古代史探求レポート

法隆寺の謎の解明が聖徳太子の姿を映し出す


カテゴリー: 2017年05月23日
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古代史探求レポート 2017年5月24日号
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トランプ大統領は、やはり熟考の上論理的に話すと言うタイプの人ではありません。まさかと思っていましたが、結構、短絡的で、感情で発言する人なのかもしれないと考えるようになってきました。ツイッターが手放せないのは、発言せねばいられないと言う性格なのかもしれません。大統領の資質というものが存在するのかどうはわかりませんが、やはり、これまでの人とは違う育ち方をされた方のようです。
そういう、俗に言われるエリートには、最早、自分達の政治を託したくないという人々が多いということなのだと思います。最近、改めて、実感できるようになってきました。
さて、その大統領がロシアとの癒着が疑われています。大統領選にロシアが入り込み、トランプ大統領が勝利するようにネット操作を行ったとい疑惑です。そのような小説の話のようなことが、実際に存在するのでしょうか。
大統領とは何者にも超越した権力を持つ人のように見えました。FBIの長官を解任したまでは鼻息が荒かったのですが、今回の特別検察官なる人選により、敵に回した組織の大きさにびっくりしているのかもしれません。
そのような大きな秘密裏の取引を実現できる人ではないように思いましたが、もしかすると本当にロシアからの誘いに乗ってネット操作を依頼したのかもしれません。
早々に舞台から降ろされてしまうのか、少なくとも4年間は大国アメリカの指導者として活躍するのか早くも正念場がやってきたのかもしれません。国民への目隠しに、北朝鮮を使うという手段だけは避けていただきたいと思っていましたが、もしかすると、それもまた良い時代の流れを作るのかもしれないと思ったりもします。今年、来年はいろんなことが起きそうな年になりそうです。
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■ 隠された十字架 法隆寺論 梅原猛 

それは、1970年の四月のある日であった。私は何気なく天平十九年(747)に書かれた法隆寺の「資材帳」を読んでいた。そこで私は巨勢徳太(こせのとこた)が孝徳天皇に頼んで、法隆寺への食封(へひと)三百戸を賜っているのを見た。巨勢徳太というのは、かつて法隆寺をとりかこみ、山背大兄皇子はじめ、聖徳太子一族二十五人を虐殺した当の本人ではないか。その男が、どうして法隆寺に食封を寄附する必要があるのか。
日本の歴史を少しかじったものとして私は知っていた。日本において、多くの勝者は自らの手で葬った死者を、同じ手でうやうやしく神と祭り、その葬られた前代の支配者の霊の鎮魂こそ、次の時代の支配者の大きな政治的、宗教的課題であることを。私はここに日本の神祭りのもっとも根本的な意味があると思っていた。
もしも法隆寺に太子一族の虐殺者たちによって食封が与えられているとすれば、法隆寺もまた後世の御霊神社や、天満宮と同じように、太子一族の虐殺者達によって建てられた鎮魂の寺ではないか。「資材帳」は一旦停止された食封が再び与えられたのが、養老六年(722)と、天平十年(738)であることを示していた。ところが、この養老六年と天平十年というのは、いずれも当時の藤原氏の権力者が死んで、藤原氏及び藤原氏の力で政権を握っていた皇族達が危機におち入った年であった。
なぜ、藤原氏の権力者の死後、食封が法隆寺に下されるのであろう。巨勢徳太の場合と同じように、それは太子の霊への恐怖ゆえであろう。太子一族と蘇我氏の滅亡、彼等の犠牲の上に大化改新はなされ、舒明帝の子孫と藤原氏が支配する時代が来た。殺害者の子孫たちは、彼らの父母の死に見えざる怨霊の復讐を感じて、その霊を手厚く祀ろうとしたのではないか。
(「はじめに」より一部抜粋 新潮文庫)
(注意)メルマガの送信字数制限のため、歴史探求社により改段しています。西暦を漢数字から算用数字に変更しています。
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多くの皆様が既に法隆寺は見学されたのではないでしょうか。平成五年に世界遺産に登録された世界最古の木造建築物です。修学旅行で見たと言われる方も多いと思います。
