宮沢賢治 Kenji Review

宮沢賢治 Kenji Review 393

カテゴリー: 2006年09月02日
Kenji Review 393
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--宮沢賢治---Kenji-Review-----------------------------------
-----------------------------------第393号--2006.09.02------
--〔今週の内容〕--------------------------------------------

「グスコーブドリの伝記(8)」「〔飢餓陣営のたそがれの中〕」

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http://www.kenji.ne.jp/

(連載)宮沢賢治国際大会5/宮沢賢治国際大会6/高橋源一郎
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--〔話題〕--------------------------------------------------
「グスコーブドリの伝記(8)」
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 いよいよ終幕が近づいてきます。この章は「秋」ということで、
前回おこなった人工降雨と肥料の空中散布の後日談です。

 ブドリが肥料散布に怒った農民に襲われるという挿話があります。
この中に

「パンはあるが、どうも食はれないパンでな。石盤だもな。」

というセリフが出てきます。唐突な感じですが、賢治の詩「境内」
の中に同じものが出てきます。これは賢治の経験だったわけです。

パンだらそこにあったっけがと
右手の棚を何かさがすといふ風にして
それから大へんとぼけた顔で
ははあ食はれない石バンだと
さう云ひながらおれを見た

 たちの悪いダジャレですが、賢治は自分に対する悪意を感じとっ
ています。

 この部分は賢治と農民の、お互いの思いと憎しみが投影されてい
ると思います。農民のために献身的に働きながら、必ずしも理解さ
れていないどころかかえって憎まれてしまう。当然こちらの方にも
相手を憎む気持ちが生まれます。

 しかし物語ではこれは誤解であったとされます。

 「あのときの出来事は、肥料の入れ様をまちがつて教へた農業技
師が、オリザの倒れたのをみんな火山局のせいにして、ごまかして
ゐたためだ」

 これで(物語の中では)一つの問題が解決しました。もう一つの
問題は妹ネリのその後ですが、これもネリが訪ねてきて、幸せに暮
らしているということで解決します。いよいよ終幕が近づいてきま
す。

 ところで、この話のネリの登場はずいぶん地味なものです。幸せ
に暮らしているとはいえ、農家の主婦をしているわけですから。

 この物語の前身とされる「〔ペンネンネンネンネン・ネネムの伝
記〕」では、主人公ネネムの妹ママミは同じように知らない男に連
れ去られます。そして出世した兄の前に登場するのですが、この場
面がいかにも華やかなのです。

 下の引用を読んでもらうとわかりますが、まさにスターとして登
場します。雰囲気もいかにも美少女なんですね。私はこっちの華や
かな方がよかったなと思いますがいかがでしょうか。

--〔BookMark〕----------------------------------------------

境内
http://why.kenji.ne.jp/haruto4/keidai.html

--〔↓引用はじめ〕------------------------------------------

みんなが弁当をたべてゐる間
わたくしはこの杉の幹にかくれて
しばらくひとり憩んでゐやう
二里も遠くから この野原中
くろくわだかまって見え
千年にもなると云はれる
林の中の一本だ
うす光る巻積雲に
梢が黒く浮いてゐて
見てゐると
杉とわたくしとが
空を旅してゐるやうだ
みんなは杉のうしろの方
山門の下や石碑に腰かけて
割合ひっそりしてゐるのは
いま盛んにたべてゐるのだ
約束をしてみな弁当をもち出して
自分の家の近辺を
ふだんはあるかないやうなあちこちの田の隅まで
仲間といっしょにまはってあるく
ちょっと異様な気持ちだらう
おれも飯でも握ってもってくるとよかった
空手で来ても
学校前の荒物屋で
パンなど買へると考へたのは
第一ひどい間違ひだった
冬は酸へずに五日や十日置けるので
とにかく売ってゐたのだらう
パンはありませんかと云ふと
冬はたしかに売ったのに
主人がまるで忘れたやうな
ひどくけげんな顔をして
はあ? パンすかときいてゐた
一つの椅子に腰かけて
朝から酒をのんでゐた
眉の無雑なぢいさんが
ぢろっとおれをふり向いた
それから大へん親切さうに
パンだらそこにあったっけがと
右手の棚を何かさがすといふ風にして
それから大へんとぼけた顔で
ははあ食はれない石バンだと
さう云ひながらおれを見た
主人もすこしもくつろがず
おれにもわらふ余裕がなかった
あのぢいさんにあすこまで
強い皮肉を云はせたものを
そのまっくらな巨きなものを
おれはどうにも動かせない
結局おれではだめなのかなあ
みんなはもう飯もすんだのか
改めてまたどらをうったり手を叩いたり
林いっぱい大へんにぎやかになった
向ふはさっき
みんなといっしょに入った鳥居
しだれのやなぎや桜や水
鳥居は明るい夏の野原に開いてゐる
あゝ杉を出て社殿をのぼり
絵馬や格子に囲まれた
うすくらがりの板の上に
からだを投げておれは泣きたい
けれどもおれはそれをしてはならない
無畏 無畏
断じて進め 

