古代史探求レポート

捻じ曲げられた崇峻天皇の暗殺


カテゴリー: 2017年06月06日
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古代史探求レポート 2017年6月7日号
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私達は、第二次世界大戦に負けて以降、アメリカが絶対的な正義であり、世界の警察であった時代に育って来ました。ですから、そのアメリカが作った日本国憲法も、私たちの気持ちのどこかに、それのどこが悪いのだという目で見てきたように思います。
この、日本国憲法の草案が、中国から出されたものであったとしたなら、もっと早くに憲法を見直そうという機運が高まったのかもしれません。
今、地球温暖化のために世界が二酸化炭素の排出を制限しようと決めたパリ協定を、アメリカが外れようとしています。この決定には、誰一人それに賛同する人はいなくなりつつあります。また、アメリカが進もうとする保護主義や民族差別的な動きにも、今や誰も賛同しなくなりつつあるように思います。
アメリカがこのまま、アメリカファーストなる利己主義に突き進んでいくのなら、そのアメリカが作った日本国憲法に疑問を抱く人も増えるのかもしれないと考えます。もしかすると、時代の流れが日本国憲法を見直そうという機運になりつつあるのかもしれません。
加憲であれば認めても良いというのもよくわかりませんが、今一度、全国民で一条毎に大きく議論をしても良いのではないかと思います。本気でやれば、どの条文も深い議論ができるように思うのです。わずか、103条の条文です。どこかのマスメディアが引っ張っても良いのではないでしょうか。それとも、どこのメディアも、それにより右だと思われることの方が気になるのでしょうか。
その上で、今のままで良いというなら変えなければ良いのです。
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■ 日本書紀 崇峻天皇 泊瀬部天皇 天皇暗殺

五年冬十月四日、猪をたてまつる者があった。天皇は猪を指しておっしゃった。「いつの日かこの猪の頸を斬るように、自分がにくいと思うところの人を斬りたいものだ」と。朝廷で武器を集めることが、いつもとどうも違っていることがあった。十日、蘇我馬子宿禰は、天皇が仰せられたと云う言葉を聞いて、自分を嫌っておられる事を警戒した。一族の者を招集して、天皇を弑(しい)することを謀った。
この月、大法興寺(飛鳥寺)の仏道と歩廊(ほろう)の工を起こした。
十一月三日、馬子宿禰は群臣をだましていうのに、「今日東の国から調をたてまつってくる」と。そして、東漢直駒(やまとのあたいこま)を使って、天皇を弑したてまつった。ーーある本に東漢直駒は、東漢直磐井の子であるとある。ーーこの日、天皇を倉梯岡陵(くらはしのおかのみささぎ)(奈良県桜井市倉橋)に葬った。
ーーある本には、大伴嬪小手子(おおとものみめこてこ)が、寵愛(ちょうあい)の衰えたことを恨んで、人を蘇我馬子宿禰のもとに送り、「この頃猪をたてまつったものがありました。天皇は猪を指さして、「猪の頸を斬る如くに、いつの日か、自分が思っているあの人を斬りたい」といわれました。また内裏に多くの武器を集めておられます」とつげた。これを聞いて馬子宿禰はたいへん驚いたとある。
五日、早馬を筑紫の将軍たちのところに遣わして、「国内の乱れによって、外事を怠ってはならぬ」と伝えた。
この月、東漢直駒は、蘇我嬪河上娘(そがのみめかわかみのいらつめ)(崇峻天皇の嬪か)を奪って自分の妻とした。馬子宿禰はたまたま河上娘が駒に盗まれたことを知らないで(河上娘は馬子の女(むすめ))、死んだものかと思っていた。駒は嬪を汚したことが露見し、大臣のために殺された。
(全現代語訳 日本書紀 宇治谷孟 講談社学術文庫)
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今回は、崇峻天皇の暗殺についてお話しさせていただきます。
少し、その頃の時代の流れをおさらいしますと、継体天皇が越の国からやってきて、大王になり新たな天皇の系譜が始まりました。そして、これまでの天皇家の血を引く手白香皇女との間に子供ができ欽明天皇となります。欽明天皇亡き後は、敏達、用明と欽明の子供が皇位を継いだのです。用明天皇がわずか2年余りで亡くなったため、その弟であり、欽明天皇の12番目の子供である泊瀬部皇子が皇位を継承します。これが崇峻天皇でした。
