こころをめぐる話-内観に学ぶ

内観ごころ

カテゴリー: 2015年06月08日
こころをめぐる話ー内観に学ぶ NO127
                    「内観ごころ」(内観法と日本人)
                                        
                発行者 白金台内観研修所 本山 陽一
                                    Mail to: zan25224@nifty.com
                       http://www.shirokanedai-naikan.com/index.html

先日の内観学会大阪大会で宗教学者の山折哲雄先生と対談をさせ
ていただいた。84歳とは思えないほどの先生のエネルギーと博識
に多くの刺激を受けた。その刺激の強さを示す現象として、学会
大会から帰ってからは、暇ができると仕事場の窓にそびえる樹木
を眺めている。日本人の認知に深く関わってきたとする先生の自
然観に触れたせいである。今回は、その樹木を眺めながら考えさ
せられたことを整理して、報告してみたい。

山折先生が話されたことを整理してみると、日本人の心情あるい
は日本的なものについて語られたように思う。この日本人に流れ
る共通の心情や感覚を「大和魂」あるいは「大和心」とも呼んで
いるが、この言葉は、小林秀雄によると本居宣長が名づけたそう
である。これは日本人の根底にある精神の型を表す言葉で、ユン
グの集合的無意識とほとんど同じと考えていいであろう。

ユングは患者の催眠治療中に語る言葉によってこの集合的無意識
を発見したようだが、ユングより100年前に生まれた本居宣長が、
どういうふうにこれに気づいたか興味深い話ではあるが、ここで
は長くなるので触れないで先に進みたい。とにかく山折先生はこ
の「大和魂」について多くを語り、日本人の自然観や日本人の庭、
死生観、「無」に対する感覚等を語られた。

内観法をあまりご存じない先生ではあったが、先生の語られる日
本人の心情を伺ううちに、内観法の意外な側面が浮き彫りになっ
てきた、と私には感じられた。その意外な側面とは、内観法の構
造は日本的なものではない、ということが明らかになってきたこ
とである。それは内観法の源になっている親鸞思想から来ている、
と考えられる。つまり、山折先生は親鸞自身が日本人離れした思
想を持っている、と語られた。

『歎異抄』にある「善人なほもて往生をとぐ,いはんや悪人をや」
という悪人正機説は有名な思想であるが、唯円が書いた『歎異抄』
は親鸞に直接聞いた話をまとめているので、親鸞思想が省略され
ており正確ではない、と思われたようだ。そこで親鸞の著書『教
行信証』を丁寧に読むと、悪人が救われるには懺悔と優れた指導
者を得るという二つの条件を満たしてこそ成立することがわかる、
と述べられた。

そして、この悪の問題を真正面から取り組んだのは、日本人では
親鸞だけで、歴史を見ても親鸞以降のあらゆる思想家、宗教家も
悪の問題を避けてきた、と主張された。西洋人の中には悪の問題
を考えた思想家や宗教家はいたが、日本人にはいない。それを鎌
倉時代に生きた親鸞は考え詰めた。親鸞が日本人離れしていると
いう根拠の一つである。

上記の考え方からすれば、内観法の「迷惑をかけたこと」や「嘘
と盗み」というテーマは、自分の悪を真正面から取り組み、それ
を乗り越えようとするもので、正に西洋的ということが言える。
またフロアーから「恩」についての質問が出た。私も以前より海
外経験の豊富な知人から「恩」という言葉は西洋には存在しない
と聞かされていたが、その構造を山折先生は次のように説明された。

「恩」という言葉は、インド仏教の四恩や中国の儒教の影響で日
本に渡ってきた思想で、西洋社会では契約社会だから相手から与
えられた債権とこちらから与える債務は、同じ分量でイコールで
なければならないという価値観がある。しかし、インド思想や儒
教では相手からいただいたものは最大限に評価し、自分から与え
たものは最小限に評価する債券至上主義の思想がある。したがっ
て、西洋では借りは返すものだが、日本では、恩は着るもの、受
けたものをありがたく思うものだ、と。

この話を聞きながら私は、かつて吉本伊信先生が、内観法の「し
ていただいたこと」「して返したこと」の意義を「月末に請求書
を書くように、借りと貸しのいずれが多いかを調べるんです」と
説明されていたことを思い出していた。山折説によると、この内
観法の二つの視点は契約的な視点ということになり、西洋的な考
え方ということになる。

山折先生の語る言葉に耳を澄ましていると、内観法の「していた
だいたこと」「して返したこと」「迷惑をかけたこと」という内
観三項目は、日本的なものではなく、いずれも西洋的な視点とい
うことになる。内観法は日本的なものだと思っていた私にとって、
このことは新たな発見であった。実際、それを立証するような出
来事が学会大会終了2週間後に起きた。

ドイツから21名の精神科医が白金台内観研修所に視察に訪れたと
きのことである。2時間近く、施設案内と内観の構造を説明した。
ドイツ語の通訳を通してでの説明であったが、皆様とても内観法
の考え方を理解して下さった。そして、最後に私からの質問です
けど、と断った上で「自分の罪を本当に認めることができたら、
自然に次のステージに行ける、ということを理解してくださいま
すか?」と質問した。

