西行辞典

西行辞典 第338号(161204)


カテゴリー: 2016年12月04日
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      ◆◆◆◆  西行辞典  ◆◆◆◆
                        
                  vol・338(不定期発行)
                   2016年12月04日号

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          今号のことば    

       まかり・まかる 04

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       ◆ まかり・まかる 04 ◆

【まかり】

動詞「まかる」の連用形です。出る、行くという言葉の謙譲語・
丁寧語として使われます。

西行歌にはたくさんの「まかり」が使われています。ほぼ同じ行為を
表す「行く」「参る」「詣でる」「まかる」を使い分けているのは、
それなりの必然があったからでしょう。
西行本人の歌に対しての感覚や言語センスに基づきながら、人物や
事象との距離感がいくつかの言葉を使い分けた原因ではないかと
思います。
また、歌の韻律になじみにくいと思われる「まかる」の用法は、ほぼ
詞書に用いられています。それも西行の見識の一つでもあったのでは
ないでしょうか。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

      大原にをはりの尼上と申す智者のもとにまかりて、
      両三日物語申して帰りけるに、寂然庭に立ちいでて、
      名残多かる由申しければ、やすらはれて

18-1 帰る身にそはで心のとまるかな
      (前句、西行)(岩波文庫山家集266P残集17番)

     まことに今度の名残はさおぼゆと申して 

18-2 おくる思ひにかふるなるべし
      (付句、寂然)(岩波文庫山家集266P残集17番)

○をはりの尼

「尾張の尼は兵衛の局らとともに待賢門院に仕えていた女房で、
「金葉集」初出の歌人であるが、待賢門院の世を去った後、出家
して大原にこもっていたのである。」        
         (窪田章一郎氏著「西行の研究」より抜粋)

「待賢門院に仕えて琵琶の名手とうたわれ、後に大原来迎院の良忍
に帰依して遁世した高階為遠女の尼尾張・・・」
       (目崎徳衛氏著「西行の思想史的研究」より抜粋)

目崎氏説と窪田氏説は待賢門院に仕えていたことは同じですが、
少しの異同があります。目崎氏説の良忍に帰依していたということ
が疑問です。

待賢門院出家が1142年、死亡が1145年。大原来迎院の良忍死亡が
1132年。良忍は待賢門院より13年も早く死亡していますので、
目崎氏説はあるいは間違いかもしれません。

 いとか山くる人もなき夕暮に心ぼそくもよぶこ鳥かな 
                  (金葉集 前斉院尾張)

○寂然

俗名は「藤原頼業」。藤原為忠の子です。生没年は未詳。
西行とは最も親しい歌人と言えます。贈答の歌がたくさんあります。

○やすらはれて

ためらうこと、躊躇すること。「いさよう」という言葉とほぼ
同義です。
ほかに、休むこと、休憩すること、という意味もあります。

○さおぼゆ

そのように覚えて、そのように感じて、という意味。

○かふるなるべし

「思いが」代わるということ。

(詞書の解釈)

大原の里に尾張の尼という仏道の先達の知者がいる。その尼上の
所に寂然とともに訪ねていって足掛け三日ほど話し合いました。
いざ帰ることになると、寂然は庭に下り立ちて「名残が多い」と
いうので、私も尼上と別れて帰るのがためらわれました。

(18-1番、西行前句の解釈)

「いざ帰ろうとすると、心は帰る身に添わないで残りとどまろう
とするなあ。」

(18-2番、寂然付句の解釈)

「尼上の身は庵にあっても心は私たちと一緒に行こうとされて
いるのだろう。私たちは逆に身は帰るけれども心はこの庵に
留まろうとしていて、それは送る尼上の思いと引き替えになって
いるのだろう。」
                   (以上、阿部の解釈)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

       人に具して修学院にこもりたりけるに、小野殿見に
       人々まかりけるに具してまかりて見けり。その折
       までは釣殿かたばかりやぶれ残りて、池の橋わた
       されたりけること、から繪にかきたるやうに見ゆ。
       きせいが石たて瀧おとしたるところぞかしと思ひて、
       瀧おとしたりけるところ、目たてて見れば、皆うづ
       もれたるやうになりて見わかれず。木高くなりたる
       松のおとのみぞ身にしみける

