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太田述正コラム#10285(2018.12.31)

太田述正コラム#10285(2018.12.31)
<謝幼田『抗日戦争中、中国共産党は何をしていたか』を読む(その21)>(2019.3.22公開)

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 「潘が<日本側に>提供した情報・・・はなんだったのか。
 現在に至るまで、中共は依然として機密を保持しようとしている。
 だがわれわれは関連する文章の行間から、潘が日本に提供した情報の一部の大略を推理できる。・・・

⇒ズッコケさせられる箇所です。
 1991年の時点で、中共は、積極的に機密を解除し、戦時中に中共が帝国陸軍と情報面を含め、緊密な協力をしていたことを明らかにした、というのに、著者は、こんな白々しい記述をよくもまあできたものです。(太田)

 尹騏の著作・・・の中で<は>・・・次のように書かれている。
 「<岩井>・・・は、潘が提供できる中国内地および重慶政府とソ連、アメリカなど大国との関係の情報を・・・重視した」。・・・
 こうした情報は日本人が収集できるものではない。
 それらはおそらく中共が抗日の名目で、重慶に設立された八路軍事処[第二次国共合作中に設けられた初の軍事機構]で周恩来らが合法的な身分で国民政府の上層部から得るとか、<中共当局が自ら>各地から得た国民政府に関する軍事、政治、経済の情報である。・・・
 潘は中共に対する特殊な貢献ゆえに、1945年の党七全大会で毛沢東から表彰されている。
 もしも党内で陳毅<(注27)>(ちんき)と政治委員饒漱石のあいだに内部党争問題が起きなかったら、潘はそのとき党中央候補委員<(中央委員候補のミスプリか(太田))>になっていたであろう(潘は陳毅の側にいた)。・・・

 (注27)1901~72年。「中華人民共和国の軍人、政治家、外交官。中華人民共和国元帥。国務院副総理、外交部長(外務大臣)などを務めた。・・・
 日中国交正常化と日中囲碁交流に取り組んだ・・・」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B3%E6%AF%85
 このウィキペディアの脚注に「1945年8月に設置された党中央軍事委員会は、中華人民共和国の建国により、政府機関である中央人民政府人民革命軍事委員会に接収された。1954年9月の憲法制定により中央人民政府人民革命軍事委員会が解体されて、国家機構である国防委員会と中国共産党の軍事機関である党中央軍事委員会が設置された。」とある。
 すなわち、中共軍が党軍ではなかった時期が9年間あったというわけだ。

 ・・・蒋介石は対日戦において、中共と日本の結託を感じていた。
 その一つが1940年4月下旬の出来事である。
 「4月23日、晋南<(注28)>(しんなん)地区で、日本軍が突如、攻撃を発動した。・・・

 (注28)山西省西南部。
https://baike.baidu.com/item/%E6%99%8B%E8%A5%BF%E5%8D%97/16818884?fromtitle=%E6%99%8B%E5%8D%97&fromid=307111

 <この>日本軍による戦闘は、実際には共産党が『誘導』したものである」
 <また、>同年5月、山西<省で>の戦闘後、蒋介石は・・・次のように記している。
 「晋北<(注29)>公路(しんぽくこうろ)が敵軍に握られている。

 (注29)晋南の類推で晋北も分かるが、晋南と違って晋北には百度がない。

 もしもこれを撃破できないなら、晋・冀<(注30)>両省は連絡が取れなくなってしまう。

 (注30)河北省の略称。
https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%86%80

 <にもかかわらず、>共産党は敵の背後でこれを見ているだけで相手にしようとしないばかりか、ときどき邪魔をしに来る」
 蒋は証拠をもたなかったが、・・・総体的な情勢の進展と、指揮官としての感覚から、日本軍と中共の結託を感じ取っていた<わけだ>が・・・「蒋介石日記」に記された<彼の>判断<は>正しかった<というわけだ。>・・・」(141~144)
 
⇒1940年春までに、既に、蒋介石政権が、諜報面で決定的なまでに帝国陸軍・中共側に後れをとってしまっていたことが分かります。
 つまり、大東亜戦争開始の1年半以上も前に、既に日本は、蒋介石政権打倒の目途が完全についていた、ということであり、にもかかわらず、というか、だからこそ、杉山らは、安んじて、大東亜戦争・・対米英戦・・の決行ができた、ということです。(太田)

(続く)
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