Japan on the Globe-国際派日本人養成講座

JOG-Mag No.436 中国の「密の罠」 ~ 上海領事・自殺事件

■■ Japan On the Globe(436)■ 国際派日本人養成講座 ■■■■

    The Globe Now: 中国の「密の罠」 〜 上海領事・自殺事件
                           
                 「自分はどうしても国を売ることはできない」
                   とA領事は自殺した。
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の大統領顧問に就任。プーチンのブレーンと共にコンサル会社を立ち
上げた、非常識な経歴を持つ筆者が、わけのわからない世界情勢を世
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■1.「A君は卑劣な脅迫によって、死に追い込まれた」■

         これ以上のことをすると国を売らなければならない。
        ・・・自分はどうしても国を売ることはできない。

     こんな悲痛な遺書を残して、上海の日本領事館でA領事が首
    をつって死んだのは、平成16(2004)年5月6日の事だった。
    この遺書を読んだ杉本総領事は翌日、館員全員を集めて、涙な
    がらにこう語った。「A君は卑劣な脅迫によって、死に追い込
    まれた」[1]

     Aさんは国鉄に勤めていたが、分割民営化に伴い、外務省で
    再雇用された。アンカレッジやロシアで勤務した後、本省を経
    て、平成14(2002)年3月に上海総領事館に単身赴任した。

     着任後数ヶ月して、同僚に連れられて、上海市内の日本人目
    当てのカラオケ「かぐや姫」に行った。そこで一人のホステス
    と親しくなった。

     平成15(2003)年6月、そのホステスが「私を助けて。私を
    助けると思って、私の『友人』に会って、、、」と必死に懇願
    した。ただならぬものを感じたAさんは、懇願に応じて、『友
    人』に会った。その一人が「唐」という中国情報機関のエージェ
    ントだった。彼らは日本人と親しくしているホステスたちを売
    春の罪で摘発し、「客の名前を言え。でなければ辺境に送って、
    強制労働させる」と恫喝したのである。

     彼らはA領事の名前を聞いて、これだとばかり狙いを定め、
    そのホステスをさらに脅して、Aさんに紹介させたのである。

■2.「我々は一生の『友人』だからな」■

     唐らははじめのうちは極めて紳士的にAさんに接した。おそ
    らく「領事館の要員表が手に入らないだろうか」といった、当
    たり障りのない情報を求めたのだろう。領事館の現地人スタッ
    フは、みな中国政府から派遣されており、この程度の情報は筒
    抜けになっているのだが、まずは当たり障りのない情報から聞
    き出して、徐々に機密性の高い情報に迫っていくというのが、
    彼らの常套手段である。

     Aさんは唐とこれ以上つきあっているのは、まずいと思った
    のだろう。平成16(2004)年4月に本省人事課に転属願いを出
    し、すぐにロシア・サハリン州の在ユジノサハリンスク総領事
    館に異動が決まったのである。

     Aさんは異動の件をつい、なじみのホステスに話してしまい、
    彼女を通じて、それを知った唐は、掌を返したようにAさんを
    数日にわたって脅迫した。

         我々に協力しなければ、ホステスとの関係を領事館員だ
        けでなく、本国にバラす。お前とホステスとの関係は、わ
        が国の犯罪に該当する。・・・

         まぁ、いい。お前がユジノサハリンスクに行っても付き
        合おう。我々はロシアについては色々知りたい。我々は一
        生の「友人」だからな。

■3.「国を売ること」はできない■

     こう脅しながら、唐がAさんに要求したのは、日本の暗号シ
    ステムだった。Aさんは、領事館と本省との通信を担当する
    ただ一人の「電信官」だった。業務の中でもっとも重要なのが、
    「秘」「厳秘」の公電にかける暗号の組立と解除だった。電文
    を「暗号コード」で変換し、衛星を経由して日本に送る。逆に
    日本からの電文をその「暗号コード」で解読する。

