=== RPE Journal=================================================== ロシア政治経済ジャーナル 号外 2006/10/2号 ================================================================= ★ロシアに情報戦で勝利した日本 もう一度こんにちは! 北野絶対お薦めのJOGをじっくりお楽しみください。 北野絶対お薦め! 国際派日本人養成講座の登録は ↓ ★無料! http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/ ■■ Japan On the Globe(464)■ 国際派日本人養成講座 ■■■■ 地球史探訪: サムライ達の広報外交 〜 米国メディアにおける日露戦争 彼らは卓越した英語力で、日本の立場を語り、 アメリカ国民を味方に引きつけた。 ■転送歓迎■ H18.09.23 ■ 34,261 Copies ■ 2,227,386 Views■ 無料購読申込・取消: http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/ ------------------------------------------------------------ 国際派日本人養成講座・総集編(電子ブック版)8月版発売開始 定価 \800(税込み) 創刊号から8/13号まで、インターネット接続不要で読めます。 今回より、姉妹紙 JOG Wing の一部の記事も収録。 http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jog/jog_buy.htm ------------------------------------------------------------- ■1.米国メディアを賑わせた日露戦争■ 1904(明治37)年2月、日露戦争が始まると、その戦況ニュ ースがアメリカの新聞や雑誌を賑わした。TOGO(東郷連合艦隊 司令長官)、NOGI(陸軍第3軍司令官)、KUROKI(第2軍司令 官)など、英語らしくない名前が紙面を飛び交った。 ニュースだけではない。開戦直後、3月2日付けの『ニュー ヨーク・タイムズ』紙には、和服姿のKAKUZO OKAKURA(岡倉覚 三、天心)の写真とともに、記者の質問に答えた記事が掲載さ れた。別のページには、BARON KANEKO(金子男爵)のインタビュ ー記事が載っている。 二日前の『ニューヨーク・デイリー・トリビューン』誌には、 TOYOKICHI IYENAGA(家永豊吉)のカルチャー・センターでの 講義を取材した記事が掲載されていた。 この年、10月に出版された岡倉天心の『日本の覚醒(The Awakening of Japan)』は、半年間で全米売上第4位となった。 翌月に出た朝河貫一の『日露衝突(The Russo-Japanese Conflict)』は、書評誌『サタデー・ブック・レビュー』で 「クリスマス・プレゼント本100選」の一冊に選ばれた。 この時期ほど、日本人の言論が米国のメディアを賑わせた事 はなかったろう。そして達意の英文で語られた彼らの品格ある 教養と思想は米国民を魅了し、親日世論を湧き興して、日露戦 争での日本の立場を大いに強化したのである。 ■2.金子堅太郎の米国世論工作■ 米国メディアで活躍した筆頭は、金子堅太郎男爵である。か つてハーバード大学ロースクールで法律を学び、セオドア・ル ーズベルト大統領とも同窓だったという縁で、日本政府からア メリカでの世論工作のために送り込まれた人物だった。 開戦1ヶ月後の1904(明治37)年3月に米国入りした金子 堅太郎は、かつての留学の地ボストンではなく、新聞や雑誌な どの本社が集中するニューヨークに腰を据えた。 ニューヨークでは、スチュワート・ウッドフォード将軍が金 子のために200人を超える政財界の大御所、軍高官、学者な どを招待して盛大な歓迎パーティーを催してくれた。