Japan on the Globe-国際派日本人養成講座

JOG-Mag No.408 米内光政(下)~ 終戦への道

■■ Japan On the Globe(408)■ 国際派日本人養成講座 ■■■■

          人物探訪: 米内光政(下)〜 終戦への道

                             昭和天皇の平和への意思を体して、
                            米内は立ち上がった。
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■1.「士は己を知る者のために死す」■

     昭和15(1940)年1月14日夕刻、至急、宮中に参内するよ
    うに電話があった。米内が急いで駆けつけると、憂いに満ちた
    表情の昭和天皇から「卿に後継内閣の組閣を命ず」と言われた。

     4ヶ月前に阿部信行・陸軍大将が組閣をして、米内はようや
    く2年7ヶ月、4代の内閣に及ぶ海軍大臣を辞めたばかりであっ
    た。しかし支那事変も3年目に入って生活物資の不足が広がっ
    ており、有志代議士250余名が阿部内閣不信を決議したので
    ある。

     天皇から直接「次は米内にしてはどうか」という意思表示が
    あった。すでに欧州では第2次大戦が始まっていた。日本の平
    和を守るために、ここは米内しかいない、と考えられたのだろ
    う。

     陸軍が跋扈する時代に、総理としてやっていく自信はなかっ
    たが、「士は己を知る者のために死す」という。大命降下が陛
    下のご意志なら、身命をなげうって奉公すべきだ、と米内は考
    えた。

     天皇は、畑俊六・陸軍大臣を呼ばれ、「陸軍は米内内閣に協
    力せよ」と直々に命ぜられた。陸軍がそっぽを向いて陸相を出
    さなければ、組閣はできない。実直な畑は「はい、陸軍は新内
    閣について参ります」と確答した。

     次は畑内閣かと準備をしていた青年将校たちからは、陸相を
    ひっこめて米内内閣を空中分解させるべきだという声があがっ
    た。しかし畑が、陛下との約束を守ってわしは引き受ける、と
    突っ張ったので、米内はなんとか組閣にこぎ着ける事ができた。

■2.「ヒトラーのバスに乗り遅れるな」■

     欧州では、ポーランド分割後、鳴りを潜めていたヒットラー
    が、雪解けとともに動きだした。4月9日、デンマーク、ノル
    ウェーに進駐し、翌日にはオランダ、ベルギーに侵入。6月
    14日、パリを占領し、17日にはフランスを降伏させた。

     ヒトラーの快進撃に、青年将校たちは目を見張った。前年に
    突然の独ソ不可侵条約で足下を掬われたのにもこりずに、「ヒ
    トラーのバスに乗り遅れるな」と親独派が力を盛り返してきた。

     しかし、

         ヒトラーやムッソリーニは一代身上だよ。かれらはつぶ
        れてもともとだ。ところが、日本には三千年の歴史がある。
        その天皇とヒトラーを同じ舞台に上げて手を握らせような
        どとはとんでもない話だよ。[1,p103]

     とまで言う米内が首相にいては、三国同盟が進むはずもない。
    陸軍は、米内内閣を打倒して、操りやすい近衛を再度、首相に
    つけようと画策した。

     同時に内閣を倒すために、右翼勢力が米内ら中心人物を暗殺
    しようという計画が発覚し、首謀者らが捕らえられた。米内は
    これで我が事終われりと思った。命が惜しいわけではないが、
    ここまで世間が騒然としてきては、閣内を収拾してはいけない。

■3.無念の退陣■

     7月16日、畑陸相は米内内閣に総辞職を勧告したが、米内
    は「大命を奉じて内閣を組織した以上、大義名分がなければ、
    陛下の前に出てお暇を頂戴するということは言えない」と突っ
    ぱね、他に方法がなければ、陸相に辞表を出して貰わねばなら
    ぬ、と申し渡した。

     青年将校たちの突き上げで、憔悴しきっていた畑に、「自殺
    するのではないか」と逆に米内は心配した。畑陸相は、すまな
    そうに用意してあった辞表を出し、現内閣では後任を出すのは
    困難と言った。内閣を倒す陸軍の常套手段である。「では、総
    辞職するしかありませんな」と米内は憮然とした表情で語った。

     天皇からは「米内内閣にたいする信任は今日も変わらぬとこ
    ろ、内外の情勢により内閣の更迭を見るはやむをえずとするも、
    自分の気持ちは米内に伝えるように」というお言葉があった。

