歌舞伎素人講釈

メルマガ「歌舞伎素人講釈」第459号


カテゴリー: 2017年10月22日
*******************平成29年10月22日発行****
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                          ◎  
    メルマガ「歌舞伎素人講釈」  第459号
            連動ホームページ: http://www5b.biglobe.ne.jp/~kabusk/ 
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こんにちは、吉之助です。

本日は大事な選挙の日ですし、大きな台風も近づいてますので、歌舞伎
どころじゃないですが、サイトで長引いていた「野田版・桜の森の満開の下」
論の連載がやっと終わりました。今回は、その4回目をお届けしますが、
メルマガでのお届けは、次回・5回目で完結することになります。


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お手にとってご覧いただき、是非お買い求めください。

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○時代錯誤桜幻影(ときあやまりてさくらのまぼろし)
                 ~「野田版・桜の森の満開の下」論    第4回目

平成29年8月歌舞伎座:「野田版・桜の森の満開の下」

中村勘九郎(耳男)、中村七之助(夜長姫)、市川染五郎(オオアマ)他

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10)再び「贋作」のなかの大衆について

ここまでの論点を整理すると、まず本稿冒頭で吉之助は、これまでの野田歌
舞伎3作品に関しては、主人公の心情が大衆に重なっていないということを
指摘しました。そこのところが「 贋作・桜の森の満開の下」ではどうなって
いるか、野田が主人公耳男の心情をどのように描いたか、これを検証するた
めに吉之助は安吾原作の分析を行いました。安吾が印象的だとする「ヒダの
顔」とは、歴史の一切を剥奪された顔、そしていつの頃からか歴史から意識
的に背を向けた顔です。安吾の ヒダの歴史観に基づいて「夜長姫と耳男」
を読み直せば、芸術家として賞賛される権利を或る政治権力によって奪い取
られた者こそ耳男だということになります。耳男は名声を拒否する反骨のポ
ーズを自ら取ることによって、自分はもう疎外された者ではないと宣言する
のです。そして耳男の顔がその後のヒダの顔となるのです。それでは、サテ
野田は安吾の原作をどう読んだかな?ということで切り口の違いを楽しむ、
これが吉之助流・観劇のお楽しみです。

「贋作」での耳男は、原作の耳男よりも、世間からの賞賛に対する執着が強
い俗な人物に描かれています。例えば大仏の開眼式でオオアマ(天武)に褒
美に切り取られた耳を返してやると言われた時の台詞を見てみます。

『なつかしいなあ。離ればなれになっていたけれど、これからはこの耳で、
ヒダタクミの名人とオレを呼ぶ声がきけるようになるんですね。(中略)正
真正銘の名人という名声が、失われて耳から入ってくるんですね。』

耳男は名声を欲しているのです。これに対し「失われた耳に、耳つけてみ
ろ」(アカマロ)、「そんな声が、本当にきこえてくるのか?」(ハンニ
ャロ)という声が聞こえてきます。 耳男は自分の魂をこめて懸命にミロク
を作ったという自負があります。てっきり周囲から褒められるとばかり思っ
ていた耳男は、これは予想外のことです。ところが、 オオアマは耳男に冷
たく言い放ちます。

『耳男、タクミが作ったものには、つくったタクミの魂がのりうつるとい
うのは本当かな。・・では、鬼をもにらみかえすこのミロクをつくったお
前の魂は鬼だな。・・耳男、お前は鬼だな。・・耳男、お前は鬼になれ。』

オオアマはどうしてこんなことを急に言い出すのかと云うと、為政者は自
分に都合の良いものだけを(つまり彼らのモラルに相応しいものだけを)
求めているからです。為政者にとって、工芸者は命じられたものをその通
りに従順に制作していれば良いのです。命に素直に従った者は、為政者か
ら対価を与えられるし、「芸術家」の称号も与えられます。一方、為政者
は、工芸者が作品に自分の思いを込めたいとか、自分が納得できないもの
は作らないとか、そういう我儘勝手を断じて許しません。為政者の意向に
従わない者は、鬼の刻印を押されて放逐されます。

