奈良検定お勉強日記

奈良検定お勉強日記 Vol.505


カテゴリー: 2018年05月13日
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◆奈良検定お勉強日記◆          2018.05.13   Vol.505
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奈良検定関係のおベンキョウをした内容をメルマガにしてお届けします。

過去問を中心としたお勉強が中心ですが、問題に関する雑談なども取り混ぜて
お送りしたいと思っていますので、既に合格された方にも読み物として読んで
いただけるとうれしいです。

発行人は
2010年(第4回)に2級、
2011年(第5回)には1級、そして
2012年(第6回)にはソムリエに合格をしました♪

■□■ 本日の内容 ■□■

<< 奈良まほろばソムリエ検定 2018年 ソムリエ級 問6~10 >>

問6 奈良県内の神社にも甚大な影響をもたらした神社合祀の勅令が発令されたのはいつか。
ア.文久2年 (1862) イ.明治元年 (1868) 
ウ.明治39年 (1906) エ.昭和15年 (1940)

問7 昭和60年 (1985) に富本銭が発掘調査によって発見された井戸の跡はどの公園内にあるか。
ア.九条公園(大和郡山市) イ.櫟本高塚公園(天理市)
ウ.馬見丘陵公園(河合町・広陵町) エ.鳥見山公園(宇陀市)

問8 後醍醐天皇が葬られた吉野山の陵はどれか。
ア.塔尾陵 イ.埴口丘陵 ウ.宇智陵 エ.笠間山陵

問9 奈良県立明日香養護学校の校舎建て替え工事に伴う発掘調査で、
敷石・貼石・板石積が検出された大型方墳はどれか。
ア.塚本古墳 イ.段ノ塚古墳 ウ.都塚古墳 エ.小山田古墳

問10 広陵町にある「竹取物語ゆかりの神社」とも称されるのはどれか。
ア.櫛玉比女命神社 イ.小北稲荷神社 ウ.讃岐神社 エ.廣瀬神社

==解答======================================================
 6-ウ 7-ア 8-ア 9-エ 10-ウ
============================================================

■さあ、では、お勉強しましょう♪■

★問6は、奈良県内の神社にも甚大な影響をもたらした神社合祀の勅令が発令されたのは、
明治39年 (1906)。

『神社合祀の勅令』とは、

神社寺院仏堂合併跡地ノ譲与ニ関スル件(明治39年勅令第220号)

実際に発令されたものはこんなものだったらしいです。
(→https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/MetSearch.cgi?DEF_XSL=default&IS_KIND=
summary_normal&IS_SCH=META&IS_STYLE=default&IS_TYPE=meta&DB_ID=G9100001EXTERNAL&GRP_ID
=G9100001&IS_SORT_FLD=&IS_SORT_KND=&IS_START=1&IS_TAG_S1=fpid&IS_CND_S1=ALL&IS_KEY_S1=
F0000000000000020855&IS_NUMBER=100&ON_LYD=on&IS_EXTSCH=F9999999999999900000%2BF20091210
17005000405%2BF2005021820554600670%2BF2005021820554900671%2BF2005022419051401457%2BF200
5022420492901642%2BF2005022420504801645%2BF0000000000000020855&IS_DATA_TYPE=&IS_LYD_DIV=
&LIST_TYPE=default&IS_ORG_ID=F0000000000000020855&CAT_XML_FLG=on)

”神社合併ともいい、集落内神社の統廃合事業のことであるが、一般には明治三九年(一九〇六)の
勅令九六号及び二二〇号に基づいて、明治四〇年代に政府によって実施された。
神社合併のことはすでに明治一〇年五月に示達があったが、不徹底であったことから
「今日ニ存在セシメ候ハ不都合ノ儀ニ付、可然御措置相成度申添候也」ということで、
再々布達されたものであった。”
(→http://www.i-manabi.jp/system/regionals/regionals/ecode:2/54/view/7283)

