古代史探求レポート

大阪の原点は渡来人達の河内王朝


カテゴリー: 2017年04月25日
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古代史探求レポート 2017年4月26日号
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私の中では、東京は教科書のような街なのです。
書かれている標識や看板は、ルールが守られ誇張表現もなく、正しいことが書かれています。値札に書かれた値段は、すべての人に同じ値段で売られる値段として存在し特別扱いはありません。相手に伝える情報は正しい情報で、誇張表現が嫌われます。皆が黙ってルールを守って生活し、努力した人が努力した分だけ幸せになれる非常に平等な街であると思います。東京は、どんなことでも日本一であり続けなければなりませんから、スポーツでも常勝が求められます。
方や、その対極にある街が大阪です。書かれている標識や看板は、極端で人の関心を引く言葉でないと誰も気に留めません。値札についた値段で買う人はおらず、人によって売値が違います。相手に伝える情報は、盛って話を面白くして、印象に残るような表現をしなければなりません。皆ルールは守りますが、必ず不満を口にします。努力した人が努力した分の幸せを得られますが、努力しない人もなぜか幸せが得られます。
大阪のスポーツチームは、東京には勝てないので、負けてしまっても本気で怒る人はいないのです。惜しいところまで行って、負けてしまう度にそのチームが好きになるので、応援の熱狂具合は他の地域を寄せ付けません。三回やると一回勝つ。そんなチームが大好きです。
そんな大阪に、しばらく前に非常に魅力的な政治家が登場しました。歯に衣を着せず物を喋る大阪気質を持ち合わせていたため、とても人気がありました。大阪人の良い点を固めたような人だったのかもしれません。
しかし、残念ながら、究極に求めた政策が、東京と同じ仕組みを作ろうとしたことでしたので、つまらない噂や嘘に惑わされた人達の気持ちを振り払うことができませんでした。非常に残念だったと思います。ほんのちょっと、大阪の独自性が入っていたら、間違いなく勝てた勝負でした。
でも、その結果を見て「やっぱり大阪やなー」と思ってしまうのです。でも、だから良いのかもしれないとも思うのです。大阪の人は皆、わりと大阪が好きなのです。東京の人も東京が好きなのですが、好きさの程度が違うのです。東京では「好きですよ。」ですが、大阪では「めっちゃ好きやねん」という違いがあるのです。
この文化や気質の差は何によってできたのだろうかと考えると、やっぱり、大阪は伝統的に国際交流の街であり、東京は伝統的に閉ざされた国であった日本の中の首都だったということなのではないかと思うのです。
そして、その原点は、水野祐氏の言う古代の王朝交替説の中の、仁徳天皇を初代とする中王朝、別名「ワケ」のつく名前を持つ者が多いので「ワケ王朝」、もしくは、岡田英弘氏の言う河内王朝の存在にあるのではないかと思います。響きが良いので、このレポートでは河内王朝と呼ぶことにします。
今回は、河内にあった倭の五王のいた、この河内王朝に関して、探求して見たいと思います。
先々月だったでしょうか、「百舌鳥(もず)・古市古墳群」(堺市など)が、今年も世界文化遺産登録の候補になれなかったという報道がありました。すでに、私の記憶では3年程活動をしているように思いますが、強敵が多いですし、古墳群だけで世界遺産登録を目指そうというのは少し難しいのではないかと思います。
「文化遺産も何も、中に入ることもでけへん場所やで。そん中を調査もでけへんのにやな、世界遺産になんかできるわけあらへん。」そんな苦言を言われながらも、堺市の活動を応援する会員は一万人を超えているようです。学術的には誰の墓なのかわからない造形物です。もっと違った観点から、取りまとめていかないと、なかなか文化遺産にはたどり着けないかと思います。大阪の文化の源である倭の五王の河内王朝を前面に出せば、可能性は大きく跳ね上がるのではないでしょうか。
河内王朝とはどんな王朝であったのでしょうか。水野祐氏の区分で言うなら、崇神天皇を初代とする古王朝、すなわち「イリ」のつく名前を持つ者が多い「イリ王朝」とは何が一番違うのでしょうか。
それは、古墳の中に埋葬されている副葬品の数々です。何と言っても、非常に豪華な馬具や武具が多いのです。これらは、古い古墳には見られないものばかりなのです。奈良の古墳群や北九州の古墳から出土するのは、鏡や勾玉でした。呪術的なもの、多分、死者の魂を呼び戻すのか、封じ込めるのかはわかりませんが、それらに関係するものが非常に多かったのが特徴でした。
これは、卑弥呼に代表される巫女の文化、祭祀の文化が最も重きを置かれていた証拠であると思います。別の言い方をするなら、自然の法則を読み取れる人物が王となり、力を蓄えることができた時代であったのだと思います。
