Japan on the Globe-国際派日本人養成講座

Japan on the Globe(81)

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        _/  _/    _/  _/           Japan On the Globe (81)
       _/  _/    _/  _/  _/_/      国際派日本人養成講座
 _/   _/   _/   _/  _/    _/    平成11年4月3日 7,447部発行
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_/_/   人物探訪:松井石根大将 〜大アジア主義の悲劇〜
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_/_/           ■ 目 次 ■
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_/_/      1.ジャキーノ神父の感謝
_/_/      2.日中提携の大アジア主義
_/_/      3.上海派遣軍司令官の訓示
_/_/      4.国際法・国際常識の通じない相手
_/_/      5.部下を見捨てて逃亡した唐生智将軍
_/_/      6.興亜観音の建立
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■1.ジャキーノ神父の感謝■

 昭和12年8月、第2次上海事変が起きた。上海の難民区で30
万人のシナ人を保護していたフランスのジャキノー神父は、東京日
々新聞に次のように語った。

     日本軍は人道上の誓約を守り通して、一発の砲弾も打ち込ま
    なかったため、抗日的態度をとるものもなかった。私の永い支
    那生活中、今度くらい日本軍が正義の軍であることを痛感した
    ことはありません。食料があと二、三日分しかなく、心配して
    いたところ、松井大将が一万円を寄贈して下され、非常に感謝
    しているところです。[1]

 この「松井大将」とは、この後の南京攻略の際に、20万人以上
を組織的に虐殺した責任を問われ、東京裁判で死刑に処せられた上
海派遣軍司令官・松井石根(いわね)大将である。上海で神父に称
えられた人が、続く南京では「20万人以上もの組織的虐殺をした
悪魔」となるなどという事がありうるのだろうか。まさに歴史ミス
テリーである。

 松井大将とは本当はどのような人なのか、実際にどのような行動
をとったのか、その足跡をたどってみよう。

■2.日中提携の大アジア主義■

 松井石根は貧乏士族の六男で、12歳の時に名古屋から上京し、
軍人養成のための全寮制学校、成城学校に入った。その後、陸軍士
官学校は2番、陸軍大学は首席で卒業した。

 参謀本部第二部長の時、張作霖爆死事件が起こり、松井はその犯
人河本大作大佐を厳罰に処すべしと強く主張したが、当時台頭しつ
つあった革新的青年将校の威勢の中で、処罰はうやむやのうちに葬
り去られた。

 松井は、軍紀にやかましい煙ったい親父として青年将校から嫌わ
れたが、この下克上の風潮はさらに悪化し、満州事変の勃発時に、
白昼陸軍省内で永田軍務局長刺殺という前代未聞の不祥事を起こし
た。松井大将は軍の長老として、責任をとり、自ら退役を願い出た
のである。[2,p50]

 四十余年の陸軍在職中には、10年以上も中国に在任し、孫文や、
蒋介石など、多くの名士と親交を結んだ。そして、軍事はもとより、
政治、経済その他あらゆる漢民族の文化を研究するにつれて、中国
愛好の念を深め、次第に日中の親善提携と、アジアの復興を念願す
るようになった。

 特に孫文の唱えた日中提携による大アジア主義に、松井は深く共
鳴し、現役の時から「大亜細亜協会」設立発起人の一人となり、退
役とともに会長となって、日中和平・提携を、日本国内、および、
中国で説いて回った。

 松井は孫文の第2、第3革命を陰に陽に支援し、孫文亡き後は、
その遺志を継いで中国の統一と日中提携を実現しうるものは蒋介石
をおいて他にない、との認識から蒋を支援した。

 昭和2年、蒋介石が北伐の途中大敗して、最大の危機にあったと
き、松井は蒋を日本に呼び、時の田中義一首相に引き合わせた。こ
の会談の結果、日本は蒋の北伐を援助し、張作霖を満州に引き上げ
させた。

 昭和11年、支那事変の前年には、反蒋介石の巨頭胡漢民らと会
談し、蒋介石の南京政府と提携して、中国の統一を図るべきだと進
言している。その足で南京により、蒋介石と会談して、国父孫文の
「大アジア主義」の精神に帰ろうと呼びかけた。[2,p45]