     中国の情報機関は、衛星経由でやりとりされる通信を傍受し
    ており、その「暗号コード」が入手できれば、領事館と外務省
    とのやりとりをすべて把握できる。

     Aさんが異動すると聞いた唐は焦り、執拗に脅迫した。電信
    官として暗号コードを渡すことは、「国を売ること」になる。
    それをAさんは自らの命を絶つことで、拒否したのである。

     Aさんの死を確認した杉本総領事は外務省本省に報告すると
    ともに、館員をすぐに「かぐや姫」に向かわせた。しかし、す
    でに唐はもちろん、ホステスも姿を消していた。

■4.「ハニー・トラップ(蜜の罠)」■

     Aさんを脅迫した中国情報機関の手口は、「ハニー・トラッ
    プ(蜜の罠)」と呼ばれる古典的なものである。冷戦初期にソ
    連のKGB(国家保安委員会)や、中国情報機関が使った常套
    的な手段で、欧米の外交官や政治家が自殺する事件が起きた。

     アメリカやヨーロッパ諸国は、60年代にその対策として、
    ハニー・トラップで脅された場合、直ちに担当機関に届け出る
    ようにした。アメリカであれば、大使館や領事館にFBI(連
    邦捜査局)やCIA(中央情報局)のセキュリティ担当官を置
    き、ハニー・トラップに引っ掛かった外交官は、彼らに届け出
    て、包み隠さず事態を話せばよい。

     セキュリティ担当官は、醜聞は公開せず、処分もしないとい
    う事を前提に、対策を指示する。ときには、その外交官に脅迫
    に従う振りをさせて、相手がどんな情報を欲しがっているのか
    探らせることもある。

     さらには、わざと真実の情報を渡して、相手の信頼を掴んで
    おき、ここという時に虚偽の情報を流して、相手国の政策を誤
    らせる。

     70年代に入ると、欧米諸国ではこうした防諜システムが当
    たり前になって、ハニー・トラップは効果がないとして使われ
    なくなった。

     こんな古典的な手口に乗るような国は、今や日本ぐらいしか
    ない。欧米諸国で30年も前に実施している「ハニー・トラッ
    プ」対策が実施されていれば、Aさんが自殺する事もなかった
    のである。[2]

■5.「諜報戦争の備えを怠れば、、、」■

     Aさんの例は氷山の一角に過ぎない。内閣情報調査室室長だっ
    た大森義夫氏は、こう語っている。[3]

         私は1963年に東京大学を出て警察庁に入り、警視庁に配
        属されました。その頃、大学のクラスメイトだったH君が
        自殺しました。H君は外交官の名門出で、自身も外務省に
        入りました。ドイツ語は教授よりもうまく、とても優秀で
        した。

         彼も諜報工作、今回の事案と同じく女性を使った「ハニ
        ー・トラップ」に引っかかったと我々は聞かされました。
        場所は当時、東西冷戦が火花を散らすベルリンでした。
        ・・・

         あれから四十年余の歳月が流れました。私は友の死を想
        うと同時に、彼が外交官として順調に出世していたらどう
        なっていたか? と思います。諜報戦争の備えを怠れば有
        為な人材の生命だけでなく、国家利益の長期にわたる流出
        につながるのです。

         H君以外にも、あるいは自殺に至らなくとも、旧ソ連東
        欧圏を中心に、日本人の「被害」は私の聞いているだけで
        も何件もあります。旧ソ連KGB要員で1979年に日本を経
        由して米国に亡命したスタニスラフ・レフチェンコの米国
        議会における公式証言によっても、日本人公務員、政党関
        係者、ジャーナリストなど多数が「獲得」され、金銭報酬
        と引きかえに日本の機密を売り渡していたのです。

