西行辞典

西行辞典 第388号(190112)

カテゴリー: 2019年01月12日
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      ◆◆◆◆  西行辞典  ◆◆◆◆
                        
                  vol・388(不定期発行)
                   2019年01月12日号

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          今号のことば    

         1 山ほととぎす・山時鳥 02
         2 山めぐり
         3 闇・やみ 01

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       ◆ 山ほととぎす・山時鳥 02 ◆

【山ほととぎす・山時鳥】

鳥のホトトギスに「山」の名詞を前置した言葉です。
山に住み、あるいは山で鳴くから「山」の言葉を前置したものですが、
これは「時鳥」などと同じくホトトギスの別称です。だから意味は
「山」の言葉のないホトトギスと同一です。
なぜ「山」を前置したのかと言えば、5.7.5.7.7の言葉のリズムを
良くするためだと思います。仮に二音不足なら歌にはなりません。

「ホトトギス」は鳥の名前です。全長25センチほどの渡り鳥で、春
から初夏に南方から渡来して、鶯などの巣に托卵することで知られて
います。鳴き声は(テッペンカケタカ・ホンゾンカケタカ)などと
聞こえるようです。歌では夏歌として詠まれます。

「ホトトギス」の歌は各集合計80首以上もあり、これまでにすべての
歌を紹介していません。その必要もないことだと思い、任意に選択
して主に「ホトトギス」の項で紹介して来ました。
今回は「山ほととぎす・山時鳥」とある12首を紹介します。

03番歌までが山家集、04番から08番までの5首が聞書集、09.10番は
残集、11番は西行上人集からの補遺、12番は松屋本山家集のみに
ある歌です。

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06 あはれこもる思ひをかこふ垣根をばすぎてかたらへ山ほととぎす
            (岩波文庫山家集237P聞書集82番)

○あはれこもる

山の中での粗末な庵での孤独なわび住まいを自認している言葉です。
これは一人西行個人のことというよりも、多数の遁世者の実状を
詠まずにはおれなかったというのが実情でしょう。

○思ひをかこふ垣根

個人個人のそれぞれに見合った思いを内包している境界のようなもの。

○すぎてかたらへ

ホトトギスという鳥は対で、あるいは集団で活動するというよりは、
単体で活動する鳥のようです。「かたらへ」の言葉があることに
よって、ホトトギス同士が鳴いてシグナルを出し合っているという
ようにも解釈できますが、ここは単純に単独行動をしているホトト
ギスが鳴きながら飛ぶというふうに解釈したいと思います。
「すぎてかたらへ」の言葉によって、作者の深い思い、たとえば自負
なり自責なり感情を想像し、偲びたいものです。

(06番歌の解釈)

「あわれを内に秘める思いを囲っている私の家の垣根を
通り過ぎて鳴いてくれ、山郭公よ。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

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      月前郭公

07 さみだれの雲かさなれる空はれて山ほととぎす月になくなり
            (岩波文庫山家集237P聞書集85番)

○さみだれの雲

現在の梅雨の季節の、どんよりとした雨雲。重畳として折り重なって
いた五月雨の雨雲が、時間の経過とともに晴れたという情景説明。

○月になくなり

雨雲が晴れてきて、やっと見えるようになった月と、その前で月光に
包まれながら、鳴き声を放ちつつ飛んで行くホトトギス。そこには
自然の情景を題材とした魅惑的な抒情が満ちていると感じます。

(07番歌の解釈)

「五月雨の雲が重なった空が晴れて、山郭公は月に鳴いているよ。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

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      夏の歌に

08 卯の花を垣根に植ゑてたちばなの花まつものを山ほととぎす
            (岩波文庫山家集250P聞書集188番)

○卯の花

卯の花はウツギの花のこと。ウツギはユキノシタ科の落葉潅木。
初夏に主に白い五弁の花が群がり咲く。垣根などに使います。

 ○卯の花腐しー五月雨の別称。卯の花を腐らせるため。
 ○卯の花月ー陰暦四月の称。
 ○卯の花もどきー豆腐のから。おからのこと。
               (岩波書店 古語辞典から抜粋)

ウツギは枝が成長すると枝の中心部の髄が中空になることに由来し、
空木の意味。硬い材が木釘に使われたので打ち木にちなむという
異説があります。
花期は五月下旬から七月。枝先に細い円錐花序を出し、白色五弁
花が密集して咲くが匂いはない。アジサイ科。
             (朝日新聞社 草木花歳時記を参考)