--〔↑引用おわり〕------------------------------------------

身近な道具の近代史
http://museum.city.fukuoka.jp/je/html/261-270/264/264_02.htm

--〔↓引用はじめ〕------------------------------------------

 明治時代に入ってから始まった学校教育では、筆記具として、硬
筆が主に使われるようになりました。しかし、鉛筆が十分に普及す
るまでは、石盤に石筆で筆記していました。明治5(1872)年に小学
校での教育内容などを定めた小学教則にも、「綴字」の授業では、
児童は「石板」におのおの練習するように定められています。

 明治後期から大正時代頃に、小学生が使う筆記具も、石盤と石筆
からノートと鉛筆に代わっていったので、現在の日本では石盤を目
にすることはまずありません。しかし、世界には、現在も、小学生
が学校で文字を習い始めるときに、何度も書いたり消したりできる
石盤や小型のホワイトボードを使う国や地域もあります。

--〔↑引用おわり〕------------------------------------------

〔ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記〕
http://why.kenji.ne.jp/kohon/733pennen.html

--〔↓引用はじめ〕------------------------------------------

 舞台が俄かにすきとほるやうな黄金色になりました。立派なひま
はりの花がうしろの方にぞろりとならんで光ってゐます。それから
青や紺や黄やいろいろの色硝子でこしらへた羽虫が波になったり渦
巻になったりきらきらきらきら飛びめぐりました。 

 うしろのまっ黒なびらうどの幕が両方にさっと開いて顔の紺色な
髪の火のやうなきれいな女の子がまっ白なひらひらしたきものに宝
石を一杯につけてまるで青や黄色のほのほのやうに踊って飛び出し
ました。見物はもうみんなきちがひ鯨のやうな声で
「ケテン! ケテン!」とどなりました。 

 女の子は笑ってうなづいてみんなに挨拶を返しながら舞台の前の
方へ出て来ました。 

 黒いばけものはみんなで麦の粒をつかみました。 

 女の子も五六つぶそれをつまんでみんなの方に投げました。それ
が落ちて来たときはみんなまっ白な真珠に変ってゐました。 

「さあ、投げ。」と云ひながら十人の黒いばけものがみな真似をし
て投げました。バラバラバラバラ真珠の雨は見物の頭に落ちて来ま
した。 

 女の子は笑って何かかすかに呪〔まじな〕ひのやうな歌をやりな
がらみんなを指図してゐます。 

 ペンネンネンネンネン・ネネムはその女の子の顔をじっと見まし
た。たしかにたしかにそれこそは妹のペンネンネンネンネン・マミ
ミだったのです。ネネムはたうたう堪〔こら〕え兼ねて高く叫びま
した。 

--〔↑引用おわり〕------------------------------------------

--〔今週の作品〕--------------------------------------------

     グスコーブドリの伝記(つづき)

八、秋 

 その年の農作物の収穫は、気候のせいもありましたが、十年の間
にもなかつたほど、よく出来ましたので、火山局にはあつちからも
こつちからも感謝状や激励の手紙が届きました。ブドリははじめて
ほんたうに生きた甲斐があるやうに思ひました。

 ところがある日、ブドリがタチナといふ火山へ行つた帰り、とり
いれの済んでがらんとした沼ばたけの中の小さな村を通りかゝりま
した。ちやうどひるころなので、パンを買はうと思つて、一軒の雑
貨や菓子を売つてゐる店へ寄つて、
「パンはありませんか。」とききました。すると、そこには三人の
はだしの人たちが、眼をまつ赤にして酒を呑んで居りましたが、一
人が立ち上つて、「パンはあるが、どうも食はれないパンでな。石
盤だもな。」とおかしなことを云ひますと、みんなは面白さうにブ
ドリの顔を見てどつと笑ひました。ブドリはいやになつて、ぷいつ
と表へ出ましたら、向ふから髪を角刈りにしたせいの高い男が来て、
いきなり、
「おい、お前、今年の夏、電気でこやし降らせたブドリだな。」と
云ひました。

