Japan on the Globe-国際派日本人養成講座

JOG-Mag No.591 台湾人と日本人が共に生きた日々


カテゴリー: 2009年03月29日
■■ Japan On the Globe(591)■ 国際派日本人養成講座 ■■■■

         国柄探訪:台湾人と日本人が共に生きた日々
    
                        台湾に残る日本統治時代の遺産を辿る。
                
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■1.同じ時代を生きた台湾人と日本人■

     3月22日の日本経済新聞に「台湾『御用列車』復元へ」と
    いう記事が載っていた[1]。台湾の鉄道事業を担う台湾鉄路管
    理局が、観光振興の目玉として「御用列車」の復元に乗り出し
    たという。

     第一弾は40年前に作られた蒋介石総統用の御用列車だが、
    その後、日本統治時代の1904(明治37)年に製造された台湾総
    督専用の客車と1912(大正元)年に完成した皇室専用客車との二
    つも復元候補に挙がっているという。後者は大正12(1922)年、
    皇太子であった昭和天皇が12日間台湾を回られた時に使われ
    たお召し列車であった。[a]

    「日本帝国主義の植民地支配」を糾弾する韓国・北朝鮮から見
    れば、信じられない発想であろう。

         台湾では古蹟や建築を訪ね歩くのが一種のブームになっ
        ている。台北市内の書店では、歴史や建築に関する書籍が
        数多く刊行されていて驚かされるし、大型書店なら、台湾
        詩と建築ガイドの専門コーナーをそれぞれ別に設けている
        ところもある。[2,p20]

     台湾に住み、歴史や風土も含めたガイドブックを何冊も著し
    ている片倉佳史氏はこう語る。観光資源として御用列車を復元
    しようというのも、この歴史ブームの一環だろう。

     その片倉氏が最近著された『台湾に生きている「日本」』は、
    台湾に残る日本統治時代の遺跡を紹介しつつ、それを通じて台
    湾人と日本人が共に生きた日々を思い起こさせてくれる好著で
    ある。今回はその中からいくつかのエピソードを紹介したい。

■2.「阿里山開発の父」■

     観光用の鉄道としては、台湾中南部、国家風景区(国定公園)
    に指定されている阿里山の森林鉄道が有名である。軌道幅は
    762ミリと狭く、小さな鉄道であるが、標高差は2,244メー
    トルに及び、連続スイッチバックやスパイラルもあり、美しい
    車窓を堪能できる。アンデス高原鉄道やインドのダージリン鉄
    道とともに、世界三大山岳鉄道の一つに数えられている。

     現在は蒸気機関車の復活運転なども実施され、観光用に使わ
    れているが、もともとは日本統治時代に、阿里山で伐採される
    豊富な木材の搬出用に作られたものだった。

     阿里山は15の山々の総称で、その一つが東アジアの最高峰
    (標高3952メートル)玉山(ぎょくさん)である。戦前は
    新高山と呼ばれていた。明治天皇により「新しい日本最高峰」
    の意味で名づけられたものである。

     現在は台湾を代表するマウンテン・リゾートとなっており、
    遊歩道なども整備されているが、その途中、鬱蒼と生い茂った
    樹林の中に一つの石碑が建っている。正面には「琴山河合博士
    旌功碑」と刻まれている。河合博士とは「阿里山開発の父」と
    呼ばれた河合し(金偏に市)太郎博士で、琴山とは博士の号で
    ある。「旌功」とは功績を顕彰すること。

     河合博士は日本における近代森林学の先覚者として知られて
    いる。名古屋の出身で、明治23(1890)年に東京帝国大学農科
    大学を卒業、その後、ドイツとオーストリアで欧米の林業学を
    学んだ。明治35(1902)年に台湾総督府民政長官・後藤新平[b]
    に請われ、台湾での林業開発を指導することとなった。