○垣根に植ゑて

ホトトギスにこがれる気持ちを表しています。
ホトトギスは鶯などの巣を巣立ってから、卯の花(ウツギ)の木に
宿り、卯の花が終わりを迎えれば橘の花に宿ると言われています。
自らホトトギスの宿を用意して待っていると思えるほどにホトトギス
を想う気持ちが出ています。

○たちばなの花

植物名です。6月頃に白色の五弁花を付け、冬に柚子と良く似て
いる黄色の実を付けます。実は酸味が強くて生食には向かないよう
ですが、香りは好まれてきました。
先号の387号「山ほととぎす・山時鳥 01」の03番歌を参照願います。

(08番歌の解釈)

「卯の花を垣根に植えて、橘の花が咲くのを待って
いるのになあ、山郭公よ。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

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      雨中郭公

09 たちばなのにほふ梢にさみだれて山時鳥こゑかをるなり
  (岩波文庫山家集263P残集07番・西行上人追而加書・夫木抄)
                  

○さみだれて

五月雨が降ることを「さみだれて」と動詞として用いていますが、
五月雨ではなく「然、乱れて」の可能性もあると思います。
「たちばなのにほふ」により、五月雨の頃の歌です。

○橘

先号の387号「山ほととぎす・山時鳥 01」の03番歌を参照願います。

○山時鳥こゑかをる

橘の花の香りの移り香を、声にもさせているように感じて…。

(09番歌の解釈)

「花がよい香りを放つ橘の梢にさみだれが降って、山時鳥の
声までも薫っているよ。」
                 (和歌文学大系21から抜粋)

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     五月待郭公といふことを

10 あやめ葺く軒ににほへるたちばなに来て聲ぐせよ山ほととぎす
  (岩波文庫山家集263P残集9番・西行上人集追而加書・夫木抄)
             
○あやめ葺く

(あやめ=菖蒲)。アヤメ科の多年草。山野に自生。観賞用にも
栽培される。高さは約50センチ。葉は細長く直立。初夏に紫色の
花が茎頂に咲く。白色や紅紫色の栽培種もある。
ハナアヤメ。菖蒲の古名。

サトイモ科の多年草。高さ約80センチで水辺に群生。葉は長い
剣状。花茎の中ほどに淡黄色の肉穂花序をつける。全草に芳香が
あり、根茎は薬用に、葉は端午の節句の菖蒲湯に使う。観賞用の
ハナショウブとは別種。ノキアヤメ。アヤメグサ。フキグサ。
ハナショウブの俗称があります。
          (以上は講談社刊の日本語大辞典を参考)

端午の節句の菖蒲湯で親しまれている。ヨモギと一緒に束ねて浴槽
に浮かべると健康に良い。また五月四日の夜、軒の上に菖蒲を葺いて
ヨモギを添え、無病息災を祈願する。これが「菖蒲葺く」である。
ハナショウブとは形も名前も似ているため、しばしば混同される。
しかしショウブの葉や地下茎には芳香があるし、花の形は全く異なる。
ショウブの花序はミズバショウを小さくしたような形・・・以下略。
       (朝日新聞社刊「草木花歳時記・夏」から抜粋)

この歌にある「あやめ葺く」とは、5月5日の菖蒲の節句に葺いた菖蒲
のことです。季節もちょうど五月雨の頃。橘の花の咲く季節です。
下の詞書によって菖蒲を葺いたということがわかります。ただし下の
202番歌は俳諧性を前面に出している歌ですから、言葉遊びめいた
感じも強く思わせます。
「櫻ちる」は遅く咲く桜もありますから少しも不自然な感じはさせ
ません。高山の山中では5月の中頃でも満開の桜はあるでしょう。
下の歌も菖蒲の節句の頃の歌です。

     高野に中院と申す所に、菖蒲ふきたる坊の侍りけるに、
     櫻のちりけるが珍しくおぼえてよみける

 櫻ちるやどにかさなるあやめをば花あやめとやいふべかるらむ
        (岩波文庫山家集48P夏歌・新潮202番・夫木抄)

○菖蒲ふきたる坊

端午の節句(別称に菖蒲の節句)に菖蒲を軒先や屋根に飾る習俗の
一つです。薬草である菖蒲は邪気を払うと思われていました。
菖蒲刀、菖蒲占い、菖蒲酒、菖蒲切り、などの菖蒲を元とした言葉は
いくつかあります。
現在でも残っている習俗として「菖蒲湯」があります。

○聲ぐ

聲具のこと。「具」は伴なう事。ホトトギスが鳴くこと。

(10番歌の解釈)

「菖蒲を葺く軒先に薫っている橘にやって来て、お前の美しい
声を伴わせておくれ、山時鳥よ。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