ここで耳男が芸術家として名声を得る権利を権力によって奪い取られた者
であることが明らかになります。しかし、「贋作」では耳男が権力に対峙
する印象があまり強くありません。安吾原作からしても耳男が対峙するの
は夜長姫ですから、これは仕方ないことです。そこで野田は、代わりに別
の人物に権力と対峙する役割を与えています。それがマナコです。

ヒダの王のミロク制作コンペティションに参加したのは、三人の偽のタク
ミたちでした。耳男、マナコそしてオオアマの三人です。安吾原作では耳
男以外の二人はほとんど 存在しないようなものですが、マナコとオオア
マは、「贋作」のもうひとつの筋を担う最重要人物です。もうひとつの筋
とは、安吾が原作のなかではほとんど言及していない隠されたヒダの歴史
(安吾の歴史推理)のことです。現天皇家は実はヒダ王朝の出身であった。
つまり日本はヒダから始まった。壬申の乱の戦闘は、日本書紀にあるよう
に美濃や近江で行われたものではなく、実はヒダで行われた、この事実を
隠蔽するために、ヒダは歴史から消し去られたというのが、安吾の推理で
す。野田は、「贋作」のなかに安吾の推理を「忠実に」というわけではな
いですが、換骨奪胎して大まかなところを取り入れて、原作と綯い交ぜし
ています。

マナコは、耳男より徹底した俗物に描かれています。マナコは私利私欲が
強い人物ですが、一方で、純で一本気なところもある人物らしく、地図か
らヒダが消されたことを知って怒り出し、オオアマに対し敢然と反旗を翻
します。見方によっては耳男以上の狂言廻しです。鬼の刻印を押された耳
男は、状況が分からずオタオタしています。マナコのおかげで、耳男は自
分が置かれた立場を認識することになります。「贋作」では、マナコと耳
男が一対になって、ヒダの歴史と大衆の係わりが描かれています。権力に
よって消されたヒダの民がマナコ、かろうじて生き残ったヒダの民の末裔
が耳男だということです。

付け加えると、これは「耳男とマナコが善で、オオアマが悪」という単純
な構図ではありません。そういう風に読めないことはないですが、そう読
むのは如何なものかと思います。組織をまとめ上げようとするならば、モ
ラル・規範というものが必ず必要になります。統一国家の成立は、ひとつ
のモラル・規範の下になされ、それになじめない者・従わない者を排除す
る、これは統一する側からすれば当然の論理(彼らにとっての正義)なの
です。これになじめない者・従わない者も、彼らなりのモラル・規範を持
ってるから抵抗するわけです。そういう過程で「 オニ(鬼)」という存
在が生まれて来るのでしょう。言うまでもなく「オニ」は野田演劇におけ
る重要なキーワ―ドです。「贋作」では天皇を頂点とする中央集権国家の
成立ということが背景にありますから、日本書紀(正史)からヒダの歴史
が抹殺される、つまりヒダの民が中央政権から排除されるという形で、大
衆がマナコと耳男に重なって来るということを、ここで確認しておきます。

正確に云えば、耳男が「道しるべに、彫った鬼を見つけたら、それが鬼の
逃げ道、鬼の道行き」とマナコに逃げ道を教えた時点で、耳男はマナコと
同じ立場(ヒダの大衆の側)に立つわけです。そこまでの耳男は、どちら
かといえば優柔不断です。60年代の学生運動用語で云えば、ノンポリ
(Non-Political)です。女には関心があるけれど、政治には関心がない。
(この辺は、遅れて生まれて60年代の学生運動に乗り切れなかった世代
(野田も吉之助も)でしか共有できない感覚があると思いますねえ。)そ
んな耳男がマナコに逃げ道を教えたのは「同級生のよしみ」からだったか
も知れませんが、オオアマから排除された以上、耳男の取れる選択はこれ
しかなかったはずです。「オニの息吹のかかるところがないと、この世は
駄目な気がする」というマナコの台詞が鍵になるでしょう。ともあれ、こ
れで行きがかり上、耳男はマナコと同じ立場に立たされることになります。
ここから耳男は夜長姫との逃避行を決意するわけです。


