古代史探求レポート

大海人皇子の心の中を覗く


カテゴリー: 2017年05月16日
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古代史探求レポート 2017年5月17日号
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フランスと韓国で大統領選挙が行われました。
フランスでは、エマニュエル・マクロンが勝利し、極右である国民戦線のマリーヌ・ル・ペンが最終決戦で敗れました。しかし、決選投票では、33.9%、すなわち三人に一人までの票を集めることに成功しました。
1回目の投票結果を見ていると、マクロンは海側の地域でことごとく勝利したのですが、山側の地域ではル・ペンがトップを取り続けました。ちょうど、表日本と裏日本のような構図で、裏側ではとてもじゃないが現在の自由競争は容認できないという意思表示を見ることになりました。
自由競争の格差社会で生まれた勝ち組と負け組の差は、どの国でも拡大し、アメリカやイギリスでは国の半分以上が現在の状況をNoと言いましたが、元々共和制、すなわち君主がいないフランスでは格差が決定的には広がっていないということなのかもしれません。
ただ、現在の政治体制、社会構造が続く限り、間違いなく格差はフランスにおいても開いていきます。私は、今後も国民戦線のマリーヌ・ル・ペンが支持を伸ばすのは間違い無いと思います。いつの日か、彼女か、または国民戦線の中から大統領が出て、EUを離脱しようという時代も来るのではないかと思うのです。30代のエリートには、国の方向を変えるのは荷が重すぎると思います。
一方の韓国は、文在寅(ムン・ジェイン)氏が大勝利を納めました。国民の不平不満がピークに達したということなのでしょうが、初めての革新系大統領が誕生しました。表情に人の良さが出ています。ただ、文在寅氏にとっては、今後は茨の道を歩まなければなりません。市民運動家に近い活動で上り詰めた文在寅氏を見ていると、日本の菅直人首相を思い出します。
民衆の声に乗っても大きく経済を変えることはできません。韓国の若者の高失業率は、誤った学齢偏重社会から来ています。しかし、それを否定することを誰も喜ばないのが現実です。韓国は、大財閥が引っ張っている国です。財閥を潤さなければ、庶民を豊かにできません。いかにして、財閥の支援と賛同を得るかが勝負なのかもしれません。国民から圧倒的多数の支持をえて当選した方ですから、その手腕に期待したいと思います。
自由競争の社会ですから、必ず勝者と敗者が生まれます。それは避けられません。ただ、勝者があまりにも少なくなる社会は本当に危険です。努力した人が勝者になることができる限り競争社会は続きますが、人の労働力がいらなくなると、努力しても勝てない社会が生まれます。そうはならないように新しい指導者達の手腕に期待したいと思います。
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■  日本書紀 巻第二十八 大海人皇子吉野入り

(前略)
(天智)四年の冬十月十七日に、天皇は病臥なさって、酷い痛みに苦しまれた。そこで蘇賀臣安麻呂を遣わして、東宮(*もうけのきみ、皇太子である大海人皇子のこと)をお呼びになり、御殿に入室された。以前から、東宮は安麻呂に好意を寄せておられた。(それで安麻呂は)こっそりと東宮を顧みて、「注意してお話しなさいませ」と申し上げた。東宮は、陰謀があるのかもしれないと疑って用心なさった。
天皇は、東宮に勅(みことのり)して皇位を授けた。(東宮は)すぐさま辞退して「私は不運なことに、元から多くの病を持っています。どうして充分に国家を保てましょうか。陛下にお願いします。天下は全て皇后(古人大兄王子の娘倭姫王)にお任せください。なお、大友皇子を立てて皇太子として下さい。私は今すぐ出家して、陛下のために、仏道を修行いたします。」と申し上げた。天皇はお許しになられた。