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11 高砂のをのへをゆけど人もあはず山ほととぎす里なれにけり
         (岩波文庫山家集274P補遺・西行上人集)

○高砂

固有名詞としては播磨の国の歌枕で、現在の兵庫県高砂市を指します。
和歌では実際に播磨の国の高砂という地を詠った歌もありますが、
多くは高砂という土地とは関係なく普通名詞として使われ、「尾の上」
という言葉を引き出すための枕詞として用いられています。

「高砂」はある程度高い丘や山を表していて、その上の方、頂あたり
が「尾の上」です。
「高砂」及び「高砂の尾上」歌はたくさんありますが、その多くは
鹿や松などの景物が詠みこまれています。

 高砂の松もむかしになりぬべしなほゆく末は秋の夜の月
              (寂蓮法師 新古今集740番)

 秋萩の花さきにけり高砂のをのへの鹿は今やなくらん
               (藤原敏行 古今集218番)

○をのへ
 
尾上。山の上。峰の頂上あたりの場所。 

○里なれにけり

ホトトギスが山から里に下りたことによって、旧暦の夏も大分過ぎた
ということを暗示しています。里に慣れるほどに期間が過ぎている
ことを言います。

(11番歌の解釈)

「高砂の尾上を行くけれども人にも逢わない。ここに棲んでいた
山時鳥は山を出て人里に棲みなれてしまい、人々もその声を
聞こうとして山を尋ねないのだな。」     
              (和歌文学大系21から抜粋)

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12 昼は出ててすかたの池に影うつせ声をのみ聞く山時鳥
                (松屋本山家集・夫木抄)

○すがたの池

奈良県大和郡山市八条町にある菅田神社の近くにある池のことだと
言われますが、よく分かりません。
「菅田の池」と、「ほととぎすの姿」を掛け合わせていますが、
ちょっと強引な気もします。

○ひるはいてて

和歌文学大系21では「昼は出でて」としています。平安時代当時の
記述方法に拠っている松屋本山家集には句読点や濁点は使われて
いません。もし使われたら、「出でて」となります。
           
(12番歌の解釈)

「昼は山を出て菅田の池に姿を映せ、声だけを聞く山ほととぎすよ。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

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       ◆ 山めぐり ◆

【山めぐり】

文字通りに「山々を経巡ること」です。
特に山々の寺社を巡拝することですが、西行は僧侶でもあり、寺社
というよりは、お寺巡りの意味合いを持っています。
ただし、「山めぐり歌」3首の中では、お寺巡りというよりは単純に
山々を巡るという解釈で良いと思います。

また、山めぐりとは「時雨」をも指します。そのことを証明するかの
ように3首すべてに「時雨」の言葉が使われています。「山めぐり」
という言葉を導き出すために「時雨」の言葉が使われているとも
言えます。

     東山に百寺をがみ侍りけるに時雨のしければよめる

 もろともに山めぐりする時雨かな ふるにかひなき身とはしらずや
             (左京太夫道雅 詞花和歌集149番)

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01 時雨かは山めぐりする心かないつまでとのみうちしをれつつ
         (岩波文庫山家集189P雑歌・新潮1031番・
                西行上人集・宮河歌合28番) 

新潮版では初句に少し異同があります。

 しぐるれば 山巡りする 心かな いつまでとのみ うちしをれつつ

○いつまでとのみ

時雨が続くと大多数の人は晴れやかな気持ちにはならないでしょう。
それが人々の共通の感情だと思います。

それとは別に「いつまでとのみ」のフレーズによって、決して優雅
とは言えない遁世者の、悔恨めいた気持ちも内在させているようにも
受け止められます。

○うちしをれつつ

気持ちが沈むこと。気持ちが晴れないこと。

(01番歌の解釈)

「時雨が降ると、山々の寺を巡り歩く心地がするなあ。いつまで
降り続く時雨だろうとばかりうちしおれながら。」
(時雨かは)の場合は、時雨であろうか、いや時雨ではないが、
の意となる。」
             (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

「山で時雨に遭った。私は時雨ではないのに、時雨と同じように
山を巡り、寺を参拝してまわっている。こんな自然な修行の日々が
いつまで続けられるのか、と思うと時雨に濡れたせいかしんみり
した気分になる。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

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     閑中時雨といふことを

02 おのづから音する人もなかりけり山めぐりする時雨ならでは
        (岩波文庫山家集91P冬歌・新潮502番・玉葉集)

○おのづから

当然のこととして…。常識的なこと、自然なこととして…。

○音する人

岩波文庫版では「音する」の「する」に傍記して「なふ」とあり
ます。冬の時雨降る日に庵に訪ねて来る人もいないということ。

(02番歌の解釈)

