宮沢賢治 Kenji Review

宮沢賢治 Kenji Review 396

カテゴリー: 2006年09月23日
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--宮沢賢治---Kenji-Review-----------------------------------
-----------------------------------第396号--2006.09.23------
--〔今週の内容〕--------------------------------------------

「「旅人のはなし」から」「ポランの広場」

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http://www.kenji.ne.jp/

(連載)志摩直人/中村哲さんのこと
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--〔話題〕--------------------------------------------------
「「旅人のはなし」から」
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 今回から「初期断章」を紹介していきます。今回の「「旅人のは
なし」から」は宮沢賢治が盛岡高等農林時代に参加していた同人誌
「アザリア」の第1号に掲載されたもので、賢治の散文作品の先駆
けとなるものです。

 仏典の寓話を思い出させるような話です。でも正直に言ってあま
り意味はわからないです。

 最後には「この旅人のはなしを又書きたいと思ひます。」と書か
れています。後の作品のいくつかは、この言葉が実行されたものか
もしないと思ったりします。

 「アザリア」はこの後も継続して発行され、賢治はこのような作
品と短歌を投稿しています。作家宮沢賢治の出発点でもあり、青春
の思い出でもある、「アザリア」に集まったのは、賢治の貴重な仲
間たちです。

 後に親交があり、賢治が改宗を迫った保阪嘉内もその中の一人で
した。主要なメンバーであった小菅健吉、保坂嘉内、河本義行と賢
治がそろった写真が残されています。

 下で紹介している「宮澤賢治関係資料」のページで見ることがで
きます。書籍などでおなじみのものですが、改めて見ると感慨深い
ものがあります。


--〔BookMark〕----------------------------------------------

賢治の星の年譜
http://www.bekkoame.ne.jp/~kakurai/kenji/history/kenji_h3.htm

--〔↓引用はじめ〕------------------------------------------

大正6年(1917年) 21才

盛岡高農3年 ロシア革命。

1月4日、家の商用で上京。

1月8日、皆既月蝕。

3月17日、再び特待生となり、旗手を命ぜられる。『校友会会報』
に筆名「銀校」で短歌「雲ひくき峠等を発表。」

4月、盛岡中学に入学した弟清六と盛岡市内に下宿。

7月1日、小菅健吉、保阪嘉内らと同人誌『アザリア』を創刊。短
歌「みふゆのひのき」、短編「『旅人のはなし』から」などを発表。

7月25日、保阪嘉内と岩手山登山。

8月28日、同級生らと江刺郡地質調査のため種山ヶ原などをまわる。

9月3日、友人保阪嘉内あての葉書(書簡40)を出す。

9月16日、祖父、喜助死亡。

10月21日、弟、清六らと岩手山登山。作品「柳沢」を制作。

12月28日、皆既月蝕。

--〔↑引用おわり〕------------------------------------------
 
宮澤賢治関係資料
http://www.museum.iwate-u.ac.jp/shiryoukan/shiryoukan.html

--〔↓引用はじめ〕------------------------------------------

 宮澤賢治は1915年(大正4年)から1920年(大正9年)の間、盛岡
高等農林学校農学科第二部(後の農芸化学科、現在の農業生命科学
科)の本科生および研究生として在籍しました。

 賢治は色白で、人を引きつける独特の笑顔のまじめな学生であり、
級長、特待生、旗手などをつとめました。また、仏教に関心をもち、
短歌などもよくし、文芸同好会(アザリア会)や校友会での活躍を
通して、友らとの親交を深め、さらに山野をかけ回っては自然との
交感も重ねる学生でした。
   
 同人誌「アザリア」は賢治と小菅健吉、保坂嘉内、河本義行が中
心となり、大正6年7月1日第1号を出した。 

 前列左から、小菅、河本、後列左保坂と賢治

--〔↑引用おわり〕------------------------------------------

自然観察園のみどころ
http://www.museum.iwate-u.ac.jp/shizenkansatu.html

--〔↓引用はじめ〕------------------------------------------

 自然観察園は、高等農林学校時代の植物園を引き継いだもので、
種類ごとに植物を植えた分科園、岩手山と早池峰山を模し高山植物
を植えた岩山、水生植物を植えた瓢箪(ひょうたん)池、花壇など、
植物園として整備されたようです。

 1915年(大正4年)、高等農林学校に入学した宮澤賢治は、この
植物園に関心を持ち、ここで2首の短歌を詠んでここを舞台装置と
した『「旅人のはなし」から』を残しています。そして、賢治関連
の著書にしばしば載る賢治と学生5人の写真の背景には、分科園が
写っています。