集落内の神社の統廃合か…。
この内容だけでは『神社検定』の問題になってしまうので(笑)
奈良にも影響をもたらした実例をあげておくと。

奈良県葛城市林堂の為志神社(いしじんじゃ)が該当するらしい。

”「式内小社・為志神社は伊古比都弊尊を祭神として古く栄え、延喜式には忍界郡二社の筆頭に
記載されている由緒正しい神社で、久しくその尊厳を発してきたが、明治39年の勅令・社寺合併令により
明治43年2月8日(1月29日ともいう)をもって式内大社葛木坐火雷神社に合祀されて今日に至った。
 しかるに廃社の後、人々は社殿の跡に為志神社遺蹟の石碑を建て、あたかも神殿に対する如く
これを崇敬してきたのである。
 人々の志実って社殿を再建して祭神を還し、ここに式内小社為志神社の再興が成就したあと、
なお為志神社遺蹟の碑を温存する所以である。
昭和57年10月17日 式内小社 為志神社 再興発起人一同」”
(→http://www.y-tohara.com/nara-ishi.html)

ってことは、いったん勅命を受けて為志神社は、式内大社葛木坐火雷神社に合祀されたけど、
その跡地に石碑を建てて崇敬の念を持ち続け、昭和に入ってから再興させたということね。

葛木坐火雷神社(かつらぎにいますほのいかづちじんじゃ)とは、笛吹神社のこと。
日露戦争の戦勝記念物として当時の大砲が置かれていることで有名な神社。
(→https://hirohiro-news.info/huehuki-jinja-4810)

こういう神社が相当数あったのでしょう。

★問7は、富本銭が発掘調査によって発見された井戸の跡があるのは、九条公園(大和郡山市)。

奈良市と大和郡山市の境付近にある九条公園。
近鉄九条駅から東へいったところにあります。

弁当箱で有名な(?)スケーターさんへ、
ならひとまち大学の授業を受けに行った時の帰りに、
九条駅へ向かっている途中に立ち寄ったことがあります。
(→http://nhmu.jp/?s=%E3%82%B9%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC)

ぜーんぜん意識してなかったのですが、公園内に富本銭出土地があるとの案内板を見て
「ひゃー見る見る!」ってんで行ってしまいました。

”その西市の東の九条公園で、最古の通貨「富本銭」が見つかったのは1985年のこと、
それもたった1枚、3メートルほどの井戸跡の底から、祭祀具や他の通貨と一緒に発見されたのです。”
(→https://www.city.yamatokoriyama.nara.jp/report/machikado/004769.html)

こんな感じで看板が出てます。
(→https://www.iju-navi.soumu.go.jp/onl/nara/wp-content/uploads/sites/29203/2015/02/
%E4%B9%9D%E6%9D%A1%E5%85%AC%E5%9C%92.jpg)

ちなみに富本銭とは…。

”富本銭というのは、江戸時代、寛政10年(1798年)の、いわば古銭カタログといった類の本に
「富本七星銭」の名前で銭の図柄と共に載っていて、早くから貨幣研究者の間では知られていた
ようであるが、それは普通に使われるお金というより、「まじない銭」(専門的には厭勝銭
(ようしょうせん)という)であって、江戸時代からのものと考えられていた。
それが、昭和44年(1969年)に平城京跡から発掘されて一躍歴史的な考察の対象になってきたのである。

しかも、平成3年(1991年)には、更に古い地層である藤原京跡から発掘されたことで、
「さては、和同開珎より古い貨幣か」というように発展したのである。

その結果、鋳造されたのは奈良時代、或いはそれより少し以前とも推定されはしたものの、
学者の見解は依然として「富本銭は『まじない用』のものであった」ということに落ち着いたのである。
一番最近では平成9年(1997年)大阪(難波宮)の細工谷遺跡から一枚発見されている。”
(→http://www.chichibu.co.jp/~wado/wadokaichin/fuhon.htm)

「富本銭!=日本最古のお金か?!」と大々的に取り上げられたのは、
奈良県立万葉文化館の建築に際して、その建設予定地から大量に銭が出てきた時。

”飛鳥池工房は、平成3年(1991)年の発掘調査で見つかった7世紀後半から8世紀初めにかけての工房を
中心とした遺跡です。工房跡一部について発掘調査時の状態を実物大で復原しています。
(建物跡・塀跡・石組方形池跡・石敷井戸跡)
(→http://www.manyo.jp/garden/)

