軍事情報

【日本陸軍の兵站戦(44)】泰緬鉄道の建設(1)―鉄道と軍隊―(24)


カテゴリー: 2017年02月22日
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【~2/26】例えば、ロマンや夢に溢れた
イメージの大航海時代は、実のところ、

大侵略時代、
いや、大虐殺時代だったそうです。

教科書には載っていない
ショッキングな世界史の数々を
正しく認識してみると

意外にもそこから、
真実の日本の姿が見えてきました。

つづきは ↓
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「日の丸父さん」

http://okigunnji.com/url/208/

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こんにちは。エンリケです。

今回の記事に
帝国陸軍には「鉄道聯隊があり、捕虜に頼ることなく、その技術者
たちが設計した」という一節があります。

カウンターでもいいからこの史実に基づいた主張を対外発信しておれ
ば、「戦場にかける橋」というデマ映画を通じて世界に広まったわが
国の悪評は少し違った形になっていたはずです。わが歴史戦にとって
大きな橋頭保ができていたのでは?と思います。


歴史を学ぶのは何のためか?

私はこう思います。
歴史の具体的事実をいろいろ知ることで、今の自分の発想力や認識
能力の質と量を高めるためです。

わが国で極端に不足しているのは
軍事史に基づく、わが軍事にまつわる歴史的事実の庶民レベルでの
共有です。
荒木さんの連載をメルマガでお届けしている理由のひとつはそこに
あります。

今回の記事はその典型で、こういう事実を庶民レベルで知らなかっ
たから、映画等を通じた歴史戦という名の情報戦に負け続け、自虐
的な意識を植え付けられ、国益を失ってきたのです。

ジリ貧になってから始めるのでは遅いです。特に情報戦は累積戦略
ですから、時間をかけて積み上げてきたものが力になります。

庶民だから軍事史に無知でいいなんてことはありません。軍事史に
もとづく歴史の事実・常識をわきまえていないと、歴史戦・情報戦
で負け、結局そのツケは、われわれ庶民に回ってきてワリを食わさ
れるのです。

エンリケ


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 日本陸軍の兵站戦(44)
『泰緬鉄道の建設(1)―鉄道と軍隊―(24)』
            荒木 肇
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□ますます奇怪な北朝鮮

 金政権の後継者の一人として名前も挙がったことがある、金正男
氏が暗殺されました。真相はしょせん推測の域を越えられませんが、
外国の街で人がテロによって殺される。そういったことがまだ想像
とはいえ、ある国の権力者の意思で行なわれたらしい。以前にも外
国から人を拉致したり、爆発物をしかけて外国の要人を殺したりと
いったことを組織的に行なう国家がある。こういった現実を突きつ
けられても、わたしたちは驚くしかありません。

 国々、あるいは民族にはそれぞれ固有の時計があって、同時に地
球という宇宙船に乗っていても、それぞれの流れる時間には違いが
あって当然ということでしょう。人間は発達し、社会は進歩すると
いう考え方に疑いがもたれてから一世代が経過しました。それ以後
の出来事を見るたびに、そうした進歩史観などというものがあてに
ならないことを痛感します。

 歴史上の事件の因果関係の追究など無意味だとも思えます。歴史
は偶然の産物だという説もあり、わたしたちは都度、出来事に対処
していかねばならない。しかし、それを理解するにはその起きた事
情と出来事、結果を「物語」につむいでいくしかないのです。そう
でなくては、私たちの認識は成立しない。やっかいなものですね。

 今回から数回にわたって、映画『戦場にかける橋(1957年・
米英合作)』で有名な泰緬鉄道について考えてみましょう。

▼『戦場にかける橋』というトンデモ映画

 1957(昭和32)年に英米合作の大作『戦場にかける橋』が
制作された。翌年公開されるとたいへんな騒ぎになった。アカデミ
ー賞を総なめにしたこの映画は主題歌の『クワイ河マーチ(ポギー
大佐)』でも有名になる。

