チョー哲-18歳のための哲学超入門

『18歳のための哲学超入門』第8回(チョーテツ18-8)2016年6月16日(水)


カテゴリー: 2016年06月15日
『18歳のための哲学超入門』第8回(チョーテツ18-8)2016年6月16日(水)

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このテキスト版は、むしろ簡易版としてお考えください。では、本論です。
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 皆さん、こんにちは-(^o^)。前回の宿題、問答法については、調べてもらえましたか-(^o^)? 。

問答法はまた、仮設問答法とも呼ばれています。つまりそれは、対話している人が互いに認めることのできることがらを、その都度に確認しながら認めて、その上で考えを進め、より確かな知識を順に固めていく方法だからです。

 前回と前々回に見たような幾何学の例ではなくて、倫理学的なテーマについても、ソクラテスはやはり同じ『メノン』の中で実際に問答を展開しています。その様子については、また別に紹介することにしようと思いますが、ソクラテスの問答のあり方は、後にいわゆる三段論法を地中心に考えていく論理的推論のお手本にもなっています。

 これについては、メルマガの補足号版で紹介することにしましょう-(^o^)。

◎ イデアと哲学 ◎

 知か無知かという二分法に代えて、ソクラテスが出してきたのは、知っていたということは忘れているが、知っていた内容は思い出しつつある、というその中間の状態です。

 私達は、新たに学習しえることすべてについて、すでに最初から、判断の基準を持っている。例えば、「善い」ということについて、すべての場面で、あることがらが「善い」かどうか、判断できる大元の基準を、私達は持っている-(⌒-⌒)。

ただ、正確にそれが何であるか、このことを私達は完全に知っているわけではない。とても偏った仕方で、そのごく一部のあり方のみを、それもまったく不正確な仕方で、分かっているだけです-(~_~)。

 けれども、誰かが、運良く、あるいは才能によって、あるいはたまたま何かの事例を経験することによって、まだ自覚されていなかったその基準の別のある側面に気づくことがある。いったん気づかれると、他の人にも、それを伝えて、同じように気づかせることができますよ-(⌒×⌒;)。

 この気づきは、何を忘れていたのか忘れ、また忘れていたということも忘れていたという状態から、忘れる前のことはそのまま忘れているのですが、少なくとも、何を忘れていたか、その内容の一部は思い出したという意味で、「想起」といえますね。

 こういう具合に考えて、私達がもともと持っているはずの、大元の基準そのものをやがてプラトンは「イデア」と呼ぶことになりました。プラトンにとって、特に重要なイデアは、善さに関する基準、つまり善のイデアです。

 ところが、人間のあるべき行為の大元の基準となるこの善イデアについて、私たちは分かっているはずのことを、しょっちゅう忘れていたりもします。

例えば、人間はどんな人でも人格として尊重しなければならない、ということは、そう言われて、いや、人格否定は悪ではない、と正面切って考える人はいなさそうに思えませんか? 尋ねられてそのように言い切れる人を身近に探せるでしょうか-(゚ペ?).....?? 

 ところが、ヘイトスピーチのような、他人にたいする暴言が止まらないような人というのは、あなたのやっていることは、ヘイトスピーチ、暴言ではないか、と訊いてみても、たいていの場合、自分がそういうことをしているという自覚はないようです。

いや、そんなことはない。たんなる事実、本当のことを言ってるだけだ、とさえ思っていたりします。いじめにしてもそうですね。いじめている側は、たいていの場合、自分がいじめをやっているという自覚がない。

いや、あなたのやっていることは、ヘイトスピーチだし、暴言だし、いじめだ、ということを、何らかの仕方で気がつかせる。これは難しいことです。けれども、やはり気づいてもらわなければならない。

 これらの場合、何が善で何が悪か、頭では分かっているはずなのに、自分が善から外れて悪をなしていること、このことが分からなくなっている。つまり、自分で自分のこと側からなくなっている、と言いえそうですね-m(*- -*)m。

どんな場合でも人は人格として尊重するべきであり、暴言やいじめは悪だ。このことは、ほぼ誰でも頭では分かっていると思われますが、実際、自分のやっていることになると、それが分からなくなり、そのことを忘れてしまう。

 悪というのは、そのようにしてなされるのだと思われます。やっている本人が、それが悪であり、悪いことだからそれをやる、と自覚的に思ってそれをやる、いうことはまずないのではないでしょうか?

