西行辞典

西行辞典 第386号(181216)

カテゴリー: 2018年12月16日
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      ◆◆◆◆  西行辞典  ◆◆◆◆
                        
                  vol・386(不定期発行)
                   2018年12月16日号

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          今号のことば    

         1 山ふかみ 02
         2 山深く

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       ◆ 山ふかみ 02 ◆

【山ふかみ 02】

この歌群は京都の大原に住む寂然と、高野山に住む西行の贈答歌10首
連作の歌です。初句は全て「山ふかみ」で始まっています。寂然は
返しの歌として結句が「大原の里」で終わる10首を贈り返しています。
寂然との贈答歌は今号の10番歌までです。他にも初句が「山ふかみ」
歌が2首あります。それもここで紹介しておきます。

岩波文庫山家集には寂然歌が23首あります。他に連歌があります。
このうち贈答歌は西行23首、寂然22首です。
連作の「山ふかみ」は高野山の山が深いということ。西行は30年間
ほどを高野山で過ごしました。もちろん高野山を生活の拠点として
いたということであり、その間に京都だけでなく、たくさんの地に
赴いています。その途次、山の深い場所も多くたどったはずですが、
初句が「山ふかみ・山深み」歌は他に二首しかありません。ただし
「深き山」などのフレーズのある歌は10首以上を数えます。

同時に項目化することを見送っていた「山深く」歌3首についても
良い機会ですから紹介しておきます。「山深く」を逆にした「深き山」
歌については割愛します。

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06 山ふかみけぢかき鳥のおとはせでもの恐しきふくろふの声
     (岩波文庫山家集138P羇旅歌・新潮1203番・夫木抄)

○けぢかき鳥

身近な鳥のこと。和歌文学大系21ではホトトギスと解釈しています。
しかし渡り鳥で日本にいない期間もあるホトトギスが「けぢかき鳥」
というには少しく疑問にも思います。
いつも近くに気配のする鳥と解釈するなら、ホトトギスにこだわる
こともないのですが、ホトトギスとした先例歌もあります。

○ふくろふ

フクロウ科の鳥。全長は約50センチほどになります。頭部は大きく
顔はほぼ円形。夜行性で野生のネズミやウサギなどを捕食している
ようです。食性は魚類・昆虫・両生類などの動物食です。
頭上に耳状羽のあるものをミミズク、ないものがフクロウです。

(06番歌の解釈) 

「山が深いので、親しみのある鳥の声は少しも聞えず、もの
恐ろしい感じの梟の声のみがします。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

「高野山は山が深いので、身近に聞く時鳥の声などは聞こえず、
梟がなんだか恐ろしげに鳴いている。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

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07 山ふかみこぐらき嶺の梢よりものものしくも渡る嵐か
         (岩波文庫山家集138P羇旅歌・新潮1204番)

○こぐらき嶺

それほどの高い山ではなくて、樹々が繁茂する樹林帯が広がり、樹々
の下にまで日光が差し込まないことによって昼でも暗い峰のこと。

○ものものしく

怖ろしいほどに勢いのある激しい風の音を言います。

○嵐

強い風のことです。猛烈な風。

(07番歌の解釈)

「山が深いので、木がうっそうと繁る暗い峯の梢から、ものもの
しい音を立てて吹きわたってゆく嵐であることです。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

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08 山ふかみほた切るなりときこえつつ所にぎはふ斧の音かな
         (岩波文庫山家集138P羇旅歌・新潮1205番)

○ほた切る

「ほた」は、燃やすために、かまどなどにくべるマキのことです。
高野山の僧房や、あるいは里人の生活のための薪の調達なの
だろうと思います。高野山でも薪などを取っても良いという区域
を設定した入会権が決められていたようです。

○所にぎわふ

定められている一定の場所がにぎわっていること。その状況。

(08番歌の解釈)

「高野山は山が深いので、薪を切り出している音が続いているが、
斧の音は随分と賑やかである。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

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09 山ふかみ入りて見と見るものは皆あはれ催すけしきなるかな
         (岩波文庫山家集138P羇旅歌・新潮1206番)

○入りて見と見る

「見と見る」は現在では使わない言葉のはずですし、古典に親しんで
いる方々にも、それほどなじみのない言葉だろうと思います。
「見」という言葉を重複させて、「見るが上にもさらによく見る・
すべての物を念を入れて、しっかりと見る」という意味を持ちます。

 うらやまし見と見る人のいかばかり なべてあふひを心かくらむ
        (建礼門院右京太夫 建礼門院右京太夫集6番)

