西行辞典

西行辞典 第390号(190209)

カテゴリー: 2019年02月09日
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      ◆◆◆◆  西行辞典  ◆◆◆◆
                        
                  vol・390(不定期発行)
                   2019年02月09日号

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          今号のことば    

         1 闇・やみ 03
                 2 やみ+なまし 他 01
          
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       ◆ 闇・やみ 03 ◆

【闇・やみ】

暗闇。暗いこと。光のない時間や空間のこと。光の対義語。
理性を失い、思慮分別が無くなった心理状態をも言います。
仏教的には死後の世界の、死者が迷いながら辿るとする道を闇路
とも言います。
10番歌以後は贈答歌です。

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       此歌もそへられたりける

13 惜しからぬ身を捨てやらでふる程に長き闇にや又迷ひなむ
          (作者不詳歌)(岩波文庫山家集177P雑歌・
                  新潮738番・西行物語)

14 世を捨てぬ心のうちに闇こめて迷はむことは君ひとりかは
  (西行歌)(岩波文庫山家集177P雑歌・新潮739番・西行物語)

○此歌もそへられ

13番、14番歌の前に下の歌があります。作者が誰ともわからない
「立ちよりて…」歌に13番歌が添えられていたと解釈できます。

  立ちよりて柴の烟のあはれさをいかが思ひし冬の山里
 (作者不詳)(岩波文庫山家集176P秋歌・新潮736番・西行物語)

  山里に心はふかくすみながら柴の烟の立ち帰りにし
       (西行歌)(岩波文庫山家集176P雑歌・新潮737番)

作者不詳歌は「兵衛の局」説がありますが確定していません。

○身を捨てやらで

俗世を離れて出家すること。「やらで」が反語になり、出家して
いないことを言います。出家に対しての明白な希求も、世俗に対し
ての執着心も、ともに感じさせない歌です。
西行と親しい人との贈答歌ですが、作者は誰なのか不明です。
兵衛の局の可能性が強いと思います。

○ふる程

時間が立つほど。時が移り過ぎていくほど…。

○長き闇

無明長夜のこと。煩悩の迷いの渦中にあって、仏教的に言う真理を
知ろうとしない生活のこと。俗世を「憂き世」というように、出家
することによって迷いから解脱するという仏教者の優越感を感じ
させる言葉のようにも思います。当時にあっては、それが自然な
思いだったのでしょう。

○心のうちに闇こめて

心の中に晴れない闇が巣食っている状態を言います。

○迷はむこと

迷うことです。逆説的に言えば、人は誰もが出家しなければ迷いの
ない世界には入れないということ。仏道が必須であることを言って
います。

 (13番歌の解釈)

「惜しくもない身を捨てて出家することもせず、この世を経る
間に、またしても無明長夜の闇に迷うことでありましょう。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

 (14番歌の解釈)

「世を捨て出家することのできない心の中に、煩悩の闇が立ちこめて
迷うのは、あなた一人だけでしょうか。誰しもがそうなのです。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

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       したしき人々あまたありければ、同じ心に誰も
       御覽ぜよと遣したりける返りごとに、又

15 なべてみな晴せぬ闇の悲しさを君しるべせよ光見ゆやと
     (作者不詳歌)(岩波文庫山家集177P雑歌・新潮740番)

15番歌の返しとして下の歌があります。「闇」の言葉が入っていない
ので詳述は控えます。15番歌作者も誰か不明です。

00 思ふともいかにしてかはしるべせむ教ふる道に入らばこそあらめ
      (西行歌)(岩波文庫山家集177P雑歌・新潮741番)

○したしき人々あまた

誰にとって「親しき人々」なのか不明です。兵衛の局と同じに待賢
門院の女房達という解釈もできます。

○同じ心に誰も御覧ぜよ

わかりにくい表現であり、意味は断定できません。「誰も同じ心」に
なって迷いの世界にいる、ということかもしれません。

○なべて

「並べて」と書き、すべて、一帯に、全般に、一般的、普通のこと、
一緒であること、という意味を持つ副詞です。

「おしなべて」も副詞で、意味は「なべて」とほぼ同義です。全体に
同じ傾向である、全般的にどこも一様である、全て一緒である…と
いうこと。    

(なべてなき)は(なべて)の逆となり、普通ではない、並ではない。
他にはないという意味になります。 
   
○晴せぬ闇

死出の山の闇路を行く時の歌ではありません。生者における日常的に
持つ煩悩、強い悩みの多さなどで平安とは言い難い気持ちを「晴せぬ闇」
としています。
俗世に生きる者が共通して持つであろう「闇」ということです。

