こころをめぐる話-内観に学ぶ

元旦の願い

カテゴリー: 2005年01月01日
こころをめぐる話ー内観に学ぶ NO102
                       元旦の願い 
                     
                発行者 白金台内観研修所 本山 陽一
                    Mail to: zan25224@nifty.com
                                    http://homepage3.nifty.com/shirokanedai/

あけましておめでとうございます。
五十歳を超えた頃から自分の過去を思い出す度に、不思議な感覚に見舞われま
す。自分の歩んできた人生が、本当にあった出来事とは思えず、まるで夢のよ
うに感じられるのです。年代的には遙かに古い出来事が、つい最近のように思
えたり、比較的最近の出来事が、遙か昔のことのように感じられたりします。

また、実際に起きた出来事よりも、かつて見た夢のほうが鮮明に思い出され、
現在の私には現実よりも夢のほうが、はるかにリアリティを持つ場合もあるの
です。つまり、現在の私にとって過ぎ去った過去の時間的経過や現実と夢の差
は無くなり、すべてが不思議な重みをもって私に迫ってくるのです。なるほど
人生というものは過ぎてしまうと幻のようなものだ、とつくづく感じます。そ
して、今も一瞬一瞬が幻へと変化し続けています。残るものは記憶だけです。
 
私たちは『今』を生きることしか出来ないとしたら、『今』が一番大切だとし
たら、過去の記憶はとても重要であるということになります。楽しい記憶の多
い人は、今を豊かな感情で過ごせるでしょうし、嫌な記憶の多い人は、今を不
愉快な気持ちで過ごす時間が多くなると考えられるからです。このように考え
てくると、私たちにとって実際に起きる事柄の価値は、私たちの感じ方や解釈
の仕方で決まってくるということになります。何故なら、実際に起きる事柄は、
一瞬一瞬幻に変化し、あとに残るのはその事柄に対する印象の記憶だけだから
です。
 
だから私たちは、出来るだけ物事をよく解釈し、いい記憶として胸にしまい込
む工夫をすべきでしょう。しかし、これは我々凡人には、なかなか難しいこと
でもあります。頭で理解しても実践となると難しいものです。内観法のような
先人の知恵が必要になってくる理由がそこにあると思うのです。内観法は物事
をよく解釈できるようになるだけでなく、過去の記憶そのものをも変えてくれ
ます。

この内観法のお陰で、現在私は自分の過去に嫌な記憶が一つもありません。今
思い出しても出会った人すべてに懐かしさを感じます。もしかしたら、嫌な事
柄を忘れているだけかもしれません。そうだとしても、それを思い出したとき
には新たな内観の材料にすればいいだけのことで、たいした問題ではありませ
ん。いずれにしても、現在このような心境でいられることは、とても恵まれた
ことに違いなく、内観法に出合えた幸運を感ぜざるを得ません。
 
未来も過去と同じようなものだと思います。未来も今の私たちにとっては幻と
同じで、未来がどんなものになるか誰もわかりません。いつ死ぬか分からない
私たちにとって、未来は必ず来るとは限りません。今晩突然死ねば、未来は来
ないのです。つまり、今の私たちにとって未来は幻想に過ぎないのです。
 
しかし、現在の私たちにとって未来をどう思うかは、とても大切な問題になっ
てきます。未来に希望や夢を持てる人と未来に暗いイメージしか持てない人で
は、現在の生き方に大きな違いが生じるからです。集団自殺をするような人々
は、自分の将来に恐怖、不安、絶望等の悪いイメージしか持てなかったに違い
ありません。逆に将来に希望や夢を抱いている人々は、現在を生き生きと幸せ
に暮らせるでしょう。このように未来に対するイメージは、今の私たちの幸・
不幸を決定するほどの力があるのです。
 
未来は誰も予想の出来ない不確かな存在だからこそ、今の私たちにとって、未
来の価値はその印象で決まると言っても過言ではないのです。だとすれば、た
とえ未来がどうなろうとも、どんな未来が待っていようとも、私たちは常に未
来に希望や夢を抱き続ける工夫をすべきでしょう。これもなかなか困難なこと
ですが、古来よりいろいろな先人の知恵があるようです。
 
