言葉の森 オンラインマガジン

言葉の森新聞2018年6月1週号■親が子供に伝えるべき教育■どんな本を読むか、読まない方がよさそうな本

カテゴリー: 2018年06月01日
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■■親が本当に子供に伝えるべき教育
 日大アメフト部の事件が問題になっていますが、ここで親が考えなければならないことは、こういう場面は長い人生の中では誰にでもあり得るということです。 
 そのときの子供の選択を決めるのは、幼少期の子育ての中で親が伝えたものしかありません。 

 今の世の中は、学校も社会も文化も、こういう肝心の教育については何も関与しません。 
 だから、親だけが子供に、「損の道か、得の道か迷ったら、損の道を行け」と教えることができるのです。 

 いつか日本の社会全体が、そういう本来の日本の文化を取り戻すと思います。 
 しかし、今は、家庭だけが日本文化を継承する場所になっています。 
「葉隠」の中にある一節も同じことと伝えています。 
 それは、生きるか死ぬか迷ったら死を選べということです。 

 ここにあるのは、損得や生死を超えたもっと大きなものがあるという人生に対する信頼感です。 
 そういうものを子供時代に伝えるのが、親の役割なのだと思います。

 成績を上げるとか、体力をつけるとかいう教育は誰でもできます。 
 親だけができる教育が、文化を伝える教育です。 
 今のメディアが流す文化の多くは目先の話が中心です。 
 子供に遠くを見る目を教えるのが、親の役割です。 

 日本のロケットの父と言われる糸川英夫氏が、高校3年生のとき、音楽にするか理科にするか進路の選択に迷い母親に相談したところ、母の言ったひとことは、「自分の好きな方を選べ。しかし、入試の難易度で決めるな」という言葉だけでした。 
 親が言うのは、損か得かということではないのです。  

■■「学力の経済学」の手前にあるもの
「学力の経済学」(中室牧子著)の重要なポイントは、幼児期の教育が、その後の子どもたちが社会人になってからの学力や生活や年収に深く結びついているということです。 
 そこで、幼児期の教育の経済的効果が極めて高いということが言われているのです。 
 その裏づけとなっているものは、アメリカにおける教育実験とその後の長年にわたる調査という客観性のあるデータによるものです。 

 ところで、私はこれを見て、子供たちに影響を与えたものは、幼少期における優れた先生による教育だけではなかったのではないかと思いました。 
 それよりも、その先生が定期的に家庭に赴き保護者に子供たちの教育についてさまざまなアドバイスをしたことによる影響の方が大きいのではないかと思ったのです。 

 定期的な家庭訪問によって、母親の子供に対するものの見方や接し方が変わったはずです。 
 その点こそが、子供のその後の生き方や学力を決定したと思うのです。 

 これは、教室に来ている子供たちの様子を見てもよく感じることです。 
 学力も意欲もあり性格も明るく安定した子供たちに共通するのは、やは知的で謙虚でそして寛容な母親のように思います。 
 父親の影響も、もちろんあります。その特徴は、やはり同じように知的で子供と話をするのが好きで、しかし躾については筋を通すような父親像です。 

 だから、言葉の森が今おこなっている寺子屋オンラインの作文コースや発表学習コースも、その家庭の教育力というものを第一に考えた運営にしているのです。 

 先生がよい授業を行うとか、よい教材で教えているとかいうことよりも、どんな先生がどんな教材を使っていても、それに取り組むときの家庭における両親の姿勢が子供たちの知性や人間性や創造性を育てていると思うからです。 

 しかし、両親と子供だけの関係で、そういう知的な家庭文化を作るのは難しい面もあります。 
 それは、親と子の間だけでは、創造的な勉強を続けるという緊張感を保つのが難しいことがあるからです。 

 そこで、寺子屋オンラインに参加することによって、他の生徒の取り組みに刺激を受けながら、その子の興味と関心をもとにした創造的な勉強を親の協力によって行っていけるようにしたいと考えたのです。 

