西行辞典

西行辞典 第299号(140430)


カテゴリー: 2014年04月30日
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      ◆◆◆◆  西行辞典  ◆◆◆◆
                        
                  vol・299(不定期発行)
                   2014年04月30日号

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           今号のことば    

        1 藤原公能(ふじわらきんよし)
        2 藤原定家(ふじわらさだいえ)
        
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       ◆ 藤原公能(ふじわらきんよし) ◆

【藤原公能】=【右大将きんよし】

藤原実能の嫡男の藤原公能のこと。「徳大寺公能」とも言います。
1115年生。1161年、47歳で没。
最終官位は正二位右大臣。西行より三歳年長です。
第76代近衛天皇と第78代二条天皇の二代の皇后となった藤原多子の父。
その他に、後徳大寺実定や公衡(養子)などの父です。
藤原俊成の妹と結婚したため、俊成は公能の義兄にあたります。
「久安百首」歌人の一人。「学才あり、管弦に秀で…」と、寂超の
作と定説のある「今鏡」に記されています。

公能の右大将(右近衛大将)任官は1156年のこと。以後、公能は
権大納言、右大臣なども歴任していますが、終生、右大将を兼任
していたようです。

03番歌の「新院百首」とある崇徳院による「久安百首」が成立した
のは久安6年(1150年)であり、この時には公能はまだ右大将では
ない。公能の右大将任官は1156年のことですから書写した人のミス
ではないかとも思いますが、必ずしもミスとは言えないようです。
西行自筆稿に「右大将」と記されていたのであれば、西行よりも
30年ほど前に没した公能の最終官位を西行が記述したとしても、
少しも不思議なことではないと考えます。
これと似たことですが、慈円の場合は、「慈鎮」と諡号されたことを
西行は当然に知りません。「慈鎮」と諡号されたのは1237年ですから、
西行死亡後50年近くが過ぎています。それなのに山家集では「慈鎮」
とあるのは、西行自筆ではなくて、後世の人が加筆したことを意味
しています。

 下紐はとけずはとけず小夜衣そのうつり香にしむ身ともがな
                  (藤原公能 久安百首)

 なぐさむる方もなくてややみなまし夢にも人のつれなかりせば
               (藤原公能 詞花和歌194番)

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      右大将きんよし、父の服のうちに、母なくなりぬと
      聞きて、高野よりとぶらひ申しける

01 かさねきる藤の衣をたよりにて心の色を染めよとぞ思ふ
     (西行歌)(岩波文庫山家集203P哀傷歌・新潮785番・
        西行上人集・山家心中集・玉葉集・月詣集)

02 藤衣かさぬる色はふかけれどあさき心のしまぬばかりぞ
 (藤原公能の返歌)(岩波文庫山家集203P哀傷歌・新潮786番・
                  山家心中集・月詣集)

     新院百首の歌召しけるに、奉るとて、右大将きんよしの
     もとより見せに遣したりける

03 家の風吹きつたへけるかひありてちることの葉のめづらしきかな
 (西行歌)(岩波文庫山家集179P雑歌・新潮933番・西行上人集)
 
04 家の風吹きつたふとも和歌の浦にかひあることの葉にてこそしれ
    (藤原公能歌)(岩波文庫山家集179P雑歌・新潮934番)

○父の服のうち

徳大寺実能の服喪期間が明けていないうちのこと。この場合は
50日の忌明けではなくて、13か月の喪明けを指しているとも解釈
できます。母の没年月は不明です。窪田章一郎氏は「西行の研究」
の中で(実能が62歳で没し、その年の内にその室もつづいて没した)
と記述されています。
同時期に父母の喪に服することなので、50日のうちという解釈が
良いのかもしれません。

○かさねきる

喪が重なったことを言います。公能の父母はほぼ同時期に没しました。

○藤の衣・藤衣

1 藤や葛の繊維で織った粗末な衣服。貧しい人達の衣類。
2 喪服のこと。

平安時代の歌の「藤衣」の用例は、ほぼ喪服のことです。
色は死者との血族関係により多少の変化があったらしく、墨色の
濃淡で分けられていたようです。
現在のように喪服は黒色が一般的になったのは明治から昭和に
かけてのことだと言われます。

○かさぬる色

藤原公能の父である藤原実能は1157年9月没。その喪が明けない
うちに母親も死亡しましたので、喪服を重ね着ると表現しています。
その公能も4年後の1161年8月、47歳で没しています。
この贈答歌は1157年から1158年にかけて詠まれたものです。