天国・浄土思想もその一つでしょう。死んでから素晴らしいところに行けると
いう思想は、この世で達成できる希望や夢より遙かにその人の人生を豊かに前
向きにするようです。これは考えてみれば当たり前のことで、この世で達成で
きる夢は必ず現実で立証され、人によってはどう考えても達成できない状況に
追い込まれる可能性もあります。そうなるとその夢は絶望へと変わる危険性が
あります。夢や希望が大きければ大きいほど大きな失望に見舞われるかもしれ
ません。

ところが天国・浄土思想の場合はその思想の性格上、生きている間に失望を味
わうことはまずありませんし、本気で信じれば死ぬ瞬間まで前向きに生きるこ
とが出来ます。
 
大分前になりますが、NHKテレビで102歳の女性のドキュメント番組を見
ました。大家族の住む大きな家を毎日朝から晩まで掃除をすることを日課とし、
それ以外にも洗濯物を片づけたり、夕食の支度を手伝ったり、ひ孫の面倒を見
たりして、ほとんど一日中忙しく働いて家族の留守を守っている姿を追った番
組でした。テレビの中の彼女は、そういう生活がとても楽しそうで、若々しく
明るく見えたのです。私はその姿に興味を惹かれ、そのままテレビに見入って
いますと、レポーターの方の「楽しみは何ですか?」という質問に「今度生ま
れてくる時にどんないいことがあるか、それが楽しみです」と応えました。
 
その瞬間、私は謎が解けたように思いました。普通の感覚なら、余生をのんび
り過ごすことが理想と考える筈です。ところが、彼女は違いました。102歳
になっても前向きに生きることを選択しました。その背景には彼女の来世思想
があったのです。彼女にとっては、死は終わりではなく、一つの通過点に過ぎ
なかったのでしょう。ここで重要なことは、実際に来世があるかどうかという
ことより、彼女が来世思想を持つことでこの年齢になっても前向きに生き、現
在の彼女自身が幸せに生きているという事実だと思います。
 
天国・浄土思想は信仰の問題もあり、誰しもが持てる思想ではありませんが、
今の生活を生き生きとしたものにするために、夢や希望を持ち続けるための工
夫はとくに大切でしょう。どうせ未来は誰にも分からないのだから、どう考え
ても勝手です。要は今の自分が幸せになれるように未来を勝手にイメージした
り、自分の人生を意味づけすることが大切なのです。

ところで内観法は未来をどう考えているのでしょう。実は内観法ではどうなる
かわからない未来のことはあまり問題にしていません。内観法の最終目的は、
内観の創始者・吉本伊信先生もおっしゃっているように「どんな境遇・逆境に
なっても、喜んで喜んで生きられる心境になること」です。つまり内観法の最
終目的は、自分にとって都合のいい状況を願うことではなく、どんなことが起
きてもそれを肯定的に受け止め、幸せに感ずる心境になることなのです。
 
真の内観者は未来がどうであれ、その起きた事柄すべてを喜びの材料に変えて
いくというわけです。私たちが過去を変えたように、真の内観者はこれから起
きるどんな事柄でも、彼を通すと光り輝く価値あるものに変えるのでしょう。
したがって、内観法にとって未来がどうであるかはたいした問題ではなくなる
のです。未来や過去に関係なく、いつも希望と勇気と感謝に満たされる心境を
目指して、今の自分を見つめ続けることこそが問われるのです。
 
私のような者がこのような心境になるのはとても無理ですが、一歩でも近づく
ために今年も皆様とともに内観の道を歩ませていただきたいと願っております。
本年もよろしくお願い致します。
(この原稿は雑誌『やすら樹』89号に掲載したものを、一部修正、加筆した
ものです。)

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こころをめぐる話-内観に学ぶ

発行周期:  不定期 最新号:  2019/02/15 部数:  612部

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