ちょいと出土年と内容をまとめると…。

・1969年(昭和44年)に平城京跡から出土
・1985年(昭和60年)平城京跡の井戸の底からも出土←★これが九条公園からの出土
・1991年(平成 3年)と
・1993年(平成 5年)には、藤原京跡からも相次いで出土
・1995年(平成 7年)群馬県藤岡市の上栗須遺跡から1枚出土している。
・1997年(平成 9年)大阪難波宮の細工谷遺跡から発見される
・1999年(平成11年)飛鳥京跡の飛鳥池工房遺跡から33点の富本銭が発掘

参照
(→https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E6%9C%AC%E9%8A%AD)

ってことで、1985年(昭和60年)には平城京跡の井戸の底からも出土ってのが、
九条公園から出土した富本銭ってことね。

他の選択肢は。
イ.櫟本高塚公園(いちのもとたかつかこうえん)は天理市にある公園。

”櫟本高塚公園は、古代の豪族和邇(わに)氏にまつわるとされる、櫟本高塚遺跡を保存し、
周辺一帯を公園として活用するために整備されました。”
(→http://www.city.tenri.nara.jp/shisetsu/toshikouen/1390890034630.html)

ウ.馬見丘陵公園(うまみきゅうりょうこうえん)は河合町・広陵町にまたがる公園。

”県営馬見丘陵公園は、広陵町と河合町の両町にまたがる、わが国でも有数の古墳群と、
良好な自然環境が残された地域にあります。”
(→http://yamatoji.nara-kankou.or.jp/02nature/07park/02west_area/narakenumamikyuryokoen/)

エ.鳥見山公園(とみやまこうえん)は宇陀市にある公園。

”鳥見山(735m)の頂上近くにあり、勾玉池を中心とする高原上の自然公園です。
園内には神武天皇聖跡伝承地の顕彰碑や歌碑があります。”

ただし、2018年年4月9日現在の情報では、
”平成29年10月に発生した台風21号の影響により、宇陀市鳥見山公園へ続く道路(旧道)の通行を
一部解除しました。但し、桜井市側において一部未復旧箇所がありますので、通行等にはご注意願います。
(大型車通行不可)”
とのことです。
(→http://www.city.uda.nara.jp/kouen/kyouiku/leisure/kouen/torimiyama.html)

★問8は、後醍醐天皇が葬られた吉野山の陵は、塔尾陵。
(公式テキストP219)

金峯山寺満堂派(銀言系)の塔頭寺院として延喜年間(910~923)に
日蔵道賢が創建したという。後醍醐天皇の勅願寺でもあり、裏山に
後醍醐天皇塔尾陵と世泰親王(長慶天皇の長子)墓がある。
P219

”大塔宮護良親王の死後、後醍醐天皇は建武の中興を果たします。しかしそれも束の間の夢と
破れた後醍醐天皇は、延元元年(1336)京都花山院をのがれて吉野山に身を寄せ、
その後も吉野山にいて吉野行宮(よしのあんぐう:奈良県吉野郡吉野町・南朝)を起こしますが、
延元4年(1339年)8月16日、皇位を後村上天皇に譲った後、52歳でこの世を去ります。
後醍醐天皇が病の床に伏されたとき次のような歌を詠まれています。
「身はたとへ南山の苔に埋むるとも魂魄は常に北闕の天を望まん」
と詠み都を憧れつつ、吉野金輪王寺でついに崩御されたそうです。
後醍醐天皇の遺骸は後醍醐天皇が勅願所とされていた如意輪寺の裏山、塔の尾へ埋葬され、
後醍醐天皇のごいしどおり、京都に対する願いを表すために、天皇家の墓陵としては
唯一北向きとなっており、「北面の御陵」として有名です。”
(→http://www.nyoirinji.com/tounou.html)

これ、ソムリエ級の問題にしてはいささか簡単ではないかと…。
まあサービス問題ですね。

その他の選択肢は。
イ.埴口丘陵は、飯豊天皇埴口丘陵のことではないかと。
(→http://blog.livedoor.jp/myacyouen-hitorigoto/archives/43273272.html)