19 瀧おちし水のながれもあとたえて昔かたるは松のかぜのみ
             (岩波文庫山家集267P残集20番)

○人に具して
    
(具=ぐ)は本来は「一揃い」や「対になるもの」を意味します。
(具す)とサ行の活用動詞が接続して「揃う・お伴として従う」と
いう意味の動詞となりました。「連れ添う・一緒に行く」という
解釈が成立します。
西行歌には「人に具して」歌は4首、「人々具して」歌は2首あります。

○修学院

左京区にある地名及び寺社名。後述。

○小野殿

惟喬親王が住んでいた住居のこと。京都市大原と洛中の二説があり
ました。私は丸太町烏丸あたりにあった惟喬親王の邸宅址だと思って
いました。しかし西行学第4号の宇津木言行氏の第三説ともいうべき
卓見に出会い、所在地は決定できないでいます。

○釣殿

寝殿造りで、東西の対の屋から南に延ばされた中門廊の端に、
池にのぞんで建てられた建物のこと。
          (講談社「日本語大辞典」より引用)

○こと、から絵にかき

ここは(事、唐絵にかき)ではなく(事柄、絵にかき)と解釈したいと
思います。これは和歌文学大系21監修者の久保田淳氏の説です。

○きせい

庭園作製者名のはずですが、生没年や事歴については不明です。
「基勢」(其聖とも)と称された寛蓮、俗名橘良利のことか、
宇多天皇の臣で、囲碁の名人とされる」と、和歌文学大系21には
あります。

(19番歌の解釈)

 (詞書)
「人と共に修学院にこもっていた頃のことです。人々が小野殿を
見物に行こうと言うことですので、同行しました。小野殿の釣殿
はその時までは形ばかり残っていました。
池には橋が渡されているのですが、その様子などは絵に描いたように
鮮やかに見えました。ここは、きせいという庭師が大きな石を立てて
滝を作って水を流していた所です。しかし、注意して良く見てみても、
すべてが埋もれたようになっていて、滝の跡も見分けがつきません。
高く伸びた松の木を渡って行く風の音のみ聞こえることが、うら
寂しくて身にしみます。」
  
 (歌)
「かつては滝があり流れていた水も、今では絶えてしまっていま
す。この邸の昔のことを語るものは何もありません。ただ、松風
のみが往時と同じに吹きすぎて行くばかりです。」
                    (以上、私の解釈)

(小野殿について)

「小野殿」の所在地については諸説あり、確定していません。
惟喬親王の大原の隠棲地、洛中の小野殿、修学院に近い小野郷の
建物説があります。

文徳天皇の第一親王である惟喬親王(844~897)は出家前に大炊
御門烏丸の邸宅に住んでいました。親王は生母が藤原氏では
なかったために事実上、皇位に就く道を閉ざされていました。
28歳の時に剃髪、出家。小野に隠棲しました。
ここでの小野は比叡山の西麓の大原のことです。親王と親交のあった
在原業平が大原の山荘を訪ねて歌を詠んでいます。

 忘れては夢かとぞ思ふ思ひきや 雪ふみわけて君を見んとは
                 (在原業平 古今集) 

白州正子氏の「西行」では、西行達が修学院から見に行った小野殿は、
この大原の隠棲地だと解釈されていますが、ここはやはり大炊御門
烏丸の屋敷と解釈するほうが自然です。修学院からは大原の隠棲地の
方が少し遠く、かつ隠棲地に造園工事をして釣殿を建てるというのも
不自然な話です。
惟喬親王が小野に隠棲したために、親王は小野宮と呼ばれ、同時に、
この烏丸の屋敷も小野宮とか小野殿と呼ばれました。
この小野殿は約110メートル四方の屋敷です。大鏡には右大臣実頼
「藤原忠平の長子(900~970)」がこの屋敷を伝領したことが書か
れています。
実頼は小野殿に住んだので「小野宮の右大臣」と呼ばれていました。
小野殿は914年、1057年、1121年、1144年、1167年と火災に遭って
いて、以後は記録に見えませんので再建されなかったものでしょう。
西行達は何年に小野殿を訪ねたのか、年代までは分かりません。
火災に遭って数年してからと考えれば1150年前後、もしくは1170年
前後でしょうか。ただし、1144年の被災後すぐに再建されていると
したら1170年頃ということでしょう。ともあれ1167年までは人が居住
していたとするなら、無人のままに荒れはてた「昔かたるは松のかぜ
のみ」という歌のイメージにはそぐいません。