法隆寺の縁起には「用明天皇が自らのご病気の平癒を祈って寺と仏像を造ることを誓願されましたが、その実現をみないままに崩御されたといいます。そこで推古天皇と聖徳太子が用明天皇のご遺願を継いで、推古15年(607)に寺とその本尊「薬師如来」を造られたのがこの法隆寺(斑鳩寺とも呼ばれています)であると伝えています。」と書かれています。
斑鳩宮の造営は、601年に開始されました。移り住んだのは605年。裴世清がやってきたのは608年です。その時には、斑鳩宮の隣に斑鳩寺があったと考えても良いのではないでしょうか。
遣隋使の時にお話させていただいたように、日が昇る前に跏趺して坐り神の声を聞いていた聖徳太子ですが、もしかすると、秘仏とされていた救世観音像の前に坐して観音様の言葉を聞いていたのかもしれません。救世観音像は、太子しかお姿を見ることができなかったのではないかとも考えるのです。だからこそ、秘仏となったのかもしれません。
今回は、この法隆寺に対して画期的な視点から、多くの謎を解かれた梅原猛氏の著書「隠された十字架」を紹介させていただいています。
圧倒的な資料の読み込みと独自の推論の展開。仮説を立てて検証するという科学的アプローチ。その上、構成力がありますから、梅原猛の文章は本当に面白い。いつも、本当に素晴らしいという読了感を裏切らずに味あわせてくれる作家であると思います。作家だとすると叱られるかもしれません。哲学者であるのです。
「隠された十字架」は、1974年に新潮社から出版された本です。謎の多いと言われた法隆寺ですが、その法隆寺の不思議や謎に対しての回答を梅原氏は見つけ出しているのです。是非ともこの書を読んだ上でもう一度お出かけいただくことを強くおすすめするものです。きっと、これまでとは違う法隆寺を見ることができるはずです。
昨年、久しぶりに見学に行ったのですが、法隆寺は変わることなく存在していました。中門の柱も健在なら、柱の間隔が微妙に異なる回廊もそのままでした。一階の上に、別の建物を建てたような金堂もそのままでした。三体の如来も存在し、ご開帳の時期だったので秘仏も見ることができました。
今回、「隠された十字架」を取り上げさせていただいたのは、その内容に反論しようと思うからではありません。隠された十字架自体は歴史学者の間でも大きな議論を巻き起こしましたので、その反論の書籍もいくつか出版されています。
私の想いは少し別のところにあります。
ご存知のように、私が展開させていただいているのは、聖徳太子は大王であったという仮説です。そうであったとしたら説明できる史実が色々と存在していますというのが、私の説です。また、そうであったなら、これまで真実と思われてきた歴史の姿も大きく変わりますということをお伝えしています。今回もまた、隠された十字架に記録された梅原猛さんの分析や考え方を参考にさせていただいて、聖徳太子大王説を説明させていただきたいと思います。
法隆寺の謎といわれるものから、少し説明させていただきたいと思います。法隆寺は蜘蛛の巣がかけられないとか、法隆寺のカエルは片目だとか、雨だれの場所に穴があかないという、非常に非科学的な謎に満ちた寺です。私が言えるのは、蜘蛛の巣が張らないことや、雨だれの場所に穴が空かないのは、僧のみなさんの清掃が行き届いているからではないでしょうかとしか言いようがないのです。
法隆寺のカエルは見たことありませんが、中宮寺(法隆寺の中にある尼寺)の池にはカエルがいました。見たところ、普通のカエルに見えました。ただ、聖徳太子の投げた筆が目にあたり片目がないという言い伝えには、少し興味があります。聖徳太子程の聖人が、筆を相手に投げつけるというのは余程気にくわないことがあったということですから、この説は面白いのです。聖人聖徳太子もやはり人間であったということを物語る逸話です。
崇峻天皇に皇位が渡った時、筆を投げつけたのでしょうか。経を書いていた筆を止め、それを投げつける気質。もしかすると、神経質でプライドも高かった人物なのかもしれません。
隠された十字架の中に取り上げられた不思議とは、これらの謎とは異なり、梅原氏が感じる7つの不思議です。一つ目がどうして、日本書紀は法隆寺の建造に関して何も記述しないのか。二つ目が、どうして資材帳に法隆寺の再建が記載されていないのか。三つ目が、中門の真ん中に柱があるのはなぜか。四つ目が、法隆寺の金堂の謎。代表的なものが、なぜ、本尊が三体もあるのか。
五つ目は法隆寺の塔の謎。仏舎利器に舎利がない、資材帳と高さが異なっているなどの謎です。六つ目が東院の存在。夢殿はなぜ八角形をしており、木綿の布でぐるぐる巻きにされていた秘仏の救世観音とはなんなのか。七つ目が法隆寺の祭り聖霊会です。