11)「贋作」における桜の花盛りについて

「桜の花盛り」のイメージを考えます。桜の花を愛でる伝統的な日本人の
感性が、昭和の梶井基次郎の「桜の樹の下には屍体が埋まっている」とい
うインモラルなところにまで行き着く為には、発想の転換点が必要です。
その転換点は、江戸期の歌舞伎の「京鹿子娘道成寺」の「花のほかには松
ばかり」という舞台一面の桜の花盛りにあります。江戸の観客は白拍子が
清姫の怨霊であることを忘れたいがために、満開の桜のあっけらかんとし
た明るさにこだわるのです。あの美しく可愛い白拍子が蛇体に変身するな
んて怖ろしいことを、観客は考えたくないのです。観客は、楽しい幻想に
浸っていたい。ところが鐘の上がる段になって、何だか恐怖がどこからか
湧き上がって来ます。(第5章を参照ください。)これは 歌舞伎(演劇)
の感性が本質的にインモラルであることが分かれば、このことは納得でき
ると思います。

「贋作」の大詰め・桜の森の場面は、インモラルな感覚に構成されていま
す。桜の花びらが散るなかで、ヒダの生き残りがオオアマの手先に次々と
殺戮されていきます。それを見て大はしゃぎする夜長姫の甲高い笑い声が
響き渡ります。耳男が夜長姫を殺した後、舞台に座り込んだ耳男の傍らを、
尊い人の行幸(これからの国を治めるオオアマの行列)、幸福な王の時代
の行幸(もはや滅び去ったヒダの亡者たちの行列)というふたつの隊列が、
桜の花の散るなかを、影のように静かに歩みます。この光景が、梶井の
「桜の樹の下には屍体が埋まっている」というインモラルな感性に意図的
に重ね合られています。

視覚的にも美しい舞台面ですが、生と死、聖と俗という、ふたつの相反す
る要素の間で引き裂かれた、インモラルなシーンに仕上がっています。こ
れは歌舞伎のインモラル感覚にも一脈通じるところがあることを、まず確
認しておきましょう。生きようとすればするほど死に強く魅せられる、逆
に死を望めば今度は生への渇望が湧き上がるという、浪漫的な感覚を見せ
ています。これはひとつには、原作に壬申の乱を絡めて、クニの成立とア
ニミズムの崩壊という二元構図の視点を綯い交ぜして、いろんな要素をて
んこ盛りに詰め込むから、こういうことになるわけです。いろんなものが
未整理のまま錯綜した青臭い印象があって、吉之助は若書きの熱さと勢い
があって好ましく思いますが、ちょっと詰め込み過ぎかなとは感じますね
え。安吾原作結末部のアモラルな感覚は、背筋に冷たいものがツーンと走
るシンプルな感覚だと思います。しかし、多分、そういうものを演劇で表
現することは難しいのでしょう。

付け加えますと、吉之助が「贋作」の大詰めが駄目だと言っているのでは
ないのです。演劇でそういうものを表現しようとすると、どうしてもそれ
はいろんな相反する要素から引き裂かれる感覚になってしまう、インモラ
ルな感覚の方へ引っ張られてしまいます。これが野田演劇のフォルムなの
ですから、それはそういうものとして舞台を見る必要があると思います。

「贋作」は主筋は安吾原作の「夜長姫と耳男」から取っていますが、冒頭
と大詰めを「桜の森の満開の下」からイメージを借りています。原作中の
盗賊と女房の対話を、「贋作」のなかでほぼそのまま耳男と鬼女との対話
に取り入れて、印象的に使っています。原作の対話は、盗賊が言うことを
女房が取りあげて反復する感じで疑問形で返す、自己と木霊が問答するよ
うな、手応えがない不思議な対話です。とても詩的ですが、論理的展開が
見えない、時間の軸がよく見えない対話です。この箇所を安吾原作から引
いておきます。