2013年8月発行の「西行学」第4号では、宇津木言行氏の(「小野殿」に
ついて)という論考が掲載されています。大変示唆に富む論考でした。
宇津木氏説では藤原敦忠(906~943)の山荘跡を西行歌の「小野殿」の
可能性の一つとして提示されています。
説得力のある魅力的な説のように思います。

(修学院と修学院離宮)

叡山三千坊のひとつである修学院(修学寺)に由来する左京区に
ある地名です。
修学院は叡山の勝算僧正を開基とするとありますが何年の建立か
資料がありません。980年代に官寺となっているということです。
ここには兼好法師(1282頃~1352頃)も庵を結んでいたことが知ら
れていますので、南北朝の頃まで、もしくは応仁の乱頃までは存続
していたものと思います。

現在の修学院離宮は後水尾院が1656年に造営に着手、1659年にほぼ
完成したものです。1615年の「禁中並公家諸法度」や、1627年の
「紫衣事件」で、幕府は朝廷を締め付けましたが、それを不満と
して後水尾天皇は1629年に退位しました。退位後、洛北で旗枝御所
(円通寺)という山荘を営みましたが、水回りの関係でそこには
満足できず、適地を修学院に求めたものでした。
完成した当時の離宮は上と下の茶屋のみでした。中の茶屋は明治に
なってからの造営です。
この離宮は西京区の桂離宮とともに江戸時代初期の代表的な書院
造りの建築物として高名です。自然の景観との調和美を優先した
様式は国内だけでなく海外でも著名です。
 
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

      八月、月の頃夜ふけて北白河へまかりける、よしある
      様なる家の侍りけるに、琴の音のしければ、立ち
      とまりてききけり。折あはれに秋風楽と申す楽なり
      けり。庭を見入れければ、浅茅の露に月のやどれる
      けしき、あはれなり。垣にそひたる荻の風身に
      しむらんとおぼえて、申し入れて通りけり

20 秋風のことに身にしむ今宵かな月さへすめる宿のけしきに
           (岩波文庫山家集85P秋歌・新潮1042番)

○北白川

京都市左京区にある地名です。現在の白川通り以東、今出川通り
以北の一帯を指します。

○よしある様

由緒のありそうな感じのこと。

○秋風楽

雅楽の曲名。雅楽とは中国伝来の音楽で鉦、笛、ひちりき、和琴
などで演奏するもの。ほかに千秋楽、太平楽などがある。
秋風楽は曲に合わせての舞があり、これを舞楽といいます。
            (主に講談社の「国語大辞典」を参考)

○浅茅

浅茅(背の低いチガヤ)のこと。
人も住まず荒れ果てている場所を形容する言葉です。

(20番歌の解釈) 

(詞書)

【「秋風」には秋風楽をかけている。「ことに」は「殊に」と
「琴」に、「すめる」は「澄める」と「住める」をかけている。
秋風楽は雅楽の曲名。詞書のなかに「垣にそひたる荻の風身に
しむらん」うんぬんとあるが、秋風に荻の葉を配するのは白楽天
の琵琶行などから早く流行したようである。(中略)
この配合は「更級日記」にも「かたはらなる所に先おふ車とまりて
荻の葉、荻の葉とよばすれど答へざるなり。呼びわづらひて笛を
いとをかしく吹きすまして、過ぎぬなり。

<笛のねのただ秋風と聞ゆるになど荻の葉のそよと答へぬ>

といひたれば、げにとて

<おぎの葉の答ふるまでも吹きよらでただに過ぎぬる笛の音ぞ憂き>

などとあって知られる。ここの荻の葉は女、外から呼んだが返事が
なかったというのである。つまり、秋風が吹けば荻の葉はそよぐ
ものと決められていた。
そして靡(なび)かない、返事がないということにもなる。

