歌舞伎素人講釈

メルマガ「歌舞伎素人講釈」第487号

カテゴリー: 2018年12月09日
*******************平成30年12月9日発行****
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    メルマガ「歌舞伎素人講釈」  第487号
                       
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こんにちは、吉之助です。平成30年も残りわずかとなりました。

さて本号でお届けするのは、「義経千本桜」のなかで浄瑠璃作者が
「宝祚八十一代の天子安徳帝。八島の波に沈み給へば」と虚構したのは
何故か、そこに隠された意味を考えると云う論考の前編部分です。


ーーー<今回の話題>ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

○八島語りについて(仮題)    前編

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○八島語りについて・その1

『忠なるかな忠、信なるかな信、勾践(こうせん)の本意を達す陶朱(とう
しゅ)公、功なり名遂げて身退く。五湖(ごこ)の一葉の波枕。西施の美女
を伴ひし。例(ためし)をこゝに唐(から)倭(やまと)、四海漸く穏やか
に、寿(ことぶき)永き年号も、短く立つて元暦と命(みことのり)も革
(あらたま)り。閉ざさぬ垣根卯の花の、皆白旗(しらはた)と時めきて、
武威はますます盛んなり。宝祚(ほうそ)八十一代の天子安徳帝。八島の波
に沈み給へば。後白河の法皇政(まつりごと)を執(とり)行(おこな)わ
せ給ふ。』

「義経千本桜」丸本・大序の冒頭です。大序の冒頭部と云うのは、浄瑠璃の
世界定めを行う大事な詞章で、何時ごろの時代の設定であるか、どのような
物語を語り始めようとしているのか、いろんな情報がここに込められていま
すが、本稿では以下の箇所に焦点を当てて考えてみたいのです。すなわち
「宝祚八十一代の天子安徳帝。八島の波に沈み給へば」の詞章のことです。

宝祚とは皇位のことです。安徳帝は第81代天皇ですが、時は元暦2年/寿永
4年3月24日(西暦1885年4月25日)、長門国壇ノ浦の戦い(現在
の山口県下関市)で母方祖母・二位の尼に抱かれて入水しました。これが栄
耀栄華を誇った平家が滅亡に至った治承・寿永の乱(いわゆる源平合戦)の
最後の戦いでした。元暦/寿永と元号が併記されているのは、寿永3年4月
16日に朝廷が元暦に改元したけれども、平家方が相変わらず寿永を使用し
続けたことに拠ります。平家が滅びた壇ノ浦の戦いの後、元号が元暦に一本
化されたということです。「短く立つて元暦と命も革り」という文句は、そ
の辺の事情が反映されています。ちなみに元暦という元号は、元暦2年8月
14日に文治へ改元がされました。したがって詞章にある通り、元暦年間は
実質的にまことに短かったのです。

ところが浄瑠璃作者は「宝祚八十一代の天子安徳帝。八島の波に沈み給へば」
と、妙なことを言い始めます。安徳帝は八島(=讃岐国屋島、現在は香川県
高松市)の海に沈み給うた、つまり平家は八島の戦いで滅んだと云うのです。
しかし、 屋島の次の戦いである壇ノ浦の戦いで平家が滅んだということは
誰でも知っている歴史的事実です。「昔の人はそういうところの知識が好い
加減なので、あまり深く気にしなかったのだろう」などど考えるのは大きな
間違いで、古くは遊芸の琵琶法師が語った「平家物語」や近くは講談などに
よって平家滅亡の物語は「もののあはれ」を詠うものとして当時の庶民の教
養として在ったものでした。「八島の波に沈み給へば」と云われれば誰でも
「アレッ?何か変だぞ」と思わないはずがありません。もしそれを不思議に
感じないのであれば、そこに作者と観客との間に暗黙に通じる或る認識があ
ったに違いないのです。だから、これは明らかに浄瑠璃作者が確信犯的にそ
うしたのです。そもそも「千本桜」自体が「死んだはずの平家の三人の公達、
知盛・維盛・教経が実は生きていた」という大胆極まる歴史虚構を前提に据
えた時代浄瑠璃です。ですから浄瑠璃作者は「平家は八島の戦いで滅んだ」
と虚構することで何かを意図したと考えなければなりません。本稿ではこの
ことを考えて行きます。


○八島語りについて・その2

「千本桜」で気になる箇所は、他にもあります。それは四段目の「道行初音
旅(吉野山)」です。静御前と忠信の道行きは、やがて中盤で八島合戦物語
となり、忠信が「思いぞ出ずる壇ノ浦の」と言う場面があります。ここで
「壇ノ浦の」という詞章を聞くと、ちょっとギクッとしないでしょうか。し
かも続いて語られるのが、八島合戦の挿話として有名な、悪七兵衛景清と三
保谷の四郎の錣引(しころびき)、続いて忠信の兄・継信の戦死であって、
どちらも壇ノ浦の戦いの挿話ではないのですから、どうしてこうなったのか、
混乱してしまいます。しかし、これには何か理由がありそうです。