人間にはやはり良心というべきものがあるように思われます。悪いことは、やはりうしろめたいのです。

実際、悪だということのなんらか自覚のある場合には、悪いことだからそれをやる、という人はまずおらず、せいぜい、このくらい、まあいいか、という仕方で考えるのではないでしょうか。

 このように人間であるならば恐らく誰もが本当は分かっているはずの善悪の基準、つまり善のイデアについても、私たちはその内容を、特に自分自身のことについては、すぐに忘れて見えなくなってしっていることが多いように思えます-(~*×*~;)! 。

 哲学=フィロ-ソフィア=知への愛です。それはまた、魂への気遣いとも言われます。

つまり、忘れられたイデアをもう一度取り戻すべく、多くの人との対話(ディア・ロゴス)によって、曇ってしまったのでイデアの内容を忘れてしまった魂を、一生の間ずっと、何とか浄化しようとする気遣いである、というわけです。

 奇妙な記号を付けてしまいましたが、第2回で立ち上がった[mナ(*--*)イm]の問題をソクラテスとプラトンの考え方に沿って捉えるために、イデア説と関連したところで、さらに考察を進めましょう。

自分とは違う他者を、共感することができないにもかかわらず理解するとはどういうことだろうか、というあの問題、つまり、他者理解はどのようにして可能か、という問題です。

◎ 事実を認めることは理解なのか? ◎

 例えば愛猫家が「なぜ猫を飼うのですか?」と聞かれて、「猫が好きだからです」と答えたとします。

ここでさらに「なぜ好きなんですか」と尋ねられて、小さいときから家で猫を飼っていたからとか、友達が飼っていてつられたとか、捨て猫と目があってどうにもかわいそうだったからとか、そういうことを述べても、それは事実経過を述べているに過ぎませんね-(゚ペ)? 。

なぜそういう事実があるがゆえに猫が好きになったのか、このことは不明のままです。同じ経験を共有していても、猫が嫌いな人もいるでしょう。

 問題は、そういう事実があるとして、ではなぜその事実によって自分は猫のことが好きになったのか、ということです。

小さいときから飼っていたのが犬だったり、友達が飼っていたのが犬だったり、捨て犬と目が合っていたりしたら犬が好きになっていたのだとすれば、問題は犬か猫かではなくなりますよ-w(~*o*~)w オー! 。

 むしろ問題は、その人の好き嫌いを定めるのは、習慣か友人か同情心か、いったい何なのか、いうことになってしまいます。習慣や友人や同情心も、確かに人の好き嫌いに大きな影響を与えるでしょう。

けれども、そういうものによってすべての人の好き嫌いが、完全に何か法則に従って決まるように決定されてしまう、ということはどうもなさそうです。同じ体験をしたって、みんな同じものが好きとか嫌いになるわけではないでしょう-(⌒-⌒?)。

 むしろここで、自分は気質的に猫と相性が合うからだと説明したとしましょう。

すると問題は、どういう経験をして、それにどう影響されたのかということではなくなります。その場合だと、気質というのは、その人の好き嫌いを定めるのは何なのか、ということに対して、むしろその人の好き嫌いを定める何か原理のようなものだ考えることになるでしょう-(^-^*)。

 このように考えると、気質というのは、「私っていったいどういう人で何者なの?」ということへの答えの重要な一部ともなりますね。

 ですが、自分の「気質」について私達は自分でどれだけのことを、どのような意味で、分かっているのか?、ちょっと考えてみてください。気質が合うから猫が好き、ということで、いったい自分についてその人はどういう理解を語っているでしょう-(゚ペ)? 

 気質が合うから好き、ということで私達はどういうことを考えているのでしょう?。

例えば、猫と自分の行動パターンの似たところを挙げることもできるでしょう。けれども、自分と似たものならば何でも好きになるとは限らないでしょうし、逆に自分とあいつはあまりにも似ているから、あんなヤツなどいて欲しくない、ということもあるでしょう。

 とにかく、好きだから好きだ、そんなのそれ以上説明が付かない、それが自分自身についてのどうしようもない事実なのだから。そういう事実があるということを、自分の気質がそのようになっていると言うのだ。--さしあたり、このことをもって「自己理解」が成り立った言うとしましょうか-(?⌒ー⌒;。

 ですが、これは本当に「理解」といえるでしょうか。事実を事実として認めるということと理解ということは必ずしも同じであるといえないのではないでしょうか?