「山めぐりをする時雨の降る音以外は、こんなひっそりとした所
とて、当然のことながら訪れてくれる人もないことである。」
             (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

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03 晴やらぬ去年の時雨の上に又かきくらさるる山めぐりかな
   (作者不詳歌)(岩波文庫山家集203P哀傷歌・新潮788番)

この歌は西行と、名前は誰かわからない知人との贈答の歌です。

      同じなげきし侍りける人のもとへ

 君がため秋は世のうき折なれや去年も今年も物を思ひて
     (西行歌)(岩波文庫山家集203P哀傷歌・新潮787番)

○去年の時雨の上にまた

昨年の秋時雨の頃に片親をなくしていて、今年の秋時雨の頃ににまた
残っていた親を亡くしたということ。

○かきくらす

(掻き=かき)は接頭語。引っかく、掻き回すの意味があります。
(くらす)は(暮らす)ではなく、「暗し」のこと。

かき乱したようにあたり一面が暗くなること。
心をかき乱すように暗くすること。

(03番歌の解釈)

「昨年の時雨の季節に親を亡くしたその涙もかわかぬうちに、
今年もまた親を失って、さらなる悲しみの涙にかきくれ、山々の
寺巡りをすることです。ちょうど時雨が山巡りするように。」
             (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

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       ◆ 闇・やみ 01 ◆

【闇・やみ】

暗闇。暗いこと。光のない時間や空間のこと。
理性を失い、思慮分別が無くなった心理状態をも言います。
仏教的には死後の世界の、死者が迷いながらたどるとする道を闇路
とも言います。

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      観心

01 闇晴れて心の空にすむ月は西の山べやちかくなるらむ
          (岩波文庫山家集217P釈教歌・新潮876番・
       西行上人集・山家心中集・新古今集・西行物語)

○観心

自分の心の内側、自分というものの正体をしっかりと見ようとする
気持ちのこと。

○心の空

自分だけの心の中にある空。自分の心の中の情景。

○すむ月

西行歌にある「すむ月」は「澄む月」と「住む月」を掛けています。
修行によって真如の月が自分の心の中にあるという自信のような
ものを感じさせます。もちろんそれは曖昧なものです。

○西の山べ

西行歌にある「西」という言葉は阿弥陀仏信仰を指し、浄土教の
説く西方浄土の思想に拠っています。
「西行」という法名自体が、西行の強い浄土観を表してもいます。

日本最初の官寺である天王寺は、夕陽がまさに沈もうとする間際の
西方を照らしている刻限に阿弥陀如来の浄土を念ずるという「日想観」
で知られています。

(01番歌の解釈)

「闇夜を照らし、心の闇をも晴らして、私の心を月のように澄ませて
くれる月を、一晩中見ていると、やがて月が西の山に近づいていくに
つれて、私の心も西の浄土に近づいて行くように感じる。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

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  (後記)

新年あけましておめでとうございます。
皆様方にとって、2019年という新しい年が充実した良い一年となり
ますよう、お祈りいたします。
この「西行辞典」も今年で14年目。できれば昨年同様のペースで発行
して行く予定です。よろしくお願いいたします。

昨年暮れから新年あけての一週間ほどは寝込んでしまいました。70歳
という高齢にもなり、自分で思うよりも身体は老いのスピードを早めて
いるのかもしれません。老いとの親しい関係性を保ちながら、自戒
しつつ、無理をせずに日々を閲することができればと思います。

年初にあっても、私は一年の大まかな予定さえ立てようともしません。
本当は少しでも考えておくべきことなのでしょうね。
西行関係史跡の内で、未だに訪ねて行っていない所にでも行くように
計画を立てれば良いとは思いつつ、ほぼ行っていることでもあり、
是非にも必要性を感じていないことも原因の一つなのでしょう。
気持ちが守りに入っているのか、それとも遊び心が希薄になったと
でも言うべきなのか・・・?
ともあれ一年が終わってから、それなりの充足感を味わうことが
できれば、それは嬉しいことに違いありません。

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  ◎ 「西行辞典」第388号 2019年01月12日発行 

   「西行辞典創刊号発行 2005年08月10日」 

  ◎ 発行責任者 阿部 和雄
   http://sanka11.sakura.ne.jp/

  ◎ 発行システム インターネットの本屋さん「まぐまぐ」を
     利用させていただいています。
   『まぐまぐ』 URL: http://www.mag2.com/

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発行周期: 不定期 最新号:  2019/02/09 部数:  134部

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