「さうだ。」ブドリは何気なく答へました。その男は高く叫びまし
た。

「火山局のブドリ来たぞ。みんな集れ」

 すると今の家の中やそこらの畑から、七八人の百姓たちが、げら
げらわらつてかけて来ました。

「この野郎、きさまの電気のお蔭で、おいらのオリザ、みんな倒れ
てしまつたぞ。何してあんなまねしたんだ。」一人が云ひました。

 ブドリはしづかに云ひました。

「倒れるなんて、きみらは春に出したポスターを見なかつたのか。」

「何この野郎。」いきなり一人がブドリの帽子を叩き落しました。
それからみんなは寄つてたかつてブドリをなぐつたりふんだりしま
した。ブドリはたうたう何が何だかわからなくなつて倒れてしまひ
ました。

 気がついて見るとブドリはどこか病院らしい室の白いベッドに寝
てゐました。枕もとには見舞の電報や、たくさんの手紙がありまし
た。ブドリのからだ中は痛くて熱く、動くことができませんでした。
けれどもそれから一週間ばかりたちますと、もうブドリはもとの元
気になつてゐました。そして新聞で、あのときの出来事は、肥料の
入れ様をまちがつて教へた農業技師が、オリザの倒れたのをみんな
火山局のせいにして、ごまかしてゐたためだといふことを読んで、
大きな声で一人で笑ひました。その次の日の午后、病院の小使が入
つて来て、
「ネリといふご婦人のお方が訪ねておいでになりました。」と云ひ
ました。ブドリは夢ではないかと思ひましたら、まもなく一人の日
に焼けた百姓のおかみさんのやうな人が、おづおづと入つて来まし
た。それはまるで変つてはゐましたが、あの森の中から誰かにつれ
て行かれたネリだつたのです。二人はしばらく物も言へませんでし
たが、やつとブドリが、その後のことをたづねますと、ネリもぼつ
ぼつとイーハトーブの百姓のことばで、今までのことを談しました。
ネリを連れて行つたあの男は、三日ばかりの後、面倒臭くなつたの
かある小さな牧場の近くへネリを残してどこかへ行つてしまつたの
でした。

 ネリがそこらを泣いて歩いてゐますと、その牧場の主人が可哀さ
うに思つて家へ入れて赤ん坊のお守をさせたりしてゐましたが、だ
んだんネリは何でも働けるやうになつたのでたうたう三四年前にそ
の小さな牧場の一番上の息子と結婚したといふのでした。そして今
年は肥料も降つたので、いつもなら廏肥を遠くの畑まで運び出さな
ければならず、大へん難儀したのを、近くのかぶらの畑へみんな入
れたし、遠くの玉蜀黍もよくできたので、家ぢゆうみんな悦んでゐ
るといふやうなことも云ひました。またあの森の中へ主人の息子と
いつしよに何べんも行つて見たけれども、家はすつかり壊れてゐた
し、ブドリはどこへ行つたかわからないのでいつもがつかりして帰
つてゐたら、昨日新聞で主人がブドリのけがをしたことを読んだの
でやつとこつちへ訪ねて来たといふことも云ひました。ブドリは、
直つたらきつとその家へ訪ねて行つてお礼を云ふ約束をしてネリを
帰しました。 

(つづく)

(校本全集11 「生前発表童話」より)
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--〔作品〕--------------------------------------------------

     〔飢餓陣営のたそがれの中〕
                 (「飢餓陣営」の歌(三))

飢餓陣営のたそがれの中
犯せる罪はいとも深し
あゝ夜のそらの青き火もて
われらがつみをきよめたまへ

マルトン原のかなしみのなか
ひかりはつちにうづもれぬ
あゝみめぐみのあめをくだし
われらがつみをゆるしたまへ

(合唱)あゝみめぐみのあめをくだし
    われらがつみをゆるしたまへ

(校本全集6 「歌曲」より)
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--〔後記〕--------------------------------------------------

 宮沢賢治国際研究大会ではお疲れさまでした。読者のみなさんの
中にも参加された方がいらっしゃると思います。

 私は中国人の研究者と話ができてよかったです。周さんは福岡在
住、黄さんは上海からいらっしゃいました。黄さんはこのメールマ
ガジンを読んでくれているということなので、この場を借りまして
お礼申し上げます。

 中国語でしゃべれればもっとよかったのですが、全然ダメですね。
周龍梅さんが出版した中国語版の宮沢賢治作品集を読んで勉強する
はずだったのに…。

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発行周期:  週刊 最新号:  2018/07/14 部数:  1,005部

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