ウ.宇智陵は、井上内親王の御陵。

宇智は現在の五條市のことであり、井上内親王とは聖武天皇の皇女で、光仁天皇の皇后。
そんな立場の人が当時の政変にまきこまれてしまいました。

”770年に白壁王の皇后となり、翌年他戸親王も皇太子になりますが、
772年に冤罪をきせられ、皇后・皇太子の位を剥奪されます
 宝亀4年(773)10月、光仁天皇の姉・難波内親王を厭魅した罪により、宇智に幽閉されました
 775年井上内親王59歳のとき、他戸親王は15歳ので毒殺されてしまいました”
その後、井上内親王の怨霊とかで各所に天変地変が起こります
 延暦10年(800)7月に至って垣武天皇は、皇太子早良親王に崇道天皇の追称
(淡路島に葬られる)を与え、井上内親王を皇后に復しました。 
 その墓を山陵として祀ってあります。”
 (→https://blog.goo.ne.jp/fineblue7966/e/21b46dcd71300ccc201be99ba5e1b4de)

井上内親王の詳細はこちらで。
(→http://www.city.gojo.lg.jp/www/contents/1149221753029/index.html)

エ.笠間山陵は宇陀市榛原区にある陵で、後村上天皇中宮顯子の陵かなあ。

奈良時代以降の歴史は疎いので(!)わたしはぜんぜんわかりませんけどね。
(→https://blog.goo.ne.jp/fineblue7966/e/1a7fe5a3be28cfeee9c7c5ea19a7e6fd)

★問9は、奈良県立明日香養護学校の校舎建て替え工事に伴う発掘調査で、
敷石・貼石・板石積が検出された大型方墳は、小山田古墳(こやまだこふん)。

ここニュースになった当日に、明日香に泊まっていて(!)、
翌日駆け付けてみたことがありましたっけ。
(一日公開に早かったため、パンフレットだけもらって引き上げましたが)

「奈良県立明日香養護学校」の建て替え工事に伴う調査中に発見されたとのことですが…。
うーん、最初に建てたときに、すでにここに何かあるのってわかっていたんじゃないのかねえ(笑)
場所も場所だし。
昭和41年(1966)開校に際して調査した時には、

"今から40年ほど前の第1次調査で、木簡が出土した場所。丹波国からの荷物に付いていた
付札木簡などが見つかったそうです。"
(→http://small-life.com/archives/15/01/1820.php)

とその当時から「何やらあったであろう場所」って重々承知だっただろうに。
学校開校のためにはそれ以上工事をストップさせられなかったってことでしょうか。
まあ、それ以上のつっこみはさておき★

2014年の調査では
・石舞台古墳を超える巨大古墳
・舒明天皇が最初に葬られた「滑谷岡」
・蘇我蝦夷が生前に築いた「大陵」
などなど言われたそうで。

その後、2017年の発表では、
新たに石室への通路跡が見つかったと県立橿原考古学研究所(橿考研)が公表。

”一辺約70メートルと推測され、飛鳥時代(7世紀)最大級の方墳と確定した。
小山田古墳について橿考研は「出土した瓦片などから640年ごろの築造とみられる。
当時の最高権力者の墓」と指摘。被葬者は舒明(じょめい)天皇か大臣(おおおみ)の
蘇我蝦夷(そがのえみし)に絞られた。”
(→https://mainichi.jp/articles/20170302/k00/00m/040/007000c)

”長さ約48メートル、上部幅約7メートル、底面幅約3.9メートル、
残存する深さ約1メートルの石溝を発見したと発表。
墳丘の斜面に板石を階段状に積む特異な構造も注目された。石溝は方墳の北辺と考えられ、
橿考研は昨年12月から溝の南約60メートルの地点を発掘していた。

 調査の結果、東西に幅約2.6メートルの間隔を空けて、東西約1.5メートル、
南北1メートル以上の巨石2個が抜き取られた跡を発見。両石の間には幅約20センチ、
深さ約30センチの石組み溝が確認された。二つの巨石は横穴式石室の玄室と外部をつなぐ
通路(羨道(せんどう))の両壁の基底石で、溝は通路床下の排水溝とみられる。
さらに北に約10メートル離れた場所にも抜き取り跡が見つかり、通路が北に延びていることも分かった。