★参照 「JOG43 孫文と日本の志士達」
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogboard/43804931640625.html

■3.上海派遣軍司令官の訓示■

 しかし、蒋は日中提携よりも、国共合作を選び、昭和12年8月
11日には上海停戦協定に違反して、約1万2千名の偽装保安隊を
軍備禁止地域に送り込んだ。上海には当時、揚子江上流から2万2
千名の日本人引揚者がいた。蒋介石は70万人の大軍を集結し、日
本守備隊と居留民を脅かした。

 その2週間ほど前、通州において、婦女子を含む日本人居留民約
2百名が目をくりぬかれるなど、残酷な強姦・虐殺事件があったば
かりである。8月23日に在留邦人の生命財産を守るため、松井を
司令官とする上海派遣軍が送り込まれた。[3,p27]

 当時、すでに予備役にあった松井が、特に上海派遣軍司令官に起
用されたのは、時の杉山陸軍大臣も明言しているように、年来日中
親善に尽力し、中国に知己も多いため、速かに事件を局地的に解決
し、戦闘を拡大しないという政府方針を貫徹には、最もふさわしい
人物であったからである。

 松井は、自分のように、真に中国を理解し、中国人を親愛する人
間が出馬することが、今回の派兵で、怨恨を残さず、かえって「雨
降って地固まる」を実現するのに好都合だと考えた。そこで、部下
各隊にその趣旨を徹底させるために、次のような訓示を行った。

一、上海附近の戦闘は専ら我れに挑戦する敵軍の裁定を旨とし、中
国官民に対しては努めて之れを宣撫愛護すること。

二、列国居留民および軍隊に累を及ぽさざることに注意し、列国官
憲およびその軍隊と密に連絡し誤解なきを期すること。(原文)

 約2ヶ月の攻防で、ようやく上海を占拠し、居留民を保護しえた。
この時の難民区の扱いは、ジャッキーノ神父が感謝した通りである。

■4.国際法・国際常識の通じない相手■

 蒋介石軍の戦いぶりは、およそ近代的戦争の常識や国際法をはず
れたものであった。たとえば、「清野戦術」とは、退却に際して、
敵軍に利用させないために民家などをすべて焼き払ってしまうもの
である。これは、後に南京から撤退する時にも、ニューヨーク・タ
イムズのダーディン記者が目撃・報告しているように、中国軍自体
による放火略奪となって現れる。

 もうひとつは「便衣兵」で、中国兵が農民に偽装して、日本兵を
背後から襲うというゲリラ戦法である。国際法では正規兵はそれと
分かる軍服を着用しなければならない。一般市民を戦闘の巻き添え
にさせないためのルールである。「便衣兵」とは、このルールを破
り、人民の背後に隠れて攻撃をする、という不法な「禁じ手」であ
った。

 さらに日本軍を驚かせたのは、「督戦隊」であった。これは戦意
のない兵隊に対して、後ろから機関銃掃射を浴びせかけて、前進し
て戦わなければ、後ろから撃たれるだけ、という状況に兵を追込む
ものである。これでは、兵は降伏もできず、死に物狂いで戦うしか
ない。

■5.部下を見捨てて逃亡した唐生智将軍■

 南京を根拠とする中国軍は、再び、その付近に大軍を集めつつあ
り、江南地方全体の治安を維持するために、日本軍は南京攻略を決
意した。

 松井は、南京攻略を全軍に伝えるに際し、「南京は中国の首都で
ある。これが攻略は世界的事件であるゆえに、慎重に研究して日本
の名誉を一層発揮し、中国民衆の信頼を増すようにせよ。特に敵軍
といえども抗戦意思を失いたる者および一般官民に対しては、寛容
慈悲の態度を取り、これを宣撫愛護せよ」と命じた。  

 特に松井は南京郊外にある孫文の慰霊廟、中山陵を戦火から守る
ことを厳命し、その保全に成功した。

 12月9日に、松井は平和理に南京開城を願って、降伏勧告を行
ったが、すでに蒋介石や他の将軍達は南京を脱出していた。南京防
衛を命ぜられた唐生智将軍も、降伏勧告を無視して、12日、部下
と民衆を置去りにしたまま逃亡した。

