梅田香子 の週刊スポーツライターズ

28号列伝 ジェイソン・ジオムビー他


カテゴリー: 2010年10月08日
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○スーパースター列伝 ジェイソン・ジオムビー
○編集後記

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 スーパースター列伝 ジェイソン・ジオムビー
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「ミッキー」という名前は多くが愛称で、男性の場合だと本名は「マイケル」が大多数を占めている。 だが、ヤンキースの往年の大打者ミッキー・マントルは本名が「ミッキー」だった。マントルが生まれた1931年投じ、オクラホマ州の鉱山町でもアスレチックスのミッキー・カクレーンは大人気で、マントルの父はこの名捕手の大ファンだったから、息子にそう名付けたのだ。
 まだヨチヨチ歩きの頃から野球のユニフォームばかり着せられ、オモチャも野球道具を形取ったものばかり。8歳になるとすぐに父は自宅の裏庭や鉱山の空き地で、本格的な指導を始めた。
 父と祖父は2人がかりで打撃投手を務めた。ミッキーは元々右利き、父も右利き。ただし祖父は左利きで、マントルはごく幼い時からこの2人によってスイッチヒッターとして養成されたのである。
 時は巡り、歴史は再び繰り返す。
 カリフォルニア州ロサンゼルス郊外のウエストコビナで、ジェイソン・ギルバート・ジオムビーも全く同じように育てられた。父と祖父による特訓で、いずれ同じチームでプレーすることになる弟ジェレミーと共に、野球選手としての基礎を作ったのだ。
 父ジョンはマントルの大ファンだったから、元々2人の息子たちは右利きだったのに、「右投手の方が世の中にはたくさんいるんだから、左打ちの方が絶対に有利だ。第一、ファーストにも近いじゃないか」と言って、左バッターに改造した。右投げのままである。
ジェイソンは述懐する。
「僕は決して器用なタイプではなかったから、マントルみたいにスイッチヒッターにはなれなかった。右打席に立つと、なんだか怖いんだ。左打席だけ集中して練習するようにしたら、右の時よりも打ちやすかった」
 兄弟2人が初めて野球のグラウンドに立った時、2人とも同じヤンキースのユニフォームを着ていて、背番号は共に7番。ご丁寧に、首からぶらさげた金のネックレスもマントルの背番号であった「7」という数字が入ったものだった。仲のいい兄弟で、2人はいつどこへ行くのも一緒だった。
 ジェイソンは語った。
「南カルフォルニア育ちなのに、どうして熱烈なヤンキーファンなのかって? 僕の父の世代では珍しいことではないよ。50年代と60年代のヤンキースは、毎年のようにワールド・シリーズに出ていたから、まさに“アメリカズ・チーム”だったんだ」
 往年のヤンキースについて語る時、ジェイソンの口調は熱を帯びてくる。
「あの頃は、今みたいにテレビ番組がたくさんあった訳じゃなかったから、野球ばかり放映していたような気がするよ。僕は新聞で毎朝、“M&Mボーイズ(モントルとロジャー・マリスの主砲コンビ)”についての記事を夢中になって読んだものさ」
 父ジョンはヨギ・ベラにも憧れていて、昔は自分もキャッチャーをやっていた。だが、大学に入学してすぐにヒザを故障してしまい、プロへの夢はそこで断ち切られてしまっていた。
 ベラと言えばヤンキース黄金時代の40年代から60年代のはじめまで、左打ちの名捕手として勝利に貢献した。72年に殿堂入りを果たし、ヤンキースやメッツで監督も務めた。
 セントルイスのイタリア人街で生まれ育ち、本名はローレンス・ピーター・ベラだった。ところが、子供の頃から歩き方がインドのヨガ行者のようだったので、「ヨギ」と綽名され、それが定着していた。53年には親善試合で来日したこともあり、金田正一(当時国鉄)が頭の高さに投げたボール球を大根切り打法で弾き返し、後楽園球場の右翼最上段に叩き込んで日本のファンをアッと驚かせた。
 球界切ってのマンガ本コレクターとして知られていたり、恋患いでスランプに陥りジョー・ディマジオらチームメイトから励ましを受けたりと、グラウンド内外でのエピソードは枚挙にいとまがない。実にファンから愛されるキャラクターだったのである。
 ジェイソンは、父ジョンから繰り返しベラやマントルやディマジオらの逸話をあれこれ聞かされながら、ワクワクと心を弾ませながら育った。

地元では有名な“スポーツ一家”