     天皇はよほど残念に思われていたのだろう。戦後も、時折、
    「もしも米内内閣が続いていたら、戦争にはならなかったろう
    に」と言われていたという。[2,p484]

     戦後、畑陸相は東京裁判において、平和を念願する米内内閣
    を倒した事に関して「平和に対する罪」で起訴されたが、米内
    は敢然と弁護台に立って、徹頭徹尾、畑が内閣打倒の張本人で
    はなかった、と主張した。畑はこれを深く感謝し、またジョセ
    フ・キーナン首席検事は「日本側の証人は何百人もいたが、あ
    あいう男はいない」と感服した。

     米内内閣が崩壊して第二次近衛内閣が成立すると、わずか2
    ヶ月余りで三国同盟が成立し、日本は戦争への道を一気に走り
    始めた。

■4.3度目の出番■

     米内に三度目の出番が回ってきたのは、昭和19(1944)年7
    月20日、小磯國昭・陸軍大将とともに、宮中に呼ばれた時で
    あった。昭和天皇から「卿等よく協力して内閣を組織せよ」と
    のお言葉があった。

     すでにサイパン玉砕が伝えられ、敗色日に濃厚となっていた。
    重臣たちは東条内閣では和平への道も開けないと考えて、その
    意を受けた岸信介・国務相が総辞職に追い込んだ。

     米内も参加した重臣会議では、後継として米内がやるべきだ、
    という意見が強かったが、米内は自分が表に立っては前回の二
    の舞になると考え、小磯・陸軍大将を首班に推した。

     昭和天皇は小磯に対して、米内を海軍大臣にせよ、と言われ、
    米内は副総理格の海相となった。昭和天皇の意を受けての三度
    目の出番であった。

     米内は、かつて一緒に三国同盟を阻止した井上成美・中将を
    海軍次官とし、井上の発案で高木惣吉少将にいかに終戦を実現
    するか、極秘に研究を始めさせた。

■5.鈴木内閣の誕生■

     11月にはB29が大挙して東京を初爆撃し、年が明けて2
    月には硫黄島に米軍が上陸を開始。4月1日には沖縄への侵攻
    が始まった。4月5日、和平工作に関する閣内意見対立がきっ
    かけとなって、小磯首相は辞表を提出した。

     後継として首相に任命されたのが、79才の鈴木貫太郎・海
    軍大将であった。鈴木は政治の経験も無いことから固持したが、
    昭和天皇は「他に人がいない」と異例のお言葉で説得された。
    かつて鈴木は侍従長として8年も昭和天皇にお仕えし、陛下の
    平和への念願を身近によく知っていた。[a,b]

     鈴木は組閣の第一歩として、米内に留任を求めた。米内は通
    算3年8ヶ月に及ぶ内閣の激務で、すっかり健康を害していた
    が、「君が海相を引き受けてくれないなら私は大命を拝辞する」
    とまで鈴木に言われて、引き受けざるを得なかった。こうして
    鈴木首相−米内海相と、昭和天皇の御心にかなう体制ができた。

     5月26日、B29の大編隊が東京の半分以上を焼失させ、
    皇居も大部分が焼けた。翌26日早朝、皇居鎮火後まもなく、
    鈴木と米内は焼け残った御文庫で天皇に拝謁し、お見舞いの言
    葉を言上した。天皇は皇居の炎上よりは「今回は大分ひどかっ
    たようだね」と東京の被害を心配された。その様子の中に、終
    戦への確固たるご意志が潜んでいるように米内は感じた。

     5月31日の主要閣僚の会議で、米内は「このままでは国体
    の護持すら覚束なくなるから早く講和に持ち込みたい」と主張
    したが、阿南陸相は「一度でいいから勝ちどきをあげて終戦に
    もっていきたい」と主張し、物別れとなった。 [c]

■6.御聖断への道すじ■

     7月26日、日本に降伏条件をつきつけたポツダム宣言が発
    せられたが、そこには原案にあった「天皇制存続」が削除され
    ており、とても日本側に受け入れられる内容ではなかった。[d]

     8月6日、広島に原爆が投下され、8日にはソ連が中立条約
    を破って宣戦布告を行った。陸軍はソ連の仲介を期待していた
    が、それが見事に裏切られたのである。鈴木は、今こそ天皇の
    終戦へのご意思を実行に移す時と判断し、9日に最高戦争指導
    者会議を開いた。

