西行辞典

西行辞典 第307号(150121)


カテゴリー: 2015年01月21日
************************************************************

      ◆◆◆◆  西行辞典  ◆◆◆◆
                        
                  vol・307(不定期発行)
                   2015年01月21日号

************************************************************

           今号のことば    

        1 藤原秀衡(ふじわらひでひら)
        2 藤原宗輔(ふじわらむねすけ)
        3 藤原基家(ふじわらもといえ)

   藤原通憲(ふじわらみちのり=信西)→ 第49号「院の二位」参照

************************************************************ 

       ◆ 藤原秀衡(ふじわらひでひら) ◆

【藤原秀衡】=「相知りたる人」

藤原秀衡の名は山家集にはありません。陸奥の歌などにも「秀衡」
名は出てきません。もちろん「藤原秀郷」名も出てきません。しかし
秀衡と西行とは確実に面識があるはずですから、ここで取り上げます。
01番歌にある「相知りたる人」はそのまま解釈すると誰か不明ですが、
歌の成立年代や当時の社会状況、西行の陸奥旅行などと照らし合わ
せて、かつ、一度面識のある人物と言えば藤原秀衡と断定できます。
                         
藤原秀衡は生年未詳。没年1187年10月。没年齢不詳。65歳頃死亡?
JTBキャンブックス「古寺巡礼・中尊寺」によれば、1122年ほどの
出生のようですから、1118年生の西行よりは少し年少です。
藤原北家魚名流の藤原秀郷を祖とし、その九代の後裔です。西行の
佐藤家も秀郷を遠祖としていると言われます。それゆえに少なからず
同族意識が互いにあったものでしょう。
「尊卑分脈」の系図は以下です。

藤原鎌足→不比等→房前→魚名→鷹取→藤成→村雄→秀郷→千時→
→千清→正頼→頼遠→経清→清衡→基衡→秀衡→泰衡

参考のために西行の佐藤氏の系図を記述しておきます。

藤原鎌足→不比等→房前→魚名→鷹取→藤成→村雄→秀郷→千常→
公脩→文行→公行→公光→公清(佐藤)→季清→康清→仲清→
能清→光清→成清

このうち「仲清」は西行の弟だと思われます。秀衡の藤原家と西行の
佐藤家は、秀郷の次の代に枝分かれしたことが分かります。

西行と奥州藤原氏の関係は西行も、そして当時の社会も同族と認めて
いたようです。その関係で間違いないものと思われます。
しかし平成五年に発行された高橋富雄氏の「奥州藤原氏」でも
「藤原氏の系図は、初代清衡の父経清までは、正確なことが、
まったく不明である。」という如くに、とてもわからないもの
です。奥州平泉初代の清衡(藤原→清原→藤原と改姓)にしても
藤原氏というよりも奥州の覇者でもあった(安倍氏)と言っても
良いほどに安倍氏の血が濃くなっています。清衡の母も安倍氏です。
それでも秀郷を祖とする同族として、表に出ない形での同族だけに
分かる何かしらの契りがあったのかも知れません。

ちなみに「奥州三代」は、清衡(1056~1128)、基衡(1105?~1157?)、
秀衡(1122?~1187)を言います。
清衡の建立した中尊寺の「金色堂」に、三代の遺体が今もあります。
平泉を中心として、きらびやかな奥州文明国家を作りあげていた
藤原氏も秀衡没後の泰衡の時代、源頼朝に攻められて滅びました。
1189年のことです。
私も2004年11月に中尊寺を訪ねて、金色堂には驚嘆したものでした。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

   あづまの方へ、相知りたる人のもとへまかりけるに、さやの
   中山見しことの、昔になりたりける、思ひ出でられて

01 年たけて又こゆべしと思ひきや命なりけりさやの中山
         (岩波文庫山家集128P羇旅歌・西行上人集・
                   新古今集・西行物語)