 通路を方墳の中心軸とし、これまでの調査で推定される北西隅との位置関係から
橿考研は一辺約70メートルと判断。
推古天皇陵とされる山田高塚古墳(大阪府太子町、長辺約60メートル)、
蘇我馬子の墓とされる石舞台古墳(明日香村、一辺約50メートル)を上回った。

 また、古墳の盛り土からは、形式で630年前後と考えられる軒丸瓦の破片が出土。
墳丘斜面の階段状の石積み方法は舒明天皇が643年に改葬された段ノ塚古墳(奈良県桜井市)と
似ている点と併せ、橿考研は小山田古墳の築造時期を640年ごろに絞り込んだ。
石溝を埋めた土中に含まれる土器の年代から古墳は7世紀後半には廃絶したと考えられ、
築造から数十年のうちに役割を終えたとみられる。

 橿考研の菅谷文則所長は被葬者について「642年に最初の陵に葬られた舒明天皇が候補」と説明。
一方、同時期に天皇に匹敵する強権を誇った蝦夷が642年に築いた墓と考える研究者もいる。
(→https://mainichi.jp/articles/20170302/k00/00m/040/007000c)

橿考研による公式見解としては「舒明天皇陵」というのがプッシュされているけど、
蝦夷の墓ってのも捨てがたい仮説。

それというのも、

”しかし、小山田古墳の場所は、舒明が亡くなった百済宮(くだらのみや)や殯の場所から離れている。
被葬者のもう一人の有力候補、蘇我蝦夷(えみし)は生前、舒明の初葬と同じ年に、
小山田古墳がある「今来(いまき)」の地に自分の墓として「大陵」、
子の入鹿(いるか)の墓として「小陵」を築いた。

小山田古墳の西隣にある菖蒲池(しょうぶいけ)古墳は方墳で、漆塗りの豪華な石棺が2基納められている。
小山田古墳を大陵、菖蒲池古墳を小陵として、大陵は壊され、蝦夷、入鹿父子とも
菖蒲池古墳に葬られたとする見方もあるが、『日本書紀』は、645年の乙巳(いっし)の変で2人が討たれた後、
屍(しかばね)を墓に葬ることが許されたとだけ伝え、大陵、小陵のその後には触れていない。”
(→http://kofun.jp/news/7044.html)

ということがあるからで…。

これが面白いことに(?)、この小山田遺跡と菖蒲池古墳は近所でというか、
近所も近所、道を挟んだ隣同士。学校の敷地がフェンスで囲まれていて、
学校の入り口がぐるっと反対側にあるから、二つの距離はあるように思えますが、
地図で見ると、道を隔てたお隣さん。
というか、昔むかし大昔には文字通り並び立っていたともいえる位置関係。

”中には、非常に優美な家形石棺2基が納められています。”
(→http://www.city.kashihara.nara.jp/kankou/own_kankou/kankou/spot/shoubuike.html)

久しぶりに行ってみたら、うっそうとしていた竹藪状態がなぎ払われていて、
古墳から南の方向が開けていたのが印象的でした。
昔来た時はもっと、陰気くさい場所だったのに…。
しかも、古墳の周りもコンクリートで固められて、
なんだか、もともとの羨道とコンクリとくっついちゃってる気がするんだけど…。
さすがは橿原市(謎)

そう、上記サイトの中の地図で、スケールをプラスの方向に動かして、
最大にしてみるとわかるのですが、小山田遺跡(古墳)と菖蒲池古墳は現在その真ん中に
道が走っており、その道を境に、右(東)が明日香村で、左(西)が橿原市。

この道一本の違いが天と地の差で(大げさですが、現実)
これまたスケールを「丁目」あたりにしてみるとわかることですが、
菖蒲池古墳の左側は現在の条坊制(笑)に則った住宅街となっており、
養護学校から右側の地図とはまったく違う住宅環境となっているのが判ると思います。

菖蒲池古墳は橿原市。小山田古墳は明日香村。
現在では行政区が異なりますが、大昔はそんなこと知ったこっちゃない。

うーん。
小山田古墳が蝦夷の墓だとすれば、菖蒲池古墳は入鹿の墓?
それとも小山田古墳が舒明天皇の最初の墓であるならば、
その墓のめちゃ近所に作られた菖蒲池古墳の中に納められた二つの柩はどんな人物?