この直前、崇仏論争に始まった蘇我氏と物部氏の争いは蘇我氏が勝利をおさめ、蘇我氏が天皇家の外戚として大きく力を伸ばすことになりました。この戦いには、聖徳太子も蘇我氏側として参戦し、物部氏と戦いました。その後の世の中を仕切っていたのは、蘇我馬子であり崇峻天皇は完全な蘇我馬子の傀儡政権の形で存在していたとされています。
しかし、傀儡であろうがお飾りであろうが、この事件は臣下による天皇(大王)の暗殺事件です。決して許されるべき行いではないのです。大海人皇子による天智天皇の暗殺という説があったり、本当は即位していたかもしれない弘文天皇こと大友皇子を大海人皇子が殺害したというのも、正史である日本書紀には記載されていないことです。
悪徳天皇のような記載がある雄略天皇にしても、また、天皇資質が危ぶまれるほどの武烈天皇にしても、臣下を殺害することはあっても天皇を殺害して皇位を簒奪したことはなかったのです。もちろん、儒教は日本の正教ではありませんでしたが、儒教の教えの中では親殺しと同等の最も許されざる行為にあたります。
天皇の殺害という例を日本書紀の中で探すと、父の仇を撃った眉輪王による安康天皇の殺害のみが存在しているだけなのです。眉輪王の父、大草香皇子は讒言により安康天皇に殺されてしまいます。そして、母は安康天皇の皇后にさせられるのです。真実を知った眉輪王は、安康天皇を殺害してしまいます。
これとて許されない行為ですが、仇討ちであったことで、殺害事件ではありますが納得できる内容です。また、この殺害事件があったことで、次の雄略天皇は非常に猜疑心が強くなり、皇位を脅かす可能性のある人物を次々を殺害していきました。一種、雄略天皇の正当化のために作られたような事件になっているのです。
これに対して、崇峻天皇は違います。これは、大臣による天皇の暗殺です。しかし、そのような大罪にもかかわらず、世の中は何ら騒ぐこともなく、暗殺者の蘇我馬子は平然と大臣の位で政治の采配を振るうのです。ただ、遠い筑紫に騒ぐでないと早馬を一騎走らせただけで、全てが終わってしまいました。正直、非常に理解しにくい事件なのです。
実行犯の東漢直駒は、天皇を暗殺したにもかかわらず、なんら罰が課せられなかったのです。彼は、後日蘇我馬子大臣に殺されるのですが、それは大臣の娘を汚したからなのです。天皇の殺害では一切の罰を受けず、娘を汚すと殺されるのです。この記録に、なぜ人々は違和感を感じないのでしょうか。
日本書紀によると、この事件の後、推古天皇が日本初の女性天皇として即位し、三頭政治とも思われる、推古天皇、聖徳太子、蘇我馬子3人の協調による政治がなされたと書かれているのです。皆さんは、本当にそうであったのだと信じておられるのでしょうか。
聖人であるはずの聖徳太子はというと、その時、何の発言も行わず、その後蘇我馬子と一緒になって推古天皇を支えたことになっています。少なくとも、初期の頃は非常に近い仲間であったことも事実なのです。これを機に、蘇我馬子から離れていったというのであればわかりますが、そうではないのです。
何とも不思議な事件なのです。紹介させていただいた日本書紀を読んでいただくとわかるように、大伴小手子の告げ口が全ての始まりであったかのように書かれています。その告げ口には、今にも天皇が蘇我馬子を討つために兵や武器を集めていると言っているわけですから、放っておけば蘇我馬子が殺されることになります。従って、正当防衛であったのだということが書かれているのです。しかし、元々、家臣の側に正当防衛など存在するのでしょうか。
加えて、なぜにここで蘇我馬子を擁護するような文章を入れておく必要があったのかが非常に不思議なのです。日本書紀の編者は、蘇我蝦夷並びに入鹿には非常に厳しい記述を行なっていますが、蘇我馬子にはどちらかと言えば、擁護するような姿勢を取っているのです。
乙巳の変の後、天智天皇を支えた蘇我倉山田石川麻呂、蘇我赤兄、蘇我日向、蘇我果安の父親は蘇我倉麻呂です。そして、倉麻呂の父親が蘇我馬子です。蘇我一族は、天智天皇の治世を支えた重要な一族であったことは変わりがないのですから、その意味でも、蘇我馬子に対して非常に寛大な記述がされているのかもしれません。
また、大伴小手子の名前が出てくることにも驚きます。継体天皇の治世で、百済との贈収賄事件により継体王朝を成立させた立役者の大伴金村は完全に力を失ってしまっていました。その後の日本書紀で、大伴の名前が出てくるのは、壬申の乱で活躍した大伴吹負(ふけい)の活躍です。但し、壬申の乱の最初は、彼は将軍でも何でもなかったことを考えると、大伴氏は第一線からは没落してしまっていたと考えるのが適当かと思います。