(大海人皇子は)その日に出家して法服を召された。そして私物の武器を取り集めて、すべてを官庫に納めなさった。十九日に、吉野宮にお入りになった。その時に、左大臣蘇我赤兄臣と右大臣中臣金連(かねのむらじ)、および大納言蘇賀果安臣らが(宇治まで)送り申し上げ、宇治から帰京した。ある人は「虎に翼を着けて放した(ようなものだ)」といった。この日の夕方に(早くも東宮は)、島宮にいらっしゃった。
二十日に、吉野に到着なさった。この時に、諸々の舎人を集めて、語り聞かせて「私は今から仏道に入り、修行しようと思う。そこで(私に)付いて道を修めよう思う者は残りなさい。もし朝廷に仕えて名を成そうと思う者は、(都に)還って朝廷に仕えなさい」とおっしゃった。それなのに退去する者はいなかった。再び舎人を集めて先のようにお話なさった。それで、舎人らの半数は留まって、半数は退去した。
十二月に、天命開別(あめみことひらかすわけ)天皇が崩御になられた。
(現代語訳日本書紀 抄訳 菅野雅雄 新人物文庫)
(注意)メルマガの送信字数制限のため、歴史探求社により改段しています。東宮の説明は歴史探求社、天命開別天皇は天智天皇。
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現代日本の基礎を作った天皇は誰ですかと聞かれると、迷わず「天武天皇」と答える人が多いのではないでしょうか。今回紹介させていただいていますのは、日本書紀天武天皇条の冒頭の部分です。日本書紀自体が天武天皇の肝入りにより作成された正史ですから、天武天皇については一切悪く書かれていません。加えて、天武天皇の条は、非常に細かい場面場面の描写が入ります。ですから、読み物としても、非常に面白い内容なのです。
いろいろな説はあるのですが、日本書紀では、天智天皇と天武天皇、すなわち、中大兄皇子と大海人皇子は兄弟です。お父さんは、舒明天皇でお母さんは皇極(斉明)天皇です。両親ともに天皇という、文句のつけようの無い血筋に生まれたことになっています。
お兄さんの中大兄皇子は、母である斉明天皇が白村江の戦いに向かう途中に死亡しても、皇太子でありながらしばらく天皇にはなりませんでした。天智天皇の実績とはなんだったのかと考えると、その知名度の割にはこれという実績がないのです。
白村江の戦いで唐・新羅連合軍に大敗し、都を大津に移しました。また、防御のために、水城や山城を各地に作り、防人の制度なども実施しました。しかし、これらは全て恐怖心から行った策であり、これにより国が整ったわけではありません。確かに「庚午年籍」などの戸籍の整理を行ったり、冠位を増やして行政機構を充実させたりした功績はあるものの、総じて、私には自己中心的な権力欲の強い人物としか見えてこないのです。
蘇我系の血が入っていない自分は皇位継承の可能性が低いと感じて、蘇我宗本家を潰した乙巳の変に始まり、蘇我入鹿の後ろ盾で皇極天皇の次の皇位継承者と目されていた古人大兄王子(舒明天皇の第一皇子)を謀反を企んでいるという汚名を着せて討伐し、皇位継承権のあった孝徳天皇の子供の有間皇子は、蘇我赤兄とともに陰謀にはめて絞首刑にして殺しています。
つまり、自分の皇位継承を脅かす恐れのあるものは、ことごとく殺害していった、ある意味完全主義者、悪く言えば小心者であったと私は考えています。
とにかく、天智天皇とは、疑わしきは殺すという徹底ぶりでした。そういう天智天皇の性格を知っていたなら、ご紹介させていただいています短い一節も、かなりのドキドキ感を持って味わっていただけるのではないかと思います。
10月17日に天智天皇に呼ばれて宮殿に入るまでは、大海人皇子は自分の生命に対して、それほどの警戒もしていなかったと思います。既に中大兄皇子は天皇になっているわけですし、次の天皇であるという位置付けが明確な大海人皇子にとってみれば、日々の生活を存分に楽しむこともできていたのではないかと思います。それだけに、蘇賀安麻呂が天皇がお呼びだと迎えに来た時は、少し以外であったのかもしれません。
天智天皇がなぜ、大友皇子の皇位継承を本格的に考えるようになったのかを少し考えて見たいと思います。
天智天皇の皇后、正妻に当たるのは倭姫王(やまとひめのおおきみ)です。彼女は、天智天皇が殺した古人大兄皇子の娘です。自分が殺した人物の娘を皇后とするというのは、現代では想像がつきにくいかもしれませんが、決して珍しいことではありません。ただ、子供ができたとは書かれていないことから、仲が良かったというものではなかったのかもしれません。
