古代史探求レポート

日本を引っ張った蘇我氏の出自


カテゴリー: 2017年05月02日
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古代史探求レポート 2017年5月3日号
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古代の日本において、天皇家以外で最も有名な一族とは、やはり蘇我氏であったのではないかと思います。古くは、物部氏、葛城氏、奈良時代以降は藤原氏であることは間違いないでしょうが、やはり日本の近代化に貢献した一番の一族は蘇我氏であったように思います。
仏教伝来においては、崇仏派として物部氏を倒し仏教を日本に入れました。日本は、仏教によって精神文化を高め、生き方を学び、中国の文化を受け入れて近代化、そして国際化することに成功しました。この一点だけを取って見ても日本への貢献は十分なものがあるように思います。
しかし、その後も、推古天皇の時代には、冠位を整え、憲法を作り、国の基本を作り上げたのは、やはり蘇我氏であったことは間違いないと思います。数々の屯倉を管理し、国の財政を担ったのも蘇我氏でした。
蘇我氏は自らの祖先を武内宿禰としていますが、天皇家への忠臣であることを示すための苦肉の創作であると思います。やはり、乙巳の変により天皇家から国を剥奪しようとした極悪人として、蘇我宗家が滅亡されたことが、本来の姿を隠さねければならなくなった大きな原因なのかと思います。
この事件により、蘇我氏の素性は全くわからなくなってしまいました。日本書紀の中には、突然、蘇我稲目が大臣として任命されて、政界に現れたかのように表現されています。しかし、天皇の外戚として、多くの妃を送り込んで行くことになる一族が、そのような素性の不明な一族であったわけはないのです。蘇我は大臣であって連ではありません。したがって、家来ではなかったわけですから、必ずや偉大な勢力を背景にもつ一族であったのです。
今回は、この蘇我氏とはどのような一族であったのかを、探求してみたいと思います。
まずは日本書紀に残されている蘇我系の天皇を整理してみたいと思います。
まず、蘇我稲目の娘の堅塩媛(きたしひめ)と小姉君(おあねのきみ)が、欽明天皇の妻になります。堅塩媛との間にできたのが、用明天皇と推古天皇です。小姉君との間にできたのが、崇峻天皇です。用明天皇の妻の穴穂部間人皇子は、小姉君の子供で、二人の子供が聖徳太子です。ちなみに、聖徳太子の妻の刀自古郎女も、舒明天皇の妻の法堤郎女も蘇我馬子の娘です。
今登場した欽明天皇と蘇我娘達の間にできた、蘇我系の子供達の天皇と皇太子には、実は皆一つの共通点があるのです。それは、彼らの陵墓は皆、日本版王家の谷と言われる大阪府南河内郡太子町近辺にあるということです。「近つ飛鳥」と呼ばれるこの土地に、どうして陵墓は固まって作られているのでしょうか。
これまでは、古くは奈良盆地の東側の大和古墳群、もしくは、北側の佐紀盾列古墳群(さきたてなみこふんぐん)にありました。その後、河内王朝になると大阪の百舌鳥古墳群と古市古墳群に集中して作られるようになりました。それが、今度は、二上山のある奈良と大阪の県境を超えた場所に集中しているのです。それは、この地が蘇我氏の土地だったからだと私は考えるのです。
そして、この地にある、もう一つの中心が飛鳥戸神社(あすかべじんじゃ)です。現在の住所は、南河内郡ではなく羽曳野市になるのですが、太子町まで1km程度の場所にあります。難波から見ると、ちょうど太子町の入り口にあると言っても良いのではないかと思います。最寄駅も上ノ太子駅です。
飛鳥の名称は、安宿(あすく)から来ています。昔は、安宿部(あすかべ)郡と言いました。安宿は韓国語で、アンスク、安心して住める場所という意味です。この地名は、韓国の言葉なのです。
羽曳野市観光協会によると飛鳥戸神社は「古来の渡来系氏族である飛鳥戸造氏が、始祖の昆支王をまつった神社。延喜式内の名神大社で、杜本神社と並び神格が高かったとされている。現在は飛鳥地区の氏神となっている。」と記載されています。昆支王とは、韓国の歴史書である三国史記によると第21代蓋鹵王(がいろおう)の子供で、その兄は第22代の文周王(ぶんしゅうおう)です。第23代は文周王の子供の三斤王、そして第24代は昆支王の子供の東城王がなり、第25代はその東城王の子供の武寧王へと続きます。
日本書紀によると、雄略天皇5年に、兄の加須利君(蓋鹵王)により日本に遣わされたと書かれていますが、これは兄と父の間違いだったのかもしれません。その際、蓋鹵王の夫人を一人賜ります。その夫人が身籠っていたら、その子供は送り返せと命じられるのですが、夫人は筑紫の各羅嶋(加唐島)まで来た時に男児を産んだと書かれています。そして、この男児は嶋君(斯麻)と名付けられて百済に送り返され、後の武寧王となったと書かれているのです。
日本書紀の創作であろうと思われたのですが、先般、武寧王の墓から墓誌が見つかり、これが事実であったことがわかり、大騒ぎとなりました。つまり、日本書紀の記載が正しかったということがわかったのです。そして、日本書紀には、こうも書かれています。雄略天皇23年4月、百済の文斤王(三斤王)が急死したため、昆支王の5人の子供のなかで、第2子の末多王が幼少ながら聡明だったので、天皇は筑紫の軍士500人を付けて末多王を百済に帰国させ王位につけた。これが東城王である。