■3.12年かけて完成した森林鉄道■

     当時、台湾では南北を結ぶ縦貫鉄道の建設が進められていた。
    その資材調達先として注目されたのが、阿里山であった。しか
    し、河川は流れが急で水量が不安定なため、水運を用いること
    はできない。そこで台湾総督府は森林鉄道の建設を決め、明治
    33(1900)年から地勢調査を始めていた。

     河合博士は鉄道ルートの選定からこのプロジェクトに携わっ
    た。地形的な制約が大きいため、軌道幅762ミリという軽便
    鉄道の規格で設計された。自然災害もあり、何度となく挫折し
    ながらも工事は進められていった。7年後の明治40(1907)年
    西南部の嘉南平原北端の嘉義から、標高2000メートルの二萬平
    までの66キロが開通。12年後の大正2(1912)年には阿里山
    まで全通し、本格的な森林資源の搬出が始まった。

     伐採は生態環境を維持しながら計画的に行い、同時に植林事
    業も進めて、森林資源の保全を図った。河合博士はこれらの計
    画を直接指導した。この実績は林業関係者の間では今も高い評
    価を受けている。台湾南部の灌漑事業を手がけて「百万人の農
    民を豊かにした」と李登輝元総統に言わしめた八田輿一氏[c]
    に並ぶとも言われている。

     河合博士は昭和6(1931)年に東京の自宅で永眠した。台湾で
    罹ったマラリアが原因だったと伝えられている。その後、門下
    生たちによって、記念碑が建立されることになり、阿里山神社
    の神苑がその場所に選ばれた。ここには昭和10(1935)年に建
    立された樹霊塔も残っている。切り出された樹木の霊を慰める
    ためであった。
    
■4.日本最長の大橋梁■

     西南部の高雄県とその東の屏東(へいとう)県はかつて下淡
    水渓(しもたんすいけい)と呼ばれた大河川を県境としている。
    流域面積では台湾最大の河川である。この河川に大正2(1913)
    年、3年がかりで全長1526メートルもの大橋梁がかけられ
    た。

     完成時には、天竜川鉄橋や朝鮮の鴨緑江鉄橋よりも長く、日
    本最長を誇っていた。この橋はトラスという複数の三角形を組
    み合わせた構造を用いている。24連ものトラスが延々と続く
    光景は、世界の鉄道技術者を感嘆させるに十分なものだったと
    いう。

     この橋梁が果たした役割は大きかった。これまで下淡水渓に
    よって隔絶されていた屏東地方は、新興産業都市・高雄と直接
    結ばれ、農産物を鉄道で輸送できるようになった。また高雄の
    港湾施設にインドネシアからボーキサイトが輸入され、アルミ
    ニウム工業が発達した。屏東産のパイナップルは、アルミ缶に
    詰められ、大半が日本に出荷されるようになった。

     高雄から鉄橋を渡る手前に位置する九曲堂駅の駅舎近くに古
    めかしい、見上げるような大きさの石碑が建っている。鉄橋の
    架設に努めた飯田豊二という技師の碑である。

     飯田技師は静岡県生まれで、明治30(1897)年に28歳の若
    さで台湾に渡った。明治43(1910)年には鉄道部技師となり、
    翌年から台湾総督府鉄道部打狗(高雄)出張所の技師として、
    下淡水渓橋梁の架橋工事に携わった。

     しかし、過労がたたって病に倒れ、自らが手がけた鉄橋の完
    成を見ることなく、大正2(1913)年6月10日、台湾総督府台
    南医院で世を去った。享年40歳であった。その後、台湾総督
    府は飯田技師の功績を讃え、この碑を建立したという。

     現在では石碑を中心に公園が整備され、その由来が中国語と
    英語、日本語で案内板に書かれている。郷土史に興味を持つ人
    びとが頻繁に訪れ、鉄橋と共に歴史遺産の扱いを受けている。