 ジョンは、レッドソックスの主砲としてヤンキースの前に立ちはだかった難敵ではあったが、大打者テッド・ウイリアムズが著した『バッティングの科学』(小社刊)を愛読していて、それが教科書代わりだった。夏休みに家族でアウトドア・キャンプに出かけた時ですら、「プラスチックのバットを持参して、夕食の前後は湖のほとりで僕たちにバッティングを教えたものさ」とジェイソンは言う。
 ジェイソンはかなりの完璧主義者と言えて、メジャー・リーガーとなった今でも、常にスイング一つを取っても入念なチェックを怠らない。試合前のシート打撃で納得がいかないと屋内打撃場に移し、とことん“パーフェクト”を追求して絶対に手を抜こうとはしないのだ。
 これは父譲りの気質のようだ。ジェイソンの幼少時代、巧く自分の教えたいことを伝えられなかったり、なかなか息子たちが教えたことを飲み込んでくれないと、ジョンはかなりイライラしてしまい、妻ジニーから何度も戒められた。
「ジョン、もっと肩の力を抜いて」
 もっとも、「何が何でもメジャー・リーガーになれ」と英才教育を息子たちに押し付けた訳ではなかった。ジョンは言う。
「ついカッカと熱くなってしまうと、妻が私にタイミングよく、声をかけてくれました。私は決して子どもたちに野球を押し付けるつもりはなく、ただまっとうに生きてもらいたかったのです。だから野球だけではなく、他のスポーツもドンドン挑戦させました。正直言って、息子たちが将来、メジャー・リーガーになるとは本気では考えていませんでした。特にジェイソンは痩せ過ぎていたから、ゴルフの方が向いているように見えたのです」
 3歳半年下の弟ジェレミーと、さらに4歳下の妹ジュリーを加えたジオムビー一家の子どもたちは、地元で参加できるありとあらゆるスポーツに時間が許す限り挑戦し、両親がそれを全面的にサポートしてくれた。
 それでなくとも男の子2人はヤンチャ坊主で、有り余るエネルギーを持て余し気味だった。
 母ジニーは回想する。
「“外は暴風雨だから家の中でおとなしくしていなさい”と言うのに、ジェイソンたちはそれができないのです。“どうせ濡れるんだから同じさ”と言って、裏庭のプールに飛び込み、泳いでいました」
 その結果、ボーリング、サッカー、バスケットボール、アメリカン・フットボール、水泳、ゴルフまで、大会となると「ジオムビー」という名前が必ず上位に顔を出すようになり、地元のスポーツ仲間の間では知る人ぞ知る有名なファミリーとなった。ジョンは言う。
「プロ・スポーツの世界で生きていくことの難しさを私は体感していましたから、子どもたちにも過剰な期待は持たないように努めました。それよりもカリフォルニア全体の治安が悪化し、犯罪の低年齢化が問題とされている時期だったので、親としてはスポーツに打ち込んでもらうことで、麻薬や飲酒といった悪の誘惑から彼らを遠ざけたかったのです」
 兄弟たちは運転が許される16歳になると、それぞれすぐに新車を買い与えられた。これもジョンには思索があってのことだ。
「高校時代というのは人生で一番楽しく、大切な期間だと思うのです。勉強とスポーツの両方でいい成績を収めること。車を買う時の条件はそれでした。そのための時間を惜しんでほしくなかったから、彼らには自分の車が必要だと考えたのです」
 カリフォルニア銀行の支店勤務だったジョンは、順調に昇進を重ねて部長クラスになっていた。しかし古い家の買い替えを早くに断念し、子どもたちに投資するつもりでいたから、それぐらいの蓄えはあった。
「うちはいわゆるミドル・クラスの家庭でしたから、正直言って家族一人一人が車を持つのは大変な負担でした。妻も私も他のことでは贅沢をしなかったので、何とかやっていけたのだと思いますよ」
 84年、ロサンゼルスでオリンピックが開催され、公開競技としてドジャー・スタジアムで野球の試合も行われた。ジオムビー一家は早速これを観にいき、マーク・マグワイア(同年アスレチックス入団)やウィル・クラーク(85年ジャイアンツ入団)やバリー・ラーキン(85年レッズ入団)のプレーを堪能した。
「父さん、僕もオリンピックに出てみたいなあ」
 帰りの車中で息子たちは、子どもらしい無邪気な夢を口にしたものだ。