○さやの中山

東海道の難所の一つです。現在の静岡県掛川市にある坂路で、
東海道の日坂宿と金谷宿を結んでいます。
現在の道は歩きやすく舗装整備されていて、西行当時の通行の
困難さが偲びにくいものです。

「小夜の中山は歌枕として有名だが、その詠まれている多くの
例歌からみると、難所で、荒涼として寂しい場所であり、旅の
寂しさや苦痛が身にしみるところであった。
西行の詠歌の発想は、しみじみと40年前の旅を想いださせるのに
十分な孤独感を味わわせる、小夜の中山の風土にあったと思われる。
そして「思ひきや」の表現によって、ふたたびこの地にくる
ことができたという喜びが内包されている。しかし、この一首から
うけるはげしい感動のみなもとは、「命なりけり」に凝集された
ところにある。すなわち、西行自身、わが心をみつめて、生き
ながらえているわが命を実感し、それを喜び感動している心と姿が、
読者に強く訴えてくる迫力になっているのだと思われる。
(中略)
景物としての、伝統的な小夜の中山を詠んだだけのものでなく、
伝統的な歌枕の地で、西行がわが命を直視した結果から生まれる 
喜びの、感動の詠出であったと理会したい。」
         (集英社刊 有吉保氏著「西行」から抜粋)

○年たけて

69歳という自身の年齢を言っています。「たけて」は高くなって
ということ。高齢ということを意味します。

○又こゆべし

再度、小夜の中山の急峻な峠道を越えるということ。このことに
よって、初度の陸奥までの旅の帰途は東海道ではなくて東山道を
たどったという、その可能性を思わせます。
ちなみに小夜の中山の峠道は西行時代からはずいぶんと改変され
ているらしくて、現在では難所という感じはしません。

○命なりけり

(命)という名詞に(なり・けり)をつける用法には少しく疑問
がありますが、こういう用い方が和歌的な用法かもしれません。
 
(命が続いてきたからこそだなー)という詠嘆の言葉です。自身
のこれまでの来し方を振り返っての個人に根ざしたさまざまな
思いが凝縮している言葉です。必然として詠者は高齢である
ことを証明しているともいえます。

(01番歌の解釈)

「年を取ってまたこの山を越えるであろうと思ってもみただろうか。
命があってのことだなあ、佐夜の中山を越えるのは。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

○「命なりけり」歌について

「長い人生の時間を一瞬にちぢめてのはげしい詠嘆とともに、
また、ここまで年輪を刻んできた自らの命をしみじみと見つめ
いとおしんでいる沈潜した思いが、一首にはある。調べも、そう
いう内容にふさわしく、反語を用いての三句切れの後、さらに第
四句でもするどく切れるという、小刻みに強い調べによって激情
を伝えた後、名詞止めの結句によって、そういう激情はしっかりと
受け止められているのである。(中略)
「命あればこそ」の感慨は50歳を過ぎた西行の心中でいよいよ深
まりつつあったのだと思われるが、その後さらに十数年を経て、
思い出の地を通ったとき、その思いはいっそう痛烈に沸いたので
あった。「命なりけり」、この平凡ではあるが重い感慨を心に深く
いだきつつ、老いたる西行は、すでにはるかに過ぎてきた自らの
人生の旅路を思ったのである。」
        (彌生書房刊 安田章生氏著「西行」から抜粋)

「命なりけり」という言葉は西行が始めて使った言葉ではなくて
先例がいくつもあり、西行以後にも使われています。
「命なりけり」のフレーズのある歌は合計31首あるそうです。その
うち30首は結句に用いられ、それ以外の一首が西行の「年たけて」
歌とのことです。

◎ 限りとて別るる道の悲しきにいかまほしきは命なりけり
                 (源氏物語・桐壺)

◎ 春ごとに花のさかりはありなめどあひみんことは命なりけり
              (古今集97番 よみ人しらず)

◎ もみぢ葉を風にまかせて見るよりもはかなきものは命なりけり
               (古今集859番 大江千里)

