「人生は逆転できる!」天職起業・成功事例100連発!

栢野です。奇跡の出逢いに感謝。

こういうのを真夜中のラブレターというのでしょうが
すいませんがメルマガ通じて、積極的自己宣言の練習させて下さい。

以下ブログ☆活動日記より http://blog.livedoor.jp/kaya0169/

■先日、英会話のFCCさん主催で「世界一周」の講演上映会があった。

講師は妻と2人で。素人主催にしては大盛況。


ここで、俺にとってもの凄い出逢いがあった。奇跡と言ってもいいのではないか。  


会場は満杯の約90名。イベント素人の弱小英会話学校が主催にしては大成功だ。
実は地元の西日本新聞さんが事前に記事で報道してくれたおかげで、かつ、
今日のイベントの日時と場所と問い合わせ電話も掲載してくれ、これで20名
くらいは上乗せになった。

なぜ、新聞がそこまで応援してくれたか。テーマが親子・家族で世界一周と
万人受けすることもあるが、今回の参加費の一部をカンボジアの地雷除去に
寄付する点が、記者さんの琴線に触れたと思う。


■で、驚きの出逢いがあった。


年輩の方から新聞記事を見てFCCに申し込みがあったらしいが、「一番前の
席を予約したい」とのことで、赤峰さんも当惑したと。で、会場に着くとその
3人が1時間前から来ていたと聞き、なんかシランが熱心な人達だなあと
思っていると、

「カッチャン!元気だったね!俺よ俺」

「えっ?!」

「あなたのオヤジが福岡シティ銀行の下関支店長時代の部下よ。私は柳瀬で・・・」

「あーーーー!!ご無沙汰しています!」

思い出した。当時、私は小4。面影はなぜか覚えていた。

「どうしたんですか。今日は」

「いやー、カッチャンが新聞に出ていたからね。あなたのことは何度か
新聞で見ていたけど、連絡先がわからなかった。今回は日時も場所も書
いてあったから、皆で話して今度こそ行こうと決めて、来たんだよ」

「えーーーそれはどうも有り難うございます!」

32年ぶりの再会だ。

「あなたの講演を聞きたかったんだ」

「・・・?・・そうですか(でも、なんで?)」

「あなたのお父さんも、講演ばっかりしていたからね」

「ええええええッーーーーーー!!ホントですかあ!!」 (初めて聞いた)

「うーん、そりゃ口は達者だった。支店長時代は勿論、その後の業務推進部長、
 取締役小倉支店長、北部九州ブロック長時代、行内や他の支店や外でも講演
 ばっかりしていたよ」

「えええええええええええ!!そうなんですかあああああ!!」

「私らはもう引退してるけど、下関支店のOBで<うず潮会>という名称で、
 年に何回か集まってるんよ。あなたのお父さんには、それはそれはみんな
 世話になった。あんな人はいないね。すごい人だった」

「・・・そうなんですか。でも、実は私は親父のことは知らないんです。
 高校2年の時に親父は44歳で亡くなったから、親父がどんな仕事をしていたか、
 何を考えていたかなど、そんな話しは一度もしたことないです。