○皆あはれ

ここにある「あはれ」は仏教の生地である高野山であることに
よって、相乗的な意味の込められている言葉なのでしょう。

(09番歌の解釈)

「高野山は山が深いので、入山すると見るものすべて
感慨を催すものばかりである。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

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10 山ふかみなるるかせぎのけぢかきに世に遠ざかる程ぞ知ら
        (岩波文庫山家集138P羇旅歌・新潮1207番・
          西行上人集追而加書・玉葉集・夫木抄)

○なるるかせぎ

自然の生物である鹿が山深い庵に住んでいる西行に馴れるという
ことと、西行が鹿に馴れるという事の両方の意味を込めていて、
山深い庵での暮しぶりや、その覚悟ということを伝えてくる表現です。

【しか・鹿】

哺乳類の動物。エゾシカ、アカシカ、ニホンジカなど鹿類の総称。
性質はおとなしく食性は草などの植物が普通。
牡鹿の角は毎年生え変わります。肉は人間の食用にもなります。

歌では「萩」や「秋」の言葉と共に詠み込まれた歌が多くあります。
雌鹿を求めて鳴く牡鹿の声が、秋の情景とも重なって「悲しい」と
いう愛惜に満ちた抒情が表現されています。

 「奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の 声聞く時ぞ秋は悲しき」
               (猿丸太夫 百人一首05番)

【かせぎ】

(すがる)と共に鹿の異名、古称です。
「かせぎ」は鹿の角が(かせ木)に似ている所から付けられた名称
です。(かせ「木偏に上と下。峠の文字の(山)の部分が(木)」)
(かせ木)は英字の(Y)の字のように枝を切って、竿などを高い位置
に押し上げる道具です。

別の意味では、紡いだ糸を巻き取るための木製の道具です。
家紋にも「かせ木紋」があります。

 「朝ほらけ蔀をあくと見えつるは かせきの近く立てるなりけり」
               (赤染衛門 赤染衛門集351番)
【すがる】

(かせぎ)と共に鹿の異名、古称です。
古今集では「じが蜂」と説明がありますが、虫の「じが蜂」では
意味が通じません。ここでは鹿の異名とのことです。

 「すがる鳴く秋の萩原朝立ちて 旅行く人をいつとか待たむ」
            (よみ人しらず 古今集離別歌366番)

○けぢかき

「気近き」と書き、身近に感じられること、親しい関係性である
ことをいいます。
「気怠い」「気高い」などは類似の用法です。

○世に遠ざかる程

遁世の深度とでもいうか、俗世との隔絶感が深まったことを言い、
それはむしろ作者の本望であったとも言えるのでしょう。

(10番歌の解釈)

「山が深いので、鹿が近く馴れ親しむにつけ、世間からどんなに
遠ざかったかが知られることですよ。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

(この贈答歌について)

「書信に代えた歌であるから、即興的で軽いところは、両者に共通
している。互いに住居の状況を報じようとするので、生活環境の
自然に取材しているが、それも写生するときのスケッチ程度という
ことができる。したがって作品として高度なものとはいえない。
また形式から注意されるのは、初句に「山深み」とおくために限定
が生じていること、また10首でまとめにしようという限定もかさ
なっていることである。当然の結果として、全体が説明的、叙述的に
なり、盛り上がるような点が弱く、平面的でもある。」

「(見と見るものは皆)と歌い、(世に遠ざかるほどぞ知らるる)と
歌って、寂然に「君は如何に」と問いかけの意を託していることも
理解される。」
    (窪田章一郎氏著「西行の研究」235・236ページから抜粋)

「両者が高野と大原の草庵から交わした10首ずつの贈答は、山里の
情趣を詠いあげた絶唱というべきであろう。」
   (目崎徳衛氏著「西行の思想史的研究」148ページから抜粋)

寂然からの返し歌10首も、歌のみを記述しておきます。

01 あはれさはかうやと君も思ひ知れ秋暮れがたの大原の里
 
02 ひとりすむおぼろの清水友とては月をぞすます大原の里
 
03 炭がまのたなびくけぶりひとすぢに心ぼそきは大原の里
 
04 何となく露ぞこぼるる秋の田のひた引きならす大原の里
 
05 水の音は枕に落つるここちしてねざめがちなる大原の里

06 あだにふく草のいほりのあはれより袖に露おく大原の里
 
07 山かぜに嶺のささぐりはらはらと庭に落ちしく大原の里
 
08 ますらをが爪木に通草さしそへて暮るれば歸る大原の里
 
09 むぐらはふ門は木の葉に埋もれて人もさしこぬ大原の里
 
10 もろともに秋も山路も深ければしかぞかなしき大原の里

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11 山ふかみ霞こめたる柴の庵にこととふものは谷のうぐひす
           (岩波文庫山家集22P春歌・新潮991番・
               西行上人集追而加書・玉葉集)

