レフティやすおの楽しい読書

レフティやすおの楽しい読書 190315(No.243)「私の読書論117-『荀子』勧学篇」

カテゴリー: 2019年03月15日
◇◆◇◆ 古典から始める レフティやすおの楽しい読書 ◆◇◆◇
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 2019(平成31)年3月15日号(No.243)-190315-
「私の読書論117-『荀子』「勧学篇」から学問のすすめ」
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 さて今回は、月末にお送りしています、
 古代中国思想編の『荀子』から冒頭の「勧学篇」を取り上げ、
 〈学問のすすめ〉について勉強してみましょう。


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 私の読書論117-

 ― 学問のすすめ ―

  『荀子』冒頭「勧学篇」から

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 ●学問から始める

2月末の弊誌

2019(平成31)年2月28日号(No.242)-190228-「古代中国編―
中国の古代思想を読んでみよう(28)『荀子』性悪説と異端の儒家」
https://archives.mag2.com/0000257388/20190228120000000.html

「●『荀子』の構成」のなかで、
『論語』巻頭に置かれた「学而篇」と同様で、
これらの思想書は、
多く学問の勧めの篇が冒頭におかれることが多い、
と書きました。


『荀子』冒頭の「勧学篇」は、学問を勧めるという文章です。

「出藍の誉れ」として知られる
「青は藍より出て藍より青し」は、
この「勧学篇」の冒頭の文章から採られています。

私は、こういう『論語』の「学而篇」や
この『荀子』の「勧学篇」という
学問の楽しさや重要性を説く文章を巻頭に持ってくるやり方を
とてもいいと思っています。

「勉強」というと
しんどいイメージで嫌がられる傾向にあります。

しかし、学問というものは
それなりに楽しいものでもある、と思うのですね。

そういう明るく前向きに受け止める方が、
「その気になれる」し、楽しめるし、
結果として身につくと思います。

昨今は、スポーツ選手でも「楽しむ」という言葉を口にします。

そういう前向きの明るい姿勢が、
結局はやる気につながり、結果につながるのでしょう。



 ●教育で人を変える、人は変わる

『荀子』における「勧学篇」における学問のすすめは、
荀子の思想の基礎である、人の違いは後天的なものによるという、
教育で人は変わる、教化によって人を変えることができる
という立場を示すものでもあります。

前半は、なぜ学問が大切であるか、を説き、
後半は、いかに学ぶかという方法と
何を学ぶかという内容について説いています。

教育の目標や目指すべき人間像などは、
時代とともに社会によって変わるものではありますが、
そこを突き詰めようとする姿勢は、
いつの時代どこの社会においても重要です。

どのような学問を学ぶかという内容、
どのような指導者につくかというポイントも重要ですが、
最後には、学ぶ者自身の努力が最重要となります。



 ●「勧学篇」のあらまし

「勧学篇」の内容を大雑把にまとめてみましょう。

『荀子』竹岡八雄・日原利国/訳
(『中国古典文学大系 3』平凡社 所収)
を基に、部分的に紹介します。


1.学問は中途でやめてはならない。
 青色は藍の草から取るが藍より青く、
 氷は水からできるが水より冷たい。
 まっすぐな木もたわめ曲げて輪にすれば丸くなり、
 乾けば二度とまっすぐにはならない。
 刃物は砥石にかければ鋭くなり、
 君子は広く学んで言行を反省すれば、過ちがなくなる。
 
 高い山に登らなければ、天の高さはわからない。
 深い谷に行かなければ、地の厚いことはわからない。
 昔の聖王の言葉を聞かなければ、学問の偉大さもわからない。

 各地方の子供も生まれた時はみな同じでも、
 成長するにつれて風俗が違ってくるのは、その後の教育による。

2.私はかつて一日中思索にふけったが、
 ほんのしばらくの学習に及ばなかった。
 爪先立って遠くを見たが、
 高い所へ登って見渡すのに及ばなかった。
 車と馬を使えば、足が強いわけではないのに、
 千里の遠くへ行くことができる。