************************************************************

       ◆ 藤原宗輔(ふじわらむねすけ) ◆

【藤原宗輔】=「京極太政大臣」

藤原氏。中御門宗輔のこと。生年1077年、没年1162年。享年86歳。
「中右記」の作者である中御門宗忠の弟にあたります。
菊やボタンの栽培に詳しく、また音曲の分野にも秀でていて琵琶や
笛の名手ともいわれています。
養蜂もしていたらしく「蜂飼大臣」の異称もあります。
宗輔が中納言であった期間は1130年から1140年ほどであり、西行で
言えば13歳から23歳頃までです。したがって01番歌は西行の出家前
の歌であると解釈されます。
宗輔は、保元の乱の時に死亡した藤原頼長とも親しかったよう
ですが、連座することはなくて乱後の1157年に太政大臣となりました。
81歳という高齢になってからのことです。
太政大臣と言っても、保元から平治にかけては藤原信西が独裁的に
政務を執っていましたから、お飾り的な太政大臣だったものでしょう。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

     京極太政大臣、中納言と申しける折、菊をおびただしき
     ほどにしたてて、鳥羽院にまゐらせ給ひたりける、鳥羽の
     南殿の東おもてのつぼに、所なきほどに植ゑさせ給ひけり。
     公重少将、人々すすめて菊もてなさせけるに、くははる
     べきよしあれば

01 君が住むやどのつぼには菊ぞかざる仙の宮といふべかるらむ
           (岩波文庫山家集87P秋歌・新潮466番)   

○鳥羽院

ここでは鳥羽天皇のことではなくて、鳥羽離宮のことです。城南
(せいなん)離宮ともいいます。白河上皇と鳥羽上皇が院政を
執った離宮です。
          
○鳥羽の南殿

白河天皇が造営した鳥羽離宮の南殿御所のことです。1087年に
初めて南殿御所に遷幸がありました。離宮の中でも最初に築造
されました。
鳥羽離宮には南殿のほかに泉殿、北殿、馬場殿、東殿が作られて
います。
鳥羽天皇は田中殿を造り、そこで院政を行ないました。
ちなみに、それぞれに配された侍の人数は北殿75人、南殿17人、
泉殿8人の合計100名です。これは1090年の記録ですから当然に
佐藤義清は入っていません。余談ですが平清盛が1179年の冬に
後白河天皇を幽閉したのも鳥羽離宮の南殿でした

○公重少将

1117年か1118年出生。60歳か61歳で1178年没。   
藤原通季の子。父の早逝により叔父の徳大寺実能の猶子となって
います。紀伊守、侍従、右少将を歴任。最終官位は正四位下。
詞花和歌集初出。家集に「風情集」があります。

01番歌の時の西行の年齢は19歳から22歳頃までの、まだ出家をして
いない時でした。鳥羽院の下北面だった頃の歌です。
当時、公重は少将にはなっていないことが知られています。

 昔みし雲ゐをこひて葦たづの 沢べになくや我身なるらん
                            (藤原公重 詞花和歌集350番)

○君が住む

第74代天皇の鳥羽上皇が住むということ。1103年生~1156年没。
54歳。院政開始は1129年。崇徳天皇・近衛天皇・後白河天皇の父。

○やどのつぼ

鳥羽離宮南殿御所にある中庭のこと。坪庭とも言います。

○仙の宮

「仙の宮」は、読みは(ひじりのみや)。退位した天皇が住む
ところを仙洞御所といい、菊の花の神仙の伝説とをかけています。

(01番歌の解釈)

「京極太政大臣、中御門宗輔が中納言であった頃に(1130~1140)
多くの菊を鳥羽離宮に持ってきました。それを南殿の東の中庭
いっぱいに植えたのでした。
藤原公重少将が菊の歌を詠むようにと人々に勧めましたが、西行
にも加わるように言ったので・・・」以上が詞書の意味です。

「わが君(鳥羽院)がお住みになる宿の中庭を菊がいっぱい
かざっていることである。これこそまことに仙の宮、仙洞御所と
いうべきであろう。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