将軍はか つて日本訪問中に金子の世話になり、急速な近代化や、勤勉で 礼儀正しい国民性に強い感銘を受けていた。 日本は緒戦の勝利以降、大きな戦果を上げておらず、逆に、 ロシア海軍の名将マカロフが旅順に覇権され、予断を許さない 状況だった。そこにマカロフの乗る戦艦ペトロパブロフスクが 日本海軍の機雷に触れて爆沈したというニュースが飛び込んで きた。ロシアに流れかけたムードを引き戻す絶好の機会である。 ■3.「我が国は、その門戸開放のために戦っているのです」■ 食事と歓談の後、主催者ウッドワード将軍が金子を歓迎する スピーチを述べると、金子は演説を始めた。 私も我が国も、実に多くをアメリカに負っています。 と切り出した金子は、ペリー来訪の後、日本は門戸開放政策 をとり、アングロ・アメリカン(英米)文明を採用した、と述 べた。「文明開化」をアメリカ人向けに説明すれば、こういう 言い方になるだろう。そしてその英米文明を中国と韓国に導入 しようとした過程で、ロシアと敵対することになった、と説明 した。 私たちは、領土的な野心や好戦心のために戦っているの ではありません。アングロ・アメリカン文明の極東への導 入のために戦っているのです。ペリー提督は、私たちに門 戸開放を授けてくれました。今、我が国は、その門戸開放 のために戦っているのです。[1,p84] 会場から拍手が沸き起こった。「門戸開放」とはルーズベル ト大統領やヘイ国務長官が対中基本政策としていた方針である。 その言葉を繰り返し使うことで、日本はアメリカと方針を共に している、と印象づけたのである。 ■4.「日本の貴族、マカロフを称える」■ 演説のクライマックスは、後半に訪れた。 ここに御列席の多数の方々はマカロフ大将を御承知であ ります。大将は世界有数の戦術家である。この人が死なれ た。わが国は今やロシアと戦っている。併(ただ)し一個 人としては洵(まこと)に其(その)戦死を悲しむ。・・ マカロフ大将も国外に出て祖国のために今やまさに戦わん とする時に望んで命を落としたことは残念であろうが、こ の戦役において一番に戦死したことは露国の海軍歴史の上 に永世不滅の名誉を輝かしたことであろうと思う。私は茲 (ここ)に追悼の意を表してもって大将の霊を慰める。 [1,p85] 戦死した敵将の霊を慰めることは武士の習いであった。当時 のアメリカの上流階級はイギリスの騎士道の気風を受け継いで いたであろうから、金子のマカロフ哀悼は強い共感を呼んだ。 翌日の新聞は「日本の貴族、マカロフを称える」(『ニュー ヨーク・ヘラルド』紙)、「マカロフの賛辞を捧ぐ」(『ザ・ サン』紙)と伝えた。以後、金子には晩餐やパーティーへの招 待状が山のように届き、どれに出席するか取捨選択しなければ ならないほどだった。 ■5.「夜が明けても全部を聴かなければ帰らぬ」■ 4月28日では、母校ハーバード大学で講演を行った。留学 時代から演説の研鑽を積んでいたので、講演は得意だった。 金子は三国干渉による遼東半島の返還から、ロシア軍の満洲 における不当な居座り、そして朝鮮半島進出までの経過を説明 した。ここまでで1時間半も経ってしまったので、講演を打ち 切ろうとすると、聴衆は総立ちになって「ノー、ノー」と叫び、 「今夜は貴下の演説を聴きに来たのだから夜が明けても全部を 聴かなければ帰らぬ」と言い出した。 そこで、金子はさらに45分を費やし、ロシア側の主張を徹 底的に反駁した。日本の宣戦布告があまりに急で戦闘に備える 暇がなかったというロシア側の批判に対しては、前年4月以来、 ロシア海軍は戦艦3隻、巡洋艦5隻など19隻を増強し、ロシ ア陸軍も歩兵2個旅団、砲兵2個大隊など40万人を増派して いた、と詳細なデータを挙げて反駁した。 日露戦争はキリスト教徒と異教徒の戦いだ、というロシア側 の宣伝に対しては、日本は仁川沖の海戦で損傷した軍艦「ワリャ ーグ」の負傷者を日本の赤十字病院に収容し、死者は衣服を改 めて陸上でキリスト教の葬儀を行った。