西行辞典

西行辞典 第349号(170525)


カテゴリー: 2017年05月25日
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      ◆◆◆◆  西行辞典  ◆◆◆◆
                        
                  vol・349(不定期発行)
                   2017年05月25日号

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          今号のことば    

          1 まつり・祭り
          2 まつり・まつる・奉る(01)

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       ◆ まつり・祭り ◆

【まつり・祭り】

祭礼のこと。原意的には神を祀る神事。
鎮魂や感謝や祈願などを表すために執り行われます。
例えば稲の順調な生育を祈る「田植祭」や、生きとし生けるものを
大切にする「放生会」、疫病退散などを祈る「御霊会」などがそうです。
それらが発展的に今日の祭礼の形になりました。

平安時代当時、男山・石清水八幡宮の「男山祭」、両加茂社の
「加茂祭=葵祭」、大和春日大社の「春日祭」が三大勅祭でした。
勅祭とは天皇の意を受けた勅使が参加する祭りを言います。

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     北まつりの頃、賀茂に参りたりけるに、折うれしくて
     待たるる程に、使まゐりたり。はし殿につきてへいふし
     をがまるるまではさることにて、舞人のけしきふるまひ、
     見し世のことともおぼえず、あづま遊にことうつ、
     陪従もなかりけり。さこそ末の世ならめ、神いかに
     見給ふらむと、恥しきここちしてよみ侍りける

01 神の代もかはりにけりと見ゆるかな其ことわざのあらずなるにて
         (岩波文庫山家集224P神祇歌・新潮1221番)

○北まつり

岩清水八幡宮の南祭に対して、賀茂社の祭りを北祭りといいます。
ともに朝廷が主催する官祭でした。
 
○使いまゐり

天皇の勅使が来着したこと。

○はし殿

賀茂両社に橋殿はあります。この詞書ではどちらの神社か特定
できません。
 
○へいふし

新潮版では「つい伏し」となっています。
膝をついて平伏している状態を指すようです。

○東遊び

神楽舞の演目の一つです。現在も各所で演じられています。
 
○ことうつ陪従

(陪従)は付き従う人と言う意味ですが。その陪従が神楽舞で
琴を打つということです。
しかしこの時には勅使に付き従ってくる琴の奏者である陪従も
いなかったということになります。

(01番歌の解釈)

「賀茂祭の頃に賀茂社に参詣したのですが、具合良く、少し待った
だけで朝廷からの奉幣の勅使が到着しました。勅使が橋殿に着いて
平伏して拝礼されるところまでは、昔ながらのしきたりのままでした。
ところが東遊びの神楽舞を舞っている舞人の舞い方は昔に見た
ものと同じ舞とは思えないほどにお粗末で、舞に合わせて琴を打つ
人さえいません。これはどうしたことでしょう。いくら末法の時代
とはいえ、この事実を神はどのように御覧になっていることだろう。
まったく、恥ずかしい気がします。」

「人の世のみならず、神の代もすっかり変わってしまったと見える
ことだ。琴の陪従もいなくなり、祭のことわざ、舞人の振舞も昔の
ようではなくなったことにつけても」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

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     加茂の臨時の祭かへり立の御神楽、土御門内裏にて
     侍りけるに、竹のつぼに雪のふりたりけるを見て

02 うらがへすをみの衣と見ゆるかな竹のうら葉にふれる白雪

○加茂の臨時の祭

陰暦11月の下の酉の日に行われる賀茂社の祭りです。
889年より始められて、899年には「賀茂社臨時祭永例たるべし」
と定められています。
応仁の乱により中絶、江戸時代に復興。明治3年廃絶しています。   

○かへり立

帰路につくこと。他には以下の意味があります。

「加茂社または男山の岩清水社や奈良の春日社などの臨時の祭りが
終了したあと、祭りの舞人や楽人などの祭りの関係者が宮中に
戻って、清涼殿の東庭に並んで神楽を演じ、宴を賜り、禄をいた
だくこと。還り遊び、還饗(かえりあるじ)ともいう。」
              (講談社「国語大辞典」から抜粋)

○土御門内裏

鳥羽・崇徳・近衛三天皇の里内裏のこと。場所は現在の烏丸通り
西、上長者町通り付近。1117年新造。1138年と1148年に火災に
遭っています。1153年頃、方忌みにより廃絶しました。
西行の歌は1148年までのものと解釈できます。おそらくは出家前
の歌でしょう。

○竹のつぼ

竹の植えられている中庭のこと。

○おみの衣

小忌の衣。神事用の衣服のこと。

(02番歌の解釈)

