歌舞伎素人講釈

メルマガ「歌舞伎素人講釈」第485号

カテゴリー: 2018年11月18日
*******************平成30年11月18日発行****
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    メルマガ「歌舞伎素人講釈」  第485号
                       
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こんにちは、吉之助です。

すっかり秋になりました。今月の吉之助は公私共に気忙しく、そのせいでサイ
トの連載に間が空いている原稿もあったりもしますが、単発記事の方は小まめ
に追加していますので、時折サイトの方もチェックしてみてください。

さて本号は、今月興行中である、歌舞伎座での猿之助の法界坊、平成中村座で
の勘九郎の斎藤実盛についての、観劇随想をお届けします。歌舞伎界の世代交
代も着々進行している気配ですねえ。


ーーー<今回の話題・1>ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

○平成30年11月歌舞伎座:「隅田川続俤~法界坊」

猿之助初役の法界坊

四代目市川猿之助(法界坊)

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猿之助は芸達者ですから、初役の法界坊が面白いものになることは容易に予
想が付くことです。吉之助の危惧は、猿之助の法界坊が、十八代目勘三郎の
法界坊(串田和美演出)のようなおちゃらけた代物にならないかということ
でした。幸い、これは杞憂に終わったようです。猿之助の法界坊は 動きも軽
快てアドリヴも効いて観客を盛んに沸かせていましたが、法界坊に必要な汚
ならしさ・厭らしさもあって、法界坊の疎外感はそれなりに表現できていま
した。 まあこれは演出とか役者の持ち味とかいろんな要素が関連すると思
います。(もうちょっと抑えても良いかとは思いますが)今後もこの程度に
おふざけを抑えてくれるならば、これはこれで結構だと思います。法界坊は
猿之助の当たり役になることでしょう。

勘三郎の法界坊は、当時(平成17年8月歌舞伎座)のチラシの文言にあっ
たように「皆に汚いと罵られれても、どこか憎めない愛くるしい法界坊」で
した。ホントは汚くないんだ・ホントの心はピュアなんだと言いたいのでし
ょう。しかし、憎めない愛くるしい法界坊では疎外されているとは言えませ
ん。疎外されている法界坊と言うのならば、汚らしくて嫌われていて・本人
は逆にそれを恨みに思って・世を呪っていて・それでも生き抜く欲望はギラ
ギラと人一倍強いのが法界坊なのです。(別稿「先代勘三郎の法界坊」を参
照ください。先代とは十七代目のこと。)まあ勘三郎の法界坊もこの芝居の
ひとつの形を極めたものと云えますし、恐らく勘三郎の代表的な役としてこ
れからも永く記憶されるべきものです。しかし、吉之助のなかの法界坊のイ
メージは、もっと暗いものです。

大喜利「双面」(今回の浄瑠璃外題は「双面水澤瀉」)を見ると、いつも野
分姫のことを哀れに感じてしまいます。この世話物のなかで、野分姫は何だ
か浮いた存在だと思います。実際、この芝居の隅田川の世界という時代構図
はまったく作劇上の方便にしか過ぎないものです。世話の芝居に時代の要素
(野分姫)がひょっこり顔を出すと、それまで軽快に流れていた芝居が面倒
な方向によじれて行くようでちょっと迷惑な感じがあります。手代要助(実
は吉田松若)もどちらかと云えばお組の方に惹かれているようで、野分姫の
ことが煙ったそうです。野分姫は法界坊から「俺がお前を殺すのは要助に頼
まれたからだ」ということを言われて、要助を恨みながら死んでいきます。
その恨みのため野分姫は怨霊となるわけです。法界坊の言ったことは嘘です
けれど、要助にとって野分姫が疎ましかったことは事実なので、まったくの
嘘だとも言い切れない。つまり野分姫は 何となく除け者扱いされているわけ
で、そこにやはり疎外されている法界坊との共通項が出て来ます。こう考え
て初めて「双面」で死んだ野分姫と法界坊の霊が合体して出て来ることの意
味が分かると思います。つまり野分姫と法界坊は或る意味似た者同士なので
す。しかし、野分姫は殺されてもなお疎外されて、あんなに嫌っていた法界
坊と合体させられるというのは、何ともおぞましく、また哀れなことではあ
りませんか。

ドラマ的には法界坊は端敵ですから、本来は殺されたらそれっきりになる程
度の人物なのです。(この点は大事なことなので、強調しておきたいと思い
ます。)けれども法界坊にはまだ強い怨念が残っています。法界坊の怨念は
個人に対するものというよりはこの世の生そのものに対して、もしかしたら
自分自身をも含めたこの世のすべてに対してです。だから疎外感を共通項に
して、野分姫の怨霊に憑り付いてその実体を乗っ取るように法界坊の怨霊が
合体して出現すると云うことです。逆に言えば、法界坊の疎外感はそれほど
に強いということです。「双面」で野分姫の霊が法界坊へ切り替わる瞬間に、
疎外された者たちのこの世への怨念が牙を剥きます。吉之助は作者(奈河七
五三助)がどんな思いでこのようなドッペルゲンガーの怨霊を創造したのか
ということをとても不思議に感じます。実は「双面」の趣向は、それまでに
長い系譜があるものです。これは一人の発想だけで生まれたものではない。
恐らく背景に疎外された者たちの怨念の歴史がこもっていそうですが、これ
についてはいずれまた別の機会に考えることにします。

「双面」では野分姫と法界坊が合体した怨霊は容貌がお組とそっくりで、可
憐な娘と醜悪な破戒坊主を描き分けるところが見どころとされますが、こう
いうところで猿之助の女形の経験が生きて来ます。描き分けると云うよりは、
見ようによってどちらにも見える両性具有のグロテスクさです。その辺のと
ころを猿之助はケレン味を込めずきっちり踊っています。きっちり踊ってい
るから、描くべきものが自然と立ち現れるという感じです。いい「双面」で
あったと思います。