 舞台は大東亜戦争中のビルマ(現ミャンマー)とタイ王国の国境
だった。日本軍はそこに鉄道を通そうとした。投入されたのは英国、
オランダ、オーストラリアなどの捕虜だった。日本軍による国際(
戦時人道)法を無視した捕虜の就労強制が描かれ、加えて監視兵に
よる虐待があった。脱走騒ぎや日本軍指揮官との衝突。異文化の衝
突などもあり、結局、日本軍技術将校の手には負えず、英国人将校
による設計がされ橋は完成する。しかし・・・といったストーリー
だった。

 ところがこの話が徹頭徹尾、フィクションだったのだ。橋の姿も
名称も、実際の場所も、英国人捕虜の話もとことん空想の産物であ
る。原作者はフランス人のブールという人でいまのベトナムあたり
にいた人らしい。それが思いつきで書いた空想小説が映画になり、
世界中に受け入れられた。もちろんわが国でもたいへんな人気にな
った。「史実ではない」と主張する人もいたが、わが国もようやく
『戦後は終わった』という言葉が流行ったころである。事実の解明
より世界に追いつこうという気分が強く、アカデミー賞総なめの権
威にひれ伏してしまったというわけだ。

 映像を見れば考証など必要もない。日本の監視兵がもつ小銃は英
国製のリー・エンフィールドだし、監視塔から捕虜を睨む機関銃は
ビッカースの水冷である。脱走も不可能な密林に囲まれた陸の孤島
という設定だが、現実の場所は平野部の端であり、川を下れば人家
が多いところである。

 橋の正しい名称は『メクロン河永久橋』である。架かっていたの
はクワイ河ではなくメクロン河だったからだ。ところが、現在では
どちらもその名称が変わっている。理由は映画が大ヒットし、観光
資源になったために河の名前(メクロン河がクワイ河に)も橋の名
前もフィクションに合わせてしまったのである。現地に行った友人
によると、なんと橋のたもとにある駅の名前は『リバー クワイ 
ブリッジ』だそうだ。

 映画の橋は丸太を組み上げた木造であり、その重量計算や構造計
画が日本人技師(技術将校)にはできなかったわけだが、実際の橋
はコンクリート橋脚の上にのったトラス鉄橋である。仮設橋ではな
く、永久橋であるから当然のことだ。

▼タイとビルマを結べ

 1942(昭和17)年の12月、参謀本部第3部長若松中将は
南方軍の参謀を東京に呼びつけた。18年の末に完成予定だったタ
イとビルマの連絡鉄道の進捗状況を報告させたのだ。

 南方軍ではすでに7月から見積もり資料を集め始め、現地測量も
終えて設計もできたところから工事を始めていた。ところが、現地
は山と谷が多く、周囲は密林である。トンネルも掘れるようなとこ
ろではなく、勾配を少なくするために、木を切りだし高く足場を組
んでその上に線路を通すような所が多かった。その総延長は15キ
ロにもなり、全線は400キロにもなるが、そのほとんどは周囲に
人家もなかった。おかげで労働力が集まらない。

 しかも雨季になれば、小さな川だけでも水位があっという間に上
がった。短いスコールがきただけで10メートルも川面が上がって
くる。せっかく築いた基礎もあっという間に流されてしまう。10
00メートル級の山が連なるインドシナ山脈の東側の中腹地域であ
る。道路もろくになく、開かれた土地もない。建設資材を運ぶのも、
集積するのも難しい。工事現場への補給は建設したばかりの線路を
使うしかなかった。

▼それまでの情勢

 支那事変を起こしたのは国民党政府の蒋介石である。蒋介石は上
海から始まる戦いに敗れ、揚子江上流の重慶に逃れた。これを支援
したのは米英仏ソ連。英米仏の3国は仏印と当時言われたフランス
領インドシナのハノイに物資を揚げた。そこで鉄道に積みかえたり、
河川の舟に載せかえたりして雲南省や広西省に運んで行った。

 1940(昭和15)年6月にフランスはドイツに降伏する。そ
こで日本陸軍はハノイ方面に進駐し、雲南へのルートを遮断するこ
とに成功した。これに対して英米の2国は英国領だったビルマ(現
ミャンマー)のラングーン(現ヤンゴン)に物資を揚陸し、鉄道で
雲南省近くに推進し、そこからトラック便で重慶政権への援助を続
けた。インドからもトラックによる物資輸送もされた。