 自分のことで恐縮ですが、例を挙げましょう。私の両親は神戸に住んでいて、阪神淡路の地震では建物倒壊、1年間くらい仮設住まいでした。

そういう事実があるとして、事実は事実だから、それを受け入れ認めるしかないとしても、それでそのような事実を理解した、といえるでしょうか。

◎ 事実の認識は理性的理解ではない ◎

 あることを理解した、分かった、というのは、それについてそれがそうでなければならない必然性を理性的に了解して、納得した、ということを含んでいると考えるのが自然ですよ-(^-^*)。

例えば数学である定理を習ったとして、それを丸覚えしただけでは、理解した、分かった、とは言いませんよね?

事実がそうであるとしても、丸覚えではダメで、理解したというのなら、なぜそうなのか、そうでなければならないのか、このことが分かっていて、しかも人にも説明できなければならないでしょう。

 では、例えば地震でなぜその人達が酷い目にあわなけければならないかったのか? たまたまタンスの横に寝ていたAさんは亡くなり、入り口に近かったBさんは助かった、なぜそうでなければならなかったのか?

こういうことについて理性的な理解と納得などできるでしょうか。

どうもできそうにありません。そういう目にあったという事実は否定しようもなく、そこから出発しなければ、何時までも愚痴をこぼしていても仕方がない。それはその通りですが、事実から目を逸らさず、そこから逃げないということと、その事実を理性的に理解し納得するということは違うのです。

 地震の例の場合ですと、何かそんな目に遭わなければならないような、酷いこと、悪いことを自分は今までしてきたと言えるのか、という問いがどうにも頭をもたげてくるでしょう。

オレはそんな悪いことはしていない。世の中で起きることは、すべからく因果応報、善いことがらには幸福を、悪いことがらには不幸を、そうなっているはずではなかったのか・・・、神も仏もいないのか・・・?、と考え始めもするでしょう。

 事実や現実には、理性的に考えれば、根拠もなく、また矛盾したことが多くあります。むしろ矛盾だらけかもしれません。けれども、人間というのは勝手なものですから、たいていは、自分に都合がよいときには、何で自分だけが・・・・?、とは考えません。

都合が悪くなると、なんで自分だけが・・・?、と考えるわけです。あるいは、言葉にもならないような不幸なことを体験した場合は、この問いはなおさら深刻なものになります。

 ここで問題は基本的なところに戻ってきます。他者理解とは何かという以前に、まずは例えば猫のことが好きだという事実について、あるいは、自分が地震に遭って大変な被害を受けた、ということについて、事実を認める、ということのみならず、それを自己理解するとはどういうことか、これはまだよく分かりません。

 実は一般に、生じてしまっている事実を理性的に理解するとはどういうことなのか、ということがもともとよく分かっていないのです。

 他者のことを理解できるとはどういうことか?-1 この問題に入っていく以前に、自分を理解するとはどういうことか-2、これもよく分かっているとは言えない。他者理解とは何かという問題を考えるには、自己理解とは何かという問題もクリアしなければならない。

 そしてそれはまた、一般に事実を理性的に理解するとはどういうことなのか-3、というより一般的な問題を考えなければならない、というところにまで、さらに私たちを引っ張っていきます。

3つの課題が出てきました-(⌒×⌒;)? 。

◎ 問題の再確認 ◎

いよいよ他者理解はどのようにして可能か、という問題を考えるところに近づいてきましたよ。問題を確認しましょう。

 人のことが分かる、理解できる、ということが、もしも、たんに自分も同じように思う、つまり、たんに共感する、ということであるとします。

すると、自分の考え方がまるで鏡に映るように他の人の中にも映って見え、この意味でたんに共感できたら、つまりそのひとのことが分かる!「そうだ、そうだ (⌒-⌒)」とうなずき合い、映らなければぜんぜん分からない!、「えー?、えー(~×~;)? 」と互いに変な顔になる。

こうなってしまうと、結局はどこまでいっても永遠に自分の世界の外には出られず、新しいことも何もない、常にワンパターンでつまらない、ただたんに自分の世界の中に留まって、それを超えるような新たな中身が何も出て来ない人生になってしまうかも、・・・内容がナイヨー-m(*- -*)mといった事でしたね。

次回は、この問題を、イデアと想起といった、ここまで見てきたようなソクラテスやプラトンの哲学的な考え方を踏まえて考えて見ることになります-(o(^-^)o)。

宿題!!
次回から次々回にかけて、「アリストテレス」「エイドス」「二世界説」について調べてみておいて下さい-(⌒ー⌒)ノ~。

                          ではまた。(* ̄▽ ̄)ノ~ ~ ~

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