■6.国を売った「ミーシャ」■

     一国の中枢に潜り込んで、出世し、外国に機密を売ったり、
    場合によっては政策までねじ曲げてしまう人間を、イギリス情
    報部の言葉で「モグラ」と呼ぶ。AさんやH君が自殺せずに、
    そのまま国家機密を売り渡していたら、その「モグラ」になっ
    ていた処である。

     最近、公開された旧ソ連時代の公文書では、KGB史上、最
    も特筆されるべき「ハニー・トラップの成功事例」が明かされ
    ているが、それも日本外交官が「モグラ」となったケースであっ
    た。

    「ミーシャ」というコード・ネームで呼ばれている、日本人外
    交官は1970年代にモスクワの日本大使館で、Aさんと同様、電
    信官を勤めていた。そして、ハニー・トラップに引っかかり、
    モスクワ時代にKGBに機密情報を流し続けた。

     ミーシャは、その後、帰国して、本省で電信暗号関係のより
    重要なポストについた。KGB東京支局は、何人ものKGB部
    員を専属としてつけた。この頃には、ミーシャは大金を報酬と
    して受け取り、積極的に情報提供を行うようになっていた。

     東京の外務省本省と全世界の在外公館との文書が、全てKG
    B側に流れた。さらにミーシャは日本の暗号システムもKGB
    に知らせていた。ミーシャのもたらす情報は、常にクレムリン
    のトップまで報告されていた。特に重要なのは、ワシントンの
    日本大使館が本省に送ってくる情報で、アメリカ高官の情報や、
    米ソ関係、NATO関連の情報がソ連に漏れていた。Aさんや
    H君と違って、ミーシャは金目当てに国を売ったのである。

     前述のレフチェンコ証言でKGBの東京支局は機能停止に陥っ
    たが、ミーシャの存在は暴露されなかったので、闇から闇に葬
    られてしまった。今頃は、多額の退職金と年金を貰って、幸福
    な晩年を送っているかもしれない。

■7.「外務省としては何も手を打っていない」■

    「モグラ」は現在の日本にも大量に生息しているようだ。

     昨・平成17(2003)年、中国のシドニー総領事館の一等書記
    官がオーストラリアに亡命する事件が起きた。彼は日本国内に
    も現在1千人を優に超える中国のスパイが活動していると証言
    している。[2]

     また、ある外務省職員は匿名で次のような内部告発をしてい
    る。[3]

         彼が自殺したからこうして発覚したのですが、こういう
        「ハニー・トラップ」を受けている大使館員はけっこうい
        ると聞きます。氷山の一角なんです。何度も中国に勤務し
        ているキャリアで工作を受けていると噂されている人はい
        ます。でも外務省としては何も手を打っていない。

         ましてや、今回のことはノンキャリアの身に起こったこ
        とで、面倒くさいなくらいが、上の感覚じゃないんですか、
        正直なところ。

         そういうことにたいして、チャイナ・スクールの若手や
        ノン・チャイナスクールの人たち、われわれノンキャリア
        のなかには、猛烈な不満を持っている人たちが多いことは
        確かです。私だってそのうちの一人です。

         いずれにせよ、早急に求められているのは、カンウンタ
        ー・インテリジェンスのルール確立です。でなければ、自
        殺までした彼が浮かばれないと思います。

■8.事件を握りつぶそうとした外務省■

    「何も手を打っていない」外務省は、今回のAさん自殺事件で
    も、まさに「面倒くさいな」とでも言いたげな対応しかしてい
    ない。

     A領事自殺の数日後、調査チームが派遣され、約1週間にわ
    たって、事情聴取を行った。電信システムに異常は見られなかっ
    たが、念のために、暗号システムを変更した。そして、最終的
    に、「A領事の自殺の原因が、中国の情報機関当局の脅迫によ
    ることは揺るがしがたい事実である」と結論づけた。

     そして中国政府幹部に、川口外相の名前で「厳重に抗議する」
    と申し入れたが、相手は「調査する」という回答のみで、いま
    だにまともな返事が返ってきていない。

