歌舞伎素人講釈

メルマガ「歌舞伎素人講釈」第488号

カテゴリー: 2018年12月16日
*******************平成30年12月16日発行****
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    メルマガ「歌舞伎素人講釈」  第488号
                       
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こんにちは、吉之助です。討ち入りの日(14日)を過ぎて東京の寒さも厳
しくなりました。さて本号は、前号に引き続き、「八島語り」についての考
察の後半部分をお届けします。メルマガの配信は、本年はこれを最後にしま
す。なおサイト記事の更新は随時行っていますので、チェックしてみてくだ
さい。

それでは良い新年をお迎えください。

ーーー<今回の話題>ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


○八島語りについて (仮題)     後半部分


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○八島語りについて・その4

ところで、「八島語りの研究」のなかで折口は指摘していませんが、吉之助
は、 八島語りの形が古くから在ったと云う折口の推測が適用できる箇所が、
謡曲「八島」にはもうひとつあると考えています。それは終わり近くの、後
シテ(義経の亡霊)が言う「思いぞ出ずる壇ノ浦の」という詞章のことです。
つまり後の文楽関係者が「道行初音旅」補綴で引用した箇所です。当該箇所
は、義経の亡霊が有名な義経の弓流しの語り、修羅道の戦いの有り様(カケ
リ)を舞ったところで出て来ます。

『また修羅道の鬨(とき)の声、矢叫びの音震動せり。「今日の修羅の敵
(かたき)は誰そ、なに能登の守教経とや、あらものものしや手並(てなみ)
は知りぬ。思いぞ出づる壇ノ浦の、その舟戦(ふないくさ)今ははや、その
舟戦今ははや、閻浮(えんぶ)に帰る生死(いきしに)の、海山一同に震動
して、舟よりは鬨の声、陸(くが)には波の盾、月に白むは、剣の光、潮
(うしお)に映るは、兜の星の影』(謡曲「八島」)

謡曲「八島」はこの後、「春の夜の波より明けて、敵(かたき)と見えしは
群れいる鴎(かもめ)、鬨(とき)と聞こえしは、浦風なりけり高松の、浦
風なりけり高松の、朝嵐(あさあらし)とぞなりにける」で締められます。
だから場面は八島(高松の地)に間違いありません。それでは義経の亡霊が
言う「思いぞ出ずる壇ノ浦の」と云うのは、讃岐国八島の檀の浦のことでし
ょうか。そうではなくて、明らかにこれは長門国壇ノ浦のことを指している
と聞こえます。(ちなみにこれは吉之助だけの解釈ではなくて、小学館の
「日本古典文学全集・謡曲集2」でも当該箇所は 山口県下関市の壇ノ浦を
指すと校註しています。)

義経の亡霊の述懐に現れるのは、まさに舟戦の光景です。しかし、八島合戦
は源氏方の陸からの奇襲で始まったのですから舟戦ではありません。舟戦な
のは、八島の次の、長門国壇ノ浦合戦の方です。そこで壇ノ浦合戦のことを
見れば、合戦の勝負はもはや決し、平家の一門が次々と海に飛び込むなかで、
教経は「ならば敵の大将と刺し違えん」と舟から舟へと飛び移り、敵を薙ぎ
払いつつ、義経の姿を探し回ります。教経がようやく義経を探し出して、組
み付こうとしたその瞬間、義経は飛び上がって舟から舟へ飛んで逃げ去って
しまいます。これが有名な義経の八艘飛びです。「今日の修羅の敵は誰そ、
なに能登の守教経とや、あらものものしや手並は知りぬ」で義経の亡霊の脳
裏にある光景は、教経が義経を目がけて向かってくるその場面に違いないと
聞こえます。

つまり八島合戦から見れば未来になる長門国壇の浦合戦の光景が義経の亡霊
の述懐のなかに入り混じっており、ここでは時系列が交錯しています。しか
し、義経の亡霊にとってみれば、どちらも等しく過去の出来事ですから、記
憶が入り混じることに不思議はないでしょう。義経の亡霊には未来がはっき
り見えているのです。

「また修羅道の鬨(とき)の声」、「今日の修羅の敵は誰そ」、「思いぞ出
づる壇ノ浦の」と云う詞章の流れのなかで、聴き手が思い浮かべるイメージ
は、寄せては返す波の如く、終わったかと思えばまた繰り返される戦乱の日
々、果てしのない修羅の苦しみと云うことです。このイメージのなかに義経
の亡霊は佇(たたず)んでいます。現行の修羅物の多くは、シテが修羅道に
落ちてからの苦しみをあまり強く描いておらず、そのなかでは謡曲「八島」
は修羅道に落ちた義経の苦しみが描写されている方だとされています。それ
は終わり近くの「思いぞ出づる壇ノ浦の」と云う詞章が作り出す「未来永劫
の修羅の道」のイメージから来るのです。(観世信光作と伝わる謡曲「船弁
慶」も同様の発想で書かれたことも明らかです。)ですから古くから伝わる
八島語りのなかに「思いぞ出ずる壇ノ浦の」の詞章が出て来ることが普通に
在ったと思われます。 同様に義太夫の「道行初音旅」に「思いぞ出ずる壇ノ
浦の」の詞章が挿入されたのも、恐らくそんなことが背景にあったのでしょ
う。