「こむとたのめて侍りける友だちの待てど来ざりければ秋風の
涼しかりける夜ひとりうちいて侍りける

<荻の葉に人だのめなる風の音をわが身にしめて明かしつるかな>
             (後拾遺集巻四・僧都実誓)

<荻の葉にそそや秋風吹きぬなりこぼれもしぬる露の白玉>
             (詞花集巻三・和泉式部)

など無数にある。つまり一種の固定化した伝統発想であってこの
詞書の西行の行動は当時の風流であり、この場面に来合っては
黙して通り過ぎてはならない。
家の主人に歌を詠んで挨拶を入れたというわけである。 
 
(歌)

「秋風が今夜は格別身にしむことだ。それは琴の秋風楽のせい
なのだが、また月までが澄んで照らすような住み方の庭を見た
ゆえに。」】
        (【】内は宮柊二氏著「西行の歌」から引用)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

     人を尋ねて小野にまかりけるに、鹿の鳴きければ

21 鹿の音を聞くにつけても住む人の心しらるる小野の山里
          (岩波文庫山家集68P秋歌・新潮441番・
                   新後撰集・夫木抄)

○しか・鹿

哺乳類の動物。エゾシカ、アカシカ、ニホンジカなど鹿類の総称。
性質はおとなしく食性は草などの植物が普通。
牡鹿の角は毎年生え変わります。肉は人間の食用にもなります。

歌では「萩」や「秋」の言葉と共に詠み込まれた歌が多くあります。
雌鹿を求めて鳴く牡鹿の声が、秋の情景とも重なって「悲しい」と
いう愛惜に満ちた抒情が表現されています。

 「奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の 声聞く時ぞ秋は悲しき」
               (猿丸太夫 百人一首05番)

山家集では鹿の異称として「かせぎ」「すがる」も使われています。

○小野の山里

山科区の随心院あたり。
左京区の三宅八幡あたりから大原にかけて。
右京区の周山街道沿い。京都には著名な「小野」の地名は以上の
3カ所あります。
西行の(小野歌)の殆どは左京区の大原近辺を詠んだ歌と見て良い
でしょう。

(21番歌の解釈)

「鹿の鳴き声を聞くにつけても、小野の山里に住む人の心が
どんなに澄み切ったものであるかがしのばれる。」
               (和歌文学大系21から抜粋)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

       北白河の基家の三位のもとに、行蓮法師に逢ひに
       まかりたりけるに、心にかなはざる恋といふことを、
       人々よみけるにまかりあひて

22 物思ひて結ぶたすきのおひめよりほどけやすなる君ならなくに
              (岩波文庫山家集270P残集30番)

「和歌文学大系21」では以下のようになっています。

 物思ひて結ぶ襷の帯目よわみほどけやすなる君ならなくに
                   (和歌文学大系21)


○【藤原基家】=基家の三位

藤原基家という人物は何人かいますが、西行と同時代人の「基家」は、
藤原通基の子の基家しかいません。彼は持明院基家とも言います。

藤原基家(1131~1214)は藤原頼宗流に連なり、父は藤原通基、
母は待賢門院の女房だった一条という女性ということです。この
女性は上西門院の乳母とも言われていて、その関係で一条という
女性は西行とも面識があったものでしょう。
基家自身が西行と親しかったかどうかは分りませんが、いずれに
しても22番歌は西行55歳以降の歌であると言えます。

基家の経歴については良く分からないというのが実情です。
従三位は1172年から1176年、正三位は1176年から1187年、以後は
従二位のようですが、確実な資料がなくて異説もあるようです。
基家は後堀川天皇の祖父に当たりますが、政治の中枢で活躍した人
とはいえません。

○三位

(さんみ)と呼び、平安時代の朝廷の位階のことです。
正一位、従一位、正二位、従二位、正三位、従三位の順となります。
位階によって官職がほぼ決まります。太政大臣は一位、大臣は
二位、大納言や中納言は三位の人がなります。

○北白河

京都市左京区にある地名です。現在の白川通り以東、今出川通り
以北の一帯を指します。

○行蓮法師

不明です。法橋行遍のことだと言れています。

○人々よみける

これは「歌合」などの場ではなくて、親しい歌人たちが任意に集って
歌を詠みあったということです。「歌会」とも言えるでしょう。
西行は同時代の親しい歌人たちと歌を通しての交流を重ねていました。
しかし多くの場合「人々よみける」の「人々」の個人名までは判明
していません。