ところが満洲やウラジ オストックでは、ロシア人官吏は在留邦人を抑留し、虐待した。 日本人とロシア人のどちらの行為がよりキリスト教主義に適っ ているか、と聴衆に問いかけた。 翌日の『ボストン・ヘラルド』紙は、金子の演説の内容を余 すところなく伝え、「彼の成功は真に驚嘆に値する」と述べて、 シーザーを追悼するアントニウスの歴史的演説に勝る、とまで 激賞した。 ■6.「ロシアは文明のレベルで決定的に日本に劣っている」■ ボストンでの講演の後、金子の広報活動は完全に軌道に乗っ た。ボストン、ニューヨーク、ワシントンを往来しながら、講 演、晩餐会でのスピーチ、そして毎月のように新聞や雑誌への 寄稿と、まさに八面六臂の活躍を続けた。 もともと判官贔屓で日本を応援していた米世論は、金子の冷 静かつ品位のある主張に触れて、ますます親日的になっていっ た。当時の駐米ロシア大使カシニーの娘マーガレットはこう書 いている。 ルーズベルト大統領、ヘイ国務長官、そして米国政府全 体が、公には中立だったにもかかわらず、すさまじいまで に感情的に親日になっていました。父は怒りのあまり髪を かきむしりながら、ジョン・ヘイや皆に言ったものです。 いつの日か米国は、この選択を後悔するだろう、と。 [1,p148] ロシアも金子の活動に対抗するように、広報外交官としてエ スパー・ウフトムスキー公爵を派遣した。カシニー大使とウフ トムスキー公爵は、日本人が勝てば、中国人を指導して近代的 軍隊を作り上げるだろうと、「黄禍論(かつてのモンゴルのよ うに黄色人種が白色人種を侵略する)」を持ち出したが、その 受けははなはだ悪かった。ロシアが満洲を占領して、米国を占 めだしてきた経緯から見て、こういう言い分には説得力がまっ たくなかった。 『ハーパーズ・ウィークリー』誌はロシア寄りの記事を載せる 数少ない雑誌の一つで、日本公使館はロシアに買収されている と睨んでいた。そこに公爵の日本批判丸出しの一文が掲載され ると、読者から次のような反論が寄せられた。 試しに、貴誌の読者諸賢にウフトムスキー公爵の論評と、 ほぼ2、3日おきに新聞で報道される金子男爵の演説を比 べてみてもらいたい。金子男爵の慎み深さと真にキリスト 教的な奥床しさと、ウフトムスキー公爵の尊大な発言とを。 結局、少なくとも論理的思考力、判断、演説という点にお いて、ロシアは文明のレベルで決定的に日本に劣っている、 と認めることになるだろう。[1,p164] ■7.「同じような克己心をもってフランクリンは、、、」■ 日本政府の意向を受けた金子堅太郎に対して、純粋に私人の 立場から、しかもきわめて学問的に日本を擁護したのが、ダー トマス大学講師の朝河貫一であった。日露開戦の9ヶ月後に出 版された著書『日露衝突』では、ロシア側が最初から満洲を独 占するつもりであったことを編年的に明らかにし、そのうえで 日本は満洲における機会均等と清国の主権尊重を死守するため にロシアに戦いを挑んだのであり、それは米国の外交方針と完 全に一致する、と主張した。 『日露衝突』は学問的な著作であったが、多くの新聞、雑誌の 書評欄で絶賛された。『ニューヨーク・タイムズ』紙の書評は 次のような賛辞を送った。 日露戦争に関しては、様々な形で取り上げられてきたし、 今後さらに書かれるだろう。しかし、これまでのところ、 この戦争の原因と争点について、明白でしかも公平な態度 で論じたものはなかった。本書では、それが立派に成し遂 げられている。[1,p133] 『ネイション』誌の書評では、「作者の国籍は、もし明かさな ければほとんど推測できないのではないか」とまで述べ、次の ように結んだ。 本書の特徴は、口論中の人がよく使う類の口調や表現を 抑制している点にある。そして悲しいかな、ロシア側には このような姿勢は欠如している。本書を読むと、ある戦争、 そして自国の弁護のためになされたある主張に思い至る。 同じような克己心をもってフランクリンはアメリカ植民地 における実情を世界に示し、リンカーンは南部に対する北 部の真実を述べたのだった。[1,p136] ■8.