はー、古墳は古代ロマンをかきたてますね(≒よくわからんやないけ!ってことです)

その他の選択肢は。
ア.塚本古墳は明日香村稲渕にある古墳。
(→http://74589594.at.webry.info/200906/article_16.html)

ここ、談山神社から徒歩で下ってくる道の途中で、「あそこらへんも古墳ですよ」
といわれてチラ見したような記憶が。
(道よりも一段高い場所だったから、わざわざのぼりついてみたことはありませんでしたけど)

イ.段ノ塚古墳は桜井市忍阪にある古墳。
これが先ほどから名前が出ている、舒明天皇の改葬されたお墓。

”段ノ塚古墳は二段築成の八角形の墳丘の前面に、裾が拡がる三段の方形段を持っています。”
(→https://narayado.info/nara/dannozuka.html)

なんだかみょ-に高い所にある古墳ですね。
こんなところに作る意味ってどんな意味?(いいっぱしで終わります★)

ウ.都塚古墳は「日本にもピラミッドがあった!」とかって大騒ぎされた古墳。
(→http://www2.odn.ne.jp/kofun/miyakoduka.html)

★問10は、広陵町にある「竹取物語ゆかりの神社」とも称される神社は、
讃岐神社(さぬぎじんじゃ)。

広陵町を通り抜ける時、でっかいかぐや姫を見てびっくりしたことがありますが…。
(→https://mainichi.jp/articles/20160914/ddl/k29/040/574000c)

そのいわれって、真面目に調べたことがないので詳しくみていきましょう。

”(前略)『源氏物語』の中で、「我が国最初の物語(小説)」と書かれいる
『竹取物語のかぐや姫』があります。「伝承」と「物語」の違いは、伝承が
「むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんがいました」で始まるお話ですが、
竹取物語(小説)のように読み物として書かれた物語となりますと、
単に「むかし、むかし」ではなく、年代がはっきり書かれています。

また、「あるところに」ではなく、文中に出てくる有名な事件(壬申の乱)から
推定して場所も飛鳥京か藤原京のある大和国とわかってきます。

また、「おじいさんがいました」ではなく、竹取翁の名前が
「讃岐造(さぬきのみやつこ)」と書かれています。

さらに『竹取物語』には、かぐや姫に求婚する五人の貴公子の官職と名前がはっきり書かれています。
確かにかぐや姫は架空の人物かも知れませんが、姫に求婚する五人と同じ官職と
名前が『日本書紀』に記載されていることから、
この物語のモデル地となった場所、年代がわかってきます。”
(→http://www.town.koryo.nara.jp/contents_detail.php?frmId=19)

へー。
その五人というのは、
・石作皇子
・車(庫)持皇子
・右大臣阿倍御主人
・大納言大伴御行
・中納言石上麻呂

石作皇子と車持皇子は記録に残っていないのだけど(だからっていなかったってことにもならない)。

右大臣阿倍御主人(あべのみうし)は天武天皇側の功臣。
そのあとの持統天皇・文武天皇にも使えた人物。

大納言大伴御行(おおとものみゆき)も天武側の功臣。
大伴馬来田や、大伴吹負、大伴安麻呂といった同族の活動は記録があるものの、
御行自身の活動は明らかではないので、一族としての功績をかわれての地位ではないかと。

あと、石上麻呂(いそのかみのまろ)は前二人とは逆に、大友皇子(弘文天皇)の側についた人。
壬申の乱の終末の、皇子の自殺までつき従った人。
そんな人ではありますが、
”のちに赦されて遣新羅大使となり、その後法官の仕事につき、筑紫総領になった。
701年に大納言となって以後、政治の中枢に携わり、右大臣、左大臣に任じられた。
717年で死去するまでの数年は太政官の最高位者であった。”
(→https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E4%B8%8A%E9%BA%BB%E5%91%82)