 学徳優れた人物も、
 生れつき一般の人と異なっているわけではない。
 ものを上手に利用したまでである。

3.高い山に生えている木は、深い淵を見下ろしている。
 これは木が長いのではなく、高山に生えているからである。

 君子は必ず環境のよい土地を選んで住み、
 必ず立派な人物と交際する。
 それによって邪悪に流れるのを防ぎ、
 中正の道に近づこうとする。

4.物事の起こるには必ず原因があり、
 栄誉や恥辱は必ずその人の徳に応じてやってくる。
 
 人も軽はずみにものを言えば禍をこうむり、
 迂闊に行動すれば、辱めを受けることがある。
 君子たる者は自分の立場を考えて慎重でなければならない。

5.土が積って高い山になれば、そこに風雨がおこり、
 水がたまって深い淵になれば、竜が住むようになる。

 人も善行を積んで立派な徳を身につければ、
 自然と英知が得られ、聖人のような心が備わってくる。

 だから一歩ずつ歩み続けなければ、
 千里の道も遠くへ行くことができない。
 いかな名馬でも一跳びで十歩を進むことはできないが、
 駄場でも十日かければ千里の道程も行くことができる。
 成功は中途でやめないところにある。

 人知れぬ努力を続けない者には、
 輝かしい栄誉は訪れないし、黙々と仕事に励まない者には、
 はなばなしい成果はあがらない。
 
 二股道を行く者は目的地に到達できず、
 二人の主君に仕える者は、どちらにも信用されない。
 だから君子は心を一事に集中させるのである。

6.いかに小さな声でも聞こえないものはなく、
 どんなに隠れた行いでも現れないものはない。

 人も善行を積み重ねたならば、
 どうして名声が世に聞こえないことがあろうか。

7.学問は何から始まり、何で終わりになるのか。

 意義について言えば、教養ある人士となることに始まり、
 学徳の完備した聖人となることが究極の目的である。

 学問は死ぬまで続けるべきである。
 だから学問の方法には終りがあるが、意義からすれば、
 しばらくでも放棄してはならぬものである。
 学問をするのは人間であり、
 これを放棄するのは鳥や獣に等しい。

8.君子の学問は、耳から入ったものが
 心にしかと受け止められ、
 身体全体に行き渡って起居動作に現れる。

 小人の学問は、耳から入ったものがすぐに口から出てしまう。
 これではどうして身体全体を立派にすることができようか。

 昔の学者は自分自身を向上させるために努力したが、
 今の学者は他人にひけらかすために学問をしている。
 君子の学問はわが身を立派にするものであり、
 小人の学問は
 他人に取り入るための鳥や小牛のようなものである。
 
9.学問するには、然るべき先生に近づきになって
 教えを受けるのが、もっとも便利である。

 大綱を示すだけで詳しい説明をしていないものや、
 昔のことで現代にぴったりしないものでも、
 然るべき先生について君子の教えを習得すれば、
 わが身は向上し広く社会のことにも通暁するようになる。

 学問の仕方は、その先生を好きになるのが何より早道であり、
 礼を尊ぶのがその次である。

 いにしえの聖王の心を訪ね、仁義に基づこうと思うならば、
 礼こそその拠るべき道筋である。
 礼を尊ぶ者は、まだ明達していなくても、
 準則を守る立派な人物と言えるが、礼を尊ばない者は、
 いかに明敏であっても、物の役にはたたぬ学者である。
 
10.問い方の乱雑な者には答えるな。
 答え方の乱雑な者には問うな。
 説明の仕方の乱雑な者には耳を傾けるな。
 喧嘩腰の者とは議論するな。
 つまり、礼という道を踏んできた時、はじめてその人と応対し、
 礼をわきまえない者は避けて相手にすべきでない。
 君子は自分の言行を慎んで人に応対するのである。

