より



早い話が、人を人と思わず
眼中に追いやるような行為は、

巡り巡って自分に降りかかり、
誰からも相手にされなくなってしまう。

と、言うことだ。

そうならぬためにも
「経世済民」の本分を…
人間性を取り戻さなくてはならない。

各々の才能を損ねることなく、
いかに自らの天賦を発揮させ、自身の、
ひいては他者のために何が出来るかを

いま一度、問うことから始めなくてはならない。




“真面目になれる程、自信力の出る事はない。
真面目になれる程、精神の存在を自覚する事はない。

天地の前に自分が厳存して居ると云う観念は、
真面目になって始めて得られる自覚だ。

真面目とはね、君、真剣勝負の意味だよ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
遣っ付ける意味だよ。遣っ付けなくちゃ居られ
ない意味だよ。人間全体が活動する意味だよ。

(中略)

人一人が真面目になると当人が助かる許ぢゃない。

世の中が助かる。”


※夏目漱石『虞美人草』より




そして、思案し出した答えを持って、

歩む先に済いは存在す。




■ ひとりごと
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


さてさて、約3年ぶりのメルマガでしたが、
いかがだったでしょうか。

…とは言うものの

ここまで読んでくださった方がいるのかも、
はなはだ怪しいのですが…。


まあそうですね、昨今、移民の問題やら、
集団的自衛権の是非が問われておりますが、

2千年来の歴史を振り返るまでもなく、
この国を守り発展させてきたのは
誰なのかを考えれば、
答えは出る。

赤の他人がこの国を良くしてくれるなど、
到底思えないし、誰かが守ってくれる
などという甘ったれた妄言妄想を
抱いているようでは、

誰一人として守ることなんざ出来やしない。

結局のところ、この国を守り発展させるのは、
日本人以外には考えられないのだ。

そしてこの結論から、

自らの道を、全身全霊を持って…

また、漱石の言葉を借りて言えば、

正直に真面目に生きることが、
日本を、さらには世界を助ける
道へと通じているように思うのだ。



…と、この話題はさて置き、

私は前々から、このメルマガの読者である、
あなた様と一緒に、何かが創れたら
いいのになぁ…。

と、考えていたのですが、

例えば、どこかしら適当にぷらぷらと旅に出て、
そこで感じたことを、日記の代わりに

詩人であれば詩によって
画家であるなら絵によって
音楽家であれば音楽によって

表現し、ともに成長を目指す関係を築きたいと、
古くから考えていたのであります。

とは言え、

今、私は関東に拠点を置いているので、
場所はそこら周辺に限られますが…

もし、このような「祇遠の会」が開かれたら、
あなた様は参加なさいますか?

もし宜しければ、以下のURLにアクセスし、
意見をお聞かせくだされば、幸いです。

⇒ http://goo.gl/bIEZRX

個人的には、興味があるのですが…

単なる食べ歩きの旅になるだけの予感も(笑)




それと、完全にお忘れになっているかと
思われますが、音声の件に関して、

次のメルマガ配信時に、詩の朗読でもして
お送りしますので、気長にお待ちくださいませ。


ではでは、貴重なお時間を割いて、ここまで
お付き合い頂き、誠にありがとうございます。




それではまた次回、御逢いしましょう☆”




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発行責任者: 祇遠偲世

公式サイト: 瞬間(とき)のオルゴール
          : http://tomo6324.blog51.fc2.com/

詩に関する、ご意見・感想・要望・質問等
ございましたら、このメールに返信して
頂ければ、私の元に届きますので、
お気軽に申し付けてください。

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