○八島語りについて・その5

このように後年の「道行初音旅」補綴は、八島語りの形式を借りて謡曲「八
島」の詞章「思いぞ出ずる壇ノ浦の」を取り入れているのです。しかし、謡
曲が長門国壇ノ浦としているところを、浄瑠璃では讃岐国檀の浦に置き変え
た為に、若干不具合が生じているように思われます。それもこれも「千本桜」
大序冒頭で浄瑠璃(丸本)作者が「天子安徳帝。八島の波に沈み給へば」と
規定したからです。そこで改めてどうして作者はそのような大虚構を大前提
に置いたのかを考えてみたいのです。

そこには恐らく中世から近世初頭にかけて民間に膾炙した、源氏と平家が交
代して政権を担うと云う俗説、いわゆる「源平交代史観」が関係しています。
源平交代史観とは、平安末期に政権を担ったのが平家、平家を討って鎌倉初
期に最初の武家政権(鎌倉幕府)を確立したのが源氏、その源氏が三代で滅
びて幕府の実権を担ったのが北条氏(平家)、さらに室町幕府を開いたのが
足利氏(源氏)と、源氏と平家が交互に 交代して担うと云う歴史認識です。
中世期の因習を破壊しようとした織田信長が桓武平氏を自称したのは不思議
に思いますが、これも源氏の嫡流である足利氏に取って代わる自らの政権奪
取の正当性を主張するためでした。徳川家康 が江戸幕府を開くに当たり清
和源氏新田流を名乗ったのも、それゆえです。そして現代においては年末恒
例の紅白歌合戦にまで尾を引いています。それでは源平交代史観は「千本桜」
のどの辺に出て来るでしょうか。それは二段目「大物浦」で傷ついた平知盛
が義経に対して言い放つ台詞を見れば分かります。

「ムヽさてはこの数珠をかけたのは、知盛に出家とな。エヽけがらはし/\。
そも四姓(しせい)始まつて、討つては討たれ討たれて討つは源平の習ひ。
生き代はり死に代はり、恨みをなさで置くべきか」

知盛は「討つては討たれ討たれて討つは源平の習ひ」と言っています。源平
交代史観が確立するのは実はずっと後世のことですから、知盛は未来の歴史
認識を語っているのです。しかし、江戸期の浄瑠璃作家にとってこれは常識
の範疇です。そして、それは謡曲「八島」にも描かれた修羅道に落ちた義経
の苦しみにも重なって来るでしょう。そこに見えるイメージは、寄せては返
す波の如く、終わったかと思えばまた繰り返される源氏と平家の戦いの日々、
果てしのない修羅の苦しみなのです。

ここまで考えればどうして浄瑠璃(丸本)作者が「千本桜」大序冒頭で「天
子安徳帝。八島の波に沈み給へば」と規定したのか、その意図が見えて来ま
す。「千本桜」のなかで、作者は源氏と平家の争いが長門国壇ノ浦合戦で決
着したと云う形をわざと取りませんでした。「平家物語」の通り壇ノ浦で平
家が滅びましたとしてしまえば、浄瑠璃の世界観はそこで一旦閉じてしまい
ます。事実、「千本桜」丸本も、「平家の一類討ち滅ぼし、四海太平民安全。
五穀豊穣の時を得て、穂に穂栄ゆる秋津国繁昌ならびなかりけり」と云う締
めの詞章で目出度く締められています。時代物浄瑠璃の古典的な感覚からす
れば、普通はこれで十分なのです。何もわざわざ平家が八島で滅んだなどと
虚構する必要などまったくないはずです。

ですから「四海太平民安全。五穀豊穣」云々という結句は、実は形式的なこ
とに過ぎないのです。作者が「千本桜」で敢えて平家は八島で滅んだと云う
虚構を前提にしたと云うことは、作者が時代浄瑠璃の古典的に閉じた感覚を
どこかで破綻させようと云う意図であったに違いありません。つまり作者は、
世阿弥が謡曲「八島」終盤で「思いぞ出ずる壇ノ浦の」という詞章を使用す
ることで意図的に時間軸を混乱させたのと同じ効果を狙ったのです。作者は
源平合戦を讃岐国八島合戦で「寸止め」の形にすることで、「千本桜」全体
を義経を主人公(シテ)とする勝ち修羅の形にして見せました。「千本桜」
では壇ノ浦合戦は永遠に訪れません。だから「千本桜」は完全に閉じてはい
ないのです。これ以後も源氏と平家の争いは決着が付くことがなく、それは
永久運動のイメージとなるのです。これからも戦いの日々は繰り返される。
この世の修羅の苦しみは決して果てることがないのです。

この世の修羅の苦しみは、源氏と平家の間にだけ起こるものではありません。
それは源義経と兄・頼朝との間にも起こります。源平合戦で華やかな活躍を
見せた義経は兄に疎まれ、京都を追われ吉野も追われ、やがて奥州平泉で寂
しく生涯を終えることになりますが、「千本桜」ではそこまでは描いていま
せん。頼朝は征夷大将軍となって鎌倉幕府を開きますが、これも三代で途絶
えてしまいます。「平家物語」の「奢れる者は久しからず、ただ春の夜の夢
の如し」という有名な詞章は、ただ平家にだけ向けられたものではありませ
ん。「平家物語」を語り継いだ琵琶法師たちは、源氏のその後の運命も承知
したうえで、これを語っています。それはこの世の有り様を語っているので
す。


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発行周期: 不定期 最新号:  2019/03/03 部数:  612部

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