○ふかけれど

両親を同時期に亡くして、悲しみがとても強いことを言います。

○あさき心

西行が「心の色を染めよ」と、出家を勧めていることに対して、
出家に対しての情熱は、いまだに乏しいという公能の心情吐露。

○しまぬ

「染む」の活用形です。「しまぬ」で色が染みこまないことを
指しています。

○新院百首

崇徳院が題を出して、14名の歌人に詠ませた久安百首のこと。
藤原公能も作者の一人に選ばれています。
崇徳院には別に百首歌がありましたが、散逸して現在には残って
いません。

○家の風

徳大寺家の歌の特質的なことを言います。
ただし徳大寺家は実能が興したものですから、家の風というほど
の歴史は無いと思います。実能以前にさかのぼって言っていると
解釈したほうが良いのかもしれません。

○和歌の浦

和歌の神と言われる「玉津島明神」が紀伊の国、紀の川河口の
和歌の浦にあります。和歌に関しての歌で、よく詠まれる歌枕です。

(01番歌の解釈)

「ご両親を相次いで失われた御不幸をお見舞申し上げます。喪服を
重ねてお召しなのを機縁にそのまま僧衣をお召しになりませんか。
仏縁に従って出家なさるのがよろしいかと存じます。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

(02番歌の解釈)

「重なる両親の死による悲しみが服喪の色を深くいたしましたが、
私の心はまだ浅くて、仏道に専念する決心はつきません。」
                (和歌文学大系21から抜粋) 

(03番歌の解釈)

「さすがに徳大寺の家風をよくお伝えになっていて、素晴らしい
歌をお詠みになられますね。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

(04番歌の解釈)

「確かに徳大寺家は和歌の家であるが、和歌の浦に貝がある
ように、詠むだけの価値がある和歌なのかどうか、見ていた
だけませんか。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

「この百首に公能の立場は重いものであったが、その作品をまず
西行に下見させたことは、徳大寺家に関係を持つ西行が、内部に
おいては歌人としてすでに大きく認められていたことを知る証拠
にもなる。」(中略)
          (窪田章一郎氏「西行の研究」から抜粋)

 【久安百首】

崇徳院出題による百首歌集。出題は1142年か1143年。完成は久安
六年(1150年)です。これを部類本といいます。さらに藤原俊成
撰による非部類本が撰進されましたが、これは当時の世相の混乱
により奏覧はされませんでした。
部類本の作者は崇徳院・公行・公能・行宗・教長・顕輔・忠盛・
親隆・覚雅・俊成・堀川・兵衛・安芸・小大進の14名でしたが、
久安百首は生存歌人の歌という制約がありましたので、撰進の
作業中に没した歌人は除かれました。
行宗、覚雅、公行が編纂中に没したため新たに季通、清輔、実清
が加えられました。
この久安百首が俊成撰の千載和歌集の重要な資料となりました。
            (桜楓社「和歌文学辞典」を参考)

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       ◆ 藤原定家(ふじわらさだいえ) ◆

【藤原定家】

藤原定家の名は山家集には出てきません。伊勢神宮外宮に奉納した
「宮川歌合」の加判者でもあり、西行との贈答歌もあるために
岩波文庫山家集に「補遺」として「定家」の名前と歌が撰入して
います。

藤原定家は寂超の妻であった「加賀の局」と藤原俊成を父母として
1162年に生まれました。没年は1241年。80歳。
藤原隆信は寂超と加賀の子なので定家の同腹の兄、寂蓮は従兄弟です。
子に為家などがいます。
今に続く冷泉家の祖となった為相は、為家と阿仏尼の子です。
阿仏尼は「十六夜日記」の作者として知られています。
二条家の祖となった為氏(為家の嫡男)の母は宇都宮氏です。
1232年に権中納言となり、「京極中納言」と呼ばれました。
1233年、72歳で出家して、法名は「明静」と言います。

家集に「拾遺愚草」、日記集に「明月記」、その他たくさんの著作が
あります。1186年には西行勧進の「二見浦百首」も詠み、1192年の
藤原良経主催の六百番歌合にも参加しています。後鳥羽院下命の
新古今和歌集や後堀川天皇下命の新勅撰和歌集の撰進、「小倉百人一首」
も定家の撰になります。歌論集も多くあります。
ともあれ旺盛な作歌活動を続け、日本和歌の史上類例をみない傑出
した功績のあった歌人であることに間違いないでしょう。
日記の「明月記」は定家の人となりを知ることができます。
明月記の中の言葉である「紅旗征戎吾が事に非ず」などには、初めて
接した時に私も衝撃を受けたものでした。