     鈴木は、国体護持だけの条件をつけてポツダム宣言を受諾す
    べきと述べて、各閣僚の意見を述べさせた。しかし、阿南陸相
    は自主的武装解除、保障占領の中止などの条件もつけるべきだ
    と主張して会議は行き詰まった。

     米内と東郷外相は鈴木に、最高戦争指導者会議を昭和天皇の
    御前で開くように進言した。さらにその会議の直前に米内は鈴
    木にこう提案した。

         きわどい差の多数決となると、かならず陸軍が騒ぎ出し
        ます。死物狂いですから、どんな大事にならぬとも限りま
        せん。それぞれに意見を述べさせ、決を取らずに御聖断を
        仰ぎ、それをもって会議の決断とすべきだと思います。

     鈴木もかねてからそう考えていたので、即座に「そうしよう」
    と同意した。こうして8月9日深夜、御前会議が開かれ、昭和
    天皇の御聖断が下された。

     天皇がようやく御発言の機会を得られたのは、閣議が米内・
    東郷らと、阿南らの対立でまとまらなかったためである。もし、
    米内がテロを恐れたり、降伏の責任をかぶることを嫌って、徹
    底的に講和を主張しなければ閣議も戦争継続と決し、昭和天皇
    の御聖断のチャンスもなかったはずである。

■7.「米内を斬れ」■

     8月15日の夜明け、国民に終戦を伝える玉音放送を正午に
    控えて、阿南陸相は「一死以テ大罪ヲ謝シ奉ル」との遺書を残
    して割腹自決を遂げた。

     米内はその報を聞いて、即座に単身、寸鉄をも帯びずに陸相
    官邸に行き、阿南の遺体に合掌し、焼香した。陸軍内部では
    「和平派の米内を殺れ」という声もあっただけに、この大胆な
    行動には周囲の者も驚いた。米内はそこで「阿南さんとは職務
    の上で意見の違いもありました。しかし、非常に立派な方でし
    た」と語った。

     阿南は自決の直前に「米内を斬れ」という言葉を残していた。
    阿南は陸軍を抑え込んで終戦に持ち込んだ米内を恨んでいたか
    らだ、という説がある。しかし阿南の無私の性格を考えれば、
    そのような私怨を抱いたまま自決したとは考えにくい。自分が
    陸相として自決し、さらに米内が海軍大臣として斬られれば、
    全陸軍も納得して矛を収める、という考えからではないか。

■8.マッカーサーとの会見■

     無事に終戦を迎えた8月15日午後、鈴木首相は「陛下の聖
    断を仰いだ罪をお詫びする」と述べて、総辞職をした。後継は
    東久邇宮内閣となったが、ここでも米内は海相への留任を求め
    られた。さらに東久邇宮内閣は占領軍に協力的でないとして、
    10月5日、対英米協調派の幣原喜重郎が替わって首相となっ
    た。米内は健康の問題で留任を固持したが、今度は占領軍司令
    部が米内でなければだめだと退任を承認しなかった。実に6度
    目の海相である。

     11月中旬、マッカーサーから、日本海軍の代表的提督であ
    るアドミラル・ヨナイに会いたいという申し入れがあった。米
    内は了承した。マッカーサーに会って確認しておきたいことが
    あったからだ。11月29日夜、米内はマッカーサーを訪問し
    た。

         日本の天皇の地位について国民は心配していますが、天
        皇は退位なさることになるのではないでしょうな。

     こう聞く米内の真剣な表情に、マッカーサーは少し驚き、緊
    張して答えた。

         あのように終戦と講和が順調にゆき、連合軍の進駐がス
        ムーズに行われたのは、天皇の平和を愛好する性格から来
        る協力によるものが大きいと私は考えている。私としては
        天皇が退位しなければならないとは考えていない。この問
        題は日本国民が決定すべき問題であると思う。

     マッカーサーが、この問題について発言したのは、これが初
    めてだった。米内は頭上に覆いかぶさっていた黒雲が吹き払わ
    れたような気がした。これでいつ死んでも良いと思った。

     国体が護持できるのか、どうか、あれほど阿南らとやりあっ
    た。自分が主張した終戦によって、もし国体の護持ができなけ
    れば、死んでいった阿南らの墓前で腹を切っても済ませられる
    問題ではない。

     大臣官邸に戻ると、帝国海軍の解散パーティーが開かれてい
    た。73年続いた海軍の葬送に、参加者はわびしい表情をして
    いたが、一人米内は、興奮に顔をほてらせながら、にこやかに
    杯を傾けていた。