にもかかわらず、ここに天皇の妃として名前が出てきます。大伴小手子の父親は大伴糠手子(ぬかてこ)で、彼の父親が大伴金村になります。没落したと言えども、未だ名門の家柄であったことに違いはないということなのでしょうか。大伴氏健在なりと示すかのような登場です。ただし、この告げ口は決して名誉なことではありませんから、これにより大伴氏が終わったということを意味しているのかもしれません。
事実、小手子はこの後、天皇の后とはかけ離れた生活を送ったようです。小手子は、崇峻天皇が暗殺された後、福島に逃れたという伝説が残っています。福島県伊達市には、この小手子の伝承が残ります。小手姫と呼ばれており、天皇が亡くなった後、実の子どもである蜂子皇子(はちこのみこ)を訪ね、この地を訪れます。その時、多くのクワの葉が茂るのを見つけ、この地域に養蚕や機織の技術を伝えたとされています。また、亡骸は女神山に埋葬されています。
子供の蜂子皇子はと言うと、丹後から脱出し日本海を伝って山形県鶴岡市に上陸し、羽黒山に登り出羽三山を開きます。羽黒山の能除太子とは、蜂子皇子のことなのだそうです。出羽三山神社には、宮内庁が管理する蜂子皇子の墓が存在しています。母も子も都から遠く離れた山中で、生涯を終えたようです。
崇峻天皇の殺害は、蜂子皇子にも及んだようですが、どうにか難を逃れていたようです。そして、これを助け出したのが聖徳太子であるとなっていますが、これは後から付け足された伝承であると思います。
暗殺の翌月には、蘇我馬子が額田部皇女に皇位の継承を頼み推古天皇が誕生するのです。この、あまりにも不思議な事件の結末が、日本最初の女帝の誕生につながるのです。
私は、非常に大きな違和感を感じるのです。何故なら、天皇を殺害までしながら、誰も何も得することがないからです。これで、蘇我馬子が皇位を継承できたなら、その理由は大いに理解できます。皆が不幸になったわけでもなく、誰も幸せにならずに、ただ、天皇が殺されたのです。殺した人間が罪に問われることもなくです。
クーデター行為が行われるには、必ず、それを起こさなければならない必然が存在するはずです。何の政策を打ち出すことのない指導者を殺害して何のメリットがあるというのでしょうか。少なくとも、馬子にとって彼の存在は邪魔にはならなかった筈です。
また、周囲の静けさは何なのでしょうか。同じクーデターでも、大王ではない大臣を殺害するという乙巳の変でも、あれだけ大きな騒ぎになったのです。父親の蝦夷は自害し、同じように登場した東漢氏に決起を思いとどまるように説得するシーンも描かれていました。墳丘は暴かれ、石室だけが残されるあらわな形を示しているのです。
そのような騒乱は何一つ書かれていません。崇峻天皇はすでに5年も大王の位に在籍していたのです。自分を支える家臣達もいたでしょうし、蜂子皇子にも仇を討とうという動きはあったのではないでしょうか。崇峻天皇が、近臣も避ける武烈天皇のような悪徳な人物であったというなら別ですが、そのような記述はどこにも残されていません。
何かが大きく捻じ曲げられているのではないでしょうか。
蘇我馬子の仕業ではなかったと考えたらいかがでしょうか。では、誰であったのか。崇峻天皇を殺害して、皇位を簒奪できる可能性を持っていた人物であり、かつ、当時の権力者である蘇我馬子の後ろ支えを得られる人物がこれをなし、皇位を簒奪したとしたならどうでしょう。そうであれば、騒ぎにはならなかったかもしれません。
可能性があるのは、聖徳太子です。彼が、崇峻天皇を殺害し、皇位を奪ったというのであれば納得はいきます。それを蘇我馬子が支えたというのも納得がいくように思うのですがいかがでしょうか。聖徳太子は物部討伐にも参加し戦っています。怒りに任せて筆を投げつける性格を持つ人物でした。自からの手で、皇位を奪い取ることがあってもおかしくありません。
推古天皇が、馬子の頼みを聞き入れ皇位を継いだことになっています。それまで、大王は男性だけだったわけですから、まさか、女性が自分が天皇になるためにクーデターを起こすなど、あり得ないと誰もが考えます。つまり、全くあり得ない人物を置くことで、大王の殺害による皇位簒奪という大罪が跡形も無く消されてしまったのです。こんなことができるのは、馬子だからこそなのでしょうが。