 見わたせば花も紅葉もなかりけり 浦のとまやの秋の夕ぐれ
              (藤原定家 新古今和歌集363番)

 来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに 焼くや藻塩の身もこがれつつ
               (藤原定家 百人一首第97番) 

西行は40歳以上も若い定家に「宮河歌合」の判を請いました。
定家はすぐには応じることができず、判詞ができ上がったのは二年の
歳月が過ぎた西行最晩年になってからでした。河内の国弘河寺で病床に
ついていて、加判のなった「宮河歌合」を受け取った西行の喜びようが
「贈定家卿文」に記されています。
この「贈定家卿文」によって互いの和歌観や、定家との年齢を越えた
友誼が分かります。

西行が他界した折に、定家は下の追悼の歌を詠んでいます。

 望月のころは違はぬ空なれど 消えけん雲の行方悲しな
                  (藤原定家 拾遺愚草)    

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

       宮川歌合と申して、判の詞しるしつくべきよし申し
      侍りけるを書きて遣すとて 
                 
01 山水の深かれとてもかきやらず君がちぎりを結ぶばかりぞ
          (藤原定家歌)(岩波文庫山家集281P補遺・
                   続拾遺集・拾遺愚草) 

02 結び流す末をこころにたたふれば深く見ゆるを山がはの水
  (西行歌) (岩波文庫山家集281P補遺・風雅集・拾遺愚草)

03 神路山松のこずゑにかかる藤の花のさかえを思ひこそやれ
(藤原定家歌)(岩波文庫山家集282P補遺・夫木抄・拾遺愚草)

04 かみぢ山君がこころの色を見む下葉の藤の花しひらけば
  (西行歌) (岩波文庫山家集282P補遺・夫木抄・拾遺愚草)
      
       宮川歌合の奥に

05 君はまづうき世の夢のさめずとも思ひあはせむ後の春秋
    (藤原定家歌)(岩波文庫山家集282P補遺・宮川歌合)

06 春秋を君おもひ出ば我はまた月と花とをながめおこさむ
      (西行歌)(岩波文庫山家集282P補遺・宮川歌合)

○宮河歌合

この自歌合は伊勢神宮外宮に奉納され、左は玉津島老人、右は
三輪山老翁として、藤原定家に判を依頼しています。当時、
定家は26歳でした。
藤原俊成に判を依頼し、伊勢神宮内宮に奉納された御裳濯河歌合と
同じく36番合計72首を番えています。

○判の詞

「判」とは、歌合などで左右に番えられた歌に対して、その優劣の
判定を下すことを言います。各歌合では判者は複数の時もあれば
一人の時もあります。西行の「御裳濯河歌合」は藤原俊成、「宮河
歌合」は藤原定家が判者でした。西行が俊成と定家に判を依頼した
ものです。番えられた2首の歌について優れていると思える方を「勝」、
優劣決め難いものを「持」とします。

「判の詞」とは、判者が優劣を決定する時、その判定の理由などを
述べた言葉のことです。下は宮河歌合18番についてですが、「たち
もらさるる…」以下の言葉が「判の詞」です。 

「宮河歌合 18番 左」

 山里はあはれなりやと人とはばしかのなくねをきけとこたへよ

「宮河歌合 18番 右勝」

 をぐら山ふもとをこむる夕霧に立ちもらさるるさをしかの声

「たちもらさるるさをしかのこゑ、まだきかぬたもとまで露おく
心ちし侍れば、猶まさると申すべし」

○書きて遣す

書いて届けたことです。
宮河歌合の判を書き終えない内に、河内の国弘川寺にいた西行の
もとに文章を届けた…ということになります。

○かきやらず

(書きやらず)で書いてはいないこと。ある目的のもとで書いては
いないこと。どんなにすばらしいものであっても、その素晴らしさ
には書いて触れてはいないということ。

一句だけみれば以上のようにも解釈できます。
宮河歌合わせの歌の持つ深奥に触れての深い批評は書けそうにも
ないということ。

○結び流す末

西行が自らの歌に込めている思想みたいなものを言うようです。
一首一首ではなくて、全ての歌にことよせている真理みたいなもの、
悟りみたいなもの、その総体としての「あるべきもの」が「末」
なのでしょう。