「前栽の竹の末葉に降った白雪は、舞人が着ている小忌衣を
ひるがえして舞っている、その袖のように見えるよ。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

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    斎院おはしまさぬ頃にて、祭の帰さもなかりければ、
    紫野を通るとて

03 紫の色なきころの野辺なれやかたまほりにてかけぬ葵は
        (岩波文庫山家集223P神祇歌・新潮1220番・
                  西行上人集追而加書)

○斎院
 
伊勢神宮の斎宮と賀茂社の斎院を総称して斎王といいます。
斎宮及び斎院は斎王の居住する施設の名称ですが、同時に人物名と
して斎王のことも斎宮・斎院と呼びます。

「平安時代以降になると、斎王のことを斎宮というようにもなる。」
     (「」内は榎村寛之氏著「伊勢斎宮と斎王」から抜粋)

斎宮は伊勢の斎王のこと、斎院は賀茂社の斎王のこととして区別
されます。

○斎院おはしまさぬ頃

賀茂祭のときに斎王がいなかったのは、1171年から1178年まで、
次に1181年から1204年までということです。
1140年から1170年の間は斎院はいました。
したがって西行の年齢を考えると、この歌は1171年から1178年
までの間に詠まれた可能性が強いと思います。
1171年として西行54歳です。

○祭りの帰さもなかりければ

賀茂祭が終われば斎王は賀茂社に一泊し、翌日、紫野の斎院御所に
帰りますが、斎王がいないために、その行列がないことを表して
います。

○紫野

現在の北大路通り以北、大徳寺、今宮神社あたり一帯を指します。
今宮神社はかつては紫野社と言われていて、平安時代は紫野の
中心地は今宮神社あたりだったそうです。江戸時代は大徳寺あたり
が紫野の中心になっていたらしく、都名所図会には舟岡山は
「紫野の西にあり」と説明がなされています。ともあれ、大徳寺、
今宮神社あたりを指す古くからの地名です。
 
平安時代は紫野は禁野でした。朝廷の狩猟とか遊覧の場でもあった
ようです。
西行の時代には大徳寺はありませんでした。しかしこの大徳寺が
できる前に同じ土地に雲林院があって雲林院はまた紫野院とも
呼ばれていました。
この紫野雲林院あたりでの朝廷の狩猟や遊覧の記録が残って
います。現在の紫野は京都の北部の繁華街となっています。

○かたまほりにて

「かたまほり」は古語辞典にもありませんので、誤写だと思い
ます。新潮版では「片祭」となっています。
斎王がいませんので、したがって「祭りの帰さ」を執り行うこと
ができず、そのために「片祭り」になってしまうということです。

○かけぬ葵

賀茂祭は葵祭ともいいます。斎院御所や行列の人々や牛車は
葵の葉で飾り付けるのですが、斎王がいないときは飾り付け
しなかったようです。

(03番歌と詞書の解釈)

「斎館のある紫野とはいえ、斎院はおいでにならず、紫の色も
ない紫野の野辺とでもいうべきだろうか、祭の帰途の行列もなく、
葵のかづらをかけることもないことを思うと。」
              (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

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      花の歌どもよみけるに

04 とき花や人よりさきにたづぬると吉野にゆきて山まつりせむ
         (岩波文庫山家集249P聞書集178番・夫木抄)

○花の歌ども

聞書集にある吉野山の桜を詠んだ10首連作を指します。

○とき花

和歌文学大系21では「疾き花」としています。普通の桜よりも早く
咲く花を指していると解釈しています。

○吉野

大和の国(奈良県)の歌枕で、桜で有名な吉野山のこと。西行には
吉野山の桜の歌がたくさんあります。

○山まつり

猟師や樵などの山に関係する職業の人々が、年が明けて初めての
山入りに際して山の神を祀り、安全や息災を祈願する行事のこと。

(04番歌の解釈)

「早咲きの花を人より先に尋ねると思って、吉野に行って
山祭りをしよう。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

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       ◆ まつり・まつる・奉る(01) ◆

【まつり・まつる・奉る】

「奉(たてまつ)る」こと。自動詞、他動詞ともにラ行四段活用。

「差し上げる、与える」などの謙譲語で、その動作の及ぶ範囲内の
相手を敬って言う場合に使われます。
人物だけでなく神や仏、故人などに対しても用いられます。

また、相手の食べる・飲む・見る・着るなどの動作に対しても用いる
言葉です。

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     遠く修行することありけるに、菩提院の前の斎宮に
     まゐりたりけるに、人々別の歌つかうまつりけるに

01 さりともと猶あふことを頼むかな死出の山路をこえぬ別は
     (西行歌)(岩波文庫山家集106P離別歌・新潮1142番・
             西行上人集・新古今集・西行物語)