 もし、できたら、今度、うず潮会があるとき、私も必ず誘ってくれませんか?
 親父のことを知りたいんです」

「そりゃー、我々も大歓迎よ。みーーんな、あんたのお父さんの部下で鍛え
 られたからね。栢野学校の卒業生よ」

「いやーーうれしい!ありがとうございます!」

■なんと、32年ぶりに父に会える。本当の父を知ることができる。

なんという奇跡だ。

これもそれも、世界一周という無謀なことをしたおかげだ。
1000万円かかったが、なんか元は取れたという感じ。

俺の心の中にはずっと、親父への不信感というか憎悪感があったので、
いつか和解したい。でも父はいない。

でも、自分なりに解決せねばと思っていたので、なんとも奇跡の出逢いだ。


■が、奇跡はそれだけではなかった。


実は赤峰さんが今回の集客の件で、日産自動車のマーケティング本部・福岡
プロジェクトにいる高校時代の同級生に案内を流したところ、

「栢野さん・・・この名前・・・もしかして、この人のお父さんは
 福岡シティ銀行にいたんじゃないの?(その友人は福岡シティ銀行のOB)」

「ええ、そうらしいよ」

「あーーじゃあ、間違いない。あの栢野金之さんの息子か・・」

「栢野さんのお父さんを知ってるの?」

「知ってるなんてもんじゃない。あの人が銀行の、

 営業の仕組みを創り上げたんだよ!」

赤峰さんは昭和24年生まれの58歳。この同級生も同じ。親父は昭和6年生まれ。
生きていたら76歳。親父は昭和50年9/30の銀行半期決算の日に脳血栓で44歳と
いう生涯を終えた。ということは、この同級生の方は当時26歳。親父は取締役業
務推進部長で、一般には営業本部長みたいな立場だったからだろうから、あの人
が銀行の営業システムを創り上げたというのは、当時の役職から言えば当然か
もしれない。

それも、親父が活躍した昭和40年代・1960年代はまさに日本の高度成長時代の
まっただ中。時代にも恵まれたのだ。が、だからこその激務だったらしく、
親父は銀行団のヨーロッパ視察から帰国後に倒れた。亡くなった当時、
同僚からはこう聞いた。

「オヤジさんは過労死だね。
 亡くなったのが銀行の決算日というのも、栢野さんらしい」

実は「小さな会社★儲けのルール」が出た後、当時の親父の同僚で、銀行専務
まで務めた九州リースの森田相談役に会った。

「カッチャン。何の本を出したんね」

「いやー、ランチェスター戦略っていうヤツです。昔、流行ったらしいですが、
 今はこの博多で竹田先生という人が日本の第一人者で、この本は竹田先生の
 替わりに私が初心者向けに書いたんです」

「ふーーん。へーー。そりゃ親父と同じだ。おやっさんもランチェスター、
 ランチェスターって言っていたよ。弱者の戦略だ。ローラー作戦だって。
 まあ科学的なドブ板営業だね。でも、血は争えないねえ。そりゃ奇遇だ」

その時も衝撃的だった。高校時代に死に別れ、あんなに憎んだ父だったのに、
はっきり言っていつも出来の悪い俺を見下し、バカにした目で俺を見ていた
親父が死んで、俺はうれしかった。これで敵がいなくなった!清々した!
俺はこれから自由だ!と、涙も出なかった。

それがなんと!父と別れて30年後の今、父と同じ事をやっている!

これを奇跡と呼ばずになんと言うか!

■まあ、冷静に考えれば、父の活躍した昭和40年代後半は、ランチェスター
戦略を最初に日本に広めた田岡さんの本が累計で200万部も売れた絶頂期。
勉強好きなビジネスマンなら誰でも読んだだろうし、ましてや地方銀行の
営業本部長のような立場にいた幹部なら、ほぼ100%田岡さんの本を読み、
強者の都銀や地場最大手の福岡銀行との差別化を真剣に考え、同じ相互銀
行でも一歩先を行かれていた西日本銀行にいかに勝つか。そのために、
弱者の戦略を銀行内に徹底させたのだ。

だから、父がランチェスター戦略をガンガンやっていたのはおかしくはない。
当時の時代背景を考えれば。

しかしだ。

じゃあ今、ランチェスター戦略の本を誰もが読んでいるかというと、
一番売れている「小さな会社★儲けのルール」単体で10万部。竹田先生単独
の本が、この20年で60万部。が、そのうち20万部は「ハガキ」の本で実質40万部。

この数年に立て続けに出た様々なコンサルタントが出した類似書も3万部以下が大半。
全部合わせてもせいぜい70万部くらいだろう。

・・・せいぜい・・いやシリーズ70万部なら、やっぱりこれはビジネス系、
それも経営戦略というお堅い分野ではスゴイ大ヒットだ。だから、
俺がたまたまランチェスター戦略の本や講演をしていてもおかしくない。

いや、違う。

今はブームかもしれないが、「小さな会社★儲けのルール」が出た2002年11月
の時点では、竹田先生のいる地元福岡ではまあまあの知名度だったが、本はそ
の前10年間で10万部も出てなかった。だから、誰も知らなかったに等しい。
ブームに便乗し、じゃあ俺もランチェスターとやらの本や講演でもしてみるか・・
というパターンではなかった。