私は、この聖徳太子による皇位簒奪があったことには、既に多くの証拠が発見されているように思うのです。
四国は愛媛県、伊予国に伊予湯岡碑(いよのゆのおかのひ)というものがありました。現在碑は残っていないのですが、碑文は様々な資料に引用されています。碑文には「法興六年」に「我が法王大王が慧慈法師及び葛城臣とともに、伊予の村に遊んで、温泉を見て、その妙験に感嘆して碑文を作った。」とあります。また、「神の温泉に湯浴みして、病をいやすのは、ちょうど極楽浄土の蓮の花の池に落ちて、弱い人間を仏に化するようなものである。」と碑文には残されているのです。
法興六年とは、西暦596年です。崇峻天皇が亡くなったのが592年。596年での大王は推古天皇のはずですが、我が法王大王と記述されている人物は聖徳太子です。そして、聖徳太子が、その伊予の温泉に来た理由は、病を癒すためです。何の病であったのか。私は、彼は崇峻天皇の殺害に対して、精神的に非常に苦しんだのではないかと考えているのです。だからこそ、彼の人生は仏教にのめり込んで行ったのではないでしょうか。その贖罪のために仏にすがったように思えてならないのです。
もちろん、この伊予湯岡碑が聖徳太子のものではないという説も一部にはあります。しかし、伊予風土記には、聖徳太子が来たことが記載されていますし、同行したとされる慧慈法師は、その一年前に日本にやって来て聖徳太子の仏教の師となっているのです。辻褄は合っているのです。
それだけではありません。法隆寺の副住職であった高田良信師が平成五年に著した「法隆寺建立の謎・聖徳太子と藤ノ木古墳」の中で、法隆寺の古文書の中から、藤ノ木古墳を崇峻天皇陵と記述した文書を見つけたことを書き残しているのです。
藤ノ木古墳は六世紀後半に作られた円墳であるとされています。このため、崇峻天皇のために作られたものとは少し考えにくいことは確かです。加えて、円墳であることも崇峻天皇の墓としては物足りない感じがします。日本書紀には、倉梯岡陵だと言っていますから、最終的には倉梯岡陵に葬られたものと思いますが、もしかすると聖徳太子が斑鳩宮に宮を移すにあたり、藤ノ木古墳に埋葬されていることを嫌って移葬されたのではないかとも考えるのです。
また、聖徳太子が斑鳩宮に移り住み、そこに、法隆寺を作った理由は、聖徳太子の崇峻天皇による贖罪であったのではないかとも私は考えるようになったのです。再建された法隆寺は、聖徳太子の怨霊を鎮護するための寺であったのかもしれません。しかし、太子によって作られた最初の法隆寺は、隣に眠る崇峻天皇の霊を鎮めるためのものであったのではないかとも思うのです。
これらの事実だけでは、到底、聖徳太子が大王であったことも、また、崇峻天皇を殺害して皇位を継承したことの絶対的な証拠にはなりません。しかし、そうであったと考えたなら、蘇我馬子が崇峻天皇を殺したことにしたことで、聖徳太子による簒奪に世間が大騒ぎすることがなかったこともわかりますし、殺害されたことすら、当時は公にされなかったかもしれないとも考えます。
また、聖徳太子に対して、蘇我馬子が絶大なる信頼を寄せており、彼が大王になることを蘇我馬子が心底応援していたのかもしれないと私は考えるのです。誰も騒ぎ立てなかったのは、家臣のトップが皇位が適切な人に継承されてよかったではないか、とそれを祝したからではないかとも思うのです。
また、聖徳太子が初期の頃精神的な病になったのも、仏教を重んじたのも非常によくわかる気がするのです。加えて法隆寺も斑鳩宮も全てが辻褄が合うように思います。
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<<編集後記>>
猪の姿を見て蘇我馬子を思ったという箇所が強調されて、蘇我馬子は首のない人間の姿に描かれたりします。しかし、歴代の蘇我一族の当主の中でも、群を抜いてキレものであり人望があった人物であると思います。彼の国際感覚が、多くの帰化人を惹きつけるとともに、日本を隋や唐に倣った国へと方向転換させたように思うのです。
日本書紀に書かれた、最大の罪名は天皇殺しであったのですが、それが彼の仕業でないとするなら、私達は蘇我氏への見方を大きく変え、反省しなければならないと思うのです。

<発行者> 株式会社歴史探求社
<公式サイト> www.rekitan.co.jp
<問い合わせ> web@rekitan.co.jp
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