○神路山

伊勢神宮内宮の神苑から見える山を総称して神路山といいます。
内宮の南方にある連山とも言われます。
標高は150メートルから400メートル程度。

○藤

植物のフジのこと。季語は春。蔓性の植物ですが、草ではなく樹木。
桜の終わった4月から5月にかけて開花します。花期は4月から6月頃。
蔓性ですからまっすぐには伸びず、ねじれが強くて、「へそまがり」
とか「ひねくれもの」という言葉を私は連想します。

薄紫色の花の房がたくさん垂れ下がり、波打つさまは「藤浪」とも
言われて、万葉の時代から歌に詠まれてきました。
フジは日本の固有種。近畿地方から西にしか見られないヤマフジも
日本固有種です。フジは白花もあり、登りフジもあります。
藤原氏のゆかりの花です。

○下葉の藤の花

「藤」とは藤原氏のことです。藤の花が開くということは藤原氏が
栄えることを意味します。
下葉という言葉は藤原氏も天皇家の末葉という意味にもなりそうです。
しかし言葉通りに単純に受け止めても良いと思います。

○春秋

単純に季節の春秋とも取れますが、過ごして来た人生のこと。

(01番歌の解釈) 

「山川の水が深くあってほしいというように知識のますようにと
深い判詞を書いてはおりません。ただあなたへの約束をはたして
いるだけですよ。」
          (渡部保氏著「山家集全注解」から抜粋)

「山水のように深い評をとおっしゃっても書けません。
ただあなたとの契りを結ぶばかりです。」
         (桑子敏雄氏氏著「西行の風景」から抜粋)

(02番歌の解釈) 

「あなたがむすび(すくうこと)流す山川の水を一ところに
あつめると深く見えるように、あなたが約束して流すものを
心のうちにあつめたたえると、とても深く見えますよ。
山川の水は。(契りを結ぶためとて書いて下さる御文は、
それをかみしめてみれば深いものがある。)」
          (渡部保氏著「山家集全注解」から抜粋)

(03番歌の解釈) 

「大神宮の得られる神路山の松の木の梢にかかっている藤の
花の、そのさかえをしみじみと思うことである。」
          (渡部保氏著「山家集全注解」から抜粋)

(04番歌の解釈) 

「神路山は君の心の姿、ありさまをごらんになるであろう。
下葉の藤の花が開いたならば。(下葉の藤に花が咲くように
わが拙い歌が上達したならば、の意か。)」
          (渡部保氏著「山家集全注解」から抜粋)

(05番歌の解釈) 

「君はまずこの浮世の夢がさめなくても(真の悟りを得なくても)
後の春秋、何年かたったならばいろいろと思い合わせて、わかって
いただくこともありましょうよ。(この解全体に不十分)」
          (渡部保氏著「山家集全注解」から抜粋)

(06番歌の解釈) 

「春秋をあなたが思い出されるならば、私は春の花、秋の月を
ながめて思いおこしましょう。(この解も不十分)」
          (渡部保氏著「山家集全注解」から抜粋)

「君が春秋につけて偲んでくれるのならば、自分もまた月と花とを、
彼の世から眺めよう。」
           (窪田章一郎「西行の研究」から抜粋)

【この贈答歌について】

全6首の定家と西行の贈答歌のうち、04番歌まではまだ宮河歌合の
加判が完了しないうちに交わされたものだと見られます。
05番歌は定家による加判が完了してから、宮川歌合の奥に書かれて
西行に贈られたものです。06番歌は西行の返歌です。

01番から04番歌までは定家の「拾遺愚草」が出典でもあり、03番と
04番歌はともに定家詠と解釈するのが自然かもしれません。しかし
少しの疑問を残しながら04番歌は西行詠であろうと思います。
「西行の研究」の窪田章一郎氏も西行詠とされています。

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  (後記)

重要なお知らせです。
5月7日から入院・加療することになりました。退院後の療養期間も
含めて今後2か月間は休刊致します。私にしてもとても残念なこと
ですが、仕方がありません。ご海容願います。
従って次号の第300号は7月初め頃に発行予定です。
以上、ご賢察よろしくお願いいたします。

予期せぬ別荘暮らしの準備を少しずつやりながら、「西行辞典」は
なんとか最後までやり遂げたいものだと、思いを新たにしています。

読者の皆様のご健康を願いあげます。

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  ◎ 「西行辞典」第299号 2014年04月30日発行 

  ◎ 発行責任者 阿部 和雄
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  ◎ 発行システム インターネットの本屋さん「まぐまぐ」を
     利用させていただいています。
   『まぐまぐ』 URL: http://www.mag2.com/

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