すなわち、昆支王は父も、兄も、また、彼自身の子供も百済の王なのですが、昆支王だけは王ではなかったのです。なぜなら、昆支王は日本にいたからなのです。そして、昆支王の5人の子供の一人が百済に戻り東城王になったわけですが、他の4人は日本にいたわけです。私は、この中の一人が蘇我氏の系図に出てくる韓子であったのではないかと考えるのです。
蘇我氏が百済の王族であったからこそ、蘇我氏は渡来人の氏族である東漢(やまとのあや)や西漢(かわちのあや)を従えることができたのだと考えるのです。
これを証明する証拠の一つは、日本書紀にもあるのです。記されている乙巳の変の直後の高向国押の言葉です。意訳が大きく違った解釈を生んでいますので、私は敢えて書き下し文で紹介します。「是に高向臣国押(たかむこうのおみくにおし)漢直等に謂いて曰わく、吾等君大郎に由りて、当(まさ)に、殺されぬべし」
乙巳の変により、入鹿が殺されたことを知ると、東漢氏は軍勢を集めて甘樫丘に入り込み、中大兄皇子達と戦おうとするのです。そこに、高向国押がやってきて、「蝦夷大臣も直ぐに殺されるだろう。そうすれば、我々は誰のために虚しく戦い死んでいくのか」と言って、東漢を押しとどめるシーンです。乙巳の変も臨場感たっぷりに描かれているのですが、その余韻をひきづるように光景が目に映る場面なのです。
さて、私が注目しているのは、「吾等君大郎」と言っていることです。蘇我入鹿の別名は鞍作大郎です。ですから、大郎は入鹿ですが、その形容詞は「我らが君」我が君と言っています。「君」とは、皇族や王族の称号です。決して、単なる主従関係において「君」という言葉は使わないのです。これは、蘇我氏が王族だからであり、では何処の王族なのかといえば、高向国押や東漢の出身の国である百済以外ありえないことになります。
継体天皇の時、日本は百済に多くの土地を割譲しました。大伴金村による、日本最初の贈収賄事件であると、このレポートでも紹介させていただきましたが、この頃から、日本には百済と密接なつながりが出来上がっていたのです。その百済の王族の一人が蘇我氏であったとすると、後のストーリーが非常によく理解できるのです。
日本は百済から仏教を輸入しました。その時、崇仏派として物部と戦ったのは蘇我氏でした。これも、考えてみれば当然であったのかもしれません。また、私は、どうして天智天皇は白村江の戦いに参戦し百済の為に戦ったのか不思議でなりませんでした。しかし、この理解には大きな誤解があったように思います。それは天智天皇の決断ではなく、斉明天皇の独断であったのではないかと、最近考えるようになったのです。
乙巳の変で、蘇我入鹿が切られた時、入鹿は皇極天皇に「何故私が」と問いました。皇極はその後すぐに引き込んだことになっています。しかし、皇極にとっては寝耳に水の騒動であったわけですし、入鹿とは非常に仲が良かったことを考えるなら、重祚して斉明天皇となった皇極天皇が、蘇我への罪滅ぼしのために百済への出兵を決めたのではないかとも考えるのです。
日本書紀が作成された時、考えられたのは万世一系の天皇家の系図です。そして、天皇家の治める倭国は隋や唐とも対等な、独立した大国でなければなりませんでした。そこに、百済王の血筋が混ざった天皇が多く存在していたとは記録として残すことはできなかったのだと思います。だからこそ、蘇我氏が百済の王族であることは日本書紀からは消し去らなければならない事象であったということなのではないでしょうか。
蘇我氏とは、百済の王族であったという私の仮説はいかがでしょうか。彼らの数々の知識や行動を考えた時、時代から突出した先見性を身につけていたことがわかります。それは、百済の王家であったからであると考えれば、すべての謎は解けていくのです。
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<<編集後記>>
門脇禎二氏の有名な説に、百済の官僚の木満致(もくまんち)と蘇我満智(まち)が同一人物であるという説があります。応神天皇の時に渡来したことになっており、時間的なズレの問題からあまり支持されてはいませんが、応神天皇自体が存在したかどうか定かではありませんから可能性はあると思います。でも、昆支王の子供が5人いて、一人は東城王になったわけですから、残りが無名のまま消えてしまったということはありえないのではないかと思います。蘇我氏は昆支王の子供の一人だったというのが正しいのではないでしょか。
ゴールデンウィークということもあり、Facebookとのコラボを一時的にやめて、Facebookでは斎宮を紹介させていただいています。斎宮でビデオを見ていると、伊勢神宮は日本の東の神であったという説明がありビックリしてしまいました。天武天皇は東(尾張)の助けを借りて大友皇子に勝ちました。もしかすると、天照大神とは日本の太陽神などではなかったのかもしれないと思い出しました。また、いつかこの話もさせていただきます。


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