すると、間髪を入れずに皆が一斉にうなずいて、理解できると応
えた。私は、その態度を見て理解されたと感じ、通訳の言葉を待
たずにとても驚いて喜んでしまった。私の様子で彼らも笑顔にな
り、その瞬間、「通じ合った!」と感じた。日本の精神科医や臨
床心理士の中には、この罪の問題をすぐには理解できない人もい
て、多くの言葉を必要とした体験があったので、他国の人が一瞬
で理解してくれたことが意外であり驚きでもあったのである。

この体験を通して罪や悪を扱う内観法の理論や構造は、西洋文化
特にヨーロッパ文化と共通した構造があり、内観法の構造は日本
的なものではない、とさらに思うようになった。日本の精神科医
や臨床心理士の中に通じにくい人がいるのは、彼らが日本人であ
るだけではなく、アメリカ文化の影響を強く受けているからでは
ないかと推論してみたりもする。

では内観法は西洋的なものかと言えば、それには違和感を感じる。
それはたぶん内観法を開発した吉本伊信先生が日本人であり、日
本で生まれた技法だからであろう。では、日本的なものとは何だ
ろうか。それを山折先生は、四季がある変化に富んだ豊かな日本
の自然感覚にあると考えられているようだ。その中でも庭を特に
重要視されていた。金閣寺の例を挙げて、日本の庭こそ日本的宗
教の根本だと語られた。

金閣寺にはご本尊がある。先生の子どもの頃は、半数の人はご本
尊の前に座って拝んでいたが、現在はほとんどの人が素通りして
庭に出る。しかし、庭に出ると訪れた人の表情が変わる。庭に見
とれて30分か1時間じっとたたずむ。これは概念で築き上げた信
仰と違った日本人の心に縄文時代から流れる自然に対する感覚、
日本人の信仰が甦ってきている姿ではないかとおっしゃるのである。

この豊かな自然に対する感覚が日本人の宗教感覚に影響している。
災害列島で変化の多い豊かな自然に囲まれた日本人には、仏教の
思想が入ってくる以前の縄文時代より無常観があったと寺田寅彦
の説を借りて説明された。そういえば、日本人は、死に対しても
美しいものという感覚があり、滅びの美学や引き際の美学、わび
さびを愛する心などが私たちの心の奥底に息づいている。

山折先生はまた、日本人は「無」が好きで、悪の問題も善悪を超
えた「無」に帰していったと説く。実際、日本人は死ねばすべて
が許されるという感覚があり、死んだ人の悪口を嫌う。死ねば悪
人も善人もないのだ。それは靖国問題を見てもわかる。死ねば、
戦争犯罪人も戦争被害者もないのである。死に対する感覚は、自
殺さえも西洋人と日本人の感覚は微妙に違うことがわかる。多く
の日本人は、自殺が西洋人ほど悪いこととは思えないのではなか
ろうか。

では内観法には、自然感覚のような日本的なものはないのであろ
うか?と窓から見える樹木を見ながら考えた。そうすると、樹木
の存在が何かの感覚に似ていることに気がついた。最初の集中内
観で生まれて初めて母親と向き合ったときの感覚に似ていたので
ある。その時にひらめいた。内観における日本的な宗教感覚は、
母性感覚なのだ、天照大神だ、と。

内観法は西洋的で理知的な構造になっているが、調べる対象は母
親を重視する。母の愛情を感じさせ、心の温もり・暖かさを実感
しやすい構造になっている。それは母性感覚を体験することによ
って、縄文以来の大和魂にある信仰心を呼び起こしているのでは
ないか、と。日本人に流れる宗教感覚は、山岳信仰を初めとする
八百万の神を敬う多神教の自然感覚と、女性である天照大神を総
氏神とする母性感覚にあるのではなかろうか。

つまり、内観法は、三項目によって世界に通用する日本人離れし
た理知的な構造を備え、調べる対象に母親を重視することによっ
て、心の温もり・暖かさを実感させる母性感覚で縄文以来の日本
人の信仰を甦らせる多面的な要素を備えた技法だということであ
ろう。そして、それは自分の内面を徹底的に追求した親鸞そのも
のの世界なのであろう。

近代化は、自然と母性から私たちを切り離していく。都市に育っ
た子どもは自然に触れる機会が減り、虫等の生き物を極端に怖が
ったりする。また、物質文明の発達は母親を取り巻く環境を変え
てきており、母と子の間にも物質が介在し、母親との温もりを感
じにくくしているように思える。こうして考えてくると、近代化
が私たち日本人から何を奪っているかがよく見えてくる。

近代化は、私たちの生活に便利さを与えるが、引き替えに日本人
の深い共通意識にある日本人の心の拠りどころである縄文以来の
宗教感覚のようなものを奪っていっていると思われる。最近、日
本人全体が攻撃的になってきたと感じさせられるのは、拠り所を
失いつつある大和魂の不安感の表出かもしれない。最近「これか
らは内観法のようなものが、ますます必要になりますね」とよく
声をかけられるが、単に外交辞令だけではないものを感じる。

以上が今回の山折先生との対談を終えて考えさせられたことの報
告である。本番10分前に会場に入られた先生との対談は、打ち合
わせなしのぶっつけ本番だったために不安もあったが、終わって
みればいろいろと教えられることの多い有益な時間になった。



こころをめぐる話-内観に学ぶ

発行周期: 不定期 最新号:  2018/07/24 部数:  612部

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