「桜の花と約束したのかえ」
「桜の花が咲くから、それを見てから出掛けなければならないのだよ」
「どういうわけで」
「桜の森の下へ行ってみなければならないからだよ」
「だから、なぜ行って見なければならないのよ」
「花が咲くからだよ」
「花が咲くから、なぜさ」
「花の下は冷めたい風がはりつめているからだよ」
「花の下にかえ」
「花の下は涯(はて)がないからだよ」
「花の下がかえ。私も花の下へ連れて行っておくれ」
「それは、だめだ。一人でなくちゃ、だめなんだ」

「贋作」では、この対話が桜の森での耳男と鬼女の問答として、冒頭と大
詰めで反復する形で使われています。ちょうど円環がぐるりと巡って最後
に同じ場所へ戻って来るように、「贋作」のドラマも最後に元いた場所に
戻って来たような、これまで起こったことがまるで何事もなかったかのよ
うな感覚に観客を陥れるように仕掛けられています。これはなかなか悪く
ない着想です。

気になるのは、「贋作」での鬼女と耳男の対話では、桜の森の花盛りにい
つかそこに戻っていきたい懐かしの故郷のような響きがすることですねえ。
舞台ではこの場面に背景音楽にプッチーニの「ジャンニ・スキッキ」のラ
ウレッタのアリア「私のお父さん」の旋律が甘ったるくセンチメンタルに
使われていて、なおさらこの感が強くなります。 プッチーニの旋律の甘っ
たるさが、桜の森に掛るのではなく、むしろ夜長姫の方により強く掛って
いるように感じられます。台詞では「花の下は冷めたい風がはりつめてい
る 」とありますが、夜長姫に対する憧れ、或いは恋心、そのような温か
い感触の方へイメージが流れて行きます。(野田の音楽の センチメンタル
な使い方については「愛駝姫・分裂した他者」で詳しく分析したので、そ
ちらをご覧いただくとして、ここでは深入りしないことにします。 )


この「贋作」の桜の森の花盛りのシーンに、「満開の桜の下には、この国
が作られるために消えていった人々の魂が宿っている」とする野田の歴史
観が込められていることは、理屈としては良く分かります。(これがイン
モラルな感覚であることは、言うまでもないことです。)そこから桜の花
盛りに対する野田のセンチメンタルな感覚が引き出されているということ
も、明らかなのです。

ここで問題になってくるのは、中央集権国家の成立の過程で滅びゆくヒダ
王国の運命を担って桜の森で殺されていったマナコの思いと、夜長姫に対
する憧れを抱きつつモノを作って来ながら遂に彼女を殺してしまった耳男
の思いとが集約されて、最後にひとつの思念となった形で芝居が締められ
ているかということです。つまり、クニを作る思いとモノを作る思い、両
者は何かを犠牲にしてこれを切り捨てる行為である点で似ているわけです
が、この見立てが舞台のうえで論理的に実現されているかということです。
そうでなければ耳男と大衆が きれいに重なり合わないことになります。
吉之助の考えを言えば、残念ながら「贋作」はバッチリという感じには決
まってはいないと思います。いろんな要素が詰め込み過ぎであるために、
エンディングがバッチリと決まった感じではない。「満開の桜の下には、
この国が作られるために消えていった人々の魂が宿っている」という線で
芝居を論理的に読もうとすればするほど、耳男の夜長姫に対する思いが甘
ったるく浮いてしまいます。この意味でも、吉之助は若書きゆえの熱さと
勢いがあって好ましいと言っているわけですがね。


12)再び「贋作」のなかの夜長姫の最後の言葉について

「贋作」のラストシーンは、安吾原作の「桜の森の満開の下」と「夜長姫
と耳男」を綯い交ぜしたことで、やはり多少の齟齬が見えます。問題にな
るのは、原作の夜長姫の最後の言葉をどう受け止めるべきかと云う点です。
つまりマナコが背負うクニを作る思いと、耳男がモノを作る思い、これが
夜長姫を介して、舞台のうえで論理的に重なって来るかどうかということ
です。