11.百発矢を放って一発でも外せば、優れた射手とは言えない。
 千里の道のりを一歩手前で挫折しても、優れた騎手とは言えない。
 礼法に明示されないことでも類推して知り、
 仁義の道と一体になりうるのでなければ、
 優れた学者とは言えない。
 学問というものは、
 元々仁義の道を学んでこれと一体になることである。
 道に学ぶことに専念せず、出たり入ったりしているのは、
 巷の凡人である。
 善が少なくて悪事ばかり多いのは、
 暴君の桀(けつ)・紂(ちゅう)か、
 大泥棒の盗跖(とうせき)である。
 善を完全にやり遂げ、道と一体になってこそ、
 はじめて真の学者である。

12.君子は不完全な純粋でない状態を美(うる)わし
 とするわけにはいかないことを知っている。
 だから経説を読んでこれを習得し、
 思索をめぐらして道理に通じ、
 然るべき人物を選んでこれにつき、
 学問の障害となるものを排除して、
 仁義の道を遵奉してゆこうとする。

 心が安定し、変化に対応できる人を完成された人という。
 天はその光明を表わし、地はその広大を示すが、
 君子は徳の完全なことによって貴ばれるのである。



 ●学問と生き方

気になる部分をあげてみましょう。

1.
・学問は中途でやめてはならない。

当たり前のことですが、
なにごとも中途半端で終わらせてはダメで、
出来不出来にかかわらず、完結させることが大切です。


・高い山に登らなければ、天の高さはわからない。

なにごとも経験してみなければわからないものです。
経験すれば、意外に簡単だったり、そこそこできてしまったり、
ということがあるものです。


2.
・ものを上手に利用したまでである。

頭を使って、利用できるものは極力使い切るというのは、
決してずるいことでもありません。


3.
・君子は必ず環境のよい土地を選んで住み、
 必ず立派な人物と交際する。

昔から「朱に交われば赤くなる」といいます。
よい人たちと交際していれば、
よい行動が自然と身についてくるものです。

何事でもちょっと背伸びする方がいいといいます。
ゲームをするにしても、
自分より実力が上の人と対戦するほうが、
実力が付くといいます。


4.
・物事の起こるには必ず原因があり、
 栄誉や恥辱は必ずその人の徳に応じてやってくる。

原因があり、結果がある。
因果応報とも言います。


5.
・だから一歩ずつ歩み続けなければ、
 千里の道も遠くへ行くことができない。

重い石を動かすとき、動き出すまでは力がいりますが、
ひとたび動き出せば、後は比較的に楽なものです。

なにごとも最初の一歩を踏み出すのが、大変なものです。
でも、その一歩がなければ、永久に終わることはありません。

階段を一段ずつ登るのはまどろっこしいけれど、
それを続けていれば、いつの日か頂上まで届くものです。


・成功は中途でやめないところにある。

上にも書きましたように、
最後まで続けることが結果――成果になります。

ある人は「自分は失敗したことがない」と言います。
なぜなら「成功するまで続けたから」と。


6.
・いかに小さな声でも聞こえないものはなく、
 どんなに隠れた行いでも現れないものはない。

実際はどうかわかりません。
でも、そういう思い込みをもっていれば、
苦しい時も乗り切れるでしょう。

昔よく言われたものでした。
よいことも悪いことも「お天とさんは見てはる」と。


・人も善行を積み重ねたならば、
 どうして名声が世に聞こえないことがあろうか。

上の言葉に続くくだりですが、その通りだと思います。
いつの日にか分かってくれる人が現れるものです。

そう信じて努力し続けることが大切なので、
結果は神のみぞ知る、でいいのではないでしょうか。


7.
・学問は何から始まり、何で終わりになるのか。
 意義について言えば、教養ある人士となることに始まり、
 学徳の完備した聖人となることが究極の目的である。

「教養ある人士」⇒「学徳の完備した聖人」
昔は特に、道徳というものを評価したのですが、
それは現代でも同じでしょう。


・学問は死ぬまで続けるべきである。
・だから学問の方法には終りがあるが、意義からすれば、
 しばらくでも放棄してはならぬものである。
・学問をするのは人間であり、
 これを放棄するのは鳥や獣に等しい。