蘇我倉山田石川麻呂の娘の蘇我遠智娘(おちのいらつめ)との間には、二人の娘と一人の息子が生まれました。三人もの子供ができたわけですから、非常に仲が良かったのかもしれません。娘の二人は共に大海人皇子の妃になりました。特に、2番目の鸕野讃良は、ご存知持統天皇です。従って、日本書紀の編纂中の天皇の一人が天智天皇の娘ですから、天智天皇のことも悪くは書かないのです。一人息子は、残念ながら若くして死んでしまいました。
もう一人蘇我倉山田石川麻呂の娘が夫人となっていますが、娘しか生まれませんでした。蘇我赤兄の娘も嫁いでいます。彼女にも娘しかできませんでした。阿倍倉梯麻呂の娘も嫁ぎましたが、娘しか生まれませんでした。
晩年だと思いますが、道君伊羅都売という女性も夫人となっています。彼女との間には、志貴皇子が生まれています。ただ、天智天皇の晩年には、まだ幼子であったようで皇位継承の候補には上がりませんでした。志貴皇子は非常に繊細な和歌を多く残しており、貴族の匂いが立ち込める人です。
地位のある女性の子供は以上であり、後は、残念ながら正式な夫人となれるような位の女性ではありませんでした。そんな中で、天智天皇の寵愛を受けていたのが伊賀国造の娘の宅子娘(やかこのいらつめ)です。采女として宮に仕え、天智天皇に見初められ可愛がられたようです。その子供が大友皇子です。他にも二人の子供がいたとされています。同じように身分の低い女性の子供として、川島皇子が存在しています。
つまり、大友皇子は、母方の身分こそ高くはありませんでしたが、天智天皇にとってはかけがえのない長子となっていたわけです。
天智天皇は、ひどい痛みに苦しんだとありますから、末期ガンであったのかもしれません。先がないと悟った天智天皇は、弟にではなく自分の子供の大友皇子にどうしても皇位を継がせたいと思うようになったようです。精神的にもパラノイアの要素があったのではと思わせる印象がありますが、やはり人であり、親であったということなのでしょうか。
このため、得意の謀略を側近達と考えたのだと思います。発案者は、蘇我赤兄あたりでしょうか。そして、天智天皇の側近の一人であった蘇賀安麻呂は、全ての謀略を知った上で、大海人皇子に注意したのです。
何が、蘇賀安麻呂に裏切り行為をさせたのかはわかりません。同じ蘇我一族でも、自分の娘を妃として送り込んでいる蘇我倉山田石川麻呂や蘇我赤兄と違い、蘇賀安麻呂には天智天皇に対する恩も、守らなければならない特権もそれほど存在していなかったのだと思います。
大海人皇子からなんらかの恩義を受けていたのかもしれませんが、そのような記録はどこにも記載されていません。ただ、石川麻呂や赤兄が、蝦夷や入鹿に妬みを持ったように、安麻呂は、石川麻呂や赤兄に妬みをもっていたのかもしれません。
蘇我系の人々にとっては、大友皇子の血筋自体が許せなかったのかもしれません。父親が天皇であるなら仕方ないかもしれませんが、元、百済の王族としてみれば、采女ふぜいの子供が、自分の上司でかつ大王の位につくことは許せなかったのかもしれません。
皇位を譲る旨を告げるので、大海人がそれを受けると言ったなら即座に殺してしまえ、という話になっていたのだと思われます。
日本書紀の本文によると、蘇賀安麻呂は東宮の住む家に遣わされているわけですから、迎えに行く形になったわけです。そして、安麻呂は、大海人宅でその計画の全貌を大海人皇子に告げたのです。
それを聞いた大海人皇子はどうすべきかを熟考したことでしょう。重臣達は既に、天智天皇から内容を聞かされ取り込まれてしまっているはずです。誰も味方のない状況下で、天智天皇に面会するまでの限られた時間の中で、様々なケースを想定したのではないでしょうか。
大海人皇子には味方がないと言いましたが、それは、もちろん近江朝においてです。天智天皇には、強力な側近がいます。乙巳の変を実行した仲間達が重臣として天智天皇の治世を担っているわけです。彼らの一族に占められている組織の中で、大海人皇子には誰一人として味方は存在しないのです。