「好きなものは咒うか殺すか争うかしなければならないのよ。お前のミロ
クがダメなのもそのせいだし、お前のバケモノがすばらしいのもそのため
なのよ。いつも天井に蛇を吊して、いま私を殺したように立派な仕事をし
て……」(坂口安吾・「夜長姫と耳男」・昭和27年6月)

同じ言葉が「贋作」のラストシーンに使用されています。残念ながら吉之
助は、「贋作」ではこれがバッチリという感じでは決まっていないと 思い
ます。夢の遊眠社による再演映像(平成4年)でも、今回(平成29年)
の歌舞伎での上演でも、この点では同じ印象を持ちました。ヒダの民が殺
戮されて マナコが死に耳男が夜長姫の首を絞める場面まではインモラル
が極まって、なかなかのものです。ところが夜長姫の最後の言葉から 、芝
居が柔くなります。それは野田が夜長姫の最後の言葉をロマンティックに
処理しているからです。プッチーニの旋律の甘ったるい使い方が、ここで
引っ掛かって来ます。しかし、恐らく野田のこの解釈が「贋作」での核心
なのであろうし、演劇 はどうしてもインモラルな感触へ傾くという必然を
持つものですから、これはこれで宜しいのだろうと思います。これが野田
演劇のフォルムなのです。しかし、最後の場面は、多分、ちょっと演出を
変えれば印象が変わるだろうと考えます。「贋作」がインモラルな印象で
終わるのは避けられないことですが、ラストシーンにちょっぴりアモラル
な感触を持たせることは、演出次第で可能だと思います。以下にこのこと
を述べますが、これは夜長姫の最後の言葉をどう受け止めるかということ
に係わってくることです。

第6章において、夜長姫の最後の言葉は曲者であると書きました。吉之助
は、夜長姫の最後の言葉を甘くロマンティックな響きに受け取れないので
す。これは夜長姫が今際のきわに耳男を原初の世界に耳男を引き戻そうと
する、とても危険で暗い誘惑の言葉に感じます。ここで吉之助は、十九世
紀の西欧ロマン派芸術に頻出したオンディ―ヌ(ウンディーネ)と呼ばれ
る水の精のことを思い出します。オンディ―ヌは魂のない水の精で、本来
は性別はないのですが、大抵は美しい女の姿で森や川や湖などに現れて、
その美しさに幻惑された男と結婚することで魂を得ることが出来ます。こ
のためオンディ―ヌは、さまざまな方法で男を誘惑します。吉之助は夜長
姫の最後の言葉が、オンディ―ヌの今際のきわの誘惑のように聞こえるの
です。

十九世紀の西欧ロマン派の芸術家が詩や小説の題材としてオンディ―ヌを
取り上げました。例えばハイネの「ローレライ」などです。その多くが近
代国家形成の過程で締め付けられていく個人の息苦しさを背景としており、
現実から逃れようとする厭世的気分の裏返しの象徴としてオンディ―ヌへ
の憧れを歌います。これだと野田の夜長姫の最後の言葉のロマンティック
な解釈とちっとも変わらないわけですが、しかし、そのなかにひとつだけ
変わった詩があります。それはアロイジウス・ベルトランの詩集「夜のガ
スパール」(1842年に出版)のなかの一編「オンディーヌ」です。
(その後1908年にラヴェルがこの詩集に触発されて、同名のピアノ曲
を発表して、これが有名です。)この「オンディーヌ」の最後の部分を挙
げておきます。

『彼女(オンディ―ヌ)は囁くような声で歌いながら私に哀願するように
言った
わたくしの指輪を受けて夫となって湖の王としてともに宮殿に向かいな
さい、と

 しかし、私は限りある命をもった人間の女性の方が好きなのだと答えると
彼女はまたたくまに顔色を変え、恨みがましくはらはらと涙を流したかと
思うと
とつぜん甲高い笑い声をあげて水の中へと消え去った
あとは青い窓ガラスに白々と流れる水滴だけが残っていた』
(ベルトラン:「夜のガスパール」~オンディーヌ)