○君しるべせよ

闇から抜け出るための道案内をあなたがして下さい、ということ。
「君」とは西行を指しているものでしょう。
出家のために導いて下さい、と解釈できます。

○光見ゆやと

悟りの光が見えるように…

○教ふる道

15番歌の「君しるべせよ」を受けた言葉。行く道を教えるということ。

○入らばこそあらめ

入っていれば良いけど、そうではないということ。信仰していても
信仰心の度合いによっては迷いからは脱しきることはできないと、
暗示的に伝えてもいます。

(15番歌の解釈)

「おしなべて誰も皆晴れることのない煩悩にとらわれている悲しさを、
悟人の光が見えるかと、どうかあなたよ、しるべをして下さい。」
           (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

(00番歌の解釈)

「一切の迷いを離れ、悟りの境地にいる自分であればともかく、
あなた方の願いに応えてしるべしょうと思っても、どうして
できましょうか。」
           (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

「なべてみな」歌について

15番歌は誰が詠んだものなのか不明のままです。作者は兵衛の局の
可能性が強いと思います。
新潮日本古典集成山家集も渡部保氏の山家集全注解も西行詠のように
解釈されていますが、和歌文学大系21では明確に「西行への贈歌」と
しています。
伊藤嘉夫氏校注の山家集でも「ある人のよこした歌」としています。
詞書からみても、ある人から西行に贈られた歌と解釈する方が自然
であろうと考えます。

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       後の世のこと無下に思はずしもなしと見えける
       人のもとへ、いひつかはしける

16 世の中に心あり明の人はみなかくて闇にはまよはぬものを
  (西行歌)(岩波文庫山家集177P雑歌・新潮742番・西行上人集)

17 世をそむく心ばかりは有明のつきせぬ闇は君にはるけむ
       (詠み人不明歌)(岩波文庫山家集177P雑歌・
                 新潮743番・西行上人集)

○無下に思はずしもなし

完全に無視しているわけではなくて、来世のことを少しは気に留めて
いるということ。

○心あり明

俗性を離れて信仰する「心がある」ということと「有明の月」を
掛け合わせています。

○つきせぬ闇

尽きることのない煩悩。迷いの日常を言います。

○君にはるけむ

あなたの教えによって闇の世界から出たい、という願望。

(16番歌の解釈)

「仏道に身を寄せる世の中の人は皆、後世往生を願い、この世の
煩悩に迷わないものですのに。」
             (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

(17番歌の解釈)

「世を背き出家する心だけはありますので、有明の月が底知れない
闇を照らすように、心の闇をあなたによって晴らしたいものです。」
             (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

17番歌は西行詠の16番歌に対しての返歌としてのものです。詠んだ
人の名前は不明ですが、相当の素養のある人だろうということが歌
からも分かります。歌番号736番歌から続く贈答の歌と解釈するしか
なく、相手は西行と特に親しい歌人であったことは確かでしょう。
 
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       ◆ やみ+なまし 他 01 ◆

【やみ+なまし】

(やみ)と(なまし)が接続したことば。(やみ)は(止み)、
(なまし)は完了の助動詞(ぬ)の未然形(な)と、推量の助動詞
(まし)が結合したことば。未来への確定的な予想なり意志なりを
表わしています。
01番歌の場合は、知らないままに一生が終わるということ。人生が
終わってしまうということ。

【やみ+ぬる】【やみ+ぬ】

(止む・とまる)+完了の助動詞(ぬる)が付く言葉。03番歌、
04番歌の(やみぬる)は人生の終わりをも意味しているようです。
(ぬる)は完了の助動詞(ぬる)の連体形ですが、(やみ+ぬ)の
(ぬ)は終止形、下の(ね)は命令形です。

【やみ+ね】

先述の「やみぬる・やみね」に似ていて、ほぼ同義です。終止、消滅、
完了を強く願う言葉です。

【やみなば】

「やみなば」は04番歌一首しかありません。強風が収まることと、
風邪が治ることを掛け合わせていると解釈できます。

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       五首述懐

01 身のうさを思ひ知らでややみなましそむく習のなき世なりせば
    (岩波文庫山家集188P雑歌・新潮908番・西行上人集・
                   新古今集・西行物語)