大海人皇子には、湯沐邑(とうもくゆう)という与えられた土地があります。皇族に与えられる特別な領地のことです。自分達が食べる分の米を作る農民と土地を食封(じきふ)として与えられますが、その拡大版だと考えていただければ良いと思います。大海人皇子の土地は美濃でした。
ここだけは、自分の領地です。大海人皇子にとって、逃げ込んで助けを求められる場所は、美濃しか考えられらなかったと思います。しかし、直ぐに追っ手がやってくるでしょうから、逃げてはいけない。安心させて時間をかけて準備しようと考えたのは当然です。
そこで彼は、世俗から離れて、天智天皇が安心できる場所に篭ろうと考えたと思います。彼の出した結論は、奈良県の吉野で僧になることでした。なぜ、吉野であれば安全であると考えたのでしょうか。吉野はある意味最も危険な場所でした。
それは、天智天皇が古人大兄王子(舒明天皇の第一皇子)を、謀反を企んでいるとして討伐した場所が吉野であったからです。古人大兄王子は孝徳天皇の死後、吉野で修行して僧になり天皇を助けると言って吉野に消えたのです。入鹿が殺され、孝徳天皇が孤独死させられ、中大兄皇子が皇位を継承する対抗馬は、古人大兄しかいないのです。怖かったのでしょうね。その日のうちに法服を着たとされています。
しかし、吉野に篭ったその直ぐ後、中大兄皇子に殺されました。中大兄皇子は、たとえ可能性が1パーセントであっても。可能性があるうちは存在を許さねいのです。ですから同じ道を歩むことになる吉野へ逃げるのは最も危険なのです。
そうであっても、大海人皇子は、その先を考えたようです。古人大兄王子と同じことをすれば、天智天皇は追い詰めたと思い安心すると考えたのだと思います。大海人皇子は、古人大兄王子と全く同じ理由で、同じように出家し天皇を助けたいと申し出たのです。
病に沈む天智天皇はどう思ったでしょうか。よりによってなぜ吉野なのかと思ったでしょうか。それとも、知恵のない馬鹿なやつだと感じたのでしょうか。もしくは、流石は大海人見事な策と思ったでしょうか。
何れにしても、皇位はいらないと辞退しているわけです。吉野ならおかしな動きがあれば直ぐに殺せるから問題ないとも考えたのでしょう。吉野で多くの兵を養うことなどできないという読もあったのだろうと思いますし、行動も筒抜けだという自信があったのでしょう。結局、何事もなく時は過ぎていくのです。
まずは、時間を稼ぎたい。大海人皇子の想いはその一点だったかもしれません。そして、筋書き通り事は進みます。17日に申し出た後、すぐに法服を纏います。19日には出発して20日には吉野に入るのです。これも、古人大兄王子と同じ迅速な対応でした。同じであればこそ、天智天皇を安心させられるのです。
「虎に翼を着けて放した(ようなものだ)」見事な表現ですね。韓非子に「虎の威に翼を作る事なかれ」とあるのを受けた言葉です。もともと強いものに、さらに勢いをつけてはいけないという意味です。漢籍に通じた人物、私は、蘇賀安麻呂あたりの台詞ではななかったのかと思います。そして安麻呂はこの時点で大海人皇子の勝ちを確信したのだと思います。
吉野についた後、舎人に対して2度にわたり問いかけを行なったのは、その時点で真に味方になる者を厳選したいという気持ちがあったからだろうと思います。舎人とは兵士です。その兵士に対し、仏道を修めるから修行に付いて来いというのは、訳が分かりません。この時点で、自力で皇位を勝ち取ろうという決心はあったのだと思います。
では、大海人皇子に勝算はあったのでしょうか。近江朝には、彼を支援しようという人物はだれもいません。唯一の信頼の置けるのは、側近の村国男依(むらくにのおより)だけです。彼は、すぐさま美濃の多品治(おおのほんじ)と繋ぎ、かつ、天智天皇の勢力が及ばない東国を中心に声をかけ始めます。
関所を超えて東国に抜けることさへできれば、必ず勝てるという採算が村国男依にはあったようです。彼が準備したのは、畿内から東国に抜ける3つの関所を抑えることでした。鈴鹿の関、不破の関、そして、愛発の関です。これが、後々、攻撃に対する主導権を取ることにつながりました。