岡倉天心の『日本の覚醒』■ 朝河貫一の『日露衝突』と前後して、岡倉天心の『日本の覚 醒』が出版された。その主張は、日露戦争は西洋物質主義と東 洋精神主義の戦いであり、ここで東洋が滅びるわけにはいかな い、という西洋物質文明批判である。岡倉の英文処女作『東洋 の理想』はイギリスで出版され、ルーズベルト大統領も、日本 人の精神は偉大で素晴らしく高遠な面が見られる、と感想を述 べている。 天心は講演で「あなた方は富を求めて狂奔するあまり、絵画 の前に長くたたずむ時間の余裕を持たなくなっています」と辛 辣な批判をしながらも、「私の言い方に立腹しないようにして 頂きたい。日本はあなた方の後を追って、芸術を大切にしない ことを一生懸命学んでいるところなのです」といなしてしまう 話術で観衆を魅了した。 『日本の覚醒』は、全米の新聞15紙、雑誌10誌の書評でお おむね好意的に取り上げられた。『クリティック』誌はこう評 した。 もし出版社による序文で述べられていなければ、本書が 全編岡倉氏によって英語で書かれたということに、読者は まず気がつかないだろう。それは単に英語で書かれている だけではない。その英語は立派で、想像力が表現豊かに高 揚する時にのみ、日本芸術家の感覚が垣間見られる。 [1,p122] ■9.文明の利器と古武士の精神■ シカゴ大学の社会人講座の講師だった家永豊吉は、シカゴを 中心に講演活動を行っていた。そのテーマも「なぜ日本には罵 り言葉がないか----女性の影響を受けた日本語の穏やかさ」な ど、好戦的な日本人というイメージを払拭する内容を盛り込ん だりした。機知に富んだ言い回しや、茶目っ気のある皮肉で、 聴衆の笑いと喝采を呼んだ。 ヨネ・ノグチ、こと野口米次郎は英詩集を英米で出版し、 「東洋のホイットマン」との評判を得ていた。日露戦争が始ま ると、戦争とは直接関係ないが、日本の出版文化に関する論評 を次々に発表した。こうした大衆文化の世界でも、日本が先進 国の仲間入りしつつある事をアメリカ人読者に印象づけた。 金子堅太郎、朝河貫一、岡倉天心、家永豊吉、野口米次郎。 アメリカのメディアでこれほど日本人が登場した時期は、これ 以前も、これ以後もなかった。当時の日本人と接したあるアメ リカ人は、金子堅太郎に次のように語っている。 今日の日本というのは、維新前の封建時代の武士道とい うもので訓練した精神がまだ残っている。それに欧米の文 明的の学術技芸を輸入して加味したから、精神は日本の古 武士である。それに文明の利器を与えたからこれは実に強 い人種である。一面には封建の武士であって、一面には二 十世紀の文明の利器を持った人種である。こういう人種は 世界にはない。[1,p54] 彼らの英語力とは、文明の利器の一つであった。それを通じ て語られた古武士の精神、すなわち彼らの品格ある教養、思想、 学問、芸術、歴史伝統がアメリカ人を魅了したのである。彼ら こそ真の国際派日本人だった。 (文責:伊勢雅臣) どうでしたか?(北野) 「昔の日本人ってすげえ〜〜!!!」 と感動すると同時に、 「私も、偉大な先祖に恥じないよう、がんばろう」と思いました。 北野絶対お薦め! 国際派日本人養成講座の登録は ↓ ★無料! http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/ ================================================================= ○メールマガジン「ロシア政治経済ジャーナル」 発行者 北野 幸伯 Copyright (C) RPE Journal All Rights Reserved. 358 アドレス変更・解除は http://www.mag2.com/m/0000012950.htm =====================================RPE Journal================= このメールマガジンは、インターネットの本屋さん『まぐまぐ』を 利用して発行しています。( http://www.mag2.com/ ) 358