○山ふかみ
 
自然の景観としての、文字通り山が深いこと。人里を離れた山の
中に庵を結んでいたことがわかります。

○こととふ

訪ねていくこと。訪れること。訪ね問うこと。

○霞・うぐひす

霞は春霞のこと。うぐいすとともに春を表します。

(11番歌の解釈)

「私の山家は山深くにあるので、春になっても霞に閉じ込められて、
訪ねてくるのは谷の鴬だけである。」
               (和歌文学大系21から抜粋)

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     老人述懐といふことを人々よみけるに

12 山深み杖にすがりて入る人の心の底のはづかしきかな
           (岩波文庫山家集189P雑歌・新潮1238番・
                  夫木抄・松屋本山家集)

○人々よみけるに

岩波文庫山家集の記述からだけでは誰々とどこで歌を詠み合ったのか
不明のままです。

○山深み

いろいろな意味で受け止められますが、仏教徒として一念に信仰する
道は困難でもあり奥が深いという解釈が一番良いかと思います。
夫木抄では恋歌としてあり、そうであるなら人を恋うる恋情の深さ
とも解釈できます。

(12番歌の解釈)    

「山が深いので杖にすがりながらも、仏の教えを求めて入山する
老人の心の奥を、我が身に照らし合わせると、何とも恥かしく
思われる我が心だよ。」
              (新潮古典集成山家集から抜粋)

「山が深いので杖にすがって入山する西行老人の歌をここまで
集めてみましたが、歌の心の奥深さには私も気後れするほど
立派なものでした。」
               (和歌文学大系21から抜粋)

「山ふかみ杖に…歌について」

続後撰集1126番に以下の記述があります。

「後徳大寺左大臣西行法師など伴ひて大原にまかれりけるに
来迎院にて寄老人述懐といふ事をよみ侍りける」  

「山の端に影傾ぶきて悲しきは空しく過ぎし月日なりけり」
               (縁忍上人 続後撰集1126番)

当然に断定はできませんが、山家集記載の老人述懐歌は189Pにある
「山ふかみ・・・」歌の一首のみですから、12番歌は大原来迎院での
この歌会の時の歌である可能性が強いものと思います。
(聞書集には「老人述懐」として3首あります。)

後徳大寺左大臣は藤原実定(1139~1191)のことです。西行が随身
した藤原実能の孫に当たり、公能の子です。藤原俊成の甥、藤原
定家の従兄弟にもなります。百人一首81番の作者です。後白河院の
大原御行にも随行しています。

西行の「山ふかみ杖に…」歌については、出家後かなりの年数を経て
のものであることが藤原実定の年齢からも類推できます。それは
徳大寺家との交流が西行出家後も長く続いていたということの証明
にもなります。
歌もやはり恋の歌などではなくて、仏道上のものと考えて良いのでは
ないかと思います。しかしながら他方では、仏道などとは関係なく、
記述の通りにそのまま素直に読み下しても、個人の述懐歌としてよく
理解できる歌です。
一首の歌は制約なくどのように読み、味わっても良いという事は読む
人の当然の権利です。だとするなら、西行個人のことを素直に吐露
した歌という解釈もできます。直截に表現された歌を直截に読むと
いうことが、一番自然であるのかもしれません。

この歌は山家集成立過程とも関係する重要な歌です。

【「山深み杖にすがりて入る人」は(中略)老僧西行を第三者の立場
から敬意をこめて表現した言い方であり、(中略)編者偽装を読み
取ることができて・・・(後略)】
    (和歌文学大系21の解説、山家集の成立473ページから抜粋)

とあります。という事は西行が自身のことを第三者の視点を借りて
詠んだ歌という事になります。この偽装は詠者である西行個人の心の
屈折を表すというよりも、むしろ詠む過程でのテクニックとしての
物だろうと解釈したいと思います。

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       ◆ 山深く ◆

【山深く】

「山ふかみ」と同義的な言葉です。「山深く」はわざわざ項目化する
こともないのですが、「山深み」のついでにここで記述しておきます。
意味は文字通りに自然としての山が深いということです。

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01 山深く心はかねておくりてき身こそうきみを出でやらねども
          (岩波文庫山家集191P雑歌・新潮1504番)