 その後、植物園から自然観察園となりましたが、設置からほぼ一
世紀に近い時の流れの中で、園内に2棟の建物が建てられたり、台
風などの自然災害に遭い植物園時代の植物や景観は変質したり、
消失したりしました。

 しかし、この100年は木々を育て続けました。4階建をはるかに超
す30m以上の樹木が多く、オニグルミの果実を探すリスも講義室の窓
から見ることができます。

--〔↑引用おわり〕------------------------------------------

ポランの広場
http://www.museum.iwate-u.ac.jp/shiryoukan/poran.html

--〔↓引用はじめ〕------------------------------------------

 “ポランの広場”とは、宮澤賢治の幻想豊かな同名の童話から名
付けられました。その不思議な「ポランの広場」ではオーケストラ
が奏でられ、ツメクサの明かりと銀河の微光に洗われ、ゆかいに歌
い明かす広場であったといいます。

 まさしくその「広場」こそは学生時代そのものであり、旧本館は
その象徴でもありました。

 平成6年の重要文化財指定にあたり、学内よりのアプローチとし
て旧本館(盛岡高等農林学校当時)と現在の絆を結ぶ“ポランの広
場”が設けられました。

 ポランの広場には水平型日時計 兼 凹型赤道環日時計(盛岡太陽
時基準)があります。

 この日時計とこの説明板は、宮澤賢治の描いた楽器(チェロ)と
譜面台の関係を表現したものです。

--〔↑引用おわり〕------------------------------------------

--〔今週の作品〕--------------------------------------------

     「旅人のはなし」から

 ずっと前に、私はある旅人の話を読みました。書いた人も本の名
前も忘れましたが、とにかく、その旅人は永い永い間、旅を続けて
ゐました。今頃もきっとどこかを、どこかで買った、洋傘を引きず
って歩いてゐるのでせう。今思ひ出したくらゐ、その、はなしを書
きます、事によったら、いつのまにか他の本のはなしも雑ってゐる
のでせう。

 ある時、その旅人は一人の道づれと歩いて、ゐました、よく晴れ
た日で、二人の瞳の中には空や、山や、木や道やが奇麗に、さかさ
まに、写ってゐました。道づれの旅人が黙ってゐるので、この旅人
も黙って歩いてゐました、ふと鴨が一疋、飛んで過ぎました、道づ
れの旅人は

「あれは何でございませうか。」ときゝました、

「鴨です」となんの気もなく旅人も答へました、

「どこへ行ったでせう。」

「飛んで行ったじゃ、ございませんか。」

 道連れの旅人は手をのぱして、この旅人の鼻をギッとひねりまし
た、旅人はびっくりするひまもなく、「ア痛ッ」とか何とか叫びま
した、

 そしたら道連の旅人が申しました、

「飛んで行ったもんかい」旅人は、はっと気がつきました。それで
も、も少し旅をしなければ、ならないと思ひました。多分そうでせ
う。

 旅人は、それよりも前に、ある支郡の南部の町に参りました、非
常に暑い日で、ございました、自分の影法師を見ながら歩いてふと
空を見上げますと青空に大きな白い自分の影法師が立ってゐました、
みなさんもそんな事に会ったでせう。町の真中の広い道はたゞ、こ
の旅人一人が歩いてゐました、その時、向ふからガランガランと大
きな音がします、見ますとそれは汚ない乞食坊主でした、大きな鈴
を振って歩いてゐるのです、口の無暗に大きな男で眼玉はギラギラ
と光ってゐました、その晩旅人は宿屋で、あした町はづれの小山で
面白い事があると云ふ事を、きゝました、翌日旅人はそこに行って
沢山の見物人と一所に立ってゐました、そこへ昨日の乞食が例の大
きな鈴を鳴らして向から来ました、みんなはがやがや云ひました、
乞食は木で作った箱の様なものを持ち出して、その中へ入りました、
蓋も誰かゞしたでせう、暫らくの間、みんなで、しんとして見てゐ
ました、何もありませんでした。みんな少しがやがや云ひました、
その時空中にガランガランガランと昨日の鈴の音が烈しくしてやみ
ました。みんな初めは青くなってゐましたが、とうとうその箱の蓋
を開いて見ましたが、もはや何も居ませんでした、

 旅人はある時、「戦争と平和」と云ふ国へ遊びに参りました、そ
こで彼はナタアシアやプリンスアンドレイやに合ひました、悲しみ
やら喜びやらの永い芝居を見てしまって最早この国を出やうとする
とき六かしい顔をしてその国の王様が逐ひかけて参りました、