■9.「その志、長く忘れはせぬ」■

     12月2日、米内は宮中に参上し、涙ながらに天皇に最後の
    お別れを述べた。

         米内、お前には大層苦労をかけたね。戦争には負けたが、
        先祖の皇統を絶やさずにすんだことは、ひとえにお前たち
        の努力によるものである。その志、長く忘れはせぬ。

     こう言われる天皇の両眼にも光るものがあった。天皇はつい
    先ほどまで使っていた硯箱のふたをして、米内にお礼にと言っ
    て手渡した。きわめて異例の御下賜であった。
    
     御前を退出すると、今度は皇后に呼ばれた。皇后も目を潤ま
    せながら、言われた。

         米内、あなたには本当に世話になりましたね。あなたが
        国の為に尽くされた心労は、お上からいつも聞かされてお
        りました。

     皇后は金蒔絵の重箱を手渡され、米内は感涙とともに拝領し
    た。自宅に帰った米内は晴れやかな顔で「今日は米内のもっと
    も記念すべきよき日です」と友人に語った。    
                                         (文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(100) 鈴木貫太郎(上)
    いかに国内統一を維持したまま、終戦を実現するか。
   http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog100.html
b. JOG(101) 鈴木貫太郎(下)
    終戦の聖断を引き出した老宰相。
   http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog101.html
c. JOG(151) 阿南惟幾 〜軍を失うも国を失わず
    本土決戦を避け、全陸軍550万を終戦に導く責務は、一人
   の陸軍大臣の双肩にかかっていた
   http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h12/jog151.html

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。
   (まぐまぐ版では、httpのあとに「:」を補ってください)

1. 豊田穣『提督米内光政の生涯 下』★★★、講談社文庫、S61
   http //www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4195675154/japanontheg01-22%22
2. 生出寿『米内光政』★★★、徳間文庫、H5
   http //www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4195675154/japanontheg01-22%22

_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ おたより _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
■前号「米内光政(上) 」について 

                                 「サムライの末裔」さんより
     仕事の関係で現在カナダ、オンタリオ州に在住しています。
    国際派日本人養成講座はこちらでも毎週末いつも楽しみにして
    います。
 
     米内光政大将は、私自身が最も敬愛する歴史上の人物の一人
    なので、取り上げて頂き、本当に嬉しく思います。学校で習う
    歴史では「三国防共協定に続き、三国同盟が結ばれ、日本は戦
    争への道を・・・」といったおきまりの記述で終わってしまう
    のが常ですが、実はその裏でこういった見識を持った人が、し
    かも軍人が、命を掛けて盾となり、日本を守ろうとしていたと
    いう事を多くの日本人に知って貰いたいと思います。

     次号では、おそらく「終戦」がテーマになると筈ですが、昭
    和天皇、鈴木貫太郎首相、そして米内海軍大臣の存在があった
    からこそ、日本は亡国となる一歩手前で救われたというのもま
    た歴史の事実です。今の日本の政治の世界で本当に必要とされ
    るのは、この「私心の無さ」と「しっかりした見識に基づく信
    念」に尽きると思います。
 
     米内光政大将に関連する著作として、三国同盟に体を張って
    いた時代に大臣秘書官を勤めていた実松譲さんの「米内光政」
    (光人社刊)、阿川弘之さんの「米内光政」(新潮社刊)も併
    せて是非お勧めしたいと思います。

■「総集編」へのおたより
    ご購入は=> http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jog/jog_buy.htm
                                           「尚人」さんより
     東大や京大など一流大学の教授が、理念としてのアナーキズ
    ム(国家解体)を正義とし、覇権意識と妄想だらけの隣国に加
    担して、日本国の解体にいそしんでいる様は無残としかいいよ
    うがない。

     貴メールマガジンで、憤懣やるかたない気持ちを押さえ、日
    本人としての良心と矜持を保っています。外国に行ったことの
    ある人なら誰でも、自分が日本を良く知らないこと、自分が日
    本人以外の何者でもないことを痛感し、良き国際人の基本は実
    は良き日本人であることに気が付きます。是々非々の率直な歴
    史理解と現代政治の分析、素晴しい日本人の紹介に感謝します。

■ 編集長・伊勢雅臣より

     天皇を祭り上げながら、そのご意向を無視した人々が多かっ
    た中で、米内提督の存在は際だっていますね。

     読者からのご意見をお待ちします。以下の投稿欄または本誌
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     掲載分には、薄謝として本誌総集編を差し上げます。
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