これが、河内王朝になると、大量の武具である鎧や兜が出土します。これは、呪術による支配から、力による支配へと転換した結果であると考えられます。特に馬具の豪華さは目を見張ります。黄金の馬の飾り、馬を金色に輝かせた文化が意味するものは、馬を人並みに大切にする騎馬民族の文化であると私は考えています。武力を有する騎馬民族が入り込んできて、あっという間に難波を中心に一大勢力を築いたのであろうと考えるのです。
なぜ、大阪でなければならなかったのかということも考えて見たいと思います。大阪は、今の大阪とは全く別物の地形を していました。今の大阪平野の場所には巨大な河内湖があり、上町台地と呼ばれた場所以外は水の底でした。したがって、現在のような平地はほとんどなかったのです。
それでも大阪が重視されたのは、古王朝のあった奈良への水路の入り口があったからということなのだと思います。大和川の河口は、河内湖にあったのです。また、淀川は近江に抜けるとともに、南山城の木津川へと繋がりました。この交通の入り口を最重要地であると捉えたのは当然であったのです。
逆に言えば、彼ら自身が水路を使って船でやってきたからこそ、その重要性を認識していたのです。既に一大勢力を築いていたであろう北九州や吉備を抜けて、瀬戸内海を渡ってきた渡来人であったからこそ、この地を求めたのではないかと思います。
彼らの王は、倭の五王として中国の歴史書の中に残ります。そこには、中国の皇帝に対し職位を申請するなどの、国際情勢を知りうる目と、確かなる教養が存在しているのです。倭王「武」が宋の皇帝順帝に送った上表文はあまりにも有名です。
「封国は偏遠にして藩を外に作(な)す。昔から祖彌(そでい)躬(みずか)ら甲冑を環(つらぬ)き、山川を跋渉(ばっしょう)し、寧処(ねいしょ)に遑(いとま)あらず。東は毛人を征すること、五十五国。西は衆夷を服すること六十六国。渡りて海北を平らぐること、九十五国。王道融泰(ゆうたい)にして、土を廓(ひら)き畿を遐(はるか)にす。」
なんと文学的で力強い言い回しでしょうか。本当に驚愕してしまいます。
もちろん、これを「武」と呼ばれた雄略天皇自身が書いたものではないとは思います。しかし、彼らの官吏の一人に、これほどの文章を書き連ねる人物が存在していたわけです。
先週、遣唐使のお話をさせていただいた時、推古朝の聖徳太子が持たせたという国書がありました。そこに書かれていたのは、「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無き(つつがなき)や。」でした。こうやって対比すると、聖徳太子の文章の幼稚さが本当によくわかります。両方とも、中国の歴史書に残されている文章ですから、間違いや後追いの創作ではないのです。
つまり、倭王「武」が存在していたであろう5世紀の日本と、推古朝のあった6世紀の日本は全く別物のような国であったということなのです。それは、5世紀の河内王朝と、6世紀のヤマト政権が全く別の王朝であったことを意味しているとともに、5世紀の河内王朝は、中国、もしくは朝鮮半島という可能性もありますが、外からやってきた渡来人の国であったのに対して、6世紀のヤマト政権は土着の日本人が起こした王朝であったということなのだと思います。
大阪にあった河内湖の水を抜き平野を出現させたのも、茨田堤(まんだづつみ)を作り淀川の氾濫を抑えたのも、日本書紀によると仁徳天皇による治世の土木事業であったと記載されています。彼らのもつ教養は、文学的な知識だけでなく、高度な土木技術も兼ね備えていたのです。
日本書紀によりますと、応神天皇は、奈良県橿原市にあったとされる軽島豊明宮と、難波の大隅宮に住んでいたとされています。彼の時に、奈良から難波へと移っていったと言いたいようです。応神天皇は、大阪の古市古墳群に日本で二番目に大きな陵墓を持っています。その子供が仁徳天皇。難波高津宮に都を置き、大阪の百舌鳥古墳群に日本で一番大きい陵墓を持っています。
私は「隠された系図」の中で、巨大な古墳は、海岸線から見ることができたことを示しました。石で拭かれた巨大な古墳は、海からは光り輝いているように見えたはずです。外部からの敵に対して威圧するための効果を狙ったのでしょうが、それは、外部からやってきてこの地に住み着いた人間だったからこそ、自分達のように住み着くことはできないことを示したのだと言うこともできます。海からの視点で河内の土地を見ていたのです。
日本書紀によると、仁徳天皇の子供が、履中天皇、反正天皇、允恭天皇です。仁徳天皇は、大阪に宮を置き、履中天皇は奈良県桜井市、反正天皇は大阪、允恭天皇は奈良の飛鳥です。しかし、治定されている陵墓は、仁徳天皇、履中天皇、反正天皇、允恭天皇とも大阪にあります。こんな馬鹿な話はないのであって、それは完全な創作なのです。
ただその時代奈良の王朝は潰されたのかと言うとそうではなかったと思います。奈良にも王朝は並列して存在していたのです。力のある氏族が存在していたという方が適切かもしれません。それが、桜井市であり、天理市であり、そして、飛鳥であったのだと思います。そこには、異なった氏族達の宮があったのだと思われます。
日本書紀は日本の王朝が万世一系であったのだと苦肉の策を講じて説明しています。履中天皇の宮は磐余稚桜宮ですから、神武天皇以来の磐余の地に宮を置いたことにされています。奥さんは磐之媛ですから、磐余の姫だったとして、大和政権との血筋の流れをここにも作っているのです。