○五首述懐

岩波文庫山家集188ページに述懐歌が五首並んでいるのですが、この
五首については「西行法師家集」では「出家の後よみ侍りける」の
詞書があります。
出家直後の若い多感な時代に詠まれた歌と解釈して良いでしょう。

○身のうさ

俗世で生きて行く中で起きる憂鬱さでもあり、つらい感覚のこと。

○そむく習の

出家遁世という方法があるということ。若者の一途さが表れている
表現だとも思います。
(なき世)で仏道のあることの得難さ、ありがたさなどを身をもって
伝えていると解釈できます。こういう表現で、西行自身が出家前に
相当の悩みがあったのではなかろうかとも思わせます。

(01番歌の解釈)

「わが身の憂さを思い知ることなく生涯を終わってしまった
ことだろうか。もし遁世して出家するという習わしのない世で
あったならば。」
             (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

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02 さらばたださらでぞ人のやみなましさて後もさはさもあらじとや
           (岩波文庫山家集144P恋歌・新潮591番)

○さらばただ

(さらば=然「さ」あらば)の略語で(そうであったならば)の意。
(さ)は(然)の漢字を用います。
(ただ)は副詞で、(まっすぐに・すぐに・ありのままに)などを
表します。
(さらばただ)で「そうであったなら、そのまま」と解釈できます。

○さらでぞ

(さらでぞ=然らでぞ)で、(そうでなくても)の意。

○人のやみなまし
 
全体的によく理解できにくい歌です。
和歌文学大系21では(やみなまし)を「終わって欲しい。(私に
逢わないという)決意を変えないでいて欲しい。」と意訳しています。
恋歌なので女性の立場に立っての歌だともいえます。

○さはさもあらじ

(さはさも=然は然も)+(あらじ)の接続した言葉。
(さは)は、そのようには・そうは。(さも)は、そうも・その
ようにも。(あらじ)は、無いこと。
全体的に「さ=然」を多用した言葉遊びのような歌のように感じます。

(02番歌の解釈)

「一旦逢った後二度と逢わないのならば、初めから逢わないまま
で終わってしまってほしいものである。逢っておきながらその
後はそんなふうに逢うことはできないというのだろうか。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

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03 来む世には心のうちにあらはさむあかでやみぬる月の光を
    (岩波文庫山家集84P秋歌・新潮欠番・西行上人集・
            御裳濯河歌合・千載集・御裳濯集)

○あかでやみぬる

「飽かで止みぬる」のことです。
「飽きることなく(月を眺めて)止んだ(終わった)」という意味。

飽きることなく月を眺めたままで今の人生を終えるけれども、来世
には真如の月の光を体現したいものだという希求なり願望なりを
表現しています。仏道の永久不変の真理で、世にある闇を照らす
ために光り輝く存在になりたいものだということであり、月と、
そして自身の人生に対しての西行の思いが、ここにこそ凝縮されて
いると言って良いでしょう。

○月の光を

月光のこと。発光体の放射光のこと。
ここでは自身が月のよう存在となって光を発したいという願望。

「来む世には・・・」の歌は西行法師歌集と御裳濯河歌合にもおさ
められています。御裳濯河歌合では七番の右で、左の歌は

 ねがはくは花の下にて春死なんそのきさらぎのもち月の頃
(岩波文庫山家集31P春歌・新潮77番・西行上人集・山家心中集・
 御裳濯河歌合・新古今集・続古今集・長秋詠草・拾玉集・西行物語)

の歌です。俊成の判は「持」です。「持」とは(じ)(もち)と読み、
優劣がつかず引き分けのことをいいます。

(03番歌の解釈)

「来世にはわたしの心の中に真如の月として輝かそう。この世で
飽きることなく眺めて終わった月の光を。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

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04 吹き過ぐる風しやみなばたのもしき秋の野もせのつゆの白玉
      (西行歌)(岩波文庫山家集199P哀傷歌・新潮921番)

この歌は風邪を患っていた人に対しての贈答歌です。この歌の前に
以下の歌があり、西行が見舞ったことがわかります。

 秋頃、風わづらひける人を訪ひたりける返りごとに

 消えぬべき露の命も君がとふことの葉にこそおきゐられけれ
(作者不詳歌)(岩波文庫山家集199P哀傷歌・新潮920番・覚綱集)

○風し

「し」は語調を整え、前の語を強調する働きがある副助詞です。
「し」を取り去っても意味は通じます。
接続助詞の「ば」が付くこともあります。下の「友し」「月し」も
同様です。

