桑名歴史ニュース

円妙寺と大福田寺

桑名歴史シリーズ 125             2015.03.18
     
円妙寺と大福田寺                   西羽 晃

 円妙寺については「桑名歴史シリーズ47」(2010年11月26日)に書いて4年余り経った。桑名藩主松平(久松)定良が明暦3(1657)

年に死亡した。松平(久松)家の菩提寺である浄土宗の照源寺の南に、定良の菩提寺として日蓮宗の円妙寺が新たに建てられた。境内は

約9千坪もある大きな寺であった。宝暦年間(1751~63)に火災に遭って、建物は焼失してしまったので、松平(久松)家が移っていた

奥州白川に移った。ただ松平定良とその一族の墓石は従来のまま桑名に残っていた。

 文政6(1823)年に松平(久松)家は白川から桑名へ再び移ってきた。円妙寺も移ってきたが、元の建物は焼失して無かった。そのため

「近くの寺跡に入った」と先のシリーズで私は書いた。その寺跡が何処であるか、私ははっきりと知らなかったので明記しなかった。と

言うのも『桑名日記』の弘化4(1847)年12月9日の記事に「大福田寺と円妙寺・・・入替」と書いてあるが、その実態がよく判らなかっ

たからである。

 ところが鎮国守国神社所蔵の「豊秋雑筆」の一部が『桑名町人風聞記録―豊秋雑筆―』として公刊された。それを見ると「大福田寺と

円妙寺と入替あり、大福田寺の地は松平下総守様の御菩提所なり、武州忍へ御供して行れし跡へ大福田寺入、大福田寺元地ハ円妙寺が入

られた。このほど入替えがあった」(一部意訳)とある。

 即ち文政6年に桑名藩主の松平下総守(奥平)家が忍(現埼玉県行田市)に移封となった際に、松平(奥平)家の菩提寺である天祥寺

も忍へ移った。その跡地に大福田寺が入り、大福田寺の跡地に円妙寺が入った。ところが今回、大福田寺と円妙寺が入れ替わって、現在

のようになった。現在の円妙寺は丘陵の上にあり、日当たりも眺望も優れた土地である。一方の大福田寺は谷間の窪地にある。

 大福田寺が条件の良い土地から不利な土地に移ったのは何故か。証拠の文書を私は見ていないので、確実なことは不祥である。しかし

前年の弘化3年の11月29日付けの「豊秋雑筆」および同年12月2日の「桑名日記」によると、大福田寺の住職は身持ちが悪くて、桑名藩に

捉えられている。その罰として、条件の良い土地を追われたかも知れないと、私は類推している。大福田寺は丘陵上にあった墓地を、そ

のまま所有して、現在に至っているようである。

 なお、円妙寺の建物は昭和(1945)年の桑名空襲で焼失したが、山門だけは焼け残った。その山門は現存しているが、江戸時代末の嘉

永(1848~53)ころの建築で大工の棟梁は久根添源十郎である棟札が残っている。

参考資料
 『久波奈名所図会』
 『桑名志』
 『桑名郡志』
 「桑名日記」
 『桑名町人風聞記録―豊秋雑筆―』
 円妙寺所蔵「山門棟札」

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発行周期: 不定期 最新号:  2019/01/05 部数:  45部

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