新潮版では「うきみ」は「憂き世」となっています。

○おくりてき

(おくりて)に、回想(過去)の助動詞(き)が結びついた言葉
です。実際の出家前に、すでに出家したものとして気持は山深く
に置いているということの回想の歌です。

○うき身

俗世間に住む身のこと。つらく悲しいことの多い身の上のこと。
「憂き身をやつす」という言葉も派生しています。身体に影響が
出るほどに心配したり熱中したりする身であることを言います。

(01番歌の解釈)    

「山の奥深くに、心はかねてから送り込んでおいたことがある。
身体こそはまだ俗世間を逃れ出家するということはしていないが。」
              (新潮古典集成山家集から抜粋)

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02 山深くさこそ心はかよふとも住まであはれは知らむ物かは
      (岩波文庫山家集197P雑歌・新潮欠番・新古今集)

○さこそ心は

(然こそ)と表記。本当に、そのように、さぞ、さだめて…などの
意味を持つ言葉。ここでは、表面的には心は通じ合うこと。理解
されるということ。
「さこそ」のある歌は14首、詞書に一回使われています。

○住まで

住まないで・・・という反語表現。

○物かは

「・・・だろうか、いやそうではない」と、反語として使われます。

(02番歌の解釈)

「世の人が山奥の住居は、さぞあわれの深いことだろう、どんなに
山の奥ふかくまで思いやったとしても、実際に山住みの生活を体験
しないで、そのあわれを知ることができようか。できはしないのだ。」
          (渡部保氏著「山家集全注解」から抜粋)

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     思はずなること思ひ立つよしきこえける人のもとへ、
     高野より云ひつかはしける

03 しをりせで猶山深く分け入らむうきこと聞かぬ所ありやと
   (岩波文庫山家集140P羇旅歌・新潮1121番・西行上人集・
            御裳濯河歌合・新古今集・西行物語)

○思はずなること思ひ立つよし

何が起きたのか内容については一切不明です。個人的なことか、
社会的なことか政治的なことかわかりませんが、知人の身に重大な
出来事が起きて、そのことを知らされたということです。

○きこえける人

誰か個人名は不明のままです。あるいは西行の知人が出家したとも
類推できます。

○高野

地名。和歌山県伊都郡にある高野山のこと。
単独峰ではなくて、標高1000メートル程度の山々の総称です。
平安時代初期に弘法大師空海が真言密教道場として開きました。
京都・滋賀府県界の比叡山と並ぶ日本仏教の聖地です。
真言宗の総本山として金剛峰寺があります。
金剛峰寺には西行の努力によって建立された蓮華乗院がありまし
たが、現在は「大会堂」となっています。

西行は1148年か1149年(西行31歳か32歳)に、高野山に生活の場を
移しました。1180年には高野山を出て伊勢に移住したと考えられ
ますので、高野山には30年ほどいたことになります。

○しをりせで

「しをり」は枝を折ること。目印にします。「せで」でしないこと。
帰るための道のしるべとして、枝を折って目印としますが、ここ
では、その行為をしないで、自分が帰れなくなっても良いという
覚悟で山に入る決意だということを言っています。

(03番歌の解釈)               

「帰り道のために枝を折って道しるべとするようなことはすまい。
憂いことを聞かないですむ所はないかと、なお山深く分け入ろう。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

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  (後記)

この年もいよいよ押し詰まって来て、余す所は半月。少しずつ気忙しい
感覚を味わっています。年の深まりとともに寒さも増しています。
加齢とともに寒さには耐性が無くなりつつあることを自覚している
私は、寒さに対しての警戒を強めなければなりません。
この二年は続けて肺炎をやっている身ですし、これからの寒さを怖くも
感じています。肺炎球菌の予防接種をやってはいますが、それでも
肺炎になる我が身の弱さを情けなく思います。

年間を通しての総括などはかなり以前に放棄したままなのですが、
次の年に移るためには通過儀礼的にも最低限のことは振り返り見る
ことも必用です。さて、私はこの一年何をして何を考えて来たのか、
そのことを自身に問い掛ける作業もしなくてはなりません。
その他の雑用もそれなりにあり、これからの二週間は十分に気が回ら
ないままに過ぎて行きそうです。
どなたもがたどる年末なのかもしれません。

西行辞典は本年はもう一度発行予定です。二週間後を予定しています。

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  ◎ 「西行辞典」第386号 2018年12月16日発行 

   「西行辞典創刊号発行 2005年08月10日」 

  ◎ 発行責任者 阿部 和雄
   http://sanka11.sakura.ne.jp/

  ◎ 発行システム インターネットの本屋さん「まぐまぐ」を
     利用させていただいています。
   『まぐまぐ』 URL: http://www.mag2.com/

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発行周期: 不定期 最新号:  2018/12/16 部数:  132部

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