○たすきのおひめ

たすきの結び目のこと。帯目のこと。

(22番歌の解釈)

「恋の物思いをして神に祈ろうと結んだ襷の帯の結び目が弱い
のでほどけやすい。しかし恋人の心はほどけやすくないよ。」
               (和歌文学大系21から抜粋)

(行蓮法師)

「行蓮法師」とは不明であり、書写ミスと思われます。
法橋行遍のことだろうと言われています。

ところが、行遍については「西行の研究」の窪田章一郎氏も
「西行の思想史的研究」の目崎徳衛氏も触れていません。日本
古典全書の伊藤嘉夫氏が「川田説」と注記した上で「行遍は
勘解由次官藤原顕能の子。仁和寺阿闍梨」としています。
渡部保氏の「西行山家集全注解」でも、この説に従っています。
仁和寺菩提院を住持し、東寺長者にもなっていた行遍は後に大僧正
にもなるのですが、西行死亡年にわずかに9歳です。1181年出生、
1264年死亡といわれています。そうすると、基家の三位の歌会の年
である1172年から1176年には出生さえしていません。従ってこの
行遍ということは確実にありえません。

新古今集1548番(岩波文庫)の詞書に西行との関連性のある
記述があります。詞書と歌を転載します。作者は法橋行遍です。

『月明き夜、定家朝臣に逢ひ侍りけるに、「歌の道に志深き事は、
いつばかりよりのことにか」と尋ね侍りければ、若く侍りし時、
西行に久しく相伴ひて聞き習ひ侍りしよし申してそのかみ申しし
事など語り侍りて、朝に遣はしける』

 あやしくぞ帰さは月の曇りにし昔がたりに夜やふけにけむ
             (岩波文庫「新古今和歌集」1548番)

定家と行遍はたがいに西行をよく知っていたというふうに解釈できる
詞書です。この詞書により、山家集の行蓮法師は行遍のことと解釈
されたものでしょう。

ここにある行蓮法師は熊野別当行範の第六子の法橋行遍のことです。
同名異人です。西行が熊野に行った時に知遇を得たものだと思います。
このことは川田順氏の昭和15年11月発行の「西行研究録」に記述され
ています。
伊藤嘉夫氏が「川田説」として取り上げた書物は昭和14年11月発行の
「西行」であり、川田氏は翌年発行の「西行研究録」で行遍について
の記述ミスを認めて、訂正されています。
新古今集に採録されている法橋行遍の作品も仁和寺の僧の行遍では
なくて、熊野の法橋行遍の作品といえます。行遍の作品は新古今集
843番、1289番、1839番とあわせて四首があります。

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  (後記)

師走です。今年も余すところ三週間有余。早いものですね。
68歳という年齢にもなると淡々と身を処して、もちろん一年の総括
めいたこともしません。それはあるいは良くないことかもしれません。

今年の紅葉の盛りの頃に一週間弱、肺炎のために寝込むということに
なりました。予期しないことに時間を奪われました。好事魔多し。
仕方ありません。ために目論んでいた紅葉名所の半分も見に行け
なかったようにも感じています。
「つながれている範囲で草を食まねばならない」のですし、半分
ほどでも見られたことは僥倖とも言えます。

薬の副作用でなった糖尿病は、注意もし食生活を改めても改善の兆し
も見せません。糖尿病によって引き起こされる病気も多く、肺炎も
罹患しやすい病気の一つです。私の場合は「体が少し寒いなー」と
感じたら、ものの数時間で肺炎発症です。気を付けようにも対策が
ありません。今年は二度肺炎をやりましたが、今冬にまだ何度か
するものと思います。発症しても軽く済むようにと思います。

これから寒さに向かう季節。皆様のご自愛を念じあげます。

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  ◎ 「西行辞典」第338号 2016年12月04日発行 

  ◎ 発行責任者 阿部 和雄
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  ◎ 発行システム インターネットの本屋さん「まぐまぐ」を
     利用させていただいています。
   『まぐまぐ』 URL: http://www.mag2.com/

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