猿でも芋を海水で洗って塩味をつけて食べるとか、
焚き火にいれて焼いて食べるとか、
冬の寒い日に温泉につかって温まるとか、
自分で偶然見つけたり、
他の猿や人間の行動に学んでいるそうです。

人間も負けていてはいけません。(笑)


8.
・君子の学問は、耳から入ったものが
 心にしかと受け止められ、
 身体全体に行き渡って起居動作に現れる。

よいことは自分のモノにするように心がけましょう。
身体で覚えたことは忘れないものです。


9.
・学問するには、然るべき先生に近づきになって
 教えを受けるのが、もっとも便利である。

よい先生につくのが、一番の早道です。
でも、身近に見つかるとは限りません。
その時は、本に求める方法もありです。
最近ではネットもありますし、
いい先生を探す方法も色々あります。


・学問の仕方は、その先生を好きになるのが何より早道であり、
 礼を尊ぶのがその次である。

いい先生を見つける一番のコツは、
その先生を好きになること、ということでしょうか。
そして、相手を尊敬すること。
敬意をもって接すれば、相手にも通じるということ。


10.
・礼という道を踏んできた時、はじめてその人と応対し、
 礼をわきまえない者は避けて相手にすべきでない。

付き合う相手を選ぶこと。
ときには逃げることも大事なんでしょうね。


・君子は自分の言行を慎んで人に応対するのである。

自分に相手を選ぶ権利があれば、
相手にも選ぶ権利があるということ。
人から嫌われないように努めることも大事です。


11.
・百発矢を放って一発でも外せば、優れた射手とは言えない。

こういう覚悟は大事です。
「一発ぐらいなら、いいや……」という気持ちは、甘えです。
結局じり貧になります。

結果はともかく、
こういう確固たる心構えで始めることが大事です。


12.
・心が安定し、変化に対応できる人を完成された人という。

難しいことですが、目標として高く掲げておくべきでしょう。


・君子は徳の完全なことによって貴ばれるのである。

本当の意味で「尊敬される人になる」ということを
人生の究極の目的にすべきでしょうね。

いい人、まじめな人であれば、
人生は○(まる)なのではないでしょうか。


内村鑑三の講演録「後世への最大遺物」には、
こんな言葉があります。


 《アノ人はこの世の中に活きているあいだは
  真面目なる生涯を送った人である
  といわれるだけのことを後世の人に遺したい》


『後世への最大遺物 デンマルク国の話』岩波文庫(1976改版) 
―カネも事業も、思想も教育も
 後世の人たちに遺せない並みの人間が唯一遺せるものは何か、
 人生における最大の価値ある行いとは何かを教える
 「後世への最大遺物」。他に「デンマルク国の話」収録。
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 ● 『荀子』「勧学篇」を読む
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 ● 『荀子』原典・注釈書を読む

▲★『中国古典文学大系 3』平凡社 1970.1
―全訳『荀子』竹岡八雄・日原利国/訳、竹岡八雄/解説。
 他『論語』『孟子』『礼記』(抄)。
http://www.amazon.co.jp/dp/4582312039/ref=nosim/?tag=hidarikikidei-22

★『荀子』杉本達夫/訳 徳間書店・中国の思想IV 1996.6
―抄訳。訳文、原文、読み下し文で構成。
http://www.amazon.co.jp/dp/4198605157/ref=nosim/?tag=hidarikikidei-22

★『荀子』藤井専英/著 井ノ口哲也/編 明治書院
 新書漢文大系 25 新版 2004/1/1
―抄訳。本文(書き下し)・解釈(和訳)・背景(解説)からなる。
 全32篇より70箇所を選ぶ。
http://www.amazon.co.jp/dp/4625663342/ref=nosim/?tag=hidarikikidei-22


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※「別冊 編集後記」~『レフティやすおの作文工房』~
2019.3.15 
私の読書論117-『荀子』「勧学篇」から学問のすすめ
 ―第242号「レフティやすおの楽しい読書」別冊 編集後記

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発行周期:  月二回 最新号:  2019/03/15 部数:  65部

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