 正規に降伏する機会も与えられず、見捨てられた将兵達は、パニ
ックに陥って、城壁の前で大勢が折り重なって圧死したり、数千人
の便衣兵が市民を殺してその衣服を奪ひ,難民区に紛れ込んだ。

 南京ではドイツ人ラーベを委員長とする民間人有志による国際委
員会が、安全地帯を設け、難民区としていた。ラーベは、日本軍に
対して、「貴軍の砲兵隊が安全地帯を砲撃しなかった見事な遣り方
に感謝するため、我々は筆をとっております。」と謝意を表明して
いる[3,p386]。 

 しかし、清野戦術と便衣兵とで疲弊していた日本軍の一部に、
「若干の暴行・略奪事件があった」と憲兵隊から聞かされた松井は、
必要以外の部隊を城外に出させた。18日、中国軍将兵をもあわせ
祀る慰霊祭を執り行い、「これが日中和平の基調であり、自分の奉
ずる大アジア主義の精神である」と声涙くだる訓示を行った。

 日本軍により治安が回復すると、民衆も続々と南京に戻り始め、
屋台も出るなど、市はもとの活況を取り戻していった。12月24
日から、1月6日まで続いた住民登録では、5万人の人口増加が記
録されている。[3,p293]

■6.興亜観音の建立■

 上海戦から、南京占領までに、日本軍の戦死は2万1,300、
戦傷病者は5万余であった。松井大将は帰還後、昭和14年に日中
戦没者の血の沁みた土を取り寄せ、これをもって熱海・伊豆山の寓
居に興亜観音を建立した。この事変を転機として、両民族が親和し、
今事変の犠牲者が東洋平和の礎石となって、アジアの光明と世界の
平和を祈願して、朝夕、読経三昧の生活を送っていた。

 昭和21年、松井大将はここから、聞いたこともない南京での
「20万人以上の虐殺」の責任者として引き立てられ、絞首刑に処
せられたのである。その思いはいかばかりであったろうか。

[参考]
1.  東京裁判・松井石根被告弁護側最終弁論
2. 「南京事件の総括」、田中正明、謙光社、S63.3
3. 「『南京虐殺』の徹底検証」、東中野修道、展転社、H10.8
4. 「南京事件と大亜細亜主義の悲劇」(関連写真掲載)
http://www2.justnet.ne.jp/~masayoshi_fuse/kokushi/nk_100.htm

_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/★★読者の声★★_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
★JOG(80)「ミラー大尉の遺したもの」について sasaki様より

 今回の記事における「アメリカ映画における[特攻]の描かれ方」
はとても考えさせられる内容でした。これらの事が決して「愚行」
ではなく、むしろ「英雄的行為」として描かれている事は欧米の人
々の特攻隊に対する考えが反映しているものなのだと思います。

 この「アメリカ映画における特攻シーン」については、私は「ス
ターウォーズ・ジェダイの復讐」を思い出しました。この映画でも、
クライマックスの戦闘シーンで反乱軍の戦闘機が帝国軍の戦艦に特
攻を行なうシーンが有ります。

 そして、この特攻は愚行どころか帝国軍の旗艦に致命傷を与えま
す。ここで改めて考えてみたのですが、製作のルーカス氏や監督の
マーカンド氏が、これが「KAMIKAZE ATTACK」だという事に気がつ
かないでこのシーンを入れたという事はありえないはずです。

 だとすれば彼らは、いや彼らもまた「特攻」は決して愚行でも無
駄な事でもない、と考えているという事だと思います。欧米の人々
はたとえ敵国であっても、特攻隊は「敵ながら天晴れ」という感覚
で捉えているのだと思います。今、私はむしろ日本人が、というよ
り日本人だけが特攻隊について、「狂気の沙汰だった」とか「無駄
な事だった」と戦後ずっと言い続けてきた、という事に気づいてな
んとも言えない複雑な気分です。

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