以上三名は時代的には天武天皇の頃から活躍したひとたち。

あと、竹取翁の名前は「讃岐造(さぬきのみやつこ)」
えー?!
そんな記述あったっけ?と思ったら、あるらしい。

”古代に「讃岐」なる姓をもった人が存在していたかを調べてみますと、我が国の最も古い
歴史書と認められている『古事記上巻』に、第九代開化天皇の項に、天皇の孫に
「讃岐垂根王」の名前を見つけることが出来ます。更にこの讃岐垂根王の姪に
「迦具夜比売命」なる名も見つける事が出来ます。讃岐なる名前の人の姓は、
『古事記』の記録に記載されているから存在していた実証となります。
そして更にこの迦具夜比売は十一代垂仁天皇の妃となり、
その子の袁邪弁王なる御子の名も歴史の中に記載されています。”
(→http://www.town.koryo.nara.jp/contents_detail.php?frmId=19)

へーへーへー。
でも、『古事記』に書いてあるからって実在したかは疑問ですけどね(笑)
だって、神武天皇だって…ゴニョゴニョゴニョ…。

しかも、天武朝の頃の人と、第九代開化天皇の孫とか、その姪とかって。
時代違いすぎるでしょ。

それはさておき。
竹取翁は讃岐造という名前であったとのこと。
讃岐といえば、讃岐神社。
(ようやく問題へ戻ってきた)

”讃岐氏に関係のある「讃岐神社」のことですが、讃岐と名付けられた神社のあるところは、
大和国(現在の奈良県)内では奈良県北葛城郡広陵町だけです。讃岐神社は今も巣山古墳の
近くの竹やぶに囲まれて、ひっそりと鎮座しています。江戸時代までこの広陵町は、
大和国広瀬郡散吉郷と『和名抄』(九三〇)に記載されています。讃岐と散吉は同音・同意であり、
同じと考えられます。
 最初竹取翁の住まいを大和国広瀬郡散吉郷(現在の広陵町)と発表したのは、
大阪市立大学講師塚原鉄雄氏で昭和二十九年でした。それ以来、岩波・新潮・講談社の
『竹取物語注釈書』では、この説を今日まで使っています。”
(→http://www.town.koryo.nara.jp/contents_detail.php?frmId=19)

ふーん。
『讃岐と散吉は同音・同意であり』
讃岐(さぬき/さぬぎ)と散吉(さんきち)は、昔はおなじ音だったのかな?
ちと意味がわからん。

ちょっと横道にそれるけど。

”ものの本によると、讃岐(さぬき)は讃岐(さらき)と訓むこともできるようです。
「サラキ」と言えば、御所市宮山古墳北側の蛇穴(さらぎ)のことを思い出します。
”新参” を意味するサラキという言葉からも、香川から移り住んだという讃岐氏の
歴史が浮き彫りになります。

讃岐神社の南方に新木山(にきやま)古墳という前方後円墳があります。
「サラキ」のサラが「新」を意味することを考えれば、
地名で言う新木(あらき)と今城(いまき)は同義語となります。”
(→https://narayado.info/nara/sanuki-shrine.html)

おおー。
「まっ”さら”」っていいますもんね>新品。
そこから「新しいもの=さら」というならば、讃岐で「サラギ」ってのもアリかも。
(岐阜の「ギ」でもありますし)

実は先週行ってきたばかりなのだ>御所市蛇穴(さらぎ)♪
きゃー、なんという偶然。
5月5日に、汁かけ祭りってのを見にいったのですが。
(それはまた後日、何かで書きますが)

あと、鵜野讃良(持統天皇)は「さらら」ですから、
讃岐の讃は「さら」と読むことで納得。

ちょっと、話がそれたけど。
それでも「散吉(さんきち)」と、さぬき≒さぬぎ=さらぎの関係はよくわからん。
讃岐神社の所在地の現在の表記は、広陵町大字三吉(みつよし)