実はとても興味深いことですが、八島(屋島)にも壇ノ浦という場所がある
のです。正確には讃岐国ダンノウラは「檀ノ浦」と書いて、漢字が木扁であ
って・土扁ではありません。(ただし浄瑠璃床本には「壇ノ浦」とありま
す。)音が同じ為に、両者がしばしば混同されているそうです。だから上記
「吉野山」で忠信が言うところの「壇ノ浦」は讃岐国檀ノ浦のことを指し、
長門国壇ノ浦ではないとされています。現在の屋島は地続きとなっています
が、当時の屋島は独立した島でした。平家は海側からの舟による攻撃のみを
予想していましたが、源義経率いる源氏方は裏をかいて陸側から奇襲を掛け
て、敗走する平家方との間で屋島と庵治半島の間の檀ノ浦浜辺りが主戦場と
なったようです。

「なるほどそういうことだったか」と納得してしまえば話しはそれで終わり
ですが、吉之助は尚も気に掛ります。それならば「安徳帝は八島の海に沈み
給うた」と大虚構を打ち出す意味はどこにあったのかと云うことです。例え
八島に壇ノ浦があったにせよ、耳で聞く語り物浄瑠璃としては、紛らわしい
ことをしたものだなあと思います。二段目「大物浦」を見ると、ここには典
侍局に抱かれて安徳帝があわや入水と云う場面があって、これは長門国壇ノ
浦での安徳帝入水と重ねられていることは明らかですが、二段目では壇ノ浦
という語句が注意深く避けられています。例えば義経は知盛に対して「その
方、西海にて入水と偽り、帝を供奉し此所に及び」と、西海として何処とも
取れるように曖昧にぼかしており、壇ノ浦とは言っていません。この使い分
けが当然ではなかろうかと思って調べてみると、丸本の「道行初音の旅」に
は「思いぞ出ずる壇ノ浦の」の詞章がやはりないのです。(丸本とは浄瑠璃
の初演時に出版された台本・つまり原典です。)これは延享四年初演時には
ない詞章で、後世に挿入された詞章であったわけです。いつの時期の改変で
あったかまでは分かりません。

但し書きを付けますが、本稿は「道行初音旅」に「思いぞ出ずる壇ノ浦の」
の詞章があるのが間違いだと言っているのではなく、観客の混乱を招きかね
ないのに、なおかつ後世の文楽の 誰かがわざわざそのような詞章の入れ事
をしたくなった、その事情を考察しているのです。そこで現行の浄瑠璃床本
を見ることにします。

『「げにこの鎧を給はりしも、兄継信が忠勤なり。誠にそれよ来(こ)し方
の、思いぞ出づる壇の浦の、海に兵船平家の赤旗、陸(くが)に白旗、源氏
の強者(つわもの)。『あら物々しや』と夕日影に長刀(なぎなた)を引き
そばめ、『何某(なにがし)は平家の侍、悪七兵衛景清』と、名乗り掛け
/\、薙ぎ立て/\薙ぎ立つれば、花に嵐の散々ぱつと、この葉武者、『言
ひ甲斐なしとや方々よ、三保谷の四郎、これにあり』と、渚に丁ど討つてか
ゝる、刀を払う長刀の、えならぬ振舞ひいづれとも、勝り劣りも波の音、打
ち合ふ太刀の鍔元より、折れて引く汐返る雁。勝負の花を見捨つるかと、長
刀小脇にかい込んで、兜の錣(しころ)を引掴み、後へ引く足よろ/\/\、
向ふへ行く足たじ/\/\、むんずと錣を引き切つて、双方尻居(しりい)
にどつかと座す。『腕の強さ』と言ひければ、『首の骨こそ強けれ』と
『ハヽヽヽヽヽヽ』『ホヽヽヽヽヽヽ』笑ひし後は入り乱れ、手繁き働き兄
継信、君の御馬の矢表に駒を掛け据ゑ立ち塞がる、「オヽ聞き及ぶその時に、
平家の方には名高き強弓(つよゆみ)、能登の守教経と名乗りもあへずよつ
引いて、放つ矢先は恨めしや、兄継信が胸板にたまりもあへず真っ逆様」、
あへなき最後は武士の、忠臣義士の名を残す』(「道行初音旅」・現行浄瑠
璃床本 、なお歌舞伎の舞踊「吉野山」もほぼこれに準拠した詞章です。)

上記のなかで、『誠にそれよ来(こ)し方の、思いぞ出づる壇の浦の、』か
ら『手繁き働き兄継信、君の』までの部分が、初演時の丸本にない詞章(入
れ事)です。有名な悪七兵衛景清の錣引の場面を挿入して、前後の詞章が若
干アレンジされています。「道行初音の旅」では、義経の鎧を見た忠信が、
八島で戦死した兄・佐藤継信のことをふと思い出すのが核心ですから、錣引
の場面は本来あってもなくても良いはずです。ここでの継信戦死は淡々と事
実だけ簡潔に描写されています。これと比べると挿入された錣引の詞章が随
分と長めです。これもバランス的に奇妙なことです。しかし、或る事情から、
ここに錣引の場面を挿入してみたくなったのでしょう。恐らくそこに八島合
戦物語・いわゆる八島語りのお約束があるようなのです。