数々の偶然が重なり、俺は竹田ランチェスターに出逢った。

■実はこれも奇跡的なことなのだが、俺は福岡に帰る寸前まで働いていた
「ビジネス社」は、田岡さんが昭和40年代50年代に一連のランチェスター戦略
の大ヒットを飛ばしていた出版社だった(竹田先生も1冊「ランチェスター
弱者必勝の戦略」を出している。倉庫で手に取ったが、略歴で福岡在住とだけ
見て、あとは難しそうだったので読まなかった)。

しかし、田岡さんが昭和59年に亡くなった。その後、田岡さんの会社の社員
だった矢野さんと外部の一番弟子だった竹田先生を始め、その他、パクった
コンサルタントや講演家が数百人いたが、田岡さんの奥さんが「ランチェス
ター戦略」関連の商標登録を振りかざし、全国のコンサルタントに内容証明
を送りまくった。

(俺にも2003年に来たが、反撃でFAX50枚送りつけ、東京の田園調布の自宅
 に自爆テロ飛び込み訪問したが、居留守を使われた)。

そのため、竹田先生と矢野さん以外はランチェスターの名前を看板から外し、
「小が大に勝つ戦略」とか「OO流一番化戦略(爆)」とか名称を変え、さらに、
やはり他人のブランドがいつまでも跋扈するのが気に入らなかったある有名
コンサルタントなどは、あーだーこーだ書いて「もうランチェスター戦略は古い」
と著書で切り捨て、自分の名称を売るのに躍起になった。今もパクリの歴史。

その後、元社員だった矢野さんもなぜか(笑)、社名からランチェスターの
名前を外し、結局、ランチェスターの名前を社名・本・講演・教材に正々堂々と
冠するコンサルタントは、竹田陽一だけになった。

直接の教えを受けたのもこの2人だけ。
(その後は全国の竹田ランチェスター代理店や故田岡さん系のNPO団体が継承)

■しかし、竹田先生の活動拠点は福岡。本は「小さな会社★儲けのルール」が
出る前までに累計40万部くらい出ていたとはいえ、それは約10年間でのこと。
年間では4万部程度。かつ、先生はこの15年ほど、田岡ランチェスターを大幅に
改良した「竹田ランチェスター・ビジネスモデル(7月から特別コースあり)」
の構築とDVD・CD総計200本以上のシリーズを完成させるのに注力し、
約10年間は休業同前だった。

だから、2002年の段階では、昔学んだ現在の60代以上を除けば、ランチェスター
戦略なんて一般的には無名だった(幸い、今も無名同然。講演先で毎回アンケー
ト取るが知ってるのは0〜1割。そんなもの)。そういう意味では、竹田先生
と同じ福岡にいたとは言え、俺が竹田ランチェスターの本を書いたのは、やは
り奇跡以外の何ものでもない。その時点ではブームでも何でもなかったから。

■とにかく!理由や背景はおいといて、俺が今、32年前にケンカ別れした父と
同じことをやっていることに改めて気づき、その時代の証言者に今日も会え、
なんというか、生まれて初めて父とじっくり話したいと思っている。

父も地方銀行の営業畑だったから、取引先は今の俺と同じく、地場の中小ベン
チャー零細自営業ばかりだったはず。今、一緒に飲んだら、「いやー、今の明
太子<ふくや>の川原社長はエラソウにしているが、家業を継ぐ前はうちの銀
行に兄のコネで補欠入社した不良社員だったよ(事実・笑)」とか、30年前と
今の比較ができ、それは盛り上がる飲み会になっただろう。

が、その父はいない。

「小さな会社★儲けのルール」が大ヒットしたあと、なんど父が生きていれば
と思ったことか。仲悪かったが、今なら話は尽きないだろうと。

が、今日、この講演会場に、まさに当時の父をよく知る、同僚3名の方が駆け
つけてくれた。本当に奇跡だ。

今度、この方たちの「うずしお会」に参加する。願わくば、そこで10分でいいので、
「小さな会社★儲けのルール/ランチェスター経営7つの成功戦略」の講演をしたい。
そして、昔の田岡ランチェスターと今の竹田ランチェスター戦略が、どう違うかを
聞きたい。そして、32年前の父と見比べてもらいたい。