************************************************************

       ◆ 藤原基家 ◆

【藤原基家】=基家の三位

藤原基家という人物は何人かいますが、西行と同時代人の「基家」は、
藤原通基の子の基家しかいません。彼は持明院基家とも言います。

藤原基家(1131~1214)は藤原頼宗流に連なり、父は藤原通基、
母は待賢門院の女房だった一条という女性ということです。この
女性は上西門院の乳母とも言われていて、その関係で一条という
女性は西行とも面識があったものでしょう。
基家自身が西行と親しかったかどうかは分りませんが、いずれに
しても01番歌は西行55歳以降の歌であると言えます。

基家の経歴については良く分からないというのが実情です。
従三位は1172年から1176年、正三位は1176年から1187年、以後は
従二位のようですが、確実な資料がなくて異説もあるようです。
基家は後堀川天皇の祖父に当たりますが、政治の中枢で活躍した人
とはいえません。

基家の姉か妹の休子という女性が殖子という娘を産みました。基家に
とっては姪に当たります。この殖子が高倉天皇との間に第82代後鳥羽
天皇をもうけています。後鳥羽天皇は同腹の兄に後高倉院(守貞親王)
がいます。
この後高倉院(守貞親王)は天皇にはなっていません。親王のまま
ですが後堀川天皇の父として院政を執りました。

後堀川天皇は後高倉院(守貞親王)と基家の娘の陳子との間に生れ
ました。基家の娘が後堀川天皇の生母ということです。
基家にとっては娘(陳子)と、そして姪(殖子)の子供(守貞親王)との
結婚ですから非常に近い血族間での結婚といえます。

それにしても娘と、姪の子供との結婚ということは、年代的に見て
可能なのかどうか疑問でしたが、(守貞親王)が1179年生、陳子が
1173年生、後堀川院が1212年誕生ですから、充分に可能でした。
陳子は基家が48歳頃にできた子供です。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

01    北白河の基家の三位のもとに、行蓮法師に逢ひにまかり
     たりけるに、心にかなはざる恋といふことを、人々よみ
     けるにまかりあひて

  物思ひて結ぶたすきのおひめよりほどけやすなる君ならなくに
              (岩波文庫山家集270P残集30番)

「和歌文学大系21」では以下のようになっています。

  物思ひて結ぶ襷の帯目よわみほどけやすなる君ならなくに
                   (和歌文学大系21)

○北白河

京都市左京区にある地名です。現在の白川通り以東、今出川通り
以北の一帯を指します。

○三位

(さんみ)と呼び、平安時代の朝廷の位階のことです。
正一位、従一位、正二位、従二位、正三位、従三位の順となります。
位階によって官職がほぼ決まります。太政大臣は一位、大臣は
二位、大納言や中納言は三位の人がなります。

○行蓮法師

不明です。法橋行遍のことだと言れています。

○人々よみける

これは「歌合」などの場ではなくて、親しい歌人たちが任意に集って
歌を詠みあったということです。「歌会」とも言えるでしょう。
西行は同時代の親しい歌人たちと歌を通しての交流を重ねていました。
しかし多くの場合「人々よみける」の「人々」の個人名までは判明
していません。

○たすきのおひめ

たすきの結び目のこと。帯目のこと。

(01番歌の解釈)

「恋の物思いをして神に祈ろうと結んだ襷の帯の結び目が弱い
のでほどけやすい。しかし恋人の心はほどけやすくないよ。」
               (和歌文学大系21から抜粋)

(行蓮法師)

「行蓮法師」とは不明であり、書写ミスと思われます。
法橋行遍のことだろうと言われています。

ところが、行遍については「西行の研究」の窪田章一郎氏も
「西行の思想史的研究」の目崎徳衛氏も触れていません。日本
古典全書の伊藤嘉夫氏が「川田説」と注記した上で「行遍は
勘解由次官藤原顕能の子。仁和寺阿闍梨」としています。
渡部保氏の「西行山家集全注解」でも、この説に従っています。
仁和寺菩提院を住持し、東寺長者にもなっていた行遍は後に大僧正
にもなるのですが、西行死亡年にわずかに9歳です。1181年出生、
1264年死亡といわれています。そうすると、基家の三位の歌会の年
である1172年から1176年には出生さえしていません。従ってこの
行遍ということは確実にありえません。