○遠く修行

遠くとはどこであるか不明です。初めの奥州行脚を指すものと
みられています。この時代にあって「修行」という言葉は「旅」と
ほぼ同義であったようです。

○菩提院の前の斎宮

岩波文庫山家集では抄物書きの「サ」を二つ縦に重ねたような合字
表記です。仁和寺の菩提院と断定できます。

斎宮はミスであり、正しくは「斎院」です。前述の「まつり・祭り」
の03番歌の「斎院」を参照願います。

○歌つかうまつりける

「歌仕う奉りける」で歌を詠んで差し上げたこと。

○さりともと

古語。「さ、ありとも」の約。しかしながら・それにしても・
それでも・そうであっても・・・などの意味。

○死出の山路

人の死後にたどるという山のこと。

(01番歌の解釈)

「遠い修行の旅に出かけるので、むずかしいとは思われますが、
それでもやはり再会を期待することです。死出の山路を越える
別れではないから。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

「抄物書きについて」

岩波文庫106ページにカタカナの「サ」を下に二文字重ねたような
文字があります。これは「抄物書き」といい、合字です。読みは
「ササ菩薩」と言われます。仏教関係の書籍では菩薩などという
言葉は頻繁に出てくる言葉なのですが、仏典などを書写する人は
何度も書き写す文字を略して記述するようになりました。それが
「抄物書き」です。
ところが「菩薩院」では明らかに変な名詞と思います。他の多くの
資料では当該箇所は「菩提院」となっています。
仁和寺には実際に「菩提院」という支院がありました。

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      忠盛の八條の泉にて、高野の人々佛かきたてまつる
      ことの侍りけるにまかりて、月あかかりけるに池に
      蛙の鳴きけるをききて

02 さ夜ふけて月にかはづの聲きけばみぎはもすずし池のうきくさ
              (岩波文庫山家集270P残集31番)

○忠盛

平忠盛のこと。1096年~1153年の在世。58歳で没。
伊勢平氏の平正盛の嫡男。母の名は不明。子供に清盛、経盛、頼盛、
忠度などがいます。
13歳から官職につき順調に位階を上げています。京の治安や瀬戸内海
の海賊追捕などに功績をあげていて、白河院や鳥羽院の信頼も厚かった
ということです。最終官位は正四位上でした。
各国の受領を歴任し、かつ、宋との貿易にも関わっていて巨万の富を
蓄えた人物でもあり、それはそのまま清盛に受け継がれましたから、
平氏全盛のもとを築いたともいえます。公卿を目前にして没しています。

歌人としても精力的に活動していて、金葉集初出歌人であり家集に
「平忠盛集」があります。崇徳院の久安百首にも参加しています。

  ゆく人もあまのとわたる心ちして雲の波路に月を見るかな
             (平忠盛朝臣 詞花和歌集297番)

○八條の泉

京都の八条にあった忠盛の屋敷の泉のこと。
忠盛邸は現在の梅小路公園の一筋北側にあったようです。
京都駅の少し西北に位置します。

○高野の人々佛かきたて

高野山の僧侶たちが忠盛邸で仏像を描いたということです。
何年のことかは不明です。
1149年、落雷のため焼亡した高野山の根本大塔再建を平忠盛が担当
していたので、その関係で高野山の人々が忠盛邸に来たものでしょう。
尚、忠盛から清盛に引き継がれた大塔再建事業は忠盛没後の1156年4月
に完成しています。この年、7月には鳥羽院没。すぐに保元の乱が
起こりました。

○さ夜

夜のことで「さ」は接頭語。

(02番歌の解釈) 

「さ夜ふけて、夏の月の光の下、池に鳴く蛙の声を聞くと、その声は
もとより汀も涼しい。池の面には浮草も漂っていて。」
                 (和歌文学大系21から抜粋)

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      御返りごとたてまつりけり

03 つよくひく綱手と見せよもがみ川その稲舟のいかりをさめて
   (西行の返歌)(岩波文庫山家集183P春歌・新潮1164番・
             西行上人集・山家心中集・夫木抄)

      かく申したりければ、ゆるし給ひてけり

この歌の前に崇徳院の下の歌があります。共に記述します。

      ゆかりありける人の、新院の勘当なりけるをゆるし
      給ふべきよし申し入れたりける御返事に

  最上川つなでひくともいな舟のしばしがほどはいかりおろさむ
    (崇徳院歌)(岩波文庫山家集183P春歌・新潮1163番・
             西行上人集・山家心中集・夫木抄)