このレポートは、「隠された十字架」を解説するものではないので、もちろん、ここではその謎の解説を致しません。是非とも本書を読み、梅原氏の法隆寺への考察を味わってもらえればと思います。
「隠された十字架」を読まれていなくとも、すでに、これだけの内容でこの書で述べようとした梅原氏の主旨は理解されたかもしれません。ご紹介させていただいた「はじめに」の一節にある通り、法隆寺は鎮魂の寺であるからこそ、中央に大きな柱があり、怨霊が法隆寺から出ていかないように、門の真ん中に柱があるのだと言われるのです。偶数の間取り。すなわち、霊を封じる陰の寺なのです。
そして、誰の鎮魂なのかというと、それは、蘇我入鹿に殺されたとされている山背大兄皇子一族、もっと言えば聖徳太子一族への鎮魂であると言われるのです。
少し学んできた歴史を振り返ります。日本書紀によりますと、推古天皇の死後、山背大兄皇子と田村皇子の後継者争いが起こり、蘇我蝦夷が山背大兄皇子に自粛するように説得し、田村皇子が舒明天皇になります。
そもそも、私にはこの舒明天皇への皇位継承が理解できないのです。田村皇子のお父さんは 押坂彦人大兄皇子(おしさかのひこひとのおおえのみこ)で、天皇ではありません。 押坂彦人は、敏達天皇の第一子ですから彼自身は皇位継承権があったと思います。しかし、敏達天皇の後は、用明天皇に移り、崇峻天皇に移りました。何故今更、敏達系の孫に大王の位を授ける必要があるのでしょうか。この継承自体がそもそもありえないのです。
日本書紀は、以下のように続けます。蘇我入鹿は、山背大兄皇子を疎んじるようになり、舒明天皇がなくなった後も、皇極天皇をたて山背大兄皇子に皇位を渡しませんでした。643年になると蘇我入鹿は山背大兄皇子を襲撃します。山背大兄も一度は生駒山に逃げるのですが、その後、斑鳩寺に戻り一族皆で自殺をしたことになっています。
私は、一族郎党皆が自害したというのもありえない話だと考えます。何故そんなことをする必要があるのでしょうか。子供や妾を含め、全ての人が自害するなどということがあり得るでしょうか。せめて子供だけでも生きて次の時代に繋ぎたいというのが人の心です。
第一、そうであるなら、もともと、生駒山に逃げ込んだりはしません。従って、この記述も嘘であり、山背大兄皇子の一族は、このとき全員が殺害され根絶やしにされたのだと思うのです。説得され、生駒山から降り、斑鳩で襲撃されたのだと思います。一族が同じ宮殿に住むという隋の制度を真似た後宮の形態を採用していたことが、あだになってしまいました。
これを自殺にしなければならなかった点が問題だと思います。日本書紀を事実だと理解すると、蘇我入鹿が本当に悪者になり、自分達の意のままにできない要人は殺害してしまう専制君主的な性格の持ち主に見えてしまいます。蝦夷さへも、この入鹿の振る舞いには怒ったと記載されていますから、入鹿の独断横暴であったように見せかけられているのです。
そして、その二年後に乙巳の変が起こり、クーデターにより蘇我入鹿が中大兄皇子に殺害されます。蘇我氏の悪が強調され、その結果としてのクーデターです。そして、中大兄皇子は正義の味方になるのです。お分かりでしょうか。一番得をしているのは、中大兄皇子なのです。
しかし、これが自害でなかったとしたらどうでしょうか。蘇我入鹿に殺害されて根絶やしにされた?何故?そうしなければならない理由など、蘇我入鹿には存在しないのです。
山背大兄皇子の一族を根絶やしにしなければならない理由があったとするなら、それは、山背大兄が絶対的な皇位継承権を有していたということなのです。即ち、聖徳太子が大王であり立太子が山背大兄皇子であったという可能性です。隋書倭国伝には、立太子の名前も書かれていました。「利歌彌多弗利」本当の立太子は誰だったのでしょうか。
こうは考えられないでしょうか。用明天皇が薨去されたのち、一時的ではありましたが、崇峻天皇が天皇となり皇太子に厩戸皇子こと聖徳太子がなった。そして、その後、聖徳太子が大王になり、聖徳太子の死後、山背大兄皇子が皇位につこうする時、クーデターが起こった。そして、皇位継承権が薄れてしまっていた田村皇子が舒明天皇となって即位した。
蘇我蝦夷が舒明天皇を立てなければならない理由など何も存在しないのです。蘇我系が続いたから重臣達に気を使ったという馬鹿げた理由が、今では当然のように語られていますが、なんのために気を使う必要があったのでしょうか。そのような、協調型の融和政策を蘇我氏が行ってきたのだと言うのならともかく、蘇我蝦夷・入鹿は自分達の意のままに振舞ったから誅殺されたのでは無かったのでしょうか。嘘の上塗りの論理は、破綻してしまっているのです。