「学力の経済学」の経済は、幼児期の教育の効果というよりも、その手前にある家庭の教育力によるものだと思うからです。

 子供の学力を決定するものは、勉強よりもその手前にあるものです。 
 例えば、小さいころから本を読む習慣をつけるとか、テレビを見る時間を決めておくとか、毎日の生活時間を決めておくとか、親のペースで勉強させすぎないとか、そういう些細に見えることを日常生活で続けていることが、その後の学力のもとになっているのです。 
 だから、学校の成績などまだあまり関係ないように思える幼児期や小学校低学年のころからの家庭生活が、最も大事な基礎になっているのです。  

■■東大推薦入試型の学力を育てる発表教育
 これまでの学力と言われるものは、覚えた知識を再現する力でした。 
 考える問題のように言われている算数数学の分野でも、解法を覚える勉強によって高得点を取るというパターンができたので、ほとんどの勉強が時間をかけて詰め込めば成績が上がるようになったのです。 

 その結果、優秀な成績で大学に入ったはずの学生が、意外に考える力がないということがわかってきました。
 それが今、世界の大学ランキングで東大や京大がかろうじて後ろの方に入っているという状況を生み出しています。  
 このことに対する危機感から、日本の大学も、生徒の真の実力を見るためのテストとして手間のかかるAO入試を取り入れるようになりました。 
 このAO入試についても、合格することを受験テクニックのように教えるところがありますが、言葉の森の教育の目的はそうではありません。 
 東大の推薦入試に合格することが目的なのではなく、東大の推薦入試が目指しているのと同じような新しい学力をつけることが目的なのです。 

 それは別の言葉で言えば、考える勉強、発表する勉強、創造する勉強を目的とするということです。 
 そういう思考力、表現力、創造力を伸ばすような学習ができるようになったのは、オンラインのウェブ会議システムが誰にも利用できるようになったという、インフラの力によるところがかなりあります。 
 しかし、それ以上に大事なことは、言葉の森の教育理念が、もともとそのような学力を育てることを目的としていたということなのです。 

 この教育には、家庭の協力が重要な要素となります。 
 従来の教育のように、学校や塾に任せるという勉強ではなく、家庭で親子の対話や協働を通して、学力だけでなく文化も育てていくというような勉強なのです。 

 教育は、単に成績だけを上げるものではなく、その子供のトータルな人間力を育てることを目的としているものです。 
 成績が上がるとか志望校に合格するとかいうことは、勉強の結果であって目的ではありません。 

 もちろんそういう理想だけでは受験期の最後の1年間は乗り切れないので、受験直前の時期には必要悪と割り切って詰め込む勉強もしていく必要があります。 
 しかし、それも、それまでの真の学力である思考力が備わっていれば、短期間で成果を上げることができるのです。 

 言葉の森では、この新しい教育を発表教育という名称で呼び、現在ウェブ会議システムを使った発表学習コースの少人数クラスを開いています。 
 まだ、このコンセプトがわかりにくいためか、参加する生徒は多くありませんが、私の子供がまだ小さかったらぜひやらせてみたかった勉強です。 
 将来は、こういう家庭と結びついた考える力を育てる勉強がもっと広がっていくと思います。 

▽関連記事 
「寺子屋オンラインの発表学習コース」 
 https://www.mori7.com/as/3308.html  

■■どんな本を読むか。その前に読まない方がよさそうな本 
 子供の読む本についての質問を受けることが時どきあります。 
 その内容は、どういう本を読んだらよいかというものです。 

 確かに、子供にとってよい本を見つけるというのは、大人になってしまうと分かりにくくなります。 
 しかし、世の中で読む本は無数にあり、子供たちの本を読む速さは、小学生で1週間平均2冊ですから、年間で約100冊です。 
 そう考えると、どんな本を読むかという書名を指定するよりも、どういう本を読んでいくかという方向性を決めておく方が大事だと思うのです。 