オンディ―ヌへの強い憧れ(これは死への誘惑に通じます)を歌うのはど
の詩人も同じですが、ベルトランの詩が超ユニークなのは、「私」がオ
ンディ―ヌの誘惑を拒否すると、 まるで「残念、引っ掛からなかったわ
ね、じゃあね、バイバイ」とい感じで、嘲笑の声をあげてオンディ―ヌが
消え去る点です。これでオンディーヌの誘惑の甘さ(インモラルな思い)
が消し去られて、あとに 束の間の夢の余韻と虚しさが残ります。インモ
ラルな思いは完全には消えていません(これがなければオンディ―ヌ物に
なりません)が、最後の印象がちょっとアモラルな方向へ引っ張られてい
ます。

「贋作」幕切れの演出を考える時、このベルトランの手法が参考になると
思います。安吾原作でも夜長姫の最後の言葉にクラッと来る読者は多いよ
うです。夜長姫の最後の言葉を、最後に夜長姫が耳男を認めてくれたとか、
あるいは 耳男の精神の救済であるかのように、ロマンティックに読まれ
ることが多いのです。しかし、そのように読んでしまうと、安吾が「文学
のふるさと」で云うところの、突き放した感覚、絶対の孤独、絶対の悲し
みというものが、あまり浮かんでこないと思います。「贋作」において野
田が夜長姫の最後の言葉をロマンティックにつまりインモラルに読むのは
作者の特権ですけれど、これを桜の森の満開のアモラルな光景と合体させ
るためには、工夫が要ります。ベルトランの手法の手法を借りれば良いの
です。例えば夜長姫の最後の言葉を甲高い笑い声で無力化してしまうか、
「・・な~んちゃって、今のは嘘だよ~」として茶化してしまうか、そん
な様な手法です。これで「贋作」の幕切れの印象を、ちょっぴりアモラル
な方向へ向けることに出来ます。

野田もさすが演劇人としてその取っ掛かりを本能的に探り当てていないわ
けではないと思うのは、「贋作」幕切れに安吾原作にない耳男の「いやあ、
まいった、まいった」という呟きを入れていることです。これも決して強
くはないが、夜長姫の最後の言葉をいなして幕切れをアモラルな方向へ持
って行く力はありそうです。しかし、夢の遊眠社による初演映像(昭和64
年)を見ると、 野田はこの呟きを遠い故郷を想う眼差しで泣きそうな表
情でしゃべっていて、やはり上手く行っているとは思えませんねえ。依然
ロマンティック、つまりインモラル感触のままに終わっています。作家と
しての野田は本能的に探り当てているのだけど、演出家としての野田 が気
が付いていないということですかねえ。ここは、もっと軽い調子で明るく、
「いやあ、まいった、まいった」と言った方がずっと良いです。最後の感
触はサラリと締めた方が良い。「いやあ、まいった、まいった」について、
夜長姫が耳男に語っている場面を読めば、そのことが分かると思います。

『暑い日にね、人を見ているの、みんなしかめ面をして歩いている。けれ
ど、突然、俄か雨が降ると「いやあ、まいった、まいった」って言いなが
ら、ニコニコして、雨やどりしているのが見えてくるの。(中略)少しも、
まいってはいないのよ。だのに 「まいった、まいった」っていうの。
(中略)あるでしょ。わからないうちにときめいていることって。』

夜長姫は他にも「人は俄か雨とか戦争とか突飛なものが大好きだってこ
と」とか言ってますが、夜長姫はアモラルな存在なのですから、そうい
ういかれたところは置いておけば宜しい。しかし、夜長姫が全然真実を
言っていないわけでもないので、この「いやあ、まいった、まいった」
には、確かにこの世のインモラルな・嫌な出来事をサラリと受け流す為
の、おまじないにはなりそうです。


(この稿つづく)


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