小笠原茶房 美へのいざない

小笠原茶房 美へのいざない

カテゴリー: 2015年06月29日
◎微笑みがえし
        敦煌へ
 随分前のことである。家元は講習会だけで直ぐにお帰りになりますが中国で行きたいところはありませんか?と尋ねられた。
沢山あるが・・・まずは莫高窟は良いですね。と雑談の中で話していた。今回の講習の前に敦煌に行きますから時間を取って
下さいとのことであり、講習会後の楽しみが増えたのである。講習会がお終わって一日はゆっくりしてと考えていたのだが四
泊は必要ですとのことで帰国してからのことを考えると一日も休んでは居られまかった。翌朝八時過ぎに空港へ向かう。西安
で乗り継をすると云う。
 敦煌では野点が計画されているからとの事。風が強いと聞いているが野点など出来るのだろうかと案じていた。その時は部屋
に変わりますからとの事。茶道具は?上海の門下生が既に準備していますからと。はたして来客はあるのであろうか?矢継ぎ早
の質問にも慌てる様子もなく落ちつている。
 機は西安に着き二時間の待ち時間、途中嘉峪関飛行場に降りる。この嘉峪関は万里の長城の最西端である。シルクロードを舗
装された道路を苦も無く走れる私たちは時代の経過とは言え、ただただ真っすぐに連なる遠い道に驚きの他に言葉もない。一時
間も走っただろうか、単なる関所とは言え立派な城であった。門前まで車で移動、そこから徒歩ですぐ近くですからとの案内で
歩き出す。一時間ほど歩いただろうか、周りの景色に気をとられて、それ程遠くには感じられなかった。明時代の万里の長城の
西端であって、シルクロードの起点となっていたところだ。夜八時過ぎでもまだ明るい、今日はこで一泊とする。
 翌朝、いよいよ敦煌へ向かう。車で五時間との事。休憩を入れると六時間強の長旅である。右を見ても左を見ても何もない。
ただただ荒野が続くだけである。途中で人も車もガソリンを入れる。気温は昼は三十二,三度、夜はこの季節は四,五度、と温
度差が激しく、しかも乾燥しているから喉が渇くから水分の補給は欠かせない。しかし温度差の為か果物の甘さが強く特にトマ
トに西瓜は美味であった。
 今回の敦煌の旅では文化交流会の会長が私どもを招待して下さるとお聞きした。それは会長の御嬢さんが上海の門下生に師事
をしている、つまり私どもから云えば孫の門下生に当たることになる。それ故に莫高窟の案内も研究員長自らがして下さるよう
である。普段なら開けられない窟も特別に許可されたそうである。私どもに同行している上海から名士の一行三十名も茶会だけ
に拘らず遠方から参加されたことも頷けるのだ。
 車中で話をしている内に憧れの敦煌に着いた。想像していたよりも大きくて立派なホテルである。ロビーの壁も莫高窟らしく
仏画なども配してあり莫高窟の雰囲気を十分に醸し出していた。
 部屋からは砂丘が望めて、写真を撮ろうと窓を開けようとすれば、砂ぼこり、少々のものではなく、慌てて閉めた.
さて夕食後、懇親会があるからと別の部屋に案内された。 
茶話会くらいあるものと考えていたが、そこにはプロジェクターなどがあり、研究委員による長城や莫高窟の解説が用意されて
いた。それも私どもの為にである。
 特別に日本語の通訳の方の解説を有難く拝聴し、長城の歴史に莫高窟研究の内容など興味深くまた悠久の昔に思いを馳せていた。
すると次は家元からのお話でありますからと突然に振られた。驚いたがここで引き下がるわけにもいかないと、中国講習会を始め
た経緯などから話し始めた。皆さん興味ありげに聞かれていたが、何故なぜ陽関で野点をするのかと不思議に思っているようだっ
た。実のところ私自身もこんな僻地でしなくてもと少なからず思っていたからである。
 敦煌はこれより西は詳しく云うとシルクロードは三っに分とかれているのだ、それだけに西から東からと文化の交差点になって
いたのである。
 野点をするする陽関と云う地は敦煌より更に西方七,八〇キロ先にある。唐時代玄宗皇帝仕えていた詩人王維の詩に陽関三畳と
云う詩がある。
「送元二使安西」  
渭城朝雨浥輕塵  一夜明けた渭城の朝、降った雨が軽い土ぼこりをしっとりとぬらしている。
客舎青青柳色新  旅館の前の柳も雨に洗われて青々と生気をとりもどし、ひときわ鮮やかである
勸君更盡一杯酒  さあもう一杯飲み乾したまえ
西出陽關無故人  君はこれから遠く安西に公務で旅立つのだから、西方の陽関を出てしまったなら、もはや君に酒を勧めてくれ
                  る友人もいないであろうから。
この詩は小学校から諳んじているそうである。

ここ陽関で野点を行うことに拘る訳は十分に理解できた。懇親会が終わって、お点前を見て欲しいとのこと。点前は堤藍が用意し
てあった。
傍には赤いカペットのロールが三十メートルはあるとの事。明日の茶席に使用すると云う。茶葉は瑞峰庵、菓子は地名とは関係な
いが、少しおどけて羊羹にしましたとのこと。上海から手製で持参していたのである。既に夜中の一時半。明日は四時半に起きて
陽関に向かうと云う。我々は朝八時半にホテルを出発。シルクロードと雖も絹のような滑らかな道ではない。止めどなく走るが見
える限り何もない。荒野のみである。近くなって脇道に入るとはいえ道ではない。車は今にも倒れそうであるが、どうにか辿り着
いた。そこには赤い絨毯が十畳に敷き詰められ、野点傘に花も活けて有り正客定めもある。立派な茶席が待っていた。お客用には
低い机と椅子を近くのお寺から借りてきたと話していたが、見渡せどもそんな寺は見当たらなかった。不思議である。
見渡せど荒野の中、ゴビ砂漠に真っ赤な絨毯、ここが茶席だと誇らしげに、主張している。
 上海からのお客も順次到着。不可思議な目で設えを見ていた。設えの説明から始める。結界の飾り扇子が風になびいては倒れ、
その度に童子が直しに行く、数回は続いたがこれも野点の風情とそのままでいいよと点前を続けた。
 神妙なお客の顔も一口飲むと笑みがこぼれる。美味しいと親指を天に向ける。お決まりのポーズだ。この茶葉は何処で売ってい
るのか?どうすれば買えるのかと質問が続く。点前の上手下手は理解できなくても点前道具には深い興味があるようだ。特に堤藍
には以前家にもあったようだがと正式な使い方を知らなくても、これは中国のものだと誇らしくも思えたようだ。中国で生まれた
喫茶の習慣が日本の文化によって育てられ煎茶道として中国に紹介されている。私はこれを煎茶道の里帰りだと称している。
 無事茶席も済みなごやかな会談の後、点前や、童子や、運びの面々が絨毯の上に座ってお礼の挨拶に来た。その目に光るものを
見たとき,中国に講習会を始めてから、二十年、無駄ではなかったのだと熱い思いにさせられた。
「誠を持って臨むこと」これは流の根本の教えだが、国境を隔てても、言葉が違っても必ず理解し合えるものだとの確証を実感で
きた陽関の野点であった。

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