日本書紀が言うように、蘇我入鹿が自分の意思のままに皇極天皇を立てたのであれば、例え、山背大兄皇子が生きていても思い通りの大王が立てられたはずです。山背大兄皇子が、強力な軍を編成していたという痕跡もありません。現に、蘇我入鹿は古人大兄皇子を皇位につけようとしていたと言うのが史実だとされているのですから。
一つのクーデターを消すために、聖徳太子は大王として記録されなかったと言うことではないでしょうか。そのクーデターとは、天智天皇、天武天皇の父であった舒明天皇による皇位の剥奪であったと私は考えるのです。もしかすると、聖徳太子自体もクーデターにより、殺害されたと言う可能性も存在するのかもしれません。聖徳太子の後、直ぐに舒明天皇をつけるわけにはいかなかったので、間に推古天皇を置いたとは考えられないでしょうか。
こう考えると、梅原氏が指摘する、聖徳太子の御霊の鎮魂のために法隆寺を建設、再建したと言う理由が非常によく理解できるのです。そして、この魂が外に出ないように、様々な工夫が法隆寺になされ、それが、謎の寺を形作っていたと考えると理解しやすいのです。
全てを蘇我氏の悪巧みに変え、天智天皇への皇位継承が最も正統な継承であったと言いたいがための策略であったと考えるなら、歴史上歪めて存在を消された聖徳太子の怨霊は非常に大きなものがあったのではないかと思います。だからこそ、その後聖徳太子はとてつもない聖人に描かれ直されたのではないでしょうか。太子の怨霊を恐れるがあまり、太子はこの世で最も優れた聖人に姿を変えられたのです。
聖徳太子はいなかったとする説を多くの方が唱え始めました。ある意味それは正しいのです。ただ、誰も何故聖人聖徳太子が必要であったかを述べません。太子は大王であって、怒りで筆を投げつける普通の人間だったのです。
この創作された日本書紀の記述で一番得をするのは、皇位継承に対して発言力を持つ蘇我入鹿を殺し、対立候補の古人大兄皇子を殺した中大兄皇子です。可能性のある者は殺害する性格の持ち主である中大兄皇子を考えると、山背大兄皇子を殺したのも中大兄皇子であったのではないかとも思えるのです。
加えて、中大兄皇子のお手本は父親の舒明天皇であったと考えるなら、何もかもが辻褄が合うのです。後の世の、天智天皇、天武天皇の血筋での皇位継承を正当化するために、聖徳太子一族はクーデターにより殺害されたのです。それは、蘇我氏と中大兄皇子との戦争の始まりであったのだと思います。
このように考えてくると、藤原氏が窮地に陥るたびに、怨霊による祟りだとして、法隆寺の食封が加増されたのも理解できます。中大兄皇子と中臣鎌足は一心同体で地位を築いてきたのです。藤原氏に怨霊が取り憑くのは当然であったのではないでしょうか。
そして、もっと言うなら、この悪魔の歴史を作り出したのは、天武天皇と藤原不比等なのかもしれません。その辺りは、別の機会に。
隠された十字架で語られる、法隆寺は怨霊を封じ込めた寺でした。梅原氏の説は非常に正しい。しかし、何故に太子の鎮魂が必要であったかはどこにも書かれていません。聖徳太子が亡くなった時、山背大兄皇子は法起寺を作りました。鎮魂であればそれで十分であったはずです。斑鳩寺が火災で消失したからといって、新たな鎮魂の理由にはなりません。
現在に残る法隆寺は、山背大兄皇子一族の魂を沈めるためのもの。そして、東院の夢殿は、聖徳太子の鎮魂のためのものであると私は考えるのです。そこには殺害された、大王であった聖徳太子の怨霊が閉じ込められているのだと思うのです。
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<<編集後記>>
古事記がどうして、推古天皇で終わったのか。この意味合いは非常に深く大きいものがあると思います。どの大王も10人以上も子供がいるのに、一世代を飛ばして大王に就任すると言うのはやはりおかしいのです。聖徳太子が大王でないのであれば、山背大兄皇子の皇位継承権は非常に低かったはずです。ましてや、舒明天皇の皇位継承などありえないように思えます。
日本書紀推古天皇の段のみ、漢文の語調が異なると言う研究発表があります。聖徳太子の怨霊に怯えながら何度も何度も書き直されたと言うことではないかと私は思うのです。そしていつしか、世の中で最も賢明な聖人となった。まったく皮肉な話です。

<発行者> 株式会社歴史探求社
<公式サイト> www.rekitan.co.jp
<問い合わせ> web@rekitan.co.jp
<登録・解除> http://www.mag2.com/m/0001587982.html

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