ーーー<今回の話題・2>ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

○平成30年11月平成中村座:「 源平布引滝~実盛物語」

勘九郎の斎藤実盛

六代目中村勘九郎(斎藤実盛)

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十八代目勘三郎七回忌追善ということで、久し振りに平成中村座を見て来ま
した。仮設劇場の平成中村座は収容人数が836席だそうで、これは金毘羅
歌舞伎の金丸座(収容人数は凡そ730席)をひと回り大きくした感じにな
ります。金毘羅歌舞伎の時もそうでしたが、この平成中村座で見ても、やっ
ぱり歌舞伎はこの程度のサイズの劇場で見るのが本来 の形なのだなあと思
います。役者の息遣いが生々しく伝わって来るし、芝居の手作り感がよく分
かります。こういうことは歌舞伎座のような大きい入れ物だと、どうしても
感じ難くなります。現代の 採算重視の興行形態では仕方がないことだと思
いますが、それだけに平成中村座のような小空間での芝居体験は、江戸時代
の劇場の疑似感覚を味わえるだけでも貴重なことです。

さて勘九郎の実盛は、これで三演目だということです。前回は勘九郎は平成
25年(2013)5月明治座で実盛を演じました。この時の勘九郎の実盛
は教えられた型をきっちり勤めようという感じが強くて、ちょっと暗い印象
がしたものでした。実は吉之助は、この点は父である故・十八代目勘三郎の
実盛についても、似たような印象を持っています。勘三郎は法界坊や野田歌
舞伎ではあれほど軽妙で自在な演技を見せたのにも係わらず、これが型もの
になると一転して「型を守って真面目にやってます」と云う感じが強くなっ
て、印象が妙に重ったるくて暗かったのです。襲名時の盛綱なども同様で、
晩年になるほど、そうした印象が強くなってきました。これについては別稿
「勘三郎の法界坊」で触れたのでそちらをお読みいただきたいですが、役者
・勘三郎の芸を考える時の、とても大事なポイントであると思っています。
これは勘三郎のようなサラブレッドで周囲から伝統の歌舞伎を背負うことを
期待され続けて来た人だけが感じる重圧であったと思います。ですから勘三
郎は表向きにはパッと明るくて天真爛漫な人柄に見えたと思います(その評
価はそれはそれで正しいにしても)が、内面は結構思い詰める真面目なとこ
ろがあったと思います。恐らく勘九郎は気質的にそのような父・勘三郎の真
面目なところを受け継いでいるのでしょう。もちろんこれは美質と云うべき
であるし、また役者としての美質とせねばなりません。そこから勘九郎なり
の実盛を掘り下げてもらいたいと思います。

「平家物語」での実盛の死は、後世の人々が「武士たる者の理想の死に方だ」
と讃えたものでした。歌舞伎の実盛は爽やかな生締役の代表的なものとされ
ます。しかし、バッと華やかなだけの実盛では、深味が足りなくてちょっと
困る。「実盛物語」の実盛は、24年後に加賀国篠原で太郎吉に討たれる 陰
惨な運命を背負っているのですから、その横顔にどこか暗い陰りが差してい
るのです。そこに「もののあはれ」があるのです。しかし、だからと云って
暗い実盛も、やはり困ります。だから華やかさと暗さの、そのどちらもが必
要です。役が持つ華やかさと暗さとの塩梅が、実盛という役の難しいところ
になります。

角度を変えて見るならば、実盛という時代物の役が持つ暗さ(武士の死すべ
き運命の重圧、武士はそのような運命と一体化した存在として概念化されま
す)というものは、実は「物語り」とか、竹本の三味線のリズムに乗った、
人形に似せたギクシャクして不自然な、型もの的な動きとなって表れて来る
と思います。だから勘三郎の、伝統の重圧から来る暗さというものが、実盛
の本質とどこか重なって来るものがあるのです。しかし、残念ながら、ちょ
っと暗さが勝ち過ぎたところがありました。役が持つ華やかさと暗さとの塩
梅が大事なのです。息子である勘九郎の実盛についても、そこのところが課
題となると思います。

今回(平成30年11月平成中村座)の三演目になる勘九郎の実盛ですが、
だいぶ練れた感じになって来たし、役の大きさも出て来たと思います。しか
し、やはり真面目さが立つ感じがあるのは、そこは勘九郎だなあと思います
ねえ。実盛と云う役の、本質的な暗さを捉えていることは、そこは良い点で
あるのです。もうひとつパッとした華やかさが加われば、いい実盛になると
思います。何と云いますかねえ、もっとご機嫌に演じればいいのです。

ひとつ工夫の余地があるのは、義太夫狂言のリズム感だと思います。台詞に
ついて云えば、時々台詞の末尾を大きく張り上げて引き伸ばすところが聞こ
えます。そういうところで義太夫のリズムから外れて、役のキリリとした印
象が崩れます。これが勘九郎の実盛を重い印象にしています。「物語り」で
の竹本との掛け合いは、まるまる糸に乗ってしまってはいけませんが、まっ
たく離れてしまっては面白さが出ません。付かず離れず、そういうところに
「物語り」の当意即妙の面白さがあるのですから、そこで義太夫のリズムを
利用しない手はないのです。まあそんなことなど考えますが、時代物役者と
しての勘九郎の成長が感じられた舞台であったと思います。


本号に関連するサイトの記事
(十八代目)勘三郎の「法界坊」
http://kabukisk.com/butai25.htm


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発行周期:  不定期 最新号:  2019/03/22 部数:  612部

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