オリンピックへの出場とプロ入り

サウス・ヒルズ高校へ進むと、ジェイソンはアメフトでは二軍のクォーターバックを務め、バスケットボールと野球では一軍メンバーに名を連ねるようになった。とはいえ、野球部のコーチだったジム・バスティオンはジェイソンが将来、メジャー・リーガーになるとは夢にも思わなかったと言う。
「確かに打撃に非凡なものはありましたが、性格が控えめだったからプロ向きとは思えなかったし、体力的にも遅咲きタイプでした。何しろ今と違って、ウエストが細くヒョロヒョロに痩せていたから、外見的にはまるで別人でしたよ」
 主にピッチャーと遊撃をこなしていたのだが、そこではジェイソンの才能の全てを存分に生すことはできなかったのかもしれない。
 89年、高校卒業を目前に控えて、ドラフトでブリュワーズから43巡目に指名された。これは、たまたま1人のスカウトがジェイソンの潜在能力を見抜き、惚れ込んでいたためだ。少なくともジオムビー一家はそういう受け止め方をしていたから、第一希望はあくまで大学進学であり、迷いはなかった。
 僅かに一校、ロングビーチ州立大学だけがスポーツ奨学金を申し入れてくれたので、願ったり叶ったりで入学。同大野球部“49ERS”は前年、14勝45敗という惨状だったが、新監督にデーブ・スノーを迎え、これから力を入れていこうという矢先のことだった。
 大学に入るとすぐ、ジェイソンは三塁にコンバートされた。そして90年、49ERSは早くも50勝を挙げ、野球部創立以来初のカレッジ・ワールド・シリーズ進出を果たした。
 91年6月には、フィル・ネビン(現パドレス)やトニー・フィリップス(元タイガース、アスレチックス他)らと共に、日米大学野球選手権で来日。神宮球場や仙台宮城球場などで試合を行い、2年生ながらジェイソンは三番・サードでスタメン出場を果たしている。この時、すでに身長188センチ、体重91キロであり、高校の頃ほど細身ではなく、筋肉も付いてマッチョな体型に変貌しつつあった。
 その翌年は野球が初めてオリンピックの正式種目に認められ、ジェイソンはノマー・ガルシアパーラ(現レッドソックス)やチャールズ・ジョンソン(現ロッキーズ)と共に8月、イタリアのバルセロナへ飛んだ。
 米国代表チームは予選で日本に敗戦を強いられたが、3位決定戦でも日本とぶつかった。その試合の1回表、二塁打で出塁したランナーを置いて一塁を守っていたジェイソンが打球をお手玉。無死一、三塁とピンチを広げてしまったが、併殺で難を逃れた。だが2回にも再び日本に攻められ、小久保裕紀(現巨人)の三塁線を破るツーベースで先制点を与えた。その後、連打に次ぐ連打を浴びて一気に7失点。敗戦が決定的となり、日本に銅メダルを譲ってしまった。それでも、ジェイソン自身の成績は打率.296、9得点でまずまずの出来だった。
「もうこれで、大学野球には未練がない。次のステップに野球人生を引き上げよう」
 すでに6月1日のドラフトで、今度はアスレチックスから2巡目で指名されていた。パン・アメリカンの米国代表チームにも選ばれていたのだが、準決勝でプエルトリコに敗れたため、すぐに入団契約を済ませてマイナーのA級サザンオレゴンに合流。ここでは13試合に出場して打率.317、13打点をマークした。
 秋にはアリゾナの教育リーグに送り込まれたのだが、その間、父ジョンはちょっとしたハプニングを経験した。
 息子がアスレチックス入りしたというのに、相変わらずジョンのヤンキース熱は冷めていなかった。そして、たまたま目にした新聞広告で“ミッキー・マントル”の名前を目にした。何と近所で開催される車のショーにゲストとして招かれので、チャリティーのパーティー券を買えばどうやらマントル本人にも会えるらしい。早速、次男のジェレミーを連れ、ジョンはいそいそと出かけていった。
それはもう、ジョンにとって生涯最良の日と言えた。
「マントルはびっくりするほど気さくで、快く私たちと一緒の写真を撮らせてくれたのです。ジェレミーが首にかけていたネックレスを目に留めて、“その7番という意味は?”と訊ねてくれたので、“あなたの背番号だからです”と答えました。唯一つ残念だったのは、そこにジェイソンがいなかったことでした。同じネックレスを付けた2人が一緒にいたら、マントルはさぞかし喜んでくれたことでしょうに」
 オリンピックに出場しようと、メジャー・リーグの球団と契約しようと、ジョンにとってのジェイソンーは息子の一人に過ぎず、その意識はいつまでは変わらないようだ。