○御返りごとたてまつりけり

崇徳院から返歌として1163番歌をいただいたということ。

○もがみ川・最上川

山形県中部を貫流する河で長さは229キロ。山形、福島県境の
吾妻山を源流として酒田市で日本海に注いでいます。日本有数の
急流です。後年、この河を行き来する船頭たちの「最上川舟歌」
が流行したそうです。

○いな舟・稲舟

稲を運ぶ舟のことです。
(否=いな)は否定を表す言葉ですが、稲と否は発音が同じこと
から(否=稲)として、掛けている詠み方もされます。
「最上川を運行する舟がへさきを左右に振りながら進むゆえに、
「否舟」というとする説もあったが、「いなぶねの」は「否」
を導き出すための同音反復の序詞であり、実体は稲を運ぶ舟と
見るのが自然である。」
   (片桐洋一氏著「歌枕歌ことば辞典増訂版」から抜粋)

○いかりおろさむ 

(いかり)は舟に用いる錨と、人の感情の怒りを掛けている言葉
です。
(おろさむ)は(くらさむ)(あかさむ)(あらはさむ)などの
(む)の付く用法と同じで、(おろす)の活用形に助動詞(む) 
が付いた形です。
(おろそう)という意味になります。下ろす、沈めるということ
ですが、鎮める、納めるという意味にはならず、怒りを引き上げる
ことなくそのまま持ち続けようということになります。ちょっと
分かりにくい表現です。
新潮版には(いかりおろさん)とありますが、異同の(む)と
(ん)は同義です。
ところが西行歌では「いかりおさめて」となっていて、船の錨よりも
人の感情としての「怒り」としてのニュアンスが強くなっています。

○ゆかりありける人

誰であるのか具体的な個人名は不明です。西行との共通の知人が
崇徳上皇の怒りを買っていたということがあったものと思います。
一説に藤原俊成説があるようです。

○勘当

「当」は古字の「當」です。現在は「当」の文字を使います。
江戸時代以降は親が子と絶縁する意味で使われますが、ここでは
「勘に障っている」という怒りの大きさを表しています。

○つなでひく

(綱手引く)の意味です。稲舟を引く綱のことですが、実際には
崇徳院も西行も稲舟の綱を引くわけではありませんから、ここ
では崇徳院の指導力なり徳の力なりを表すための言葉として用い
られています。

(03番歌の解釈)

「最上川の稲舟の碇を上げるごとく、「否」と仰せの院のお怒り
をおおさめ下さいまして、稲舟を強く引く綱手をご覧下さい(私
の切なるお願いをおきき届け下さい。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)
  
この二首は崇徳院と西行の贈答歌です。崇徳院はある人に対しての
怒りを持っていましたが、西行は、その怒りを崇徳院の高徳を見せて
納めて欲しいという願いを伝えていました。
西行のその願いに歌で返したのが1163番歌です。結果として崇徳院は
西行の思いを受け入れていることが歌の内容からわかります。
 
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  (後記)

今号記載の「まつり・祭り」の01番歌にある北祭り(葵祭)を少し
見てきました。5月15日、まだそれほど暑くは無かったのですが、
祭りの初めから最後までお付き合いするのは体調的にも無理なので、
下鴨神社での「社頭の儀」のみを見物しました。
西行の時代とは多少は様式が違うはずですが、古式ゆかしいことに
違いはありません。加茂社の祭礼として始まったこの祭りも歴史が
古く、いつまでも大事にしてほしい祭りの一つです。

先月からこのマガジンの発行が遅れがちです。遅れを取り戻すように、
今後はできるだけ早く発行したいとは思っています。
頑張りたいものですが7月には眼の手術も控えていて、思うに任せない
状態になるものと予想します。
他にやっていることごとを犠牲にしてでも、なんとか良い方向にと
考えます。

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  ◎ 「西行辞典」第349号 2017年05月25日発行 

  ◎ 発行責任者 阿部 和雄
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     利用させていただいています。
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僕は『絶対倒産する』と言われたOWNDAYSの社長になった。
売上20億,負債14億,赤字2億『絶対倒産する』と言われ、メガネ業界内ではただの質の悪い安売りチェーンと馬鹿にされ続けていたOWNDAYS(オンデーズ)を30歳の時に買収し社長に就任。その後、10年間で奇跡のV字回復を遂げて、売上150億,世界10カ国に進出するまで・・、みたいな巷によくある再生物語。半分ノンフィクション。半分はフィクション。いつまで、どこまで書き続けるかはまだ未定です。 https://www.owndays.com Twitter:https://twitter.com/shuji7771 blog:https://ameblo.jp/shuji7777/
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