■5.現在も稼働する水力発電所と3人の殉職碑■

     台湾の南部は急峻な山々が聳え、多くの急流があることから、
    水力発電所が多数作られた。台湾の水力発言所は大半が日本統
    治時代に建設されたもので、今も11カ所が現役であるという。

     高雄県の美濃(みのう)という小都市には、市街地から約6
    キロ離れた所に、竹子門(ツーツーメン)発電廠と呼ばれる水
    力発電所がある。明治42(1909)年、台湾では二番目、南部で
    は最初に設けられた発電所である。

     発電所の建物は、日本統治時代からほとんど変わっていない
    という。内部の設備も、戦前からのものだ。発電機はドイツか
    ら輸入されたもので、現在も動いている。

     発電所の構内には3人の殉職した日本人職員の石碑が残され
    ている。傍らの解説板によると、上利良造は明治43(1910)年、
    触電により殉職。青柳義雄は昭和2(1927)年に病死。山中三雄
    は水路に誤って転落、殉職し、昭和12(1937)年に碑が建てら
    れた。

     これらの石碑はいずれも工員たちによって建てられ、守られ
    てきた。保存状態は良好で、大切にされている様が窺い知れる。

     片倉氏に案内役を申し出てくれた古老は、「職務に対する真
    摯な至誠は何人たりとも否定できません」と静かに語った。そ
    して「技術者というのは、そういった精神を何よりも大切にす
    る人種です」と続けた。この老人もまた、台湾の山林を駆け巡っ
    た水道技師である。

     なお、台湾の急峻な河川は、渇水時には水量が不足して、流
    域は水不足になる。以前は、この一帯も水不足に悩まされてい
    たが、発電所が出来てからは、その水を灌漑用水として安定供
    給している。現在もここからの灌漑用水が利用されており、美
    濃は台湾でも指折りの農業地帯となっている。

■6.「この電話は今まで一度も壊れたことがない」■

     台湾東北部を走る平渓線は、全線にわたって渓谷が続き、車
    窓の美しさで知られている。平日こそ閑散としているが、週末
    は行楽客で結構な賑わいとなる。

     この路線は、一帯の炭鉱を経営していた台陽鉱業株式会社に
    よって大正10(1921)年に敷設され、沿線で採掘される石炭の
    運搬に使われていた。昭和4(1929)年に台湾総督府に買収され、
    官営となった。

     終着駅である菁桐(せいとう)駅は、かつてはいくつかの炭
    鉱があり、多くの坑夫が集まって、賑わっていたという。片倉
    氏は1997年にここを訪れた。

     駅舎は昔ながらの木造和風建築だが、大きく庇(ひさし)が
    張り出して日陰を作り、また待合室には扉をなくして風通しを
    良くしていた。片倉氏が来訪記念に乗車券を買い求めると、助
    役らしい初老の駅員は、日本人が珍しかったのか、駅長室に招
    き入れてくれた。

     案内された駅長室は、まさに日本の地方駅の雰囲気であった。
    黒光りする大きな金庫には「大正13年製造」と刻まれたプレ
    ートが嵌め込まれている。

     埃をかぶった昔ながらの鉄道電話もあった、これも日本統治
    時代からのものだという。別の駅員が古電話を優しくさすりな
    がら、小さな笑顔を見せた。そして、「この電話は今まで一度
    も壊れたことがない」と、あたかも自分のものであるかのよう
    に胸を張った。
    
■7.「お医者さんはハルヤマ先生という方でした」■

     10年後に片倉氏は菁桐駅を再訪した。列車が駅の構内に差
    し掛かる直前に、線路沿いに朽ちかけた木造家屋を見つけた。
    片倉氏は線路伝いに歩いて、そこに向かってみることにした。
    近づいてみると、それはまさしく廃墟だった。柱は折れ、天井
    は抜け落ちている。