彼は倭の五王の中の「讃」であったと考えられます。413年に晋の安帝に貢物をしたのを皮切りに421年には宋に朝貢して武帝からなんらかの称号をもらいました。数年おきに、朝貢し着々と外交の地固めをした策士でした。
438年「倭王讃没し、弟珍立つ」珍とは反正天皇のようです。「珍を安東将軍倭国王とする。倭隋ら13人を平西・征虜・冠軍・輔国将軍にされんことを求め許される。」珍と言う人は、自分が称号をもらうだけでなく、13人もの人々の称号も要求しています。そして、その許可を得ているのです。
13人が家臣であるなら、彼らに自分と同じような称号は必要ないはずです。称号が求められたと言うことは、彼と同じような立場で、彼を支える人間がいたということです。この一文により、当時の河内王朝の体制がわかるのです。彼は、連合国を構成する代表者達の称号をもらったのです。その中の一人には、ヤマト政権の長も存在していたのだと思います。葛城、和邇、吉備、越のオオホドもいたのかもしれません。物部、大伴、もしかすると蘇我もいたのでしょうか。
すなわち、珍の時は未だ連合国であったものの、その代表として河内の珍が存在していたということなのです。もしかすると、仁徳天皇の時のような一強であった力関係が、一時弱まったのかもしれません。
「済」とされる允恭天皇になると、使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事を加号されます。朝鮮半島情勢との関連もあるのでしょうが、日本だけでなく朝鮮半島におけるステータスも確立できたようです。それだけ、対外的に強い武力と海運力を持っていたと言うことだと思います。そして、「興」、「武」へと繋がっていきます。
上表文に出てくる「昔から祖彌(そでい)躬(みずか)ら甲冑を環(つらぬ)き」の祖彌(そでい)は、神の名を持つ応神天皇に始まる、河内王朝祖先のものであったと思われます。河内王朝説を唱えた岡田英弘氏は、祖彌(そでい)の彌(でい)を人名だとし、これが仁徳天皇だとしました。しかし、この上表文はそのような安っぽい文章ではないのです。自分達の祖先が自力で何年もかけて切り開いたのだと表しているのです。
稲荷山鉄剣に刻まれていた文章は、この武の時に我が一族は杖刀人として使えていたんだぞという名誉を大いに誇った鉄剣でした。関東の豪族がそこまで敬愛する「武」は、その武力により連合国を家臣に従える勇猛さを発揮したのだと思います。この上表文をしたためた人物の家臣であったということは心底名誉なことであったのだと思います。
百舌鳥・古市古墳群だけを取り上げて世界遺産にすると言うのは、やはり魅力が欠けるような気がします。「渡来人の作った河内王朝の痕跡」とすることで、難波宮の跡、茨田堤の跡、土師村の跡、牧の跡、住吉神社、百済の人々が住み着いた近つ飛鳥、それに、稲荷山鉄剣や、江田船山鉄剣、中国の歴史書を含めて、河内王朝の出現と確立の過程の魅力を存分に示すのが良いように思います。そして、何よりも今に残る大阪特有の雰囲気を生み出した原点として文化遺産を申請してもらいたいと考えます。
ここまでの説明で自明なように、大阪の文化の根源は、国際都市として始まったことにあります。渡来した人々が会話し、交流し、物を交換すると言う行為を行うことで、大阪は発展してきました。
言葉の通じない世界の中で、コミュニケーションをとるには感情をぶつけ合うことが必要です。物を交換するのは、少しでも価値があるように見せかけるために、盛って話すことが必要です。だからこそ、育まれた文化なのです。5世紀に始まり、既に1600年の年月を経て熟成された文化です。
どこにも真似できないこの文化を、私は誇りに思うのです。
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<<編集後記>>
いつもは、何らかの文献やニュースを紹介して、それに加える形でコメントをするのですが、今回は、一貫して大阪の魅力をテーマに書かせていただきました。大阪の魅力は、古代の河内王朝にはじまるという私の説はいかがでしょうか。
残念ながら世界遺産に登録されなかったと言うニュースを、ここ数年続けて聴いている気がしています。私が請け負ったなら河内王朝の文化遺産にするのになーと思ったものですからその勢いで書いてしまいました。
ヤマト政権であって、河内王朝などなかったと言われてしまうかもしれませんが、どう考えても大和の文化とは異なります。そして、ヤマトとは別の河内王朝が中国の歴史書に大きく残ってしまったものですから、日本書紀は、それもヤマト政権であったと、中にに取り込んでしまったのです。


<発行者> 株式会社歴史探求社
<公式サイト> www.rekitan.co.jp
<問い合わせ> web@rekitan.co.jp
<登録・解除> http://www.mag2.com/m/0001587982.html  

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