 いにしえを忍ぶる雨と誰か見む花もその世の友しなければ
      (兵衛局歌)(岩波文庫山家集27P春歌・新潮102番・
           西行上人集・山家心中集・西行物語) 

 かげさえて月しも殊にすみぬれば夏の池にもつららゐにけり
           (岩波文庫山家集51P夏歌・新潮247番)

○風しやみまば

前歌によって、風邪と風を掛け合わせていることがわかります。
風が収まることと風邪が治ることです。

○野もせ

「野面」と表記し、野の一面、野原すべてのこと。
「野も狭」とも書き、野原が狭いと感じるほどに野原一杯にと
いう意味。

(04番歌の解釈)

「風邪が治ればすっかりお元気になられますよ。秋風がやめば、
白玉のような美しい露が野原一面にまた結ぶでしよう。大丈夫
ですよ。ご安心なさい。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

「04番歌と覚綱集」

04番歌は誰の詠歌かわかっていません。「覚綱集」にありますので、
覚綱の歌の可能性はあります。しかし山家集にも覚綱の名前はなく、
覚綱と西行の交流は認められていません。
覚綱は生没年不詳ですが、出自は藤原氏で天台僧です。
賀茂重保の「寿永百首歌」の作者の一人でもありますし、また、
俊恵との交流があったということが分かっていますので西行とも
面識があったということ、および覚綱の風邪見舞いに行った可能性も
否定はできません。

04番歌の詞書は覚綱集では以下のようになっています。その下は
山家集にある西行の詞書です。

 わづらひ侍しころ、ある官ばらより、御とぷらひのありしかば(覚綱集)
                      
 秋頃、風わづらひける人を訪ひたりける返りごとに (山家集)

ここにある「官ばら」は「宮ばら」の単純な記述ミスなのでしょう。
「宮ばら」としても、もちろん西行自身は「宮ばら」などではあり
ません。
覚綱集の「官ばら」を「宮ばら」として、それを信じるならば04番歌
は覚綱との贈答の歌ではないと解釈されます。仮に04番歌が覚綱との
贈答歌でないのであれば、それは同時に西行歌という返しとしての
04番歌も西行の詠ではない可能性があります。
ともかく「覚綱集」記載の「官ばら」という文言によって、この
贈答歌は他者詠が山家集に混入したという疑念を強く持たせます。

 吹き過ぐる風しやみなばたのもしき秋の野もせのつゆの白玉
     (西行歌)(岩波文庫山家集199P哀傷歌・新潮921番)

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  (後記)

二月如月。先日に年が改まったと思ったら、もう2月も半ばに近い
季節。まったく人を待たずに時間ばかりが過ぎて行きます。早咲きの
梅も満開ほどになり、その他の春の花の開花情報も入ってきています。
とはいえ、メディアではこの数日は今冬(?)一番の寒波襲来とも
報じています。季節は例によって足踏みし、行きつ戻りつします。

388号から今号にわたって「闇」というフレーズのある歌を書き継いで
きました。その中で、少しく考えさせるものがありました。
もちろん闇は光の対義語として機能しています。闇や光は人間の心の
ありようを表すために比喩的に用いられています。その用い方がいか
にも西行らしい、言い換えれば仏教信者らしい用い方であるとも言え
そうです。
このことは当時の時代の洗礼であるとも言えるはずです。末法の世に
なって程ないという時代の要請によって、西行も必然として仏教の
世界に入ったとも言えます。自身を深く見つめようとすればするほど、
仏教は西行とより親しくなったことも理解できます。出家前の西行も
おそらくは自身のうちに深い闇を懐胎していたものでしょう。

翻って現在社会の病理としての闇ということであるなら、枚挙にいとま
がないほどに多種多様な闇が広がっていることがわかります。幼児の
虐待死事件なども当事者に深い闇があったからでしょう。なぜにあの
ような痛ましいことが頻発するのか・・・?
こういうことは宗教ということとは関係なく、人類の普遍の問題として
私たちが真剣に考えなくてはならないはずです。その意味において、
私たちはいつも試されているのではなかろうかとも思います。

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  ◎ 「西行辞典」第390号 2019年02月09日発行 

   「西行辞典創刊号発行 2005年08月10日」 

  ◎ 発行責任者 阿部 和雄
   http://sanka11.sakura.ne.jp/

  ◎ 発行システム インターネットの本屋さん「まぐまぐ」を
     利用させていただいています。
   『まぐまぐ』 URL: http://www.mag2.com/

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発行周期: 不定期 最新号:  2019/02/09 部数:  134部

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