○八島語りについて・その3

「道行初音旅」の「思いぞ出ずる壇ノ浦の」の詞章は、世阿弥作と伝えられ
る謡曲「八島」幕切れ近くの、後シテ(義経の亡霊)の「今日の修羅の敵
(かたき)は誰そ、なに能登の守教経とか、あらものものしや手並(てなみ)
は知りぬ、思いぞ出ずる壇ノ浦の」から 来ています。現行の浄瑠璃床本で
は、この部分を取り 上げて初演時の丸本にない詞章(入れ事)を創作して
いるわけです。「道行初音旅」ではこの詞章の後に錣引(しころびき)の描
写が続きますが、「八島」での錣引 の挿話は前シテ(漁師)の述懐のなか
で語られるものですから、幕切れの「思いぞ出ずる壇ノ浦の」と錣引との関
連はありません。このことは後でもう一度検討することとして、ここでは
「八島」の本文をちょっと見てみたいと思います。

旅の僧が讃岐国八島の浜で塩屋(塩を焼く海人の家)に一夜の宿を借ります。
そこに年老いた漁師(前シテ)が現れ、その昔この地で起った源平合戦の物
語を始めます。

『鐙(あぶみ)踏ん張り鞍笠(くらかさ)に突っ立ち上がり、一院(いち
いん)の御使(おんつかい)、源氏の大将検非違使五位の尉(じょう)、
源の義経と、名乗り給いし御骨柄、あっぱれ大将やと見えし、今のように
思い出でられて候』(謡曲「八島」)

現行の修羅物の多くは世阿弥の作になるそうです。そのなかでも「今のよ
うに思い出でられて候」と云うのは、特殊な書き方であるそうです。この
詞章について折口信夫は「八島語りの研究」(昭和14年2月)のなかで、
あたかもその場所に居合わせた者が語っているかのように書いている、な
るほど「八島」の語りをして歩く者があるならばそういう風にするだろう、
言い換えれば、世間に昔からそんな物語の仕方があったのだと分かるよう
に作者が書いている、つまり謡曲「八島」以前に古い「八島」の語りの形
が伝わっていたのだと推測しています。

古い八島語りの形があったと云う、この根拠として もうひとつ折口が挙
げるのは、漁師(前シテ)が悪七兵衛景清と三保谷の四郎の錣引を語り、
続いて佐藤継信の戦死の場面を語る箇所です。この描写は要領だけで済ま
されて、さらに続く平家方で能登守教経の侍童菊王丸の死も何の説明もな
く突如現れます。菊王丸は教経の矢を受けて倒れた継信の首を取ろうと近
付きますが、駆けつけた弟・忠信が応戦して傷つき、舟に戻されて亡くな
ります。この経緯がまったく省かれています。詞章も場面を早回しにした
みたいで、何となく流れがぎこちない。これは継信や菊王丸の討たれは聴
き手の誰もが知っている挿話だから、長々しい説明は不要だという前提に
立っていると云うのです。こういう言い回しが昔から伝わっていたのかも
知れません。その箇所を引きます。

『これ(景清と三保谷の錣引)を覧じて判官、御馬を汀にうち寄せ給えば
、佐藤継信、能登殿の矢先に かかつて、馬より下(しも)にどうと落つ
れば、舟には菊王も討たれければ、ともにあはれとおぼしけるか、舟は沖
へ陸(くが)は陣へ、相退(あいびき)に引く汐の・・』(謡曲「八島」)

八島合戦は、錣引や、継信・菊王の戦死の他にも、義経の弓流し(謡曲
「八島」では後段に登場します)、那須与一の扇の的など戦物語として
興味ある挿話が豊富で、華やかなイメージがあります。それでいてそこ
はかとなくあはれなイメージもあるのです。これは遡って一の谷合戦で
の、敦盛熊谷組討ちにも適用されますが、とりわけ八島合戦は戦物語の
代表的なもので、戦の話をしても必ず八島になるほど、昔は人気があり
ました。能でも「八島」は勝ち修羅と云って、祝言に属し縁起が良いも
のとされています。歌舞伎でも、例えば「素襖落」のなかで太郎冠者が
那須与一の扇の的を踊るのが踊り手の見せ所となっていますが、実は狂
言の「素襖落」にはこの場面がありません。これは明治期になって松羽
目舞踊に成った時に挿入されたものです。このように何の関係もないど
うでも良いところに、ふっと八島合戦が出てきたりします。八島は縁起
が良い、そこに八島合戦が出て来る必然があるのです。

「道行初音旅」ではせっかくの静御前と狐忠信の道行きとしてウキウキ
した華やいだ気分が欲しいところなのに、丸本の詞章であると、義経の
鎧を見た忠信は八島で戦死した兄・継信のことをふと思い出してしんみ
りしてしまいます。これでは 景事としては何だか面白くないと、後世の
文楽の関係者は感じたのでしょう。そこで伝統の八島語りのスタイルを
借りて、豪快でちょっとユーモラスなところもある錣引の場面を挿入し
てみたと云うことだろうと思います。


(後編につづく)


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発行周期: 不定期 最新号:  2019/03/03 部数:  612部

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