各人の思惑と願いが交差しながら、大海人皇子はじっと時がくるのを待ちました。天智天皇の死が知らせられるまで、彼は動かなかったのです。振り子の先の重りは、どんどん大海人皇子側へと振れていきます。待つことができたことが最大の勝因だったかもしれません。
結果から言いますと、壬申の乱では、大海人皇子側が大勝します。兵力は共に、約3万。大友皇子側は、天智天皇時代からの重臣達と、白村江の戦い以降山城を築かせた九州並びに西国の豪族達です。方や、大海人皇子側は、尾張、美濃、三河、伊勢、信濃、甲斐の東国の兵士達です。
まさしく、戦国の世に終止符を打った関ヶ原の戦いと同じ東西対決になりました。しかも、大海人皇子は、今で言う関ケ原町大字野上の長者屋敷に行宮を置きました。結果は関ヶ原の戦いと同様に東軍の勝ちとなりました。皮肉にも西軍が敗れた原因は、多くの豪族が動かなかったためと、これまた同じ結果なのです。
同じ兵力であれば、やはり旧体制側が弱いという事なのだと思います。新興勢力はここぞとばかりに結束し、一躍表舞台に登るチャンスを狙うからです。大友皇子では若すぎて、求心力をつけるにはあまりにも時間がなかったということなのだと思います。
もしかすると、家康は壬申の乱を知っており、三成は知らなかったのかもしれません。
大海人皇子側でも、このような戦況を戦前から予測できていたかというと、そうではないようです。まともに将として計算できたのは、側近の村国男依(むらくにのおより)たった一人ですから、勝算などは、はなから存在しなかったと思います。
にもかかわらず、壬申の乱を戦う原因となったのは、唯一の領地である美濃で朝廷側が兵を集めているという噂が届けられたためです。追い詰められた形になり、仕方なく飛び出したというのが現実であったのだと思います。
実際、壬申の乱での戦いでは、村国男依の活躍により、連戦連勝が続きました。まさしく、彼一人に助けられた戦いでした。もう一つの戦い、大和の戦いでは、予想にもしなかった一人の人間の活躍がありました。彼の名前は、大伴吹負(おおとものふけい)です。
吹負は、初戦で敗れるも、次々と大和の戦いを征し、最後は難波に入りました。彼が活躍するとは誰も考えなかったようで、彼が、将軍となるのは、飛鳥古京を征して、相手の武器庫から武器を手に入れた後のことです。
私は、大海人皇子の腹づもりとして、なんとか関所を超えて逃げられれば、東国で王になろうと考えていたのではないかと思うのです。当時はまだ、関所以東の地域は、粗野で野蛮な場所だと思われていたのかもしれません。貴族育ちの大友皇子にとっては、関心のない場所であったのではないでしょうか。
大海人皇子は、その後、戦勝を機に伊勢を大切にしました。自分の娘を斎王として伊勢に捧げ、天照大御神を祀ったのです。これも、まさに神が守ってくれたおかげだと考えたからに違いないのです。裏返せば、それほど彼自身にとっても、勝算のない戦いであったのだということもできます。
古代最大の騒乱とされる壬申の乱は、決して大海人皇子が綿密なる計画のもと戦った戦なのではなく、いちかばちかの賭けに近い物であったのかもしれません。拾った勝ちであり、天皇の座であっただけに、天皇中心の国づくりに邁進したのだと思います。
そして、天武天皇が皇親政治に進んだのも、大友皇子側の不甲斐なさを目の当たりにしたのですから、当然と言えば当然だったのです。
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<<編集後記>>
壬申の乱にしかり、織田信長にしかり、徳川家康にしかり、やはり美濃という場所は、日本の歴史上においては要の役割を果たす場所であったようです。美濃は三野から転化した言葉のようです。三野と呼ばれた三つの野である青野、大野、各務野は広い平野で米どころであったということなのかもしれません。
待てる人が勝つ。歴史の教えを噛み締めたいと思います。

<発行者> 株式会社歴史探求社
<公式サイト> www.rekitan.co.jp
<問い合わせ> web@rekitan.co.jp
<登録・解除> http://www.mag2.com/m/0001587982.html

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