当然、父を越えることはできないだろう。実務の第一線の指揮官としてやって
いた父と、同じ分野とはいえ、単なる評論家の俺では比較にならない。

しかし、俺は密かに弱者の戦略を練っている。

酒が進み、皆が酔っぱらった後でミニ講演をするのだ。
そんなタイミングなら、話しの戦略面での違いなど聞いていない。

俺には見える。聞こえる。ミニ講演が終わった後の皆さんの第一声は

「やっぱりお父さんと同じだ!そっくりだあ!!」

俺はうれし涙で顔をくしゃくしゃにする。そしてふと見ると、涙の向こうの
座敷の隅には、32年前の姿のままの親父がいる。いつも俺を軽蔑の目で見て
いた親父しか思い出せなかったが、今日はニコニコ笑って頷いている。

「克己。やっとお前は、俺がつけた名前に追いついたな。己に克つ。
パパはうれしいよ。素晴らしい講演をありがとう」

うれし涙と嗚咽がこみ上げてきて、たまらず俺は土下座して、
畳に頭を着けてこう言うのだ。

小説・映画の「鉄道員(ぽっぽや)」のように。

「パパ。今まで本当にすまなかった。生前、パパは平日も休日も家にいないし、
一緒に旅行に行った記憶も2回しかない。いつも叱られて殴られた俺は、いつ
もパパが嫌いだった。いや、むしろ憎んでいた。でも、今日、パパの同僚から
銀行時代の大活躍の様子を聞いてわかったよ。パパは本当に多くの人のために、
一所懸命に頑張っていたんだね。まさに命を削って。だから、家庭を顧みる
余裕なんてなかったんだね。それを逆恨みして、本当にごめんなさい!」

「いいんだよ。パパはねえ。ものすごくうれしいよ。偶然とは言え、お前が
パパと同じ様なことを、それも同じ中小零細企業向けに講演しているなんて、
これ以上の親孝行はない。パパの分まで頑張って。でも、体には気をつけろよ。
やりすぎると、パパのように血管が切れるぞ。睡眠は充分にとるんだ。
それともう一つ。今のお前があるのは多くの人のおかげだが、最大の功労者は
お前の嫁さんだ。奥さんを大事にね」

「わかりました!パパ!ありがとう!」

・・・と頭を下げ、再び父を見ると、なんと!その傍らにはママがいる!!

「克己。頑張ってるね。あなたが私に最後に言った言葉は辛かったけど、
ママはもう、全然気にしてないよ。すべては終わったこと。ママにもあなたにも
辛い過去だったけど、だからこそ、あなたは人の痛みがわかる人になった。

まあ、まだまだ時々キレて変なことを言うけど、あなたは毎年、大きくなって
いるわ。まさに自分で言うとおり、あなたは転びながら成長しているわ。

もっともっと転んで、素敵なダルマさんになってね。

栢野のカヤは、仏陀さんの悟ったインドのブッダガヤから伝わってきているのよ。
それは本当よ。コチラの世界でこの前、ゴーダマシッダルーダさんに会ったから
間違いないわ。だから、あなたは同じインド出身の達磨さんと同じなの。
一生修行よ。覚悟してね」

「わかりました。やはり、私の今までの数々の失敗や挫折は、実は同じ様な
経験をしている大半の他人様の心が少しでもわかるようにと、アガスティア
の葉のように(爆)、最初からプログラムされていたのですね。

パパとママに親孝行できなかった分、今後益々!こちらの世界の悩める弱小起
業家のために、この身を捧げます。

今日は本当にありがとうございました!!!!!」

と畳につけた顔を上げると、もうパパとママはいない。

ふっ。そういうことかと、座敷の天井に近い壁を見ると、そこに一枚の額があった。

 

              【天の摂理】

 

人に感謝 物に感謝 すべてに感謝 この世に起こることは全て正しい


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携帯090-3604-6735 kaya@hf.rim.or.jp
〒810-0073福岡市中央区舞鶴1-2-33ライオンズM天神/親不孝通り交差点西100m
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■銀行口座(株)インタークロス 西日本シティ銀行 天神北支店 普通0293317

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