 その方向性を決める際に、私が考える「読まない方がよさそうな本」というものを挙げてみます。
 それは、子供たちの読んでいる本を見て、時どき疑問に思ったことがあるからです。

 読まない方がよさそうな本の第一は、怖い本です。  
 子供たちは、怖いもの見たさという人間には誰でもある心理を持っているので、怖い本というものを意外と喜びます。 

 大人は、子供が喜んでいるのだからと思い、そういう本をすすめてしまいがちです。 
 しかし、これは、岡潔さんの言う「無明(むみょう)」を子供の心に育てていることだと思うのです。 
 子供に限らず、大人でも、怖い話や怖いニュースはよく話題にされがちです。 
 それは、無明というものが、人を引きつける力があるからです。 

 子供が成長期に読む本は、明るく前向きな、美しい、人生を肯定するような本であるべきだと思います。 
 きわめて単純なことです。 
 こういう単純なことを、図書選びの基本方針とすることがまず第一です。 

 第二に、これは読まなくてもいい本とは言いませんが、それほどおすすめしないという本です。 
 それは、「何年生の読み物」というような、短編がいくつかまとめられて編集された本です。 
 こういう物語やエッセイが短くつながった本は、手軽に読めるという面があります。 
 しかし、それが逆に熱中して読み続けるという、読書の喜びのいちばんの要になる経験をさせにくくします。 

 昔、「天声人語」を集めた本を読んだことがありますが、途中ですぐに眠くなりました。 
 800字程度の短いエッセイが、次々と始まり、次々と終わるというような本は頭脳を疲労させるのです。 

 本の面白さというものは、熱中してその本の世界に没入するところにあります。 
 ところが、名作を短編にして、それを数多く並べた「何年生の読み物」という本は、子供が我を忘れて読むということがあまりありません。 
 まるで体によいと言われる薬でものむように、その本を少し読んではおしまいにし、また次の日に少し読んではおしまいにする、というような読み方になりがちなのです。 

 しかし、短編集であっても、熱中できる本ももちろんあります。 
 私が、子供のころ読んだ「世界ふしぎめぐり」という本は、読んでいるとき、声をかけられても気がつかないほど熱中して読んだ経験があります。 
 だから、短編集かどうかということよりも、子供が熱中して読めるかどうかということが大事なのだと思います。

▽参考「春風夏雨」(岡潔)より 
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 「無明」 
  前に京都に行ってピカソの展覧会を見たことがある。馬と女性の二種類の図柄の絵が大部分だったが、そこでわかったことは、これはひっきょう「無明」と呼ばれているものを描いたものだなということだった。無明をこれほどうまく描いているのは全く初めてだ。 
  無明というのは仏教の言葉で、私の信奉している山崎弁栄上人の解釈によると、生きようとする盲目的意志のことである。盲目的であるにせよ、ともかく生きようとする意志のことなのだから、それほど恐ろしいものではないだろうし、また、少くとも六道のうちの最高の序列にある人・天の二道における無明は程度が知れていると考えていた。しかし、このピカソの絵を見て、生きんとする盲目的意志がどんなに恐ろしいものかがよくわかった。 
  そこに描き出されたものは全く無明そのものなのだった。だから会場でも、一つの絵の前に立ち止ってゆっくり眺めようという気がせず、また二度も見ようなどとは思わず、二十分足らずで出て来てしまったのだった。 
  そうして帰りがけに人の顔を見ると、どの顔にも無明が見えて仕方がない。というより、人の顔が無明そのものになっているという感じだった。 
 (中略) 
  ピカソの絵は美を描いたものとはいえない。ここには芥川龍之介のいう「悠久なものの影」は見当らない。しかし、すぐれた人の文化的な作品には違いない。彼が巨匠であることはまぎれもない事実で、その作品は巨匠の傑作というほかはない。彼は醜悪なものを絶えず見つめることによって、その本質を描けるようになったといってよい。 
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