両親も呼んだヤンキース移籍会見

翌年のジェイソンは、1シーズン丸々、A級モデストで過した。しかし94年はAA級ハンツビルからスタートして、シーズン途中でAAA級タコマへとトントン拍子に昇格。秋の教育リーグでは、野球に挑戦していたNBAの大スター、マイケル・ジョーダンと親しくなり、一緒にバスケットボールのピックアップ・ゲームを楽しんだり、ビリヤードで遊んだりもした。
 そして、95年の5月には早くもアスレチックスから声がかかった。この時は遊撃手のマイク・ボーディックがアキレス腱を痛めたため、ほんの数試合、穴埋めしただけで、すぐにマイナーへ逆戻りとなった。
 7月7日に再びアスレチックスに呼び戻され、8月には3試合連続ホームランを記録。しかし、大腿裏や肋骨など故障が続いてなかなか打率は上がらず、9月になるとベンチを暖めることが多かった。
「ダッグアウトの椅子に座って、マーク(マグワイア)がホームランを打つのを“凄いな~”と唖然としながら見物していたよ」
 96年のジェイソンは出足から好調で、4月は19試合連続ヒットをマーク。6月に入っても打率は落ちず、スコット・ブローシャスとツー・プラトンで三塁を守ったり、マグワイアに休みを与えるため一塁を守ったりもした。
 マグワイアとはすぐに気が合い、無二の親友と言える仲となった。
 96年オフ、ジェイソンはガールフレンドだったデナ・マンデーラと結婚したが家庭円満とはいかず、離婚暦のあるマグワイアに相談に乗ってもらい、離婚手続きのため弁護士を紹介してもらったりもした。デナとの間に子どもはいなかったが、 2人とも“スラッガー”と名付けた犬のシェパードを目の中に入れても痛くないほどかわいがっていたため、双方の弁護士を交えて揉めた。最終的には人間の子どものように、ジェイソンは春と夏、デナは冬とスプリング・トレーニング期間中、交代でスラッガーを育てるということで離婚は97年、合意に至った。
 また、前世や守護霊を見ることができるというサイキック・セラピストのアズラを紹介してくれたのも、マグワイアだった。マグワイアは、91年途中から95年までアスレチックスに在籍していたロン・ダーリング投手から「ノストラダムスのような女性だ」と彼女を紹介されて、当時のアスレチックスの選手たちはほとんどがハマっていた。予知がよく当たるため、一時期はジェイソンも1日一度のペースで、電話でセラピーを受けていた。
 99年、トロントでのブルージェイズ戦の試合前、普段は滅多に否定的なことを言わないアズラが、「今日だけはトニー・フィリップスに試合を休んでと伝えて。でないと骨折してしまう」とジェイソンに言った。ジェイソンは迷った揚げ句、チームメイトにも相談してフィリップスに伝えたところ、「何をバカなことを言っているんだ。嫌な予感どころか、俺はヒットを打つ予感がする」と一笑に付されてしまった。結局、フィリップスはその試合でヒットを量産した後、予言通り足を骨折。どちらの“予感”も当たってしまった。
 2000年には、打率.333、43本塁打、137打点というケチの付けようがない好成績を挙げてチームを地区優勝に導き、ジェイソンはア・リーグMVPに輝いた。また、シーズン序盤で弟ジェレミーがAAA級サクラメントから昇格し、104試合に出場していた。ジェレミーは96年のドラフト6巡目指名でロイヤルズ入りし、98年に初昇格。故障もあって伸び悩み、2月にトレードでアスレチックスに移ってきていたのだ。2人にとっては、兄弟で美酒を味わう最高のシーズンとなった。
 2001年もMVP投票でジェイソンは、マリナーズ入りしたイチローに次ぐ2位の票を集めた。ところが、エージェントのアーン・テレムが春から行っていたアスレチックスとの再契約交渉が最終的には決裂してしまった。ジェイソンが強く希望したノン・トレード条項を決して承諾しようとしないフロントの姿勢に、大きな失望を抱かずにいられなかった。
そんな時、ヤンキースのジョー・トーレ監督や、ヤンキースOBであり父が好きだった元名捕手のベラから「ヤンキースにこい」という勧誘の電話をもらい、忘れかけていた幼い頃の夢が走馬灯のようにチカチカと脳裏を駆け巡るようになった。
 2001年12月13日、FA資格を得たジェイソンはヤンキー・スタジアム内の伝統ある一室で、入団契約書を交わした。両親と婚約者のクリスチャンも呼び寄せてあり、記者会見にも同席させた。父も母も通路を歩きながら、はしゃぎっ放し。
「うわ、ここをマントルもかつて歩いたのね!」
 会見場で用意されていたピンストライプのユニフォームに袖を通したジェイソンは、目を潤ませながら叫んだ。
「パパ! 7番じゃないけど、ピンストライプだよ」
 アスレチックス時代も足して7番になるように16番を付けていたが、ヤンキースで16番はホワイティー・フォード投手の永久欠番。そこで25番を選んだ。
「う~ん、悪くないじゃないか」
 父ジョンは満足そうに目を細めてうなずいた。
 ヤンキースの一員となり、クリチャンと再婚したジェイソンは最近、サイキックセラピーにも滅多に電話しなくなったと言う。
「信じていない訳じゃないんだ。でも、セラピーに頼り過ぎず、家族と自分自身を信じるという原点に返りたいと思っているんだ」
<了>

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 編集後記
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 発行間隔があいてしまいました。言い訳はもはやありません。次回もがんばります。
 
 電子書籍のダウンロード販売をはじめました。よろしくお願いします。
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