桑名歴史ニュース

円妙寺と養珠院

  桑名歴史ニュース45  

   円妙寺と養珠庵(ようしゅあん)

『桑名日記』に「やうしゆあん」は何処かと訊ねられましたので、調べたところ東方の円妙寺にある庵だと判りました。

 そもそも円妙寺は明暦3年(1657)桑名藩主松平定良が死去したときに、母親が日蓮宗を信仰していたため、日蓮宗の寺を創建し

たのが、円妙寺の始まりといわれる。その時に殉死した3人の墓も祀り、境内に3人の院号を付けた一安院・法性院・蓮心院の塔頭を設

けた。定良には世継ぎが居なかったので、伊予松山の松平本家から定重を養子として迎えた。定重の実母(養仙院)も日蓮宗を信仰して

いたので、養仙院が亡くなった天和3年(1683)に養仙院の墓は松山に建てられたが、定重は円妙寺の境内にも建てた。そして養仙

院の二文字を分けた養珠庵と仙妙庵を建てた。

 桑名の松平家は宝永7年(1710)に越後高田へさらに奥州白川へ移っているが、元文3年(1738)の円妙寺境内絵図を後に模

写した絵図が東北大学図書館に所蔵されている。その絵図はデジタル化されて、家庭のパソコンからでも見ることができるが、その絵図

では境内の東の方にある長屋が5つに仕切られて、上記の3院と2庵が入っている。その後の宝暦年間(1751~63)に火災があ

り、境内は全焼した。円妙寺と3院は越後高田、さらに奥州白川へ移った。しかし、養珠庵と仙妙庵はそのまま桑名に残った。墓地はそ

のまま残り、現在までもそのまま残っている。

 文政6年(1823)、松平家が白川から桑名へ移ってくると、円妙寺も桑名に戻ってきた。元の場所は焼けたままであったので、近

くにあった寺跡に入った。ただ養珠庵と仙妙庵が何処に残っていたのか、はっきりしないが、養仙院墓の近くだったと思われる。

 『桑名日記』では天保10年(1839)8月23日に円妙寺墓地から「やうしゆあん」へ回っている。明治に編さんされた『桑名郡

志』では養珠庵と仙妙庵は文政6年に廃止になったとの記事がある。さすれば天保10年ころには廃庵となった養珠庵と仙妙庵の建物く

らいは残っていたのであろうと思われる。
                                     (2010.11.26)

桑名歴史ニュース

発行周期: 不定期 最新号:  2019/01/05 部数:  45部

ついでに読みたい

桑名歴史ニュース

発行周期:  不定期 最新号:  2019/01/05 部数:  45部

他のメルマガを読む