新古今集1548番(岩波文庫)の詞書に西行との関連性のある
記述があります。詞書と歌を転載します。作者は法橋行遍です。

『月明き夜、定家朝臣に逢ひ侍りけるに、「歌の道に志深き事は、
いつばかりよりのことにか」と尋ね侍りければ、若く侍りし時、
西行に久しく相伴ひて聞き習ひ侍りしよし申してそのかみ申しし
事など語り侍りて、朝に遣はしける』

 あやしくぞ帰さは月の曇りにし昔がたりに夜やふけにけむ
             (岩波文庫「新古今和歌集」1548番)

定家と行遍はたがいに西行をよく知っていたというふうに解釈できる
詞書です。この詞書により、山家集の行蓮法師は行遍のことと解釈
されたものでしょう。

ここにある行蓮法師は熊野別当行範の第六子の法橋行遍のことです。
同名異人です。西行が熊野に行った時に知遇を得たものだと思います。
このことは川田順氏の昭和15年11月発行の「西行研究録」に記述され
ています。
伊藤嘉夫氏が「川田説」として取り上げた書物は昭和14年11月発行の
「西行」であり、川田氏は翌年発行の「西行研究録」で行遍について
の記述ミスを認めて、訂正されています。
新古今集に採録されている法橋行遍の作品も仁和寺の僧の行遍では
なくて、熊野の法橋行遍の作品といえます。行遍の作品は新古今集
843番、1289番、1839番とあわせて四首があります。

************************************************************

  (後記)

寒中のお見舞申し上げます。

寒い日々が続いています。
冬眠中でもなかろうに、なんと本年初の発行になります。余りにも
遅れてしまいました。申し訳ありません。
この頻度がマイペースとならないように気合を入れ直します。

昨年九月の手術後、身体はまずまず大丈夫なのですが、もとから
あった部分を摘出したことに身体はまだまだ慣れてくれなくて、
かつ、薬の副作用も続いています。
副作用によるものかどうか断定できませんが視力の衰えもあります。
それでもこのマガジンが完結するまでは頑張りたいものです。

知人の画伯が鎌倉で個展を開催しました。それに合わせて1月4日から
湘南観光をしてきました。初めての湘南でした。小学校高学年から
中学校にかけて読み漁った戦記物の内に忘れてはいない所も多くて、
この年になりながら、わくわくしつつ見て回りました。頼朝が造り、
義経の愛妾の静御前が舞い、実朝が公暁に弑された鶴岡八幡宮。
西行が二度目の奥州行脚の時に立ち寄った所でもあります。
義貞の稲村ヶ崎、義経の腰越、護良親王の幽閉址、阿仏尼関係。
江ノ島にも行き、大磯の鴫立庵にも寄りました。興味と興奮の尽き
ない二泊三日の旅でした。
ブログに紀行記を出しました。興味があるようでしたら、ご覧願います。

http://blog.goo.ne.jp/rinkanzu

************************************************************

■  登録/解除の方法
  http://www.mag2.com/m/0000165185.htm

 ◎ メールマガジン「西行辞典」 は、
   上記URLよりいつでも登録及び解除が可能です。

■ ご要望、ご意見は下記アドレスまで。
  siokaze308@yahoo.co.jp

=============================

  ◎ 「西行辞典」第307号 2015年01月21日発行 

  ◎ 発行責任者 阿部 和雄
   http://sanka11.sakura.ne.jp/

  ◎ 発行システム インターネットの本屋さん「まぐまぐ」を
     利用させていただいています。
   『まぐまぐ』 URL: http://www.mag2.com/