     川口順子外相は、本件を小泉首相に報告もせず、また中国政
    府からまともな回答もないのに、後任の町村外相に引き継ぎも
    しなかった。外務省内でも厳重な箝口令が敷かれ、Aさんの名
    前は翌年の外務省職員録から静かに外された。外務省は明らか
    にこの事件を秘密裏に葬り去ろうとしたのである。

    「文春」のスクープで、事件が発覚すると、中国大使館は次の
    ようなコメントをそのホームページに掲載した。

         中日双方はこの事件の性格についてつとに結論を出して
        いる。1年半たったいま、日本側が古いことを改めて持ち
        出し、さらに館員の自殺を中国側関係者と結びつけている
        のは、完全に下心をもったものだ。われわれは、なんとか
        して中国のイメージを落とそうとする日本政府の悪質な行
        為に強い憤りを表明する。[5]

■9.異常な外務省の姿勢■

     日中両国が加盟する「領事関係に関するウィーン条約」は第
    四十条で「領事館の保護」に関して、次のように定めている。

         接受国は、相応の敬意をもって領事館を待遇するととも
        に、領事官の身体、自由又は尊厳に対するいかなる侵害も
        防止するためすべての適当な措置をとる。

     今回のAさんへの脅迫は、ウィーン条約の明白な違反である。
    それが「日本政府の悪質な行為」とされてしまっているのであ
    る。中国の厚顔無恥な姿勢は今更驚くべき事ではないが、それ
    にもまして、問題なのは外務省の対応である。

     本来なら外務省は事件直後に、Aさんの遺書を公開して、世
    界に対して「中国はこうした野蛮な工作をする国である」とア
    ピールするとともに、東京で諜報活動をしている中国外交官を
    何人か名指しにして国外追放にするのが、外交の世界ではスタ
    ンダードな報復措置である。

     それを、おざなりな抗議で納めてしまっては、中国は「日本
    はこの件で事を荒立てたくないのだ」というシグナルとして受
    け取ってしまう。諸外国は「日本は与しやすい。日本の外交官
    にハニー・トラップをかけても、リスクはない」と見るだろう。

     この異様な外務省の姿勢は、官僚的な事なかれ主義から来る
    のだろうか。あるいは、日本国内で千人を超えるという中国の
    「モグラ」の一部が外務省に巣くっていて、その政策をねじ曲
    げているのだろうか。いずれにしろ、外務省の体質にメスを入
    れなければならない。
                                         (文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(042) 中国の友人
    中国代表部の意向が直接秋岡氏に伝わり、朝日新聞社がそれ
   に従うという風潮が生まれていた。
   http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_1/jog042.html
b. JOG(044) 虚に吠えたマスコミ
    教科書事件での中国と朝日の連携
   http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_2/jog044.html
c. JOG(179)  3度目のお先棒担ぎ
    歴史教科書つぶしに奔走する「中国の友人」たちの無法ぶり
   は、真の日中友好を阻害している。
d. JOG(229) 国際プロパガンダの研究
    文書偽造から、外国人記者の活用まで、プロパガンダ先進国
   ・中国に学ぶ先端手法。
   http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h14/jog229.html

■参考■

1. 「中国情報機関の脅迫に『国を売ることはできない』と首をつっ
   た上海総領事館領事」、週刊文春、H18.01.05
2. 中西輝政「『形無き侵略戦』が見えないこの国に未来はあるの
   か」、『正論』H18.03
3. 大森義夫「上海領事自殺事件は日本の国家的敗北だ」
   『WiLL』H18.03
4. 「上海領事自殺事件 外務省ノンキャリアが内部告発!」
   『WiLL』H18.03
5. 佐藤優「中国の国権侵害に外務省はどう対応したか」、
   『正論』H18.03

■ 編集長・伊勢雅臣より

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発行周期:  週刊 最新号:  2019/03/24 部数:  31,042部

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