おおお、三吉と散吉ならば「おと」が同じってのは納得する。
三吉(さんきち)=散吉(さんきち)、ならば音が同じってのは見ても、呼んでも納得。

”三吉という地名は、明治9年に斉音寺(さいおんじ)・大垣外(おがいと)・赤部(あかべ)の
3つの旧村が合併して誕生しています。式内社・讃岐神社の鎮座地であり、帆立貝式古墳の
三吉石塚古墳などでも知られる地名です。”
(→https://narayado.info/nara/sanuki-shrine.html)

この現在の住居表示は最近(といっても明治9年だけど)ついたものだけど、
過去ここらへんは散吉(さんきち)と言った→のちに、新しい地名として復活した”さんきち”は
三吉と書くことにしたってことなのかな。

”鎮座地名の「三吉」は「みつよし」と読むが、かつては「散吉」と書いて「さぬき」と読んでいた。
一帯は讃岐国の斎部氏が移り住んだ地で、讃岐の故郷の神を勧請し創建したものとみられる。
延喜式神名帳では「大和国広瀬郡 讃岐神社」と記載され、小社に列格している”
(→https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AE%83%E5%B2%90%E7%A5%9E%E7%A4%BE)

なに?
散吉と書いて、さぬきと読む?!

かつては、散吉と書いて「さぬき」と読んだ。
現在では、三吉と書いて「みつよし」と読む。

ってことで、散吉(さぬき)=讃岐、
『讃岐と散吉は同音・同意であり』ということになろうかと…。

なんだか、ごちゃごちゃしてきたので、ここらへんで切り上げますが(をい)

讃岐神社のご祭神は、
”【祭神】大国魂命 若宇加能売命 大物主命
     御井命『大神分身類社抄』
     讃岐公の祖か『神社要録』
     散吉大建命、散吉伊能城神の二神『特選神名牒』”
(→http://www.geocities.jp/engisiki/yamato/html/030402-01.html)

 きたきた、
”散吉大建命、散吉伊能城神”
出た出た「サンキチ」「さんきち」

”◆境内の立て札によると
若蔵稲之命 	(わかうかのみこと)
讃岐伊能城命 	(さぬきいのしろのみこと)
若宇迦売命 	(わかうかめのみこと)”
(→http://www.7kamado.net/sanuki.html)

ご祭神にも”讃岐”がつく。
だそうで。
あれれ?なんかまとまらなくなってきた…。
このまま放置していいですか(汗)

ざくっとまとめると。
奈良県北葛城郡広陵町は「かぐやひめのさと」と公言しており、
この周辺で、
”讃岐と名付けられた神社のあるところは、大和国(現在の奈良県)内では奈良県北葛城郡広陵町だけ”
ってことから、竹取物語ゆかりの神社とも称される神社は、讃岐神社…ってこと、なの、かな。
(自信ないなー)

ま、ここらへんでぶったぎります。
わたし、何度この文章を読んでも、自分でもよくわからなくて(←アホ)。
なかなかUPする気になれずにしばらく放置していたのですが。
ここで止まっていても進まないので、ここらで、さくっと終了します(すんません)

その他の選択肢は。
ア.櫛玉比女命神社は広陵町弁財天にある神社。
(→http://www.7kamado.net/kusitama.html)

イ.小北稲荷神社(こぎたいなりじんじゃ)も広陵町にある神社。
(→https://blogs.yahoo.co.jp/kyon1956jp/38898001.html)

エ.廣瀬神社は、河合町の神社。
(→http://hirosetaisya.p-kit.com/)
砂かけ祭りで有名な神社です。

■編集後記■

最近は春の時期がほとんどなくて、気が付くと暑いという始末。
早春の奈良は寒いし、ちょっと後だともう暑いし、
ほんわかした春の日の奈良っての、もうちょっと味わいたいなあと思います。

今年は桜の名所の行きやすい場所にたくさん出没したので、
それなりに春の奈良を堪能できましたけどね。

今年は西国三十三所が始まって1300年の記念年。
少なくても、奈良の四か所は回りたいもんだと思っています。
花の寺めぐりもね…。

勉強してる暇ないじゃん(っていいわけをここでする)
ってことで、オベンキョウがオロソカニなっておりますが、
ご了承ください(謎)


★★ 最後までお読みいただき、どうもありがとうございました。★★


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