=============================

ついでに読みたい

西行辞典

RSSを登録する
発行周期 不定期
最新号 2017/03/28
部数 129部

このメルマガを購読する

ついでに読みたい

今週のおすすめ!メルマガ3選

水戸市のサラリーマン大家さん
総発行部数15万部。購読者日本一の不動産メルマガ。 2017年1月現在8400人以上の投資家さんとお会いしてきました。 年間取引額300億円以上、累計取引額900億以上の不動産会社社長が、不動産投資について真剣に書いています。 今ならメルマガ内で10万円相当の「不動産投資大百科」を無料配布中。 テリー伊藤のまる金ライダー8に毎週、代表の峯島がコメンテーターでレギュラー出演中。 メルマガ登録で非公開の物件情報も入ってきます。 不動産仲介業 宅地建物取引業免許 国土交通大臣(1)第8944号
  • メールアドレスを入力

  • 規約に同意して

ダメおやじの全財産をかけた崖っぷちFX通信
アフィリエイトとインフォビジネスで、年商1~2億円規模の会社を経営する中松のまぐまぐ殿堂入りメルマガです。アマゾンランキング1位獲得「レバレッジでさらに増える!副収入が月16万円入ってくるしくみ」の著者。中松に興味がある人しか読まないマニアックなメルマガなのであしからず。(旧メルマガ名:月100万稼ぐ脱サラアフィリエイターの本音)
  • メールアドレスを入力

  • 規約に同意して

相馬一進の、1億稼ぐビジネスの本質|マーケティングと心理学
・天職で1億稼いだ相馬一進が、お金、自己啓発、仕事について、 心理学とマーケティングの側面から語る本格派メールマガジン。 ・著者の相馬一進は、ダライ・ラマ14世や、『7つの習慣』の スティーブン・コヴィーや、リチャード・ブランソンなどの、 海外セミナーへの日本人ツアーを企画、集客した実績を持つ。 ・最先端の起業・副業のノウハウや、マーケティングの原理原則、 生活の中からストレスを減らす方法、モチベーションの心理学、 複数の収入源を持つ方法、働く時間を減らす秘密などを配信中。
  • メールアドレスを入力

  • 規約に同意して

今週のおすすめ!メルマガ3選

川島和正の日刊インターネットビジネスニュース
■読者数32万部超、日本一の個人メルマガ(まぐまぐ総合ランキング調べ) ■9年連続で年収1億円以上になり、70か国以上を旅行して、 190平方メートルの豪邸に住んで、スーパーカーに乗れるようになり、 さらに、著書は、日本を代表する超有名人2人に帯を書いてもらい、 累計50万部のベストセラーとなった、現在香港在住の川島和正が、 最新のビジネスノウハウ、自己啓発ノウハウ、健康ノウハウ、恋愛ノウハウ さらに「今チェックしておくべき情報リスト」などを配信中!
  • メールアドレスを入力

  • 規約に同意して

へなちょこ社長中松のだるだる日記
アフィリエイトとインフォビジネスで、年商1~2億円規模の会社を経営する中松のまぐまぐ殿堂入りメルマガです。アマゾンランキング1位獲得「レバレッジでさらに増える!副収入が月16万円入ってくるしくみ」の著者。中松に興味がある人しか読まないマニアックなメルマガなのであしからず。(旧メルマガ名:月100万稼ぐ脱サラアフィリエイターの本音)
  • メールアドレスを入力

  • 規約に同意して

幸せを引き寄せるメール
毎朝7時に配信します。ゴールデンセレブヒーリング創始者本藤弘美があなたの人生をより豊かに幸せにするハッピーナビゲーション情報をお届けします。夢を叶えたい人、幸せになりたい人、心身共に健康になりたい人、人間関係を良くしたい人、豊かになりたい人に。読んでいると波動が上がります。GoldenCelebとは黄金の祝福。あなたの成功を祝福します。あなたにすべての安らぎと愛と豊かさと幸せがやってきます。♥
  • メールアドレスを入力

  • 規約に同意して

アーカイブ

他のメルマガを読む

ウィークリーランキング