こころをめぐる話-内観に学ぶ

宇多田ヒカル


カテゴリー: 2018年07月24日
 こころをめぐる話ー内観に学ぶ NO133
                              宇多田ヒカル
                                        
                発行者 白金台内観研修所 本山 陽一
                                    Mail to: zan25224@nifty.com
                       http://www.shirokanedai-naikan.com/index.html

NHKの「SONGスペシャル」で宇多田ヒカルさんを特集していたが、その内容に
感銘させられた。彼女のことは、20年前に「Automatic」でデビューしたとき
から大好きで、それ以後も彼女のニュースが出る度に注目していた。ご両親
の離婚やお母様の藤圭子さんのスキャンダルや悲しい自死、2度の結婚と離婚、
お子さんの誕生等目まぐるしい彼女の人生を遠くから眺めてきた。しかし、こ
の番組には単なるファンの一人としてだけでなく、多くの悲しみを乗り超えよ
うと真理を追究していく彼女の姿に胸を打たれたのだ。

宇多田さんは藤圭子さんが自殺された4日後、公式サイトで下記のようなコメン
トを書いている。
「藤さんはとても長い間、精神の病に苦しめられていました。病気の性質上、
本人の意志で治療を受けることは非常に難しく、家族としてどうしたらいいのか、
何が彼女のために一番良いのか、ずっと悩んでいました。 幼少期から、藤さん
の病気が悪化していく姿を見ていて、症状の悪化とともに、家族も含め人間に対
する不信感は増す一方で、現実と妄想の区別が曖昧になり、彼女は自身の感情や
行動のコントロールを失っていきました。そんな藤さんに、私はただ翻弄される
ばかりで、何も出来ませんでした。」と明かした。

自殺を選んだことには、「母が長年の苦しみから解放されたことを願う反面、彼
女の最後の行為は、あまりに悲しく、後悔の念が募るばかり。」と複雑な心境を
吐露している。その一方で、「誤解されることの多い彼女で、実際には誰よりも
かわいらしい人」で、「悲しい記憶が多いのに、母を思う時心に浮かぶのは、笑
っている彼女」であり、「母の娘であることを誇りに思います。彼女に出会えた
ことに感謝の気持ちでいっぱいです。」と母への思慕を述べている。

長年、内観面接をしていると、幼児期にこういう育ち方をした人に時々出会う。
母親の情緒不安定に翻弄、虐待されながら、一方で、母を失うのではないか、と
いう不安と恐怖の中で、子どもらしい感情を自らのうちに押し込め、悲しいほど
に母を求め、母の機嫌をとる幼児期を過ごしてきた人たちである。こういったケ
ースのほとんどは、成長するに従い、母親を怨み、軽蔑して、自らは社会への適
応に苦しむ大人になっていく。

番組では、宇多田ヒカルさんが、どうやって自らの境遇に立ち向かい精神的危機
を乗り超えてきたかがよく描かれていると思われた。彼女の懸命な生き様が私の
心を揺さぶった。芥川賞作家で芸人の又吉直樹さんとの対談の途中で歌手の小田
和正さんのモニターを二人で鑑賞するという設定がある。小田さんはモニターの
中で彼女の『真夏の通り雨』という曲の中の「降り止まぬ 真夏の通り雨」とい
うフレーズを挙げて褒めた。つまり、「通り雨なのに止まないのか」と何度聞い
てもこのフレーズに彼女の感性のみずみずしさに感動する、と述べているのであ
る。

その小田さんの感想について、宇多田さんは「その瞬間に死ねば、私としては降
り止まない雨になる。私には次の瞬間があるという“前提”がない。」と応え、
自らの幼児期の環境について又吉さんに語り始める。「何が起きるか全くわから
ない。今、世界がこうだと思っても0.5秒後にはすべてがひっくり返る。母が思い
っきり常識にとらわれない人で、学校から帰ると急に、ヒカル、明日からニュー
ヨークに引っ越すよ。

2,3年後には、明日東京に帰るわよ、と言われたり、家の中が険悪になったと思
ったら“もう二度とお父さんに会えないよ”と言われて“え!”と驚くと“離婚
しちゃった”(彼女の両親は7回の結婚、離婚を繰り返している)。もうそんなの
ばかり。安心したいけど安心したら傷つけられるから何も信じないようにしよう。
好きな人がいたらずっと好きでいたい。気持ちのいいことだったら、それが続く
といいなと思うけど、望まないようにしていた。」と自らの人生観が形成されて
きた理由を話した。

彼女の話を聞いていると彼女が心理学を相当勉強してきたのが窺われ、彼女の頭
のよさがわかる。それだけでなく、その勉強の仕方が自らの体験や感覚を言語化
しようとして学んできたようで、理解に深さを感じる。対談相手の又吉さんもさ
すがに芥川賞作家で、人の内面に対する観察が鋭く「それでも、望んでしまう自
分も完全に消しきれない。」と返すと、宇多田さんも「そこが祈りと希望になる。
」と認めていた。