 大東亜戦争開戦後、マレー半島を押さえた南方軍はビルマ攻略を
計画した。援蒋ルートを潰すためである。1942(昭和17)年
2月に第15軍によって始められた攻略戦はまずラングーンを占領
する。続いて北方400キロメートルにあるマンダレーに向かった。
そこは鉄道、水路、道路が集まる要地だった。そこから北東へ30
0キロメートル、ミートキーナまでは鉄道があった。しかし、その
西側およそ150キロを走るインド国境まではチンドウィン河の他
にはろくに交通手段はなかった。

 第15軍は英印軍と蒋介石軍を圧倒し、1942年の5月中には
ほぼビルマ全土を支配した。ところが米軍が太平洋各地で反撃を開
始した43年に入ると全土で英印軍の反攻も目立ってきた。高空攻
撃やゲリラ戦による損害が出始めた。英印軍もまた約1年をかけて
ラングーンまで南下する計画を立てていたのだ。

 大本営はビルマを守るには兵力を増強し、3個師団を基幹とする
第15軍だけに任せず、7個から8個師団が必要だろうと見積もっ
ていた。そのビルマ方面軍への補給もまた海上輸送だけでなく、タ
イから鉄道輸送で補完しようとも考えていたのである。その具体策
が400キロメートルを超す泰(タイ)と緬甸(ビルマ)を結ぶ泰
緬鉄道だった。

▼工事始まる

 完成期限は4カ月も短縮を命じられた。1943(昭和18)年
末どころか8月一杯とされるようになった。その代わり資材の支給
などでは優先順位が上げてもらえた。予備資材やダイナマイトは要
求通りに用意された。同時に鉄道の規格をゆるめることも認められ
る。1日当たりの計画輸送量を半分に下げてもらえた。技術とはそ
ういうものである。計画輸送量を減らせば、関連する施設、退避線
やホームの規格、準備資材や集積場所など、多方面の計画や工事が
楽になる。たとえば、機関車も貨車も軽くなる。枕木の本数も減ら
せるし、基礎部分の強度も下げられるので工事の負担も少なくなっ
た。

 さらに鉄道技術部隊の増員が認められたことも大きかった。おか
げで内地や満洲などの鉄道員の応召が増えた。単純労働力も英米豪
蘭などの戦時捕虜が使えるようになった。本来、捕虜の使役は戦力
を増強させるような作業には使えない。しかし、この場合は間接的
な輸送力増強がねらいだからいいだろうと、いささか甘い見積もり
もあったようだ。

 担当部隊はタイ側からは鉄道第9聯隊、ビルマ側からは第5聯隊
が担当した。他に鉄道技術者集団の第4特設鉄道隊がマレーから引
き抜かれた。さまざまな数字があるが、ビルマ人が9万人、マレー
人7万5000、英国人3万、オランダ人1万8000、オースト
ラリア1万3000人というのが信じられるところである。米国人
はわずか700名ばかりという。日本側は約1万5000名という
ところだった。(もちろん諸説あって、現地人工夫7万、連合国捕
虜5万5000、日本軍1万の合計13万5000人という著書も
ある)

 ノンプラドック(バンコクからシンガポールに向かう線路の1地
点)とビルマのラングーンから南下する鉄道の1地点タンザビアを
結ぶ路線が計画された。工事はその両地点から同時に始められた。
レールの長さは1本が10メートル、国内のそれは30メートルだ
から急カーブなどにも対応するためである。ただし、ゲージはメー
ターゲージといわれた1000ミリメートルだった。

 工事用のレールや枕木を運ぶのはガソリンエンジン付きの牽引車
である。路外ではタイヤで走り、鉄路の上でも使える軽車両である。
今もその実物が埼玉県朝霞市の陸上自衛隊輸送学校の校舎の前に復
元されて保存されている(100式牽引車)。

 工事は早ければ1日で1キロ進むことができた。捕虜も監視する
側もひどい環境の中で過ごした。作業兵、監視兵も捕虜も、みんな
テントで寝るしかなかった。食事も野戦炊事であり、ほとんど米し
かない。衛生環境も劣悪というしかなかった。

 それでも監視役の日本側の捕虜収容所の軍人たちは配慮した。な
かには豚を送って、捕虜にせめて肉を食べさせようとした収容所長
もいた。対して工事作業を監督する日本軍人たちは兵站からの給与
なので、ろくに副食などが送られてくることがなかった。塩辛い漬
物や、乾燥醤油や乾燥味噌などでパラパラのタイ米を食べていた。
脚気症状を見せる者も多くいたが、工事の完遂が重要視された。

 飢えているのは監視役も捕虜も同じだった。働く技術部隊の兵士
も飢えていた。そうした中で捕虜の逃亡を恐れ、反抗にも目を配り
ながら勤務する監視兵は緊張の連続だった。体罰が行なわれ、足蹴
にされた、殴られたという訴えが戦後多く出た。おかげで戦争犯罪
人に指定され裁判にかけられて非業の死を遂げた日本軍将兵もいた。
しかし、殴る、蹴る、重量物をもたせるといった処罰は日本社会全
体にあったものである。職人の徒弟や商家の小僧も先輩や師匠の暴
力にさらされていたのが実態だった。それが外国人に対してだけ急
に態度が変えられるものではない。

▼工事手順のおおよそ

 鉄道聯隊には建設隊があった。これに技師や技術将校、技能下士
官がつき、測量を元にした計画を立てる。航空写真を元に測量をし
たのは象に乗った軍属の測量隊である。レールを敷設するルートや
橋の位置を決める。簡単な道路を造り、資材を牛が牽く車やトラッ
クで運びこんだ。橋脚や積みあげる材木の基礎材のセット位置も決
まる。

 いざ工事開始となると建築隊には軍属の身分で徴用されていた技
術者が活躍する。職人である。石工や大工、佐官、とび職といった
人たちのこと。基礎部分などの構築はお手の物だった。とはいえ、
急な増水があると上流から現地人が材木を流したり、水流が強くな
ったりしてせっかくの工事がやり直しになることもある。

 橋の工事はレールの延伸より先になる。だからトラックや象によ
る運搬が重要だった。現地の牛車なども徴発された。もちろん現地
徴発は部隊付の経理将校が支払いや交渉を担当した。現地の象や牛
などもタダで使うことはなかった。戦後の誤解で軍隊は何でも現地
人から無償で取り上げたかのように理解する向きもあるが、そんな
ことは決してしない。逃げられたり、敵に協力されたりしたら大変
な結果を招く。

 ルートの中で鋼鉄製の橋が造られたのはただ1か所である。それ
が映画で有名になった『クワイ河鉄橋』ならぬ『メクロン河永久橋』
だった。また現地では『クウェイ河』と発音するらしい。場所は前
にも書いたように密林の中などではなく、平野から山地にかかる奥
地の入り口にあった。

 英軍将校が指導助言したり、設計に関わったりなどということは
ない。鉄道第9聯隊の技術者たちが設計した。鋼材はジャワ(イン
ドネシア)から運んできた。映画の中では最後に脱走した捕虜たち
が木造橋を爆破してしまうが、そういう事実はなかった。

 次回は後編として開通についての話題にする。
 


(以下次号)


(あらき・はじめ)


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●著者略歴

荒木  肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、同大学院修士課程
修了。
専攻は日本近代教育史。日露戦後の社会と教育改革、大正期の学校
教育と陸海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を行なう。
横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処理教育センター
研究員、同小学校理科研究会役員、同研修センター委嘱役員等を歴
任。1993年退職。
生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専門学校講師(教
育原理)などをつとめる。1999年4月から川崎市立学校に勤務。200
0年から横浜市主任児童委員にも委嘱される。2001年には陸上幕僚
長感謝状を受ける。
年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、講話を行なっ
ている。

著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、『静かに語れ
歴史教育』『日本人はどのようにして軍隊をつくったのか―安全保
障と技術の近代史』(出窓社)、『現代(いま)がわかる-学習版
現代用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛隊という学
校』『続自衛隊という学校』『子どもに嫌われる先生』『指揮官は
語る』『自衛隊就職ガイド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教
えない日本陸軍と自衛隊』『あなたの習った日本史はもう古い!―
昭和と平成の教科書読み比べ』『東日本大震災と自衛隊―自衛隊
は、なぜ頑張れたか?』(並木書房)がある。


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