     通りがかった老婆に声をかけてみると、ここは日本統治時代
    の診療所だったという。

         老婆は当初、突然の日本語に緊張した表情を見せたが、
        しばらくすると、「お医者さんはハルヤマ先生という方で
        した」と教えてくれた。「よく覚えていますね」という私
        の言葉に、老婆は当然といった面持ちで、「お世話になり
        ましたから、忘れません」と答えた。このやりとりを境に、
        私たちの会話はすべて日本語になった。・・・

         老婆の日本語は、当初は若干のたどたどしさを含んでい
        たが、話しているうちに流暢になってきた。小学校を卒業
        する前に終戦を迎えたというので、日本語による教育はわ
        ずか数年間ということになる。

         しかし、両親や兄弟が日本語を常用していたため、家庭
        内で戦後も日本語との接点が保たれた。老婆は今もNHK
        衛星放送で大相撲やのど自慢を観るのが何よりもの楽しみ
        だと笑っていたが、突然真顔になって、「一度でいいから
        のど自慢を台湾でやってくれないものかね」と迫られた。
        [2,p188]

     ハルヤマ先生は終戦で日本に引き揚げ、再び、この地を訪れ
    ることはなかった。そしてそれから60年以上の歳月が過ぎ、
    小学生だった少女は、齢80に手が届く老婆になった。

         彼女にとっての「日本」は、多くの台湾の老人たちと同
        様、終戦を機に封印されてしまった。それでも、若き日々
        の思い出は決して色褪せることがない。老婆はしばらくし
        て「もうきっと亡くなっているでしょうね」とつぶやいた。
        
     発車の時刻が迫り、片倉氏が慌てて列車に乗り込むと、警笛
    がなって、ディーゼルカーは菁桐駅を離れた。窓の外を見ると、
    孫を抱いた老婆が手を振っていた。

     現在もこの木造駅舎は健在だが、最近の行楽ブームを受けて、
    ここにも多くの行楽客が訪れるようになっている。
    
■8.台湾人と日本人とがともに過ごした日々■

     台湾での郷土史ブームは、台湾人としてのアイデンティティ
    を求める心とつながっているように思える。「自分たちは、大
    陸の中国人とは違う。台湾に生まれ、育ってきた台湾人だ」と
    いう意識が、「自分探し」の旅としての郷土史ブームの原動力
    になっているのではないか。

     そして、台湾各地に残る歴史遺産を訪ねてみれば、そこかし
    こに見つかるのが、1895 (明治28)年から大東亜戦争後の
    1945(昭和20)年までの半世紀の日本統治時代のものである。

     台湾の若い世代にとって、この時代の遺産を辿ることは、自
    分たちの祖父母の生きた姿を思い出すことなのだろう。

     そして、そこには我々日本人の祖父母の足跡も残っている。
    かつて台湾人と日本人とが、この地でともに過ごした日々があっ
    た。ともに力を合わせて、鉄道を敷き、橋梁を建設し、水力発
    電所を設け、灌漑水路を堀り、診療所で人々の健康を守った。

    「日本帝国主義による植民地支配」などという空虚な概念では
    掬いきれない、喜びや悲しみに満ちたそれぞれの人生があった
    のである。
                                         (文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(309) 許國雄 〜 台湾人の大和魂
   「日本教育」で教わった「大和魂」で、許國雄は台湾の教育と
   政治の改革に取り組んだ。
   http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h15/jog309.html
b. JOG(145) 台湾の「育ての親」、後藤新平
    医学者・後藤新平は「生物学の法則」によって台湾の健全な
   成長を図った
   http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h12/jog145.html
c. JOG(216) 八田與一〜戦前の台湾で東洋一のダムを作った男
    台湾南部の15万ヘクタールの土地を灌漑して、百万人の農
   民を豊かにした烏山頭ダムの建設者。
   http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h13/jog216.html

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 日本経済新聞、H21.03.22「台湾『御用列車』復元へ」
2. 片倉佳史『台湾に生きている「日本」』★★★、祥伝社新書、H21
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4396111495/japanontheg01-22%22

■ 編集長・伊勢雅臣より

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