「オイオイ、君は私の本当の名前を知ってゐるか。」と申しながら
一層こみ入った様な顔してその王様はくるりと後を向いて行きまし
た、

 旅人は行く先々で友達を得ました、又それに、はなれました、そ
れはそれは随分遠くへ離れてしまった人もありました、旅人は旅の
忙しさに大抵は忘れてしまひましたが時々は朝の顔を洗ふときや、
ぬかるみから足を引き上げる時などに、この人たちを思ひ出して泪
ぐみました、

 どうしたとてその友だちの居る所へ二度と行かれませうか、二つ
の抛物線とか云ふ様なものでせう、

 旅人はあるときは、すっかりやつれて東京で買った白い帽子も服
も土に染められ髪は延びはて一靴のかゝとは無くなったときもあり
ました、それでも又イタリヤのサンタリスク先生の所へ御客になっ
て暫らく留まり、こゝを出る時は新しい旅人の形になるのでした。

 旅人は決して一年一ぱい歩いてゐるのでもありませんでした、王
様のない国へ行っては王様に二年半ばかりなったり、ひどい王様の
国へ行っては、王様の詩を朗読しなさるときに菓子を喰べてゐたと
云ふ罪で一火あぶりになる筈の子供の代りになって死んだり致しま
した、さてさて永い旅でございました、この多感な旅人は旅の間に
沢山の恋を致しました、女をも男をも、あるときは木を恋したり、
何としたわけ合やら指導標の処へ行って恭しく帽子を取ったり、け
れども、とうとう旅の終りが近づきました。旅の終とは申すものの、
それはこの様なやはり旅の一部分でございました、

 あるとき一つの御城に参りました、その御城の立派なことは何に
たとへませうか 道ばたに咲いてゐるクローバアの小さな一つの蝶
形花冠よりもまた美しいのでした。年老った王様が、こゝに居りま
した、その国の広い事、人民の富んでゐる事、この国には生存競争
などゝ申す様なつまらない競争もなく労働者対資本家などゝいふ様
な頭の病める間題もなく総てが楽しみ総てが悦び総てが真であり善
である国でありました、決して喜びながら心の底で悲む様な変な人
も居ませんでした、この御城を一寸のぞいて見ましたら王様がつか
つかと出て来ました。旅人はびっくりして逃げやうとしました、そ
の時王様にだきつかれて居ました、旅人は此の王様の王子だったの
で、ございます、王様は此の王子の為にこの国を作りました、それ
に其子は東京で買った白い帽子をよごし洋傘の骨を何返も修繕して
貰ひながら永い間、歩いて居ったのでございました、王子は永い旅
に又のぼりました、なぜなれば、かの無窮遠のかなたに離れたる彼
の友達は誠は彼の兄弟であったからでありました、それですから今
も歩いてゐるでせう。

 盛岡高等農林学校に来ましたならば、まづ標本と農場実習を観せ
てから植物園で苺でも御馳走しやうではありませんか。

 新しい靴を買って来て、この旅人のはなしを又書きたいと思ひま
す。 

(校本全集11 「生前発表初期断章」より)
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--〔作品〕--------------------------------------------------

     ポランの広場
               (「ポランの広場」の歌(一))

つめくさの花の咲く晩に
ポランの広場の夏まつり
ポランの広場の夏のまつり
酒を呑まずに水を呑む
そんなやつらがでかけて来ると
ポランの広場も朝になる
ポランの広場も白ぱっくれる

つめくさの花のかほる夜は
ポランの広場の夏まつり
ポランの広場の夏のまつり
酒くせのわるい山猫が
黄いろのシャツで出かけてくると
ポランの広場に雨がふる
ポランの広場に雨が落ちる


(校本全集6 「歌曲」より)
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--〔後記〕--------------------------------------------------

 宮沢賢治学会の定期大会で花巻に来ています。懇親会で何人もこ
のメールマガジンを講読されている方にお会いできました。あらた
めて日頃のご講読に感謝します。

 今日は午前中で終わるようですので、午後からは五輪峠まで行っ
てみようと思っています。五輪峠の五輪塔はまだ見たことがないの
です。レンタカーを借りて走る予定です。

 土曜日の夜に帰りますので、日曜日は家にいられます。土、日曜
と来るよりこの方がラクですね。金曜日に休むために、前日はちょ
っとしんどかったですが。

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発行周期:  週刊 最新号:  2018/07/14 部数:  1,003部

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