V.E.フランクルは、ユダヤ人の精神科医で、第二次世界大戦でナチス・ドイ
ツの強制収容所に入れられ、その収容所生活の体験をもとに『夜と霧』を著した。
その中で、9割の人が亡くなったと言われる極限状態の中で、ほとんどの囚人は、
生き延びること以外のことに対しては、無感動、無感覚になり、自己防衛をした
が、稀に精神的に高い生活をしていた人がいた。そういう感じ易い人間は、収容
所生活の厳しい環境の中にあっても彼らの精神生活は破壊しなかった。そういう
人々は、屈強な人々より逞しく生きたと述べている。

その理由をフランクルは、恐ろしい周囲の生活から精神の自由と内的な豊かな世
界へと逃れる道が開かれているからだと考えた。破壊的な環境の中でも内面の精
神の自由や豊かな世界に逃げ込むことができれば、精神生活は破壊されないとい
うのだ。これは、宇多田さんのケースにも適応されたと推察される。彼女の内面
には音楽があった。だからこそ、幼児期の破壊的な環境から内面の世界に逃れる
ことができ、精神の破壊を防ぐことができたと考えられる。

事実、番組でもライターの若林恵さんの「音楽とはあなたにとって何ですか?」
という質問に「音楽は私の依りどころで自由な世界。他者を意識しなくて、私ら
しくいられる。」と応えている。音楽プロデューサーの父と歌手の母の間に産ま
れた彼女は、音楽スタジオの中で育ち、幼い頃より音楽に囲まれた生活だったよ
うだ。母親の藤圭子さんは「うちの娘は天才でいつも音楽を口ずさんでいる」と
言っていたというが、いつも音楽を口ずさむことによって過酷な外的な環境から
身を守ってきたのだろう。

彼女が私たちの前に姿を現したのは1998年15歳の時で、衝撃的であった。デビュ
ーアルバム『First Love』は累計売上枚数765万枚を超え(オリコン調べ)、日
本国内の歴代アルバムセールス1位を記録する。それ以後ヒット曲を増産し、マ
スコミの寵児となったが、多忙な彼女は、19歳の時に卵巣嚢腫になり、卵巣摘出
手術を受けた。19歳の少女にとってそれがどれほどの衝撃か想像がつかないが、
大きな精神的危機を迎えたことは間違いない。

その年、彼女は傷ついた心を励ましてくれた男性と結婚し、24歳の時に離婚する。
2010年、27歳の時に人間活動に入ると称して、歌手活動を休止する。拠りどころ
である音楽が15歳で職業になり、単に拠りどころといえなくなった彼女にとって、
12年間の波乱に満ちた多忙な生活から一線を引くことは賢い選択だったと言えよ
う。ロンドンでの普通の暮らしは、今まで体験したことがない静かで平凡な生活
を彼女に与えるが、またしても大きな事件が起きる。

2013年に母親の藤圭子さんがビルから飛び降り自殺したのだ。親の自殺は多くの
場合、残された子どもたちの心に長く傷を残す。誰にも親の死因を話せず、いつ
までも嫌な記憶として子どもたちの人生に蔭を落とす。内観の面接でそのときの
ことを涙ながらに告白することで、過去の記憶から解放されていく姿を多く見て
きた。ましてや、藤圭子さんも宇多田ヒカルさんも有名人である。多くの人々の
前に無惨な事実が晒され、さまざまな反響に耐えなければならない。

当たり前のことだが、彼女の衝撃はすさまじく、事態を受け入れることができず
頭が真っ白な状態が1年間続いたようである。そして、翌年の2014年に再婚し、
2015年に長男を出産する。その後、2016年に『花束を君に』2017年に『あなた』
を発表し、20018年に二度目の離婚をする。簡単に彼女の軌跡を振り返ったが、
本当に波瀾に満ちた人生である。卵巣嚢腫手術、お母さんの自殺という二つの大
きな精神的危機の直後に結婚している。本能的に心の危機を防ぐ選択をしたのか
もしれない。

そして、二度目の結婚では、長男の出産という大きな恵みを得ることになる。こ
の出産が、我が子に対する内面から湧き出る愛情の喜びと大きさを実感させ、彼
女は、自らの両親にも感謝したようだ。出産の翌年には『花束を君に』を発表し、
「(前略)両手でも抱えきれない/眩い風景の数々を ありがとう/世界中が雨
の日も/君の笑顔が僕の太陽だったよ/今は伝わらなくても…/花束を君に贈ろ
う/愛おしい人 愛おしい人/どんな言葉並べても/君を讃えるには 足りないか
ら/今日は贈ろう 涙色の花束を君に(後略)」と母への想いを素直な感情で歌
った。

さらにその翌年『あなた』を発表し、幼い頃から裏切られるのを恐れて、彼女の
中に封印してきた母親に対する子どもらしい素直な感情や願いを音楽にして表出
した。死んだ人間は、裏切らない。生きている人間は何をするかわからないが、
死んでしまった藤圭子は、彼女の溢れる思いを決して傷つけることはない。この
感情を素直に表現することで宇多田ヒカルは、